第9話 背負う覚悟

 水撃ポンプの成功からしばらく後、帝都から早便が届いた。

 帝都からここまで、まだマトモに道も整備されていないというのにご苦労なことだ。


 しかし手紙を読んだあと、そんな感情はすぐにどこかへ吹き飛んだ。

 ひどくマズいことが書かれていたからだ。


「……それで、今何と?」

「西方で戦争が始まったらしい」

「冗談でしょう?」


 クルシカは顔をしかめた。


 僕も冗談だと思いたい。

 西方世界ではここ十年、戦争と呼べる戦争は起きていなかったのだから。


「西の王国というと……グリードですか」


 西方世界において国と呼べるものは二つしかない。エウドキア帝国とグリード王国だ。

 二つの国はどちらもレムリアという古代の帝国を源流に持つが、帝国はレムリアの唯一正当な後継者として西方世界における首位性を主張している。


 そのせいもあって、両者は長年西方世界の中央にある大海洋、星霜海せいそうかいを舞台に睨み合いを続けてきた。それでも互いに一線を越えることはなかったのだ。


「皇帝陛下はなぜそのようなことを?」


 クルシカは怒りを隠そうともしていなかった。


「手紙には書いてない。だが重要なのはそこじゃないんだ」


 幸いにもアストラは戦端からは遠く離れている。

 今すぐに戦火がこちらに降り掛かってくるということはないだろう。しかし……


「なにか注文がつけられたのですか?」

「戦いを支援するため、兵を率いて帝都に馳せ参じろと」


 この要求は無茶苦茶だ。今のアストラの人口は三十人、戦える大人の男は十人程度しかいない。

 たとえ今から最低限の備えをしたとしても、彼らを兵士として引き抜けば村は成り立たなくなってしまう。


 そもそも皇帝にしたって、設立されて間もないこの領地を戦力として数えることはできないと分かっているはずなのだ。


「目的が純軍事的なものでないのなら、狙いはむしろ政治的なもの。つまり踏み絵ですわね」

「そういうことになるね……」


 当初からわかっていたことだが、いくら功績があるからといってただの平民を辺境伯に叙するわけがない。皇帝は僕になにか思うところがあったのだろうということは容易に想像できた。


 だが、今それが試されるとは思っていなかった。


「思いつくところがあるとしたら、ヘンリク様の『聖なる血』ですか」


 悪目立ちしないようにはしていたが、別に隠していたわけじゃない。


 建国の始祖、皇帝アウグストゥスに流れていたという聖なる血。

 それはただ四属性の元素魔法を扱う能力を示しているだけではない。


 アウグストゥスの『聖なる血』は、その血を引き継ぐものが帝国を統治する資格があるという、皇帝の権威に関わる厄介な問題だ。

 帝国の政情が不安定になった時、下手をすれば僕を神輿にして反乱勢力が結集しかねないのである。


 だからこそ皇帝は、僕に流れる『聖なる血』を警戒しているにちがいない。

 この無茶な要求はその踏み絵、忠誠心があるかどうかをテストしているわけだ。

 皇帝に対する忠誠心がないと分かれば、容赦なく斬るつもりなのだろう。


「クルシカ、これはあくまで仮定の話なんだが。もし皇帝陛下の命令を何らかの理由で実行することができなかったとしたら、僕はどうなると思う?」

「攻撃戦争の場合には、皇帝が発した招集命令に貴族が呼応する法的な義務はありません。ですが」

「ですが?」

「……辺境伯だけはその例外です。辺境伯は国境防衛のため、領内において大きな権限を行使することが認められています。ですからその権利の見返りとして、戦時には軍勢を率いて皇帝の下に馳せ参じなければならないというわけです」


