第14話 半目の勝ち

 エウドキアの中心、帝都の北東部を占める市場は今日も今日とて雑踏と喧騒に包まれていた。


 その中でもひときわ目を引くのは、巨大な奴隷市場である。


「ここに買い物に来るなんて、思ってもみなかったな」


 現代人の感覚では、奴隷と聞いて思い出されるのは新大陸へ輸出された黒人奴隷だろう。

 人間としての基本的人権はほとんど認められず、非人道的な扱いを受けながらプランテーション農園で働かされ、酷使される存在として描かれることが多い。


 だが帝国では少し事情が違う。帝国においては、奴隷とは単にその者の法的な身分を示しているにすぎない。

 だから農家だけでなく家庭教師や秘書、果ては医師や芸術家に至るまで様々なスキルを持った奴隷がいるし、人権をもたないとはいえその身分は帝国法によって保証されている。

 働き続ければ奴隷身分から解放され、解放奴隷として市民と同等の自由を持つこともできる。


 だから奴隷といっても、ここの奴隷は決して粗末に扱われているわけではない。

 むしろ奴隷商にとって彼らは商品である。

 病気や怪我をしないように気を遣わなければ買い手がつかず、商売が成り立たない。


 ……とはいえ、それでも奴隷は奴隷である。


 いくら粗末に扱われないとはいえ、現代の倫理観に照らし合わせれば問題も多い。

 そのため僕は今までここを訪れることはなかった。


 しばらくそこらをブラブラ見て回る。

 市場のあちこちには石造りのプラットフォームが設置され、その上に奴隷たちが一列に並べられていた。ショーウィンドウというやつだ。

 彼らは年齢も性別も様々で、戦争で捕虜となったもの、犯罪の罰として奴隷にされたもの、あるいは借金を返済できずに奴隷身分へ落ちたものなど、その背景はさまざまだ。

 奴隷商人たちは彼らの特徴や技能、健康状態を熱心に宣伝し、少しでも高値で奴隷を売り払おうとしていた。


「とはいっても、奴隷を売り買いしたことは今までにないし……」


 問題は、奴隷の相場がまるでわからないことだ。

 力仕事ができる若い男が高いというのはある程度予想がつくが、細かい金額になるとさっぱりである。

 世間知らずとみられてボッタクられるのは避けたい。


 ……そういえば冒険者をやっていたころ、貴族たち御用達の奴隷商があるというウワサを耳にしたことがあったな。その商人の名前は確か、ハリントスといったか。



 ◆



 ハリントスは市場の片隅、人気のない路地でひっそりと商売を営んでいた。

 この男には貴族たちからの信用があるから、向こうの奴隷商たちのように大声での集客に頼らなくともいいのかもしれない。


 店の前まで来ると、ハリントスは向こうから近づいてきた。


「これはこれは閣下、本日はどのような御用で」

「僕を知ってるのか」

「もちろんでございます、ヘンリク様。帝都の商人で閣下のことを知らぬものはおりませんよ」


 できればいい噂であってほしいな。


「それで、本日はいかようなご用命で」

「奴隷がほしい。おおよそ五十名ほど。だがあいにく、奴隷の相場がわからなくてね」

「昔は今ほど奴隷は高くありませんでしたが、ここ最近はこれといった戦いもありません。ここ数世紀のあいだに奴隷の価格は数百倍に跳ね上がりました。とはいえヘンリク様は初めてのご利用、できるだけお安くいたします」

