第6話 信仰と生活

「いやぁ、面目ない……」


 晩になってすっかりアルコールの抜けたシュトラウスは、ウチに来て平謝りしてきた。

 仮にも仕事をもらった人間に対して、その領地の中心であんな醜態しゅうたいをさらしたのだから当然というものだろう。


「これはあくまで友人として助言するが、しばらく酒はやめたほうがいいぞ」

「それは分かってるんだが、どうしてもね……」


 シュトラウスのは現代風にいえばアルコール依存症、つまりは病気だ。


 アルコール依存症は自堕落な人間がなりがちだと思われることもあるが、必ずしもそうではない。

 生真面目な人間がストレスを溜め、その発散にと酒を飲むことを繰り返して習慣的な飲酒に至ってしまうケースも多い。


 シュトラウスの場合は後者で、シラフのときには勤勉で誠実な人間なのだ。


「この領地には酒はない。ここに住んでしばらくの間酒を絶つべきだな」

「ヘンリク、ありがとう。初めて会ったときから、君には助けてもらいっぱなしだな」


 たしか彼に最初に初めて会ったときも、酒場で喧嘩を起こしていたのを止めたんだったか。

 袖振り合うも多少の縁とはよく言ったもので、人の縁というのはどこでつながるか分からないものだ。


「ついでに紹介するよ。こっちが妻のクルシカだ。クルシカ、こちらはシュトラウス家の次男坊ヨハン。シュトラウスでいい」

「よろしくお願いしますわ、シュトラウス様」

「いやあ、どうも……」


 シュトラウスはクルシカの笑顔にやられている。

 まあクルシカは現代人から見ても美人だしな、つまりこの世界の人間にとってはものすごい美人に見えるってことか。


 鼻を伸ばすシュトラウスに、僕はオホンと咳払いをする。

 はっとした表情でシュトラウスは我に返ったようだった。


「奥様、失礼しました。聖教会助祭のヨハン・シュトラウスです。以前は宮廷で主計官の職を拝しておりました」

「ご丁寧にありがとう。貴方のお兄様、今のシュトラウス家の当主の方とは何度かお会いしたことがありますわ」

「流石はミヤセン家のご令嬢だ――いや、今は違いましたな。クルシカ様の名は宮廷にいた時も広く耳に入ってきたものです」

「あらいやだ、変な噂だったら恥ずかしいわ」

「何をおっしゃります。まったく、ヘンリクが羨ましいものです。帝国いちの才媛と謳われるクルシカ様の心を射止めるなんて」


 帝国の国教は聖教会と呼ばれる宗教で、歴史的には伝統的な宗教と外来の宗教が合体したものである。

 所属する聖職者の中には貴族の次男坊か三男坊もいて、ヨハンもその一人というわけだ。


「それでシュトラウス、君を呼んだわけだが」

「ああ、そうだったな。何をしてほしいんだ? 他ならぬ君の頼みだ、何でもやろうじゃないか」

「ありがとう、帝都の宮廷で会計官まで務めた経験のあるキミに頼むのは恐縮だが、この領地の子どもたちに読み書き計算を教えてほしいんだ」

「読み書き計算を? ――まあ、キミの頼みなら何でもやると言ったのは僕だが、本当にそれでいいのか?」

「領地が発展すれば人を雇って収支をつける必要もあるだろうが、今の村の規模なら僕一人でも可能だ。それより今は平民にこそ教育を施すことが大事だと思っている。この領地と、そこに住む人の将来のためにも」

「カネに困っていたころ、貴族の子弟相手に家庭教師の仕事をした経験ならあるから可能だとは思うよ。しかし面白いことを考えるもんだな、平民に教育を施すなんて。聖書の解釈をかみ砕いて説教したことならあるが、なかなかどうして本格的じゃないか」

