第31話 戦争の倫理
帝都へ向かう船の中で、僕はレクを受けていた。
僕に同行しているのはクルシカとオフィーリアのニ名だ。
聖教会の支持を固めた結果、僕たちは帝都へ招待を受けることになった。
ようは帝国の次期皇帝として、所信表明をしろというのだ。
皇帝位を手に入れるまでにはまだまだ時間が必要だと思っていたから、この話が来たときにはあまりのアッサリさに拍子抜けしてしまった。
「ヘンリク様、我々がいまどこに向かっているのかおわかりですね?」
「帝国元老院――招待を受けたそこで演説するんだろう」
その言葉に、クルシカは頷く。
元老院は主に帝都に在住する帝国の有力者たちによって構成されている。
皇帝の独裁に対する防波堤として働き、ようは日本の国会に近い存在だ。
だがそのあり様は、ここ五世紀でずいぶん様変わりしたと言っていいだろう。
かつて皇帝は、元老院から護民官の職を授与されて統治の正統性を示していた。
だから皇帝は元老院の意向を伺い、懐柔する必要があったのである。
しかし共和政は混乱の時代を平定できず、次第に元老院の権勢は低下した。
レムリアにおけるかつての元老院は皇帝から独立し、皇帝権と対立していた。
それに比べ、現代の帝国元老院は皇帝の
それでは、そんな時代遅れの政治機関がなぜ今重要なのか。
それは結局、政治というものがどこまでいっても建前論で回っているからだ。
「重要なのは、新皇帝が独裁を行うことはない、と帝都の市民に示すことです」
「だから元老院の支持が必要なんだな」
だがそれは、あくまで法の上の話である。
実際には、多くの市民は皇帝の即位に元老院の承認が必要だと考えているのだ。
◆
「閣下、クルシカどのと相談しましたが、元老院の演説ではとにかく混乱の収拾を強調するべきではないかと」
オフィーリアはそういって、僕に演説の原稿用紙を渡してきた。実によく整理されていて、まとまった原稿だ。
とはいえ、演説の中核の部分はまだ空白になっている。
「この空白の部分は?」
「ぜひ閣下のご意見を賜りたく。現在の状況を勘案した所、対立候補が行動を起こすことはないと思われます。ですからここは出来ない約束をするより、現実的な問題解決に要点をおくべきだと考えています」
「ティベリウスの息子はやる気はないのか?」
「我々にとって幸いなことに。貴族連中には不穏な動きがありますが、互いの利害を超えて結集するほどの動きにはなっていないというのが私の見立てです」
ティベリウスの実子は、僕がいなければ後継者になっていた人物だ。
運がいいのか、悪いのか。政争を引き起こさないならそれでいいが、判断に困る話だ。
「なにせ、いま皇帝になるというのは火中の栗を拾う話ですから」
なるほど、それもそうか。
元冒険者の成り上がりに、この混乱を収拾できるわけがない。
彼らはそう思って、僕が失敗するのを待ってもいいと考えたのかもしれない。
前帝ティベリウスの死後、帝国内部は二つの問題をめぐって混乱している。
とりわけ問題なのは、西方で停滞している王国との戦況だ。
「トリン森の戦いで、帝国軍は事実上第五軍を失いました。このため帝国軍は現在中央軍集団から西方に回す兵を抽出しており、代わりに帝都の守備防衛は貴族の徴集軍に依存しています」
「なんともお寒い話だ。西方に配置されている帝国軍主力部隊の状況は?」
「詳細は不明ですが、膠着状態であるようです」
「原因はやはり、経済か」
「戦債の調達は難航しています。不足分は現在国庫から補填しているようですが、金貨の価値が低下したせいでままならぬようです」
帝国金貨の信用危機は、長期化すればただでさえ疲弊している帝国経済に致命傷を与えかねない。
一時は平時の20%まで下落した帝国金貨の価値は現在は60%まで持ち直したが、それでも恐慌は帝国の戦争遂行能力に多大な負荷をかけている。
「西方に兵を駐留させておくだけでも莫大な費用がかかっているはずだな」
「問題はそこです。現在の資金調達の状況だと、軍団を維持するのはともかくとして王国領に侵攻するだけの体力はありません」