「助かるよ」

「それで、どのような奴隷をお探しで」

「柔和なものでなく、がっしりとした体つきの若い男。身体に不自由がなく、健康で、頭のよさは気にしないが主人と仕事に対して誠実な人間が望ましい」

「定番ですな。ほかには」

「彼らの中に所帯を持つものや、仲の悪いものがいれば追加してくれ」


 悪辣あくらつな考え方ではあるが、その方がぎょしやすく、扱いやすいという利点がある。

 家族の生活を考えたり仲違いをさせたりすることで、主人への反乱を企む可能性が減るからだ。


「初めてにしては、なかなかお目の高い方でいらっしゃいます。そちらはサービスということにいたしましょう」

「あとは寒い地域に慣れているもの。南方で育ったものは体を壊す可能性があるだろう」

「まったくでございますな。承知いたしました。そのように取り計らいましょう。お支払いはどちらに」

「軍務尚書に。第五軍救援の論功として、陛下より行賞を賜っている」

「左様でございますか。それではそのように」


 第五軍が敗走してきたと言う知らせはすでに広く知れ渡っているようで、ハリントスは特に僕の言うことに疑問も持たず契約をしてくれた。


 契約が終わってふと店の中を見ると、部屋のすみで盤を並べている女性がいた。


「……あの人間も売り物か?」

「アレですか。ええ、一応売り物です」

「にしてはずいぶん、自由にさせているようだが」

「なぜかは分かりませんが、逃げる気がまったくないのです。盤を貸してくれと言われたので与えています。ずいぶん腕がいいようで、店を訪れた貴族の方々の中には勝負される方もおられます」

「店主、あなたも打つのか」

「いえ、私はああいったことは分かりませんから」


 要は客寄せパンダか、少し気になる。

 時間もあるし、ついでだから一局打っていくことにしよう。


「彼女と一局打っても構わないか」

「もちろんでございます」


 そちらに近づき、彼女と盤を挟んで向かい合うようにして座った。

 それまで一人で石を置いていたようで盤面は途中だったが、彼女は慣れた手つきで黒石と白石を片付けて元の場所へ戻した。


 帝国におけるポピュラーなボードゲームは、つまるところ前世の世界でいう囲碁と同じだ。

 シンプルなルールであるがゆえに、この世界でも同じような経緯をたどって発明されたのかもしれない。


「君の名前は?」

「オフィーリアと申します」


 オフィーリアは僕と同じぐらいの年若い少女だった。

 ちゃんと食べ物は与えられているのだろう、痩せぎすでもなく血色も良かったが、肩まで垂れる黒の長髪は手入れがされておらず傷んでボサボサに荒れていた。

 黒い瞳の眼は横長で垂れていて、その顔は穏やかだった。


「閣下は、碁の腕前はいかほどで」

「まあまあといったところかな」


 前世では中学で囲碁部に入っていた。県大会に出て個人戦の部で優勝したことはあるが、まあその程度だ。中学生で奨励会に入っているような本物の天才たちには敵わない。


 とはいえこの世界に来て冒険者たちとやった限りでは負けたことがないので、おそらく弱くはないはずだが。


「だが手加減はしなくていい、黒に六目半でどうだ」


 六目半のコミは、囲碁のルール上先手が有利になるため設けられるハンデだ。


「承知しました」


 かくして、オフィーリアとの対局が始まった。



 ◆



 オフィーリアとの勝負は一時間前後でついた。

 コミをいれて半目ぶん、僕の勝ちだ。


「私の負けですね。閣下はまこと強いお方です」

「驚いたな」

「なにか、私に落ち度でも」


 オフィーリアはただ者ではない。


 たしかに最初、彼女の強さはこちらと互角に見えた。

 だが手が進むことで、じきに互角の力量と思えた理由がわかってきた。

 碁の強さや手の打ち方、すべてこちらに揃えているのだ。


 そして最後はギリギリのところでこちらが勝つように仕組まれた。

 この分では彼女と対戦したものはみな半目差で勝っているだろう。


「なぜ君はこんなところにいるんだ。は、素の力量によほどの差がなければできるものではないだろう」

「まさか閣下に悟られるとは思いませんでした。どうかお許しください」

「別に怒ってはいない。だが君という人間に興味が湧いた。なぜこんな場所にいるのかも含めて」


 オフィーリアはその場で深々と頭を下げた。


「閣下のことをお待ちしておりました」

「待つ? キミとはさっき初めて会ったのにか?」

「盤の上での勝敗は単に碁の実力。されど自分が相手にどのように見られているのかを知るのは冷静さの問題です。ここに来られた貴族の方々の中に閣下より強いお方はおれども、半目差で勝った理由には気付かれた方はいませんでした」

