第22話 教会と国家
「それは、自然死なのか。それとも暗殺なのか」
僕はティグリナに尋ねる。
先ほどまでただの憶測でしかなかった最悪の想定が、今や現実になってしまった。
「分からない。この文書によれば、現地はずいぶん混乱していたようだ」
「情報は正確なのか?」
「
ティグリナは伝令兵を問い詰める。
「街道を移動中、高所の死角から奇襲に遭いました。統制のとれた襲撃でした。二十から三十ほどの騎兵が隊列に突撃してきて、隊はバラバラに。そのスキに陛下は」
「敵の特徴は?」
「賊や傭兵のようには見えませんでした。それから、全員が魔法を使っていました。こちらも応戦しましたが」
魔法兵だって。
この世界において魔法を使える人物は限られ、その大部分は貴族だ。
使えるものは限られる。特定も難しくはないだろう。
敵は素性を隠す気もないということか。
横からクルシカが質問を投げかける。
「なぜ貴方はここに?」
「陛下は最期に、皇帝府とアストラに向けて早馬を出すようにと」
「アストラに? 陛下は確かに、そうおっしゃったのですね」
「はい、夫人」
「その遺言を、他に聞いたものは?」
「その場にいたものはみな聞きました。われらの無力にもかかわらず、最後まで国家のことを考えておられました」
クルシカは僕の方へと向き直って忠言する。
「ヘンリク様、これは外交的に極めて危うい状況です。皇帝陛下の死の一報を何より先に受け取ったと知れれば、他の貴族たちから色を付けて見られることになりましょう」
「僕たちのもつ影響力が小さくてもか」
「小さいからこそ、です。今の私たちには力がない、それはすなわち、外交においても主導権を握れないということです」
主導権というのは、要するに皇帝の後継者を巡った主導権争いということだ。
まったく、ティベリウスはとんだ置き土産を残してくれたものだ。
僕はオフィーリアを呼びつけた。
「オフィーリア」
「ここに」
「アルカシアの
「彼らの狙いが帝国の混乱なら、現時点で閣下のお命を狙う可能性は低いかと。後継者争いが行われるには、それに足りる役者がいなければなりません。この国で『聖なる血』の流れる人物は、皇帝陛下のご子息と閣下のお二人ですから」
僕は以前
『聖なる血』は我らにとっての呪い、なるほど確かにこの血脈は呪いそのものだ。
「クルシカ。もし劇が始まった場合、僕たちにつく役者はどれだけいる?」
帝国には五つの大貴族があり、ほかの貴族はいくつかの例外を除いてそれらの大貴族に経済的に依存している。
だから過半数である三つの大貴族が支持すれば、皇帝は貴族たちの支持を得られるということになる。
「おじい様は私たちの方に立つでしょう。しかしほかの四家については何も言えません。あえて言えば、皇帝陛下のご子息に比較的近い立場をとってきた二つの家には期待しないほうがよいかと」
「僕たちの味方になりえるのは?」
「ミヤセン家を除けば、ペリゴール家とアエミリア家。しかしどちらも大貴族の中では比較的勢力は小さい家で、兵の数も期待はできません」
「兵の数っていうのは……」
「大事なことでございましょう? 皇帝を失った帝国軍は動揺しています。そんな中でもっとも期待できるのは、それぞれの貴族が有する徴集軍です。内戦に至れば当然、彼らの動かせる兵力が効いてくる」
この状況で避けなければならないのは帝国内での内戦だ。
西では王国との戦争を抱え、東ではアルカシアの
かといってこの問題は、僕が皇帝候補を辞退すればうまく収まるという問題でもない。二つの『聖なる血』が国に流れれば、それは必ず争いを生む。
だから相手が政争に勝利すれば、彼らは必ず僕の命を狙ってくるはずだ。
「うまくこの事態を収める方法に、心当たりはあるか?」
戦いが不可避だというなら、それも仕方がない。だが戦いとなれば国は乱れ、民にも被害が出る。
それにこの事態を引き起こしたアルカシアの思い通りに動くのはどうにも
しばらくみな黙っていたが、シュトラウスが口を開いた。
「ひとつだけ、心当たりがないわけじゃない」
「なんだ?」
「言っておくが、問題の根本的な解決にはならないぞ。あくまで時間稼ぎだ」
