第10話 矛盾する心

「……ごめん、それはできないよ」

「そう、ですわよね」


 クルシカも断られるのは予想していたのか、案外アッサリと引き下がった。


 そりゃあ僕だって、クルシカをこの村に置いていきたいわけではない。


 だけど他の兵士たちが同じように妻や子どもを村に置いて戦いに向かう中、僕だけクルシカを連れていくわけにはいかない。


 それに、僕がいない間の村の管理はクルシカにしか任せられない仕事だ。


「何か不安なことでもあるの?」

「不安、と言いましょうか……」


 以前から思っていたことだが、クルシカの中には一見まったく相容れない二面性が同居しているようにみえる。

 貴族的なエリート意識と無鉄砲な冒険心、それらは本来混じり合わない。

 貴族社会においては前者は善であり、後者は悪であるからだ。


 考えてみれば、出会いからしてそうだった。


 貴族と平民とでは住む世界が違う。貴族がスラムに立ち入ることはまずない。

 なのに彼女はそこに立ち入っていた、それもまったくの興味本位から。

 この村ではしきりに僕に貴族の何たるかを教えようとする彼女が、帝都ではまったく貴族らしくない行いをしていた。

 それが今まで不思議だった。


 だけど、その理由が分かった気がする。

 そしてそれは、ここに来てから彼女と同衾するのを躊躇した理由と同じだ。あるいはクルシカ自身も気付いていないのかもしれない。

 自分がまだ十六歳の少女にすぎないことに。


 僕は転生者だ。元の世界では十六歳のときに病死し、この世界にやってきた。

 そしてそれから十六年の間、この世界で暮らしてきた。

 だから僕は見た目十六でも、両方の世界で合わせて三十二年は生きている。


 でもクルシカは違う。


 彼女は転生者ではない。

 彼女はまがい物じゃない。れっきとした十六歳の少女だ。

 思春期の少女がこんな状況下で精神的に安定していなくても、なんら不思議なことじゃない。


 思えば僕は、クルシカが十六歳であるということに今までほとんど無関心だった。

 見た目ぼくと同じ年齢で、僕と同じ話ができる。

 たったそれだけのことで、僕は今まで彼女を同い年の友人のように感じていたのだ。


 まったく、情けない。


 これまで僕は平民としてどこか引け目を感じ、貴族の出である彼女に支えられている気でいた。

 でもそうじゃない、支えなきゃいけないのは僕の方だったんだ。


「クルシカ」

「……あ、すみません。なんでしょう?」

「すこし夜風に当たりに行かないか?」

「ええ、構いませんわ」


 外には月上がりが出ていて、今宵は満月だった。

 転生して間もないころ、この世界にも月があるのかと驚いたことが記憶に残っている。

 地表から見上げた大きさも、ほとんど元の世界の月と変わらない。


 もう春は終わりかけている。

 この領地に来たとき、季節は春の中頃だった。だが月日が流れるのは早く、そろそろ麦を植え始める頃あいなのだろう。

 漁労と採集でしのぎながらも土地を耕し、農作の準備を初めている丘の下の麦畑が目に入った。


「麦がよく育つといいですね」


 クルシカはそういって眼下の畑をみやった。月に照らされた彼女の姿は、美しいというより神秘的に見える。

 それはクルシカのもつ強さであり、同時に最大の弱さでもある。


「不思議ですよね。私は今まで、自分がお転婆な少女のように感じていました。でもこの村に来てからは、なんだか今までの自分が全部ハリボテだったように感じるのです」

「……それは、僕と結婚したから?」


 その問いに、クルシカはこちらを振り向いて微笑んだ。


「ヘンリク様はやはり察しの良いお方ですね。その通りです」


 そこでクルシカが持ち出したのは、彼女が大人たちに呼びかけたあの演説のことだった。


「父のことを家の者以外に話したことはありませんでした。私はこれまで、自分の頑固さというのはそこから来ているのだと思っていました。でも今日みなに語りかけた時にはっきり分かりました。って」

?」

「ヘンですわよね。だって、父の死や母の涙は私にとってとても大きなことだったはずなのですよ。なのにそれを言葉に出した瞬間、それがひどく空滑からすべりしたものに思えてしまったのです」


 そう言ってクルシカは言葉を詰まらせた。


 クルシカは神秘的な少女だ。容姿もそうだが、年齢の割に大人びている。

 それゆえ彼女の周りにいる人間は彼女が一人前の大人であるように扱う。

 法的には十六で成人となるこの世界なら尚更なおさらの話だ。


 だが、いくら神秘的に見えてもクルシカは十六歳だ。

 周囲から彼女に向けられる期待は、年頃のナイーブな精神にとってはひどく重たく感じられたことだろう。


 だからこそクルシカは、自分の想像する「大人」として振る舞うことによって、まだ未熟な自分自身のアイデンティティを守ろうとしたに違いない。

 彼女にとっての「大人」――高尚こうしょうな理想をかかげて人々を導き、自分自身を救おうとしたのだ。


 そして「大人」として振る舞うことにかけて、彼女は優秀すぎた。


 自分が抱く理想の通りには人は動けないというごく自然な成長の過程を、クルシカは経験できずにここまで来てしまった。

 その歪みがいまここで現れているのだ。


「イヤなんです、自分が変わっているような気がして。ヘンリク様と結婚すると決めたとき、多くのものは反対しました。それでも私は貫こうとしました、そうすべきと思っていたから。そのときの私はまるで、ロマンス物語に出てくる聖女のように清らかな心持ちでいたのです。でもそれは、今思えばただの逆張りにすぎなかったのかもしれません。自分のみにくい欲望を隠すため、お父様の死とヘンリク様の献身を利用したにすぎなかったのです」

