第20話 信用の価値
それから数日後にティグリナが帰還し、報告をよこしてきた。
「都市に滞在していた商人と接触し、食糧の搬入に関しての手はずを整えてきた。しばらくすれば、帝都から食糧を満載した交易船がやってくるだろう」
「よくやった、ティグリナ。……ところで、オフィーリアはどうだった?」
「あの子どもか。信用しろというから、いくつか悩みごとを相談した。子どもにしては多少口が立つが、正直お前がそこまで高く評価する理由が私には分からん」
ティグリナがオフィーリアに向ける評価があんがい低いのに驚いた。
「使えないか?」
「どうだろうな、私に人を見る目はないから。少なくとも、今まで冒険者として生きてきて見たことのないタイプだ。才をひけらかすタイプじゃないし、かといって謙遜しているというふうでもない。あえていうなら臆病な子どもだ」
僕はクルシカがティグリナと同じことを言っていたのを思い出して、思わず笑った。
「君もそう思うか」
「君も? 他に誰か同じことを?」
「クルシカだ」
その言葉に、ティグリナはじっと僕の方を見つめた。
「まあ、お前の勘を信じるといい出したのは私だ。お前があの子どもが危険だというのなら、そうなのかもしれない」
「危険であるからこそ利用価値もある。物事とは常にそういうものだろう」
「たしかに、毒もそうだ。危険であるがゆえに薬にもなる」
「あの子を使え。窮地のときにはそれに従うんだ。心配するな、手綱は僕が握っておく」
「いいだろう」
サイピアを見たとき確信した。いかに天才といえども、その精神性まで高めることはできないのだと。
クルシカであれティグリナであれサイピアであれ、才ある人間は彼らなりの苦悩と葛藤を抱えている。
それをオフィーリアだけ免れているというなら、オフィーリアはたんに天才という枠では語れない怪物ということになる。
「そういえば、オフィーリアは何をしてる。ウチにも帰ってきていないが」
「帰りのあいだ中、金貨を弄り回していたが。どこへ行ったのかな」
「金貨を?」
その瞬間、部屋の扉がバンっと音を立てて開き、外からオフィーリアが駆け込んできた。
「何事だ!」
「落ち着けティグリナ。――どうした? ずいぶん慌てているようだが」
精神はともかく肉体は十の少女であるオフィーリアは、その痩身ゆえに肩で息を切らしていた。
彼女は生唾を飲み、息を整えてから話し出す。
「閣下、これを」
そう言ってオフィーリアが示したのは二枚の金貨だった。
ティグリナはそれを受け取り、僕によこしてきた。
「この金貨がどうした?」
「よくご覧下さい、その金貨を」
――――そういうことか。
「何をいいたいかハッキリ言ってみろ、オフィーリア」
「その金貨の片方はニセモノです。それが放つ黄金の光は、金によるものではない!」
◆
「信じられん、片方が偽物だって? 持って帰ってくる時に水とはかりを使って、比重まで調べたんだぞ」
あれからティグリナは何度も二枚の金貨を見比べている。
二枚の金貨は見た目も重さもほとんど変わらないのだ。
「証拠はあるんだな、オフィーリア?」
「もちろんです。こちらを使いました」
オフィーリアは小瓶を取り出した。
中に入っていたのは、先日マリンシード顔料を精製するために作った少量の濃硫酸だ。まだ持っていたのか。
「これを一滴、それぞれの金貨に垂らします」
そう言って彼女は机に乗った二枚の金貨にそれぞれ一滴を垂らす
すると片方の金貨はまったく反応しないのに対して、一枚の金貨は表面が泡立ち始めた。
「片方が溶けた? 待て、じゃあこっちが偽物ってことか」
そういってティグリナは泡立った方の金貨を指差す。
「違うな、そっちじゃない」
「違う? 金は酸では溶けないだろ」
「たしかにお前の言う通り、オフィーリアが使った濃硫酸では金を溶かせない。だがよく考えてみろ。純金は柔らかすぎるから、ふつう純金で金貨は作らない。だから帝国金貨も金と銀、銅の合金で作られてる。そして濃硫酸は、少なくとも銅を溶かす」
「ちょっと待て、ということは――」
「銅が含まれている帝国金貨が、濃硫酸によって溶けないはずがないんだよ」
オフィーリアはペコリと頭を下げた。
「閣下のおっしゃるとおりです」
「オフィーリア、これは何だ? この金貨は何で出来てる? いや、そもそもこの金貨をつくっている物質は金なのか?」
「少なくとも純金ではありません。それ以上は私の知りかねるところです。……しかし、それより重要なことが」
「そうか。ニセ金貨がそうと知られず、市中に出回っているということか。この金貨はどこで?」
「ティグリナ様と同行した、フィアンという交易都市で」
「量はいくらほどだ?」
「
その言葉を聞いて、思わず気が遠くなる。
あまりに信じがたいことだ。
交易都市で贋金が堂々と流通しているなんて、帝国にとっての悪夢そのものではないか。
フィアンはエウドキア海交易において中心的な役割を果たす交易都市だ。
だからフィアンにある金貨が汚染されていれば、他の場所の金貨も汚染されていると考えるのが自然だ。