「それでもいい」
「……さっきから話を聞いてて疑問だった。大貴族、王国、そしてアルカシア。この三勢力しか話に出てきてない。だが帝国にはもう一つ、重要な勢力がある。――聖教会だ」
◆
「聖教会がこの問題に対する解決策になるのか?」
たしかに教会は帝国の臣民に対して強い精神的指導力を有している。
だが一方で、彼らは兵士を持っているわけではないはずだ。
「もともと教会は、長らく自分たちの
「皇帝はそうではなかったのか?」
「もちろん皇帝は、教会にとって最大の庇護者ではあったさ。だが大事なのは、帝国は教会の出先機関じゃないってことだ。皇帝が教会に求めたのは、『帝国を皇帝が統治するのは当然のことだ』と人びとに広めて回ることだ。だから国境の外にいる異教徒に教えを広め、また改宗させることにはそこまで乗り気じゃなかった」
そこには一種の行き違いがあった。
帝国という巨大なシステムにとって、教会は皇帝に仕える行政組織の一つでしかなかった。
だがいっぽうで、教会内では別の論理が働いていたのである。
そこでシュトラウスは一旦息を吐いた。
「ヘンリク。これはあくまで俺の推測ではあるが、お前が教会の布教活動を支援する気があるなら、教会はお前の立場を保障する用意があるだろう」
「その保障はどれだけ強力なものになる?」
「なにせ前例がないから、実際のところはわからない。だが教会と協定を結べれば、たとえ皇帝でも大っぴらにお前を排除するのは難しくなる。というのも教会がそっぽを向けば、臣民は新しい皇帝を支持しなくなるからだ」
帝国において、皇帝は二つの権力によって支えられていると言われる。
その言葉が言わんとしているものは貴族と市民だが、聖職者も見えないところから皇帝権力の正統性を支えているのだ。
だが、そこでクルシカが口を挟んだ。
「お待ち下さい。皇帝から位を
彼女の懸念はもっともだった。あくまで僕の貴族という位は皇帝に認められて賜ったものだ。
皇帝の臣下である僕が大っぴらに教会のもとで働けば、皇帝権力は教会の上にあるのか下にあるのかというややこしい問題を引き起こしかねない。
そこで僕は、クルシカに妥協案を提示する。
「ならばこうしよう。取引も、協定もなしだ。あくまで僕たちは自主的に教会の布教活動を支援し、教会も自主的に僕たちの後ろ盾となる。これでもダメか?」
どちらが上かという問題を今決める必要はない。
重要なのは教会が僕たちの実質的な後ろ盾になってくれることだ。
「その場合もあくまで密約であるという
クルシカはこの点では
交渉の細部は彼女に任せてもいいかもしれない。
……よし、話に戻ろう。
「それでシュトラウス、教会の歓心を買うには何が必要だ?」
「いちばん重要なのはお前が持ってる『辺境伯』という家柄だ。どれだけ
辺境伯、帝都から遠く離れた広大な土地の防衛と支配を任され、小国の君主と同等の権力を有する貴族。
それが単なる貴族でないからこそ、国境の外にまで進出して布教活動を行う大義名分が立つということか。
「他には?」
「総主教たちの個人的な
「……
「暦?
この世界の暦は教会の聖職者たちによってたえず改良されてきた。
なぜなら重要な宗教行事をいつ行うかということは、聖職者たちにとって実用以上に信仰の点で重大な問題であるからだ。
「より予測精度の高い暦法を提案できるといったら?」
暦とはようは天体の運動を予測することで、突き詰めれば自然科学だ。
この世界の天体の運動を説明するのにも元の世界と同じ自然法則を援用できるなら、地球で五千年にわたって積み重ねられてきた天文学の知識をもつ僕は、この世界にいる天文学者よりもよほど有利な立場にいるはずだ。
「もしそんな暦が提案できるというなら……彼らは両手を上げて喜ぶだろう。正確な祝祭の日付がいつであるかということは、教会にとって重大な論点だからな」
密室で話し込んでいても気疲れするだけだ。いっちょやってみるか。
外に出て空を見上げる時間だ!
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