第32話 元老院演説
「それでは皆さん、盛大な拍手でお迎え下さい――我らの戴く新たな皇帝、アストラ辺境伯ヘンリクを!」
帝国の最高機関である元老院はこの日、新たな皇帝をその中心に迎えた。
おおよそ三百名の議員による盛大な拍手が円形の議事堂内に響き渡る。
その拍手の音に合わせて僕は議席の間の通路を通り、中央の演壇へと歩を進める。
議事堂上部の傍聴席は新皇帝を一目見ようと人で溢れかえっていて、通路で立ち見をしているものさえいた。
僕に向けられている視線は……
嘲笑が五割、懐疑が三割、期待が二割といったところだろうか。
成り上がり者に向けられる視線としては、これでも大分マシなほうだろう。
あからさまに貶されたり、皮肉を言われないだけいいほうだ。
壇上に上がり議長に一礼したあと、僕は元老院議員たちを上から見下ろす。
いったいこの男は何を言うのか。好奇の視線が僕に集中した。
僕は低く、ゆっくりとした声で演説を始める。
「ここ元老院議員の皆さん。
またこれを聞いていらっしゃるすべての帝国市民の皆さん。
栄光ある帝国の最も偉大な指導者は、帝国の最も卑劣な敵に打倒されました。
我々は彼を決して忘れません。帝国の偉大な皇帝がそうであったように。
ティベリウスの言葉は石版に記され、その業績は後世まで残り続けるでしょう。
暗殺者の凶弾が、皇帝位という重荷を私に押し付けました。
偉大な指導者がこの世を去り、帝国は混迷の時代にあります。
新しい時代の大きな波が、この国を飲み込もうとしています。
帝国は、その波を乗りこなす指導者を必要としています。
今日私がここにいるのは、皆さんの助けが必要だと伝えるためです。
この重荷を一人では背負いきれません。
私はすべての帝国市民、そして帝国全体の助けを必要としています。
私は国家の利益を守り、共通の利益を交渉する用意があります。
いかなるときでも、私達は国全体に奉仕します。
特定の家門や特定の民族、特定の集団ではなく、すべての帝国市民に奉仕します。
それが帝国です。市民の平等はこの国の礎です。
私は不確実性や疑念、遅延をなくし、断固たる行動が可能であることを示します。
皆さん、戦いを続けましょう。
この国は平和を求める勇気と、戦争の危険を冒す不屈の精神を持っています。
我々の力を試す敵は、我々の手強さに驚くことになるでしょう。
協力を求める友人は、大いなる名誉を得ることになるでしょう。
ためらわず、立ち止まらず、方向転換してこの悪い瞬間にとらわれることなく。
歴史が定めた運命を全うするために、私たちの進路を進み続けましょう。
帝国は共通の目的を持ち、団結しています。
団結は全会一致によるものではありません。私たちの意見はそれぞれ違います。
我らの敵はその違いを弱さであるとみなしますが、それは強さなのです。
私達はそれぞれの意見の対立から、混乱ではなく知恵を引き出すことができます。
言論に対する信頼こそが、帝国を文明世界の中心たらしめているものです。
戦いを続けましょう。帝国の強さをもって、あらゆる障害を打ち倒しましょう。
私は戦いを続けます。
そのために私はまず、西方で続く王国との泥沼の戦争を解決します。
かつての同胞たちとの間に憎しみの記憶を残してはなりません。
将来の世代に平和を残すため、兵士たちを帰国させましょう。
この演説のあと、私は皇帝府に命じ、事態打開のための作戦を立案させます。
我々のもつ強力な海軍はただちに準備に入るでしょう。
帝国海軍は、星霜海を航行する交易船に対して臨検を行う法的な権利があります。
これによって、潜在的な敵国が我々の兵士たちを殺す武器を王国に譲り渡すことを防ぎます。
そして第二に、金貨を巡る混乱を直ちに収束させなければなりません。
帝国の経済を正常な状態へと復帰させなければなりません。
金貨の価値は常に一定であるべきです。
財務当局は通貨の安定に向けて、毅然とした対応を取り続けます。
事態の収束のため、帝国金貨を改鋳して新たな金貨を発行しなければなりません。
現在市中に出回る全ての金貨は、すべて新金貨と交換されます。
それが偽物であるか本物であるかを問わず、交換の対象となります。
一枚でも交換されない金貨はありません。すべての金貨が交換の対象となります。
この方法だけが帝国金貨の信用を取り戻すたった一つの道です。
最後に、私は元老院の独立性と誠実性を固く信じています。
そして、私は常にこれを尊重することをお約束します。
元老院は余りにも長い間、皇帝の諮問機関として働いてきました。
