第21話 射人先射馬

 帝都に不吉な噂が広がるのに、そう長い時間はかからなかった。


「市中に相当量のニセ金貨が流通している」


 最初は根も葉もない戯言ざれごととされたその噂は、不思議とすぐに地下へと潜った。

 理由は単純、それが真実であることに気づいた人々がいたからである。


「帝国金貨の価値はじきに暴落する」


 そういって機先を制したのは、帝都の両替商たちだった。


 彼らは職業柄、金貨の偽造方法を他の者たちより知り抜いていた。

 ニセ金貨がもはや取り返しのつかないほど市中に蔓延まんえんしていることに気づいた彼らは、手持ちの金貨をより安全な実物資産へと待避させ始めた。

 すなわち帝国銀貨、高級酒、絵画、彫刻、不動産などへと。


 混乱は上から下へ、徐々に広がっていった。

 両替商たちにならうように、帝都に住む貴族や富裕層、その他の商人たちも次々と金貨を手放し始めたのだ。


 そうして一ヶ月もしないうちに相場の混乱は致命的なものとなった。

 帝国における金貨と銀貨の交換比率は、当初の1対25という比率から1対5という水準にまで暴落した。

 わずか一ヶ月足らずで、帝国金貨の価値は80%も下落したのである。


 もちろん、帝国政府とてこの事態をただ黙って見ていたわけではない。

 彼らはこの混乱をなんとか収めようとし、混乱が始まって二週間目の朝に金銀の交換比率を1対20に固定することを決めた。


 だがこの策は、逆に帝国金貨の信用不安を推し進めることになってしまった。

 第一に帝国政府が話自体を否定せずいきなり交換比率の固定を行ったことで、これまで半信半疑の噂にすぎなかった「ニセ金貨の流通」という物語に説得力が与えられてしまった。

 第二に、市中レートと大きくかけ離れた公定レートの設定は投機筋とうきすじの介入を招き、国庫から大量の銀貨が流出する事態を招いた。


 かくして帝国政府は事実上の敗北を宣言した。

 数世紀にわたって不動の価値を保ち続けてきた帝国金貨の安全神話は、わずか一ヶ月のうちに崩壊したのだった。



 ◆



 館では村の主要メンバーを集めた会議が行われていた。


 円卓につくのは僕とクルシカ、シュトラウス。

 それにティグリナ、オフィーリアの五人だ。


 状況を報告し終えたティグリナは席についた。


「……以上が帝都の状況だ。なんでも西方では期限内に賃金が支払われないとかで、傭兵集団が雇い主である皇帝の命令を無視し始めてるとか」


 帝国金貨の暴落で被害を受けたのは手形の買い手だけではなかった。

 多くの投資家が手形市場から資金を引き上げたため、膨大な戦費の調達に手形を使っていた帝国政府は財政危機に陥っていたのである。


「戦争の趨勢すうせいも怪しくなってきたな。どちらが負けるか、予想もつかない」

「泥沼といっていいだろう。帝国は目下資金不足に陥っていて、王国領に向けて攻勢をかけるなど不可能。かといって初戦の奇襲で優位を得た王国も、再度帝国領内まで侵攻してくるだけの体力はない」


 だとすれば、問題は誰がこの状況を望んだかだろう。

 僕はクルシカに質問した。


「今回の件だが、君は誰が黒幕だと思う?」

「このような謀略の首謀者を考えるにあたっては、通常それによって誰が最も得をするかを考えます。ですから普通に考えれば、目下わが国と戦争中の王国でしょう。けれども今の王国に、これほど大規模な工作活動を行う能力があるとは思えません」


 それには僕も同意する。


 通貨の偽造は帝国が最も監視の目を光らせる犯罪の一つだ。とりわけ経済の中核を担う帝国金貨の流通には、絶えず厳しい目が向けられている。

 そのような警戒網をくぐり抜けて市中にこれほどの精度のニセ金貨を流すのは、相当の資金力と組織力がなければとうてい不可能なことだ。


「それに帝国金貨を使っている国は我が国だけではありません。西方世界全体、すなわち王国も――あちらでは銀貨が主流ではありますが――商取引に帝国金貨を使うと聞きます。帝国金貨の価値が混乱すれば、被害を被るのは彼らも同じです」