「やる気はあるか?」

「もちろん」


 僕たちの間で話がついたとみると、クルシカは笑顔でパンと手を叩いた。


「お二方、お話は一段落されました? そろそろ夕食にいたしましょう。シュトラウス様もどうぞご一緒に」

「しかし、いいのかな。昼間あんな騒ぎを起こしてしまって」

「親しい友人を晩餐に招待するのは当然のことだよ。ぜひ遠慮せずに食べていってくれ」

「ヘンリクにそこまで言われては仕方ないな。ではお言葉に甘えて」





 三人で机を囲んだ楽しい夕食が終わり、片付けのためにクルシカが引っ込んだあと、シュトラウスは僕に質問を投げかけてきた。


 シュトラウスに配慮して呑み交わすのは白湯だ。


「ところで、教区司祭を誰にするのかは決めているのかい」

「そこがいまいちよくわからないんだが、教会には地区司祭と教区司祭という二つの言葉があるだろう。あれは何が違うんだ」

「ああそれは、地区司祭は一つの教会を管理し、教区司祭は一つの教区地域を担当するんだよ」


 なるほど、地区司祭と教区司祭の間にある違いというのは、要はコンビニチェーンにおける雇われ店長とエリアマネ―ジャーの間にある違いみたいなものか。


「この土地にはまだ教会がないようだから、前者については後回しになるかもしれない。しかし教区司祭は早めに立てておいたほうがいい。色々と面倒なことになるからね」


 面倒なこと、まあ大体は予想がつく。

 宗教絡みの問題はどれも得てしてやっかいだ。それは地球の歴史が証明している。


 とはいえ、今のところ教会を敵に回す気はない。アストラの領民たちにしたって聖教会の信徒だ。

 彼らの身近な相談相手として聖職者がいてくれたほうが、領地経営も上手く回るというものだ。


「その教区司祭というのは、キミでは無理なのか」

「僕はまだ助祭の身だからね、あくまで補佐として彼らの仕事を手伝うことなら可能かもしれないが……教区司祭と名のついている通り、基本は司祭位にある聖職者が担当するんだ」

「しかしそんな高位の聖職者が、こんな辺境の地に来てくれるものかな」

「僕の方から帝都の総主教座に手紙を出しておこうか。熱心な人はすでにこの土地に注目しているから、二つ返事で了承してくれるはずだよ」

「本当か。じゃあ頼むよ。しかし、こんな辺境に来たがる司教なんているんだな」

「最近は開拓ブームだろ。それに合わせて布教をしよう、皇帝陛下が推進してる政策に乗っとこうと、まあこういうわけさ。とはいえ何も政治的野心がある人ばかりじゃない、大半は純粋な宗教的熱意から不毛の地に信仰を広めたいと思っているわけだよ」


 どんな仕事でもそうだが、とりわけ聖職者というのはピンからキリまでいる。

 シュトラウスのように貴族の次男坊三男坊だった人物がなる場合もあれば、それまで教会とはなんの関わりもなかった人物がとつぜん信仰に目覚めて教会の門戸を叩く場合もある。


 前者のタイプの人間が貴族の宮廷や教区司教付きの役人として実務を取り仕切ることが多いのに比べて、後者の人間は信仰心が強く祈りや布教にいそしむことが多い。


 そして教会で日々領民たちと会話するのは後者のタイプの人間だ。


「それに、聖職者は神聖魔法も使えるしな」


 シュトラウスの言葉に頷く。


 確かにそれも魅力的だ。この世界で魔法使いと呼ばれる人間が多種多様な魔法を使う中、唯一聖職者だけが使える魔法が神聖魔法だ。


 その原理ははっきりしないが、どんな原理であれ人を癒せる唯一の魔法という点で神聖魔法の有用性は頭一つ抜けている。

 内科的治療はともかく、この世界の外科手術の成功率は推して知るべしだからだ。


「魔法か。そういえば君も神聖魔法が使えるんだっけ?」

「軽いものならね。とはいえ、司祭様に比べれば大したことはないが。そうだヘンリク、君も魔法を使えたよな? まだ使えるのか」

「ああ。四元素魔法を」


 四元素、すなわち風、土、火、水の魔法だ。

 先日、建設用地の造成に土元素の魔法が便利なので使おうとしたところ、「貴族が平民にできる仕事を奪ってはならない」とクルシカに怒られたのを思い出した。


「凄いよなあ、を扱える魔法使いなんて、帝都にだってそういないぜ。そう考えてみると皇帝陛下が君を辺境伯に指名したことにも得心がいくな、ってやつだよ」


 聖なる血。帝国の建国神話だ。

 世界が混沌に陥っていた時代、帝国の初代皇帝アウグストゥスは四人の天使から魔法を授かって世界を征服、わずか一代で偉大な帝国を築き上げたという。


 その魔法こそ、こんにち四元素魔法と呼ばれているものだ。


 女好きで知られたアウグストゥスは身分を問わず多くの女性と子をなしたため、その血は濃かれ薄かれ多くの貴族家系に流れている。

 そのため魔法使いたちは、己の身体に流れるアウグストゥスの「聖なる血」がどれだけ濃いかによって使える魔法の強さや種類に差が生まれると考えているのだ。


 ちなみに平民では魔法を扱えるものは殆どおらず、貴族ではその大半が一つか二つ、そして今の皇帝ティベリウスは四元素すべての魔法を扱える。


「僕がアウグストゥスの血を引いてるって? 外でそんなことを吹聴するのはやめてくれよ、反乱の意図を疑われて死にたくはないからな」

「まあまあ、そうカッカするな。ようは皇帝陛下がなぜ君に伯爵位を賜われたかってことさ、案外それを警戒して目を光らせるためかも知れないぜ」


 まあ、シュトラウスの言うことにも一理ある。実際、僕が辺境伯を賜ったのにも色々裏事情があるのだろう。

 とはいえ、いつまでも考えていても仕方のないことだというのも事実だった。

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