もちろん帝都も。
「帝国金貨の信用が失墜しかねない。ただでさえ戦時中だというのに」
「どのように対処されますか」
帝国金貨は西方世界全体で使われている共通通貨だが、その高い信用も金という実物があってこそのものだ。
もしニセ金貨に使われているのが金でないと分かれば。
そしてそのようなニセ金貨が市中に大量に出回っていると分かれば。
帝国金貨の信用は地に墜ちるだろう。
「オフィーリア、このことを知っているのは誰だ?」
「ここにいる者だけです」
「よし、二人ともこの部屋で聞いたことは決して外に漏らすな、いいな?」
二人とも頷く。
これが世に知れたら大変なことになると分かっているからだ。
「ティグリナ、兵を率いて村にある金貨をすべて集めろ。一枚残らずだ。うちにあるものも含めて総ざらいしろ。ただし理由は伝えるな。なにか言われたら、領主の権限だと言え」
「分かった」
ティグリナは外へと駆けていった。
あとに残されたのは僕とオフィーリアだけだ。
「それで、どうされるおつもりですか」
「それだけの金貨が汚染されているなら、もはや僕たちにどうにかできる問題じゃない。だからこの状況を最大限に利用して利益を得る」
ティグリナに知らせないのは、彼女の性格からして聞けば反対するだろうからだ。
「利益を得る……というと、どのように?」
「それを理解するために、少し例え話をしよう」
ある貴族が交易商から100金貨の価値がある商品を購入しようとするが、貴族には現金で支払うだけの手持ちがない場合を考えてみよう。
このとき商人が取りうる選択肢は二つ、売るのを諦めるか、あるいは貴族に利息込みで「110金貨を後で支払う」という債権手形を発行してもらうかだ。
だが、どちらの方法にも欠点がある。
前者の場合、次の売り先が見つかるまで商品を抱えることになり、そのぶん機会損失が出る。
後者の場合、商人は貴族に対して自分で債権の回収を行わなければならず、支払いが遅れたり債務を踏み倒されるリスクがある。
そこで帝国の交易商たちは「
商人は貴族から手形を受け取ったあと、その手形の権利を市場で売却するのだ。
こうすることで商人は早期に手形を現金化でき、一方で手形の買い手にとっては多少のリスクを負う代わり、債権の支払い日に権利を行使することで利息分の利益(10金貨分)を得ることができるのである。
「この時の状況を整理すると、こういうことになる」
貴 族 100金貨分の商品を110金貨分の債権で買える(10金貨分が利息)
交易商 110金貨分の債権を100金貨で売れる
買い手 100金貨で買った手形が110金貨分の価値で返ってくる(10金貨分が利益)
「見事なものですね」
「そう思うだろ? だがここには穴がある」
「穴?」
「この取引、誰が一番リスクを背負ってるか分かるか?」
「……手形の買い手ですか? 支払いが確定するまで、買い手の利益は確定していないわけですから」
僕はオフィーリアの言葉に頷く。
「そうだ。実際に債権の支払期日が訪れるまで、手形に支払われる価値は確定していない。そこがこの取引の核心なんだ」
だからこそ、この方法が成立するには二つの前提がある。
第一に、多くの貴族が債権を踏み倒さないこと。
第二に、金貨の価値が安定していることだ。
「前者の意味は分かります。では、後者は?」
「買い手が手形を買ったあと、支払いが終わる前に金貨の価値が急激に下がったとしよう。100の価値をもっていた金貨が80の価値しか無くなったと考えると、さっきの図はこうなる」
貴 族 100金貨の商品を88金貨分の債権で買える(8金貨分が利息)
交易商 110金貨分の債権を100金貨で売れる(取引はすでに確定)
買い手 100金貨で買った手形が88金貨分の価値で返ってくる(12金貨分が損失)
「……これは買い手側に全てのリスクが集中する仕組みですよね。なぜこのような仕組みが成立するのですか?」
「単純な話だ。金貨それ自体の価値が下がるなんて、誰も思っていないからさ」
帝国金貨は長年改鋳が行われず、それゆえ数世紀にわたって同じ価値を持ち続けてきた。
その価値は不変のものとみなされてきたし、だからこそその価値を前提とした取引が生み出されたのだ。
僕が元いた世界でも、この世界でも、市場は常に幻想によって支えられている。
「市場の欠陥ですか。確かにこれを使えば、状況を最大限に利用できるかもしれません。しかし……大変なことになります。本当に実行されるおつもりですか?」
「僕にとっての目の前の人間は、この領地に住む全ての人間だ。彼らを餓えさせないためなら、多少手は汚しても仕方ない」
帝国金貨に信用危機が訪れるとするなら、クルシカの実家もただでは済まない。そうなればミヤセン家からの補助も途絶える可能性がある。
自衛のためにできることは全てやっておくしかないのだ。
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