金、金、金。いくら戦いで強くても、軍は金がなければ戦えない。
世界の悲しい現実だ。
「持久戦に持ち込まれれば、根負けするのはこちらです。国庫が尽きる前に貴族たちからの信任を失うでしょう」
「王国と講話するという案は?」
その質問にはクルシカが答える。
「現在の戦況では彼らが有利です。和平の条件について、彼らは相当足下を見てくるでしょう。中途半端な状況で和平すれば市民からの信任を失います。こちらから仕掛けた戦いに負けたとなれば、帝国の外交的地位も地に墜ちかねません」
「つまり、体面を保つ必要があるというわけか」
「勝つ必要はありませんが、負けてはいけません」
「しかし軍を動かす金はないと」
八方塞がりだな。だがこの状況でも、打開案を提示しなければならない。
そうしなければ元老院は僕たちを信任しないだろう。
しかしそれでは困る。
空位が長くなればなるほど、アルカシアに付け入る隙を与えることにもなってしまうからだ。
「何か手は? ――クルシカ」
「最も単純な方法は、『国家防衛に関する元老院決議』を発出することですが」
「なんだ、それは?」
「事実上の戒厳令です。物資や物価を統制下におき、皇帝に国家行政における広範な権限を与えます。在地貴族に軍の徴集義務を課すことも可能です」
当にこの状況にピッタリのものだが、さっさと言い出さないということは何か問題があるのだろう。
「それをとった時の問題は?」
「短期的には何も。長期的な視点で言えば、これは政治的自殺です」
「穏やかじゃないな」
「この決議は、皇帝が独力では問題に対処することができなくなったということを示すものです。ですからこれは最後の手段として置いておかなければなりません」
ようは事実上の敗北宣言ということか。
元老院決議を出せば王国との戦争は和平に持ち込めるかもしれないが、戦後にはまず間違いなく退位を迫られることになるだろう。
「ほかに手立ては? ――オフィーリア」
「これはあくまで提案ですが、軍事的には通商封鎖という方法があります」
「通商封鎖?」
「王国と帝国の間は星霜海という内海で隔てられているのはご存知ですね。王国の首都は星霜海沿岸にあり、都市の食糧の大部分は海からの輸入に頼っています。帝国海軍が王都沿岸部を封鎖し、交易船が入ってこられないようにすれば……」
「じきに王国は音を上げる、か」
鉄道網のないこの世界で、陸上を介した輸送は非効率の極み。
都市の何十万という人口を養うためには海上輸送が不可欠だ。
その根本を締め上げてしまえば、いかなる大国といえどひとたまりもない。
「勝てるのか?」
「帝国海軍は腐っても世界最強の海軍です、命令があれば実行可能でしょう」
腐っても、か。
悪い噂は絶えないが、王国海軍に負けるほどではないということだろう。
「だがその作戦を実行すれば、敵国の首都で飢餓を生むことになる。それでいいのか?」
王国と帝国は、もとはレムリアという一つの国家だった。
帝国がレムリアの後継者と名乗る今でも、帝国市民は王国を自分たちの兄弟のように感じている。
もちろん、この世界に現代の倫理観を持ち込むべきでないのは分かっているが……
かつての同胞に、そのような非人道的な行いをすることは許されるのだろうか。
「それしか手がないなら、やるべきです」
そうオフィーリアは断言した。
「クルシカ、君はどう思う?」
「元老院決議の与えるインパクトに比べれば、政治的影響の点では多少はマシでしょう。しかしいずれにせよ、政敵からの批判は免れないかと」
あちらを立てればこちらが立たず。
なにかこの場を治めるうまい方法はないだろうか。
「少し、考えさせてくれないか」
「……分かりました。方針を決められましたら、私かクルシカ殿にお伝え下さい」
ここまで即断即決で来たが、少し考える必要が必要だ。
こういうことを決断しなければならないのが皇帝という仕事なのか。
……頭が痛い。
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