「もし、そうしなかったらどうなる?」

「犯罪行為になります。その場合には皇帝は、爵位を剥奪したり貴族を投獄することが認められます」

「それはまずい、まずいよ……」


 僕自身が犯罪者として追われるのはまだいい。だがそのことによって、このアストラの地に住まう領民たちを見殺しにするわけにはいかない。


 彼らもようやくこの地の生活に慣れてきたところなのだ。


「僕らの村の規模だと、徴集する兵は何名ぐらいが適切なのかな」

「おおよそ三人、いえ皇帝陛下の信頼を勝ち得るためには、最低でも五人というところでしょうか」

「五人か……」


 村にいる大人の男は十人。兵士として戦えるということは働き盛りでもあるということで、そこから成人男性五人を引き抜くのは正直だいぶ厳しいものがある。


 しかし他に打てる手立てはない。

 それに領民たちが大人しく僕に着いてきてくれるものかどうか。


「一応聞いておくけど、ここから一発逆転する方法はある?」

「ないでしょうね」


 クルシカは相変わらず無慈悲だが、無駄に期待を持たせないでくれるだけ信頼はできる。


 ……腹をくくるしか無いか。


「中心に村の男達を集めよう。戦いに加わってくれないか、説得するよ」





 西方で戦争が始まった。


 その言葉を伝えると、男たちの間に動揺が走った。

 とはいえ戦火が直接この地に降り注ぐわけじゃないとわかると、皆ある程度安心したようだった。


 ただ、だからといって兵士の話をしないわけにはいかない。

 兵を五人、この村から徴用する。そうすると皆の顔色が変わった。


「伯爵様、私には妻と三才になる娘がいます。それでも行かなければなりませんか」

「僕もみなに無理強いはしたくない。しかしこれは陛下の勅命なのだ」


 そしてまた他の男が口を出す。


「閣下、私は戦いなど知りません。産まれてこの方、剣をふるったこともないのです。戦場に行けば、きっと死にます」

「私もです、伯爵様。この村の者たちは、皆戦い方を知りません。戦うのは無理です」

「何のために戦うのですか、閣下。ここには敵はこないんでしょう。はるばるここへ引っ越してきたばかりなのに、息子と別れなければならないのですか」

「なぜ我々なのですか、閣下」


「それは……」


 頭が痛いのは、どれも正論だからだ。


 僕は彼らに戦争に行けというのだ。ここでの暮らしを何もかもほっぽりだして戦いに行けというのだ。

 人を殺し、また殺されるかもしれない戦地に行けというのだ。


 思えば冒険者になったのは、人が死ぬのが嫌だったからだった。


 クルシカを助けたのも、領主になったのも、土地の開拓を決めたのも、ポンプを開発したのだってそうだ。

 クルシカを襲っていた悪漢だって、助けられるものなら助けたかった。


 この世界は死に満ちている。満ちすぎなぐらいに満ちている。

 暴漢に襲われて殺される。

 復讐によって殺される。

 貴族の機嫌を損ねて殺される。

 食べ物がなくて死ぬ。

 川に落ちて死ぬ。


 この世界において、死は身近な現象だ。

 それが嫌だったから、僕は冒険者になったのだ。


 僕は目の前で死にゆく誰かを黙って見過ごすことが出来ない。

 冒険者なら自由気ままに多くの人を助けられる。

 誰かの恨みを買うことを気にせず、ただ眼の前にある命を助けることができる。


 それなのに、僕は何をしようとしている?

 領民たちのためなんて言いながら、結局ぼくは今、保身のために誰かを死地へと追いやろうとしているのではないのか?


 そう思って、彼らに弁解の言葉を口にしようとしたときだった。


「――誰かがやらなければならないからです」


 その言葉の方を見る。クルシカだった。

 彼女は一歩前へ出て、領民たちに語りかける。


「クルシカ……」

「誰かがやらねばならないからです。そうしなければ、また同じことが繰り返されるだけだからです」


 その声には僕には到底出せない重みがふくまれていた。

 男たちがしんと静まる。


「ここに英雄を夢見る男がいます。彼は敵将の首を取り、英雄として称えられます。彼が敵将の首を取った時、彼の故郷は焼かれていて、彼の両親は死にました。そういうものです」


「敵の刃が胸を貫き、男は最期に自分の妻に会いたいと思います。娘に会いたいと思います。愛していたと思いを伝えたいのです。しかし会えません。願いは叶いません。そういうものです」


「私は戦いが嫌いです。そしてそれが引き起こす全ての苦しみを憎み、呪います」


「……しかし、受け入れましょう。誰かが終わらせない限り、一度始まってしまった戦いは終わらないからです。私は我が夫ヘンリクを信じます。だから皆さんも信じて下さい。そして戦列に加わって下さい」


 僕にはクルシカのような言葉は紡げなかった。

 現代の日本は平和な世界だ。そこで生まれ育った僕が、戦いについてなにをいおうとしょせんは絵空事だ。

 戦いを肯定しようと、否定しようと、口をつついて出てくるのは吹けば飛びそうな軽い言葉だけ。


 クルシカは違う。


 彼女は戦いの勝利を何よりの名誉に置く武門の出身だ。

 それどころか、彼女は父親を戦いで失っている。


 そんな人間が、戦いを憎み、しかし受け入れよというのである。


 経験は重さとなって言葉に現れる。

 領民たちは自分たちが誰に着いていけばいいのか、経験的に知っている。

 平時なら僕でもいいだろう。

 でも戦いにおいては、僕はまだ頼りない一人の子どもにすぎないのだ。


 生まれつきの貴族でない僕は、まだ彼らの信頼を得られていない。


 あたりが静まり返る中、彼女の言葉に納得したように、数人の男が前に歩み出てきた。ちょうど五人だ。


「みんな、ありがとう。だが必ず生きて返す。絶対に誰も死なせたりしない」


 そう言って僕はみんなの目の前で、一人ひとりとがっちり握手を交わした。


 これでもう嘘はつけない。





 とはいえ、すぐに出立するわけにはいかない。準備に一日はかかる。


 そういうわけで、僕たちは一晩村に留まることになった。


 明日は朝早くに出発することになる。

 戦いに向かう男たちにとっては、出立前に家族や友人と過ごす最後の時間だ。


 夕食を食べ終わったあと、僕はクルシカに昼間のできごとを感謝した。


「ありがとう、クルシカ」

「ヘンリク様、いきなりどうされたのですか?」

「いや、感謝したいんだ。キミが説得してくれていなかったら、どうなっていたか分からない」

「私はただ……」


 そう言って彼女はうつむいた。見るからに落ち込んだ表情を浮かべている。


「どうしたの?」

「お願いします、私をヘンリク様と一緒に戦場へ連れて行ってはもらえませんか?」


 えっ!? クルシカの言葉に僕は絶句した。

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