第30話 適した油脂

 石けんの作り方は単純だ。


 アルカリ剤(草木灰や海藻灰)と水とを混ぜ合わせて灰汁をつくり、そこに油脂をぶち込むだけでいい。

 濃硫酸だの何だのを用いていたマリンシードよりもよほど手軽で、しかも安全だ。


「しかし、石けんは――」


 オフィーリアは怪訝な顔をする。


 そう、石けんは確かに手軽に作れる。

 が、アストラで作るにはその材料が問題だ。


 この世界で作られている石けんは大きく二つ、オリーブやアブラヤシなどの植物性油脂を使ったものと、獣油や魚油などの動物性油脂を使ったものだ。

 問題は、前者は庶民が使うには高価で、後者はとてつもなく臭いということ。


 そのため石けんは人々の生活にとって身近ではない。


「まあ、アストラじゃオリーブは育たないからね……」


 この世界において石けんを使って身体を綺麗にする人間は、もとから身だしなみに気を遣うような人物である。

 そしてそのような人物は、ある程度生活に余裕のある人が多い。

 キレイであることは、その人物の裕福さを示すステータスなのだ。


 だがこと公衆衛生の問題においては、それでは問題である。

 感染症が人から人へうつるものである以上、清潔さが一部の特権階級の専売特許であっては困る。


「問題は、動物性油脂を使って作られた油がものすごく臭いということのほかにも、もう一つあるんだ」


 もう一つの問題とは洗浄力の問題だ。

 動物性油脂を使って作られた石けんは、植物性油脂を使って作られたものよりも洗浄力が強い。

 だが一方で40度以上のお湯でないとほとんど泡立たず、その場合には洗浄力が弱まってしまうという特徴があるのだ。


 お湯が貴重なこの世界において、これはひどいデメリットになってしまう。


「ならば、植物性の油脂を使うということですか」

「それが理想なんだけど……」


 元の世界にあった植物性の油脂を思い出す。

 オリーブ、パーム、ココナッツ、シアバター、ひまし、アーモンド……


 だけどこの世界においてはオリーブ以外は見たことがないか、あってもごく少量が市場に流れてきたのを見ただけだ。

 熱帯や亜熱帯地方原産の作物も多く、手に入ったとしてもアストラで栽培することは難しいだろう。


「植物のことについては、専門家に聞くのがいいか」


 思えば、マリンシードについて始めて教えてくれたのもティグリナだった。

 こういったことは彼女に尋ねるのが一番丸いだろう。





「ふーん、石けんに使うための植物性の油脂ねえ」


 というわけで、僕は館から少し離れたティグリナの家にやってきた。

 とはいえ、ティグリナにも心当たりはないようだった。


「南方や東方で見たことはあるぞ。冒険者時代にお前と一緒に食った、あのナツメヤシとか」


 ティグリナのその言葉に、苦い思い出――いや、ナツメヤシなのだから甘いのだが――が思い出された。


「砂嵐のせいでガイドと離ればなれになって、砂漠のど真ん中で夜をむかえて凍えながら食ったあのナツメヤシか」

「そう、それだ。でもナツメヤシは乾燥した暑い場所じゃないと育たないから、ここでは育たないだろうしな」


 うーん、手詰まりだ。

 油を取ることが出来て、なおかつアストラでも育てられる植物か……


「そういえば、ヴィリアーニ族の交易商が持ってきた貨物の中に、見慣れない植物の種があったような」

「何? ヴィリアーニ族の交易商って、アストラにも寄港してるのか」

「そりゃあ商人は商人だもの。お上が戦争しようがしまいが、ものを動かす商人にとっては関係のない話さ」


 貴族の論理と商人の論理はどこまでいっても平行線だ。

 貴種としての名誉を第一にする貴族と、商売人としての金儲けを第一におく商人とでは行動原理は違って当たり前ということか。


「で、その種って?」

「ええと、この辺に保管しておいたはずなんだが」


 ティグリナの家にはいくつもの引き出しのある薬棚があって、そこに何種類もの種子や植物が保管されている。

 この手の薬棚は教会にもあるが、ティグリナのそれは長年の冒険者生活で蓄えられただけあって数が尋常ではない。


「すぐ分かるように整理しないのか?」

「これでも帝都から来るときに大分整理したんだがな、それでも錬金術師アルケミストとしてはなかなか捨てられないだろ――お、あったあった」