しかし今こそ、本来の姿を取り戻すべきです。
元老院は皇帝を監視する立法府として、その権威を取り戻すべきです。
私は、意見の分裂が帝国をより偉大なものにすると信じています。
そして古来からの共和政の精神こそが、今帝国に必要とされていると信じます。
私は必要に応じて賢明な、精力的な、迅速な行動によって、元老院が意見の統一に必要な役割を果たすことを期待します。
この混迷の時代の悲劇と苦悩が、私たちを新たな絆で団結させることを心から願っています。
あるいはティベリウスの死は無意味ではなかったと、後世の人々に示しましょう」
演説の終わりとともに、議場は万雷の拍手に包まれた。
クルシカに教わった発声方法も、少しは効果があったのかもしれない。
聴衆の反応は様々だった。お手並み拝見と様子を見るもの、感極まって立ち上がるもの、成り上がりものが皇帝位に付くことに未だ納得がいかないもの。
それでも大勢は決した。元老院は僕を新たな皇帝として認めたのである。
◆
結局、戦争についてはより穏健な案を取ることにした。
臨検とは海上を航行する船舶に停船を命じ、立ち入り検査を行うことだ。
もちろんこれだけでは、何の意味があるのかと思うかもしれない。
しかし、検査の時間はこちらで自由に決められるというのがクセものだ。
王都への針路をとる交易船を洋上で長期間拘束し、商人にしびれを切れさせるのである。
封鎖と違うのは、見てみぬ振りをすることで深刻な飢餓になるのを防げる点だ。
どの船を拘束するかこちらで選べるため、手数は必要だが柔軟に動ける。
経済については、もはや小手先の改善では効果が薄いと判断した。
このため16世紀にトマス・グレシャムが行った大悪改鋳への対処を参考にした。
全ての金貨を交換するのは相当にホネだが、時間をかけてやるしかない。
少なくとも交換する意志があると示せば、市中の為替レートも落ち着くだろう。
また同時並行で行わなければならないのは、贋金の製造拠点がどこにあるかを突き止めることだ。
これについては僕が直々に対処しなければならないと思っている。
せっかく金貨を交換しても、次から次へと贋金がバラまかれては本末転倒だからだ。
そして、議員の関心を引いたのはとりわけ最後の提案だった。
「皇帝は本気で元老院を復活させようとしているんですかね?」
「わからんが、どうもそうらしい」
「でも、昔あったような元老院なんて、皇帝にとっては目の上のたんこぶでしょう」
どこかでそんな会話が交わされていた。
もちろん考えなしにこんなことをぶち上げたわけではない。
僕はクルシカとの会話を思い出していた。
◆
「元老院の復活、ですか?」
「そうだ」
「否定はいたしませんが……よろしいのですか?」
僕の提案に、クルシカは怪訝な表情でこちらを見た。
ある程度の独裁が許される皇帝と、かつての共和政の象徴である元老院とでは相性があまりよくない。
これまでの皇帝が元老院を骨抜きにしてきたのだって、かなりの時間を要したのだ。
「皇帝が強力な権力を握ることは、たしかに政治の面だけ見れば優れているよ。政策への反発も起こりにくいし、議論が無駄に遅延することもない。だけどカネの面に目を向ければ、話は別だ」
「お金、ですか」
そもそも帝国の国庫がここまで窮乏しているのは、皇帝が税金というものをほとんど取れていないからだ。
貴族、聖職者、そして市民。
この三階級は事実上の免税特権を持っている。
「それでも帝国政府が何とか回っているのは、直轄領の繁栄――とりわけ帝都の繁栄のおかげだ」
自由民からの税収、帝都に人やモノが出入りするときにかかる関税収入、鉱山からの産出収入、軍事遠征で得た戦利品の売却益、裕福な市民や貴族からの寄付や贈収賄。
これらの収入がなければ帝国政府は成り立たない。
――逆を言えば、収入はこれ以上劇的には増えない。
天井が見えているわけである。
「近代的な統治を行うなら、これまで以上に金がかかる。これまでのシステムでは、拡大する行政規模にいずれ対応できなくなる」
だからこそ、絶対に必要なのが課税だ。
そして三階級に課税を行うには、彼らを政治の舞台へと引き入れなけばならない。
「在地貴族には軍事力を捻出してもらわなければならないし、聖職者にはこれから金のかかる仕事が山ほどある。だとすれば、金を取るなら都市貴族と市民階級しかないんだ」
そのためには元老院を復活させるしかない。
政治への参加と引き換えにして市民への課税を行うのだ。
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