「つまり?」

「犯人は彼らではありません。そしてこんな大それたことをなしうる組織力と資金力を持ち、なおかつ帝国経済を混乱させる強い動機をもつ国を、私は一つしか知りません」

「アルカシアか」


 その僕の言葉にクルシカは静かに頷いた。


 アルカシア。僕たちが今いるエウドキア帝国の隣に位置する東方の大国だ。

 帝国は過去に何度も、アルカシアとの軍事衝突を繰り返してきた。


 黒幕がアルカシアなら、一連の謀略の目的は帝国の内部を動揺させ、帝国軍を王国との国境に引き付けることだ。

 おそらく彼らはその機に乗じて帝国へ再度侵攻しようとしているのだろう。


 だとすれば、これで終わりだとは思えない。


「オフィーリア。彼らはこの騒動を引き金に、二の矢・三の矢を放ってくると思うか?」

「私が見る限り、この騒動は周到に計画されています。帝都で噂が広がり始めたその出どころもよく分かっていないようです。であれば、黒幕が意図的に情報をリークしたと考える方が自然でしょう。次の策が出てくる可能性は十分にあるかと」

「次とは何だ?」

「……”将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ”」

「なに?」


 オフィーリアの口から出た、耳慣れた言葉。


 元いた世界のことわざ……いや、そんなはずはない。

 オフィーリアは日本語を使ったわけではないのだ。

 おそらくこの世界にも似たようなことわざがあったのだろう。


「贋金騒動のせいで、皇帝は軍を動かせません。アルカシアは皇帝の馬を射たことになります。皇帝は身動きが取れない状況、ならば彼らが次に狙うのは皇帝本人です。そうではありませんか?」


 オフィーリアの優れた洞察も、今日ばかりは恨めしく見えた。


「クルシカ。皇帝が暗殺されるリスクはどれほどある?」

「宮廷の守りは固いはずです。いかにアルカシアの密偵といえども、宮殿の中に入り込めるとは思えません」


 クルシカの言葉に、ティグリナが反論した。


「中に入り込む必要はない。宮殿に入り込めないなら、あちらから出てきてもらえばいいんだ。西方で傭兵の背命行為が続けば、混乱を治めるために皇帝は出ていかざるを得なくなる」

「ということは、傭兵の命令無視も仕組まれたものだということか?」

「この世には金さえ積まれればどんな仕事でも請け負う人種が三つある。犯罪者と冒険者、そして傭兵だ。この種の人間はいとも簡単に主人を裏切る」


 ティグリナは自虐っぽくそういった。

 あるいはかつて、何か苦い思い出があったのだろうか。


「クルシカ、仮に皇帝が暗殺された場合には、どんなことが起きる」

「……考えるだにおぞましいことです」

「具体的には?」

「第一に財政が危機的な状況の中、指導者が消えることによって経済の混乱が生じます。第二に有力な後継者がいない中で亡くなられた場合、後継者を巡って陛下の御子息を担いだ権力闘争が行われます。第三に軍の指揮系統が乱れ、王国とアルカシアへの対応が遅れます」

「それは――」

「もし起これば、まごうことなき国難です。私はないと信じますが」


 そうなれば王国との戦争どころではない。

 下手をすれば国を割る内戦だ。


「その場合、お前の『血』は意味を持つことになるな」

「シュトラウス」

「いいじゃないか。口に出さないだけで、みんなが思ってるんだ。むしろ俺なんか、お前に『聖なる血』が流れる意味を理解した気がするぜ」

「どういう意味だ」

「お前が次期皇帝に名乗りを上げるってことさ。ティベリウスと話したとき、皇帝はその可能性を否定しなかったんだろう」


 分かっている。


 しょせんはすべて、仮定の上にさらなる仮定を積み重ねた憶測おくそく、こじつけにすぎないのだと。

 だがそれにしては、その言葉は妙に現実味を持っていて僕の背中を凍えさせた。


「憶測でものごとを判断するべきじゃない。まだ、判断材料が不足してる」


 まだアストラは村の立ち上げ期だ。

 春まき小麦の収穫が先日ようやく終わり、今度は船着き場の建設に取り掛かったところなのだ。


 宮廷政治にうつつを抜かして権力闘争をやっているヒマはない。

 化学工場を村に建設する構想だってまだ立てたばかりじゃないか。


 ふと、部屋の扉からノックの音がした。ティグリナが席を立つ。


 扉を叩いたのは伝令兵だった。


 ティグリナに渡されたスクロールを見るに、帝都からの早馬が届けてきたらしい。

 スクロールの内容を確認する彼女の顔が険しくなるのを、僕は見逃さなかった。


「なにがあった」


 その言葉に、彼女はこちらに振り向いていった。


「皇帝ティベリウスが崩御ほうぎょしたそうだ、帝都から西方へと向かう馬車の中で」

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