 そういってティグリナは麻袋を取り出した。


「それにしても種子なんて、高かったんじゃないのか」

「帝都の贋金騒ぎで金貨がダブついてただろ、奴らそれを知らなかったからぼったくってやったのさ。なに、半年以上たつのに情報を得てないほうが悪いんだ」


 とんでもないことを言っているが、これは注意すべきことなのかどうか。

 まあ役に立ちそうだし、今回はいいか。


「それにどうもこの植物は、ひとつの花から大量の種に取れるらしくてな。この種だ、お前は知ってるか?」

「……こ、これって」


 その種は小さくて細長い形状をしていた。

 外側の殻は硬く、黒色や灰色を基調として、縦に特徴的な白い縞模様が走っている。


 一度見たら忘れられない色形だ。


「ヒマワリの種だ!」


 ヒマワリの種は北米原産、現代ではロシアやウクライナといった黒海沿岸の地域で生産されている。


 この世界にもヒマワリの種があるとは驚きだが、ラピスラズリとか鉄とか、ヤナギとかヨシとか麦とかがある時点で今更ではあるか。


「これを栽培すれば油が取れるぞ!」

「へえ、この植物、ヒマワリっていうのか」


 特徴的な色と形をした種だから、すぐに気がついたのだ。

 これがホウセンカの種みたいに、小さく茶色い種なら気付かなかったかもしれない。


「ヒマワリから油が取れるなら、それを作って石けんも作れるはずだ。なあティグリナ、この種はどれぐらいある?」

「え? まあ、一応ひと袋ぶん買ってあるが」

「よし、じゃあそれで油を作ってみよう」

「今からか!?」





「地味だ、そしてめんどくさい!」


 ティグリナがあまりの面倒くささにわめき出した。

 オリーブの場合は果肉をそのまま潰せばいいが、ヒマワリの場合にはそうはいかない。


 ヒマワリの種は二重構造になっている。縞模様になっているのは外殻の部分で、中に白く丸っこい小さな種が入っているのだ。

 ヒマワリの油を抽出するには殻を割って、この種を取り出し潰す工程が必要となる。


 そういうわけで一時間近く二人で一緒に殻を割っているが、取り出せた中身はボウル一杯分の量すら満たせていない。


 ぶっちゃけ効率が悪すぎる。

 後でなにか効率を高める方法を考え出さないといけないな。


 それから半日かけてようやくボウル一杯分の種を取り出せた。

 白い種が真珠に見えるのは、たぶん尽くしてきた苦労の重みゆえだ。


「これをどうするんだ? 搾油機を使うのか?」

「いや、オリーブ用のそれじゃ無駄が多すぎる。火で煎りながら潰して油を取り出そう」

「また地道な作業か……」


 外での作業が好きなティグリナにとって、手元でチマチマとモノをいじくり回すのは退屈であるようだ。


 ……でも君、錬金術師アルケミストだよね? 

 実験って大半は地道な作業じゃないのか?


「――よし、できたぞ」


 取り出した当初は不純物が混ざって黒く濁っていた油を目の細かい布でこす。

 すると少しとろみのある黄金色の液体が取り出せた。

 これがひまわり油だ。


「へえ、なかなかどうして綺麗じゃないか」

「これを使って石けんを作るんだ」

「なんだかいい匂いがするな」


 ティグリナの言う通り、ひまわり油からはほのかに甘く香ばしい匂いがする。


 これが魚油だと腐ったような鼻のすえるような臭いがするから、やはり石けんとして使うなら植物油以外には考えられない。


 ヒマワリをアストラで育てられるなら、ヒマワリ油を商品として売り出すことができるようにもなるだろう。

 これは案外、いい商売の種になるかもしれないな。


「どれ、石けんなら私が作ってやろう」

「作れるのか?」

「私は錬金術師アルケミストだぞ? 石けんぐらい作れなくてどうする」


 にしては、さっき地道な作業を面倒くさがっていたような気もするが。

 ……まあ石けん作りの経験なんてないし、ここはティグリナに任せるとしよう。


 後日、ティグリナからヒマワリ油で作った石けんが届いた。

 クルシカに使ってもらったところ、「とてもいい出来」と評価してもらえた。

 これなら教会への手土産としては十分だろう。

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