「僕を試したわけか、なんと傲慢なやつ」

「恐れ入ります」


 どうやらオフィーリアは単に碁が強いというわけではないらしい。

 碁を好む貴族たちを相手に政局についての情報を集め、自分の買い手にふさわしい人物を探っていたようだ。


「それで僕と会って何がしたい。自分を買ってもらいたいのか」

「はい」

「なぜ、僕が君を買う必要がある」

「何でも閣下は、第五軍を引き連れて帝都にお戻りになったとか」

「そうだが、それがどうした」

「第五軍が負けた原因が、将軍の失策にあるとお思いですか?」


 なかなか面白いことを言うやつだ。


「詳しく話してみろ、聞いてやる」


 オフィーリアは息を吐いたあと、ゆっくりと話し始めた。


「第五軍が敗れた原因は、将軍が無能であったからでも、軍が規則を無視して森に立ち入ったからでもありません。ものごろとの必然の道理なのです」

「どういう意味だ」

「うわべだけ見れば、帝国の兵数は皇帝が動かせるだけでも四十万。それに対して王国はすべて合わせてもわずかに十万。皇帝陛下が勝てると踏んで戦争を始められたのも無理はありません。兵法に則れば国境の防備を固め、王国軍は決して外には出てこないはずです。しかし敵は兵を忍ばせて密かに国境を越え、他の部隊に合流するため移動していた第五軍を襲撃しました」

「大胆な作戦だ」


 オフィーリアは首を振った。


「あまりにもです。一歩間違えば王国の敗北は必定ひつじょう。危険すぎるがゆえに、普通ならそのような作戦は思いついても行えません。しかし彼らは行った。なぜか? それは皇帝が戦争を始めた理由そのものにあります」

「君は、それはなぜだと思う」

「皇帝の権威を維持するためです。帝国には内に大貴族、外には王国のほかにも東方の大国アルカシアという内憂外患があります。皇帝はそれらの行動に対して絶えず牽制けんせいしなければならない」

「だが、第五軍の敗走でそれが狂った」


 今度は彼女は頷いた。


「三つの正面があれば四十万の兵力は三で割られる。さらに内地が襲撃されたという風聞が広まり、民衆が恐怖で煽られればその混乱を収めるため各地に軍を派遣しなければなりません。そうなれば正面は四つになります」

「王国に向けられるのは十万の兵で、互角になると。皇帝も防衛に徹さなければならぬと嘆いていた」

「見た目の上でこそ兵の数は多けれども、実際に用いることのできる兵の数は少ない。それが第五軍が敗北を喫した、まことの理由です」


 やはりこの少女はただ者ではない。

 オフィーリアの洞察力と戦略眼は群を抜いている。


「続けろ」

「第五軍の敗北で皇帝は事実上、一万の兵を失いました。残った一万も再編成には時間がかかる。とはいえここで弱腰な態度を取れば周辺国からは好機と見られ、さらなる介入を招きかねない。皇帝は早急に対処しなければなりません。大貴族をふるいにかけ、皇帝のをはっきりさせる。なんにせよ、大貴族の助力を借りて王国との戦いに勝利すれば皇帝は権威を保てます」

「……面白い話だ。まさか帝都に、これほど優れた意見を持っている識者がもう一人いたとはね」


 そういうと、彼女は悔しげな表情を浮かべた。


「誰です? もう一人とは」

「僕だ」


 オフィーリアは唖然としたあと、深々と頭を下げた。


「ありがたき幸せにございます、閣下」


 僕はハリントスを呼びつけて、彼女を購入すると告げた。


 オフィーリアに言ったことは半分ハッタリでもあったが、薄々感づいていたことでもあった。


 先ほど会ったとき、皇帝は王国の戦い方を「奇策」と言った。

 ティベリウスは兵の命が失われたことを気にもとめない男だ。

 おそらく彼は自身の思考回路にあわせて王国の将の考えを推し量ったのだろう。


 しかし僕にはそうは思えなかった。だいいち王国にそんな余裕はないはずだった。

 兵数に劣る状況で、マトモな指揮官なら奇策に頼った勢い任せの攻撃などしない。


 また仮にそのような人間であったなら、僕が森の中で照明弾を打った時に退却を許可したりはしなかったはずだ。

 間違いなく、あの奇襲攻撃は冷静な指揮官が計算ずくで行ったことに違いなかった。

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