「その逆張りっていうのは、貴族の子女として生きていくことへの反発?」

「はい。フォルシン様に婚約を破棄された時も、心のどこかでホッとしていました。私はあの方のことが――嫌いではなくとも、あまり好きではなかったですから」


 貴族の子女か。僕にはほとんど想像すらできない世界だ。


 貴族の世界では、結婚相手が生まれる前に決まっていることも少なくないという。ましてや家を継ぐ男と違って、女性はひたすらに内助ないじょこうを求められる。中には世継ぎを生むためだけの存在として屋敷の中に閉じ込められ、そのほかのことは何もさせてもらえないかごの中の鳥として一生を過ごすものさえいる。


 現代の感覚からすれば、それに耐えられる方が異常なことだ。


「わたくしに幻滅されましたか?」

「僕が? どうして」

「私はしんのない弱い人間です。その場その場によってどうとでも振る舞えるし、事実そう振る舞ってきたのですよ。目先の利益しか考えないで、自分にとって嫌なことからは逃げてきた。そのくせ自分がよこしまな欲望によって突き動かされているなんて、これまで考えもしなかった」


 クルシカは自罰意識じばついしきが強い。

 幼少期の厳格な教育ゆえか、自らの心の弱さを押さえつけることができない自分を責めているのだ。

 思えば幾度となく僕に忠告してきたのも、その自罰意識の裏返しだったのだろう。


 でも、その自罰意識は間違っている。

 たとえ自分の心といえども、心は人が手なずけられるものではないのだ。


「自分がなんでそう行動したかなんて、自分にだって分からないよ」


 僕がつぶやいたその言葉に、クルシカはずいぶん驚いたようだった。


「ヘンリク様もですか?」

「君を助けたとき、少なくとも僕はただ目の前の人間を助けようとしてた。でもどうかな、あれは見方を変えればただのエゴさ。目の前で誰も死んでほしくない、ただそれだけのために、僕は君を襲っていた悪漢二人を殺した」


 悪漢を殺したのは、彼らはクルシカを殺そうとしていたからだった。

 もし生かして逃していたなら、顔みられた彼らはクルシカを付け狙っていただろう。

 そうでなくとも、情けをかけたために復讐や報復で殺された者たちは何人もいる。


 そしてもちろん、クルシカもそれを理解している。


「それは……仕方のなかったことです」

「仕方なかった、そうだろう。だが本当にそうだったのか? 僕の心の中に邪な思いがなかったと、誰が言い切ることができる? 僕は自分でも意識しないうちに、君が少女だと気付いたから救ったのかもしれない。あるいは僕は正義感に酔って男を殺したのかもしれない。君がいうのと同じように、借りてきた理想で醜い自分を隠しているんじゃないか?」


 その問いにクルシカは黙りこんだ。

 彼女の安普請やすふしんの哲学では、僕の問いに対する答えを用意できなかったからだ。


「でも、そんなことを考えるのは意味のないことだ。なぜかって、僕が何を言ったところで、そんなのは僕が自分をどう思っているかの写し鏡でしかないからさ」


 僕がクルシカを助けたのはまったくの善性からだったのかもしれない。

 あるいは、まったく逆の理由からだったのかもしれない。


 人には善なる側面と悪なる側面の両方がある。

 どちらの側面で動いたかは本人すらわからない、知りようもないことなのだ。


「それは、私にも当てはまることですか」


 そうだ、と僕はいった。


「キミはふつうの女の子だよ。ただ、自分で自分に怯えているだけなんだ」

「……不安なのです。自分がいつか、とんでもない過ちを犯すのではないかと。ヘンリク様やほかの方にひどい迷惑をかけるのではないかと。この心のざわめきが収まることが、はたしてあるのでしょうか」


 その時初めて、僕がクルシカが自分の本心を打ち明けてくれたような気がした。


「君も分かっているはずだよ、それは決して解決することのない問題だってことに。でもだからこそ、等身大の自分自身から逃げずに立ち向かうことだってできるはずさ」


 その言葉にクルシカは頷きで、ようやく意を決した様子で告白してきた。


「ヘンリク様。もはやお慕いしているなどと、かしこまった言い方はいたしません。私、貴方が好きなんです。貴方に死んでほしくありません。だからどうか……無事に帰ってきて下さい」

「それは君の本心?」

「はい、本心です」


 クルシカはきっぱりと言った。

 そこまで言われたなら、僕も必ず生きて戻ってこなければならない。 


「もちろんそのつもりだ。必ず帰るから、ここで待っていてくれ」





 翌日の早朝、僕たちはクルシカたちに見送られながら村を出発した。


 冒険者時代、一度だけ六人のパーティーを指揮したことがある。

 だがその時には、一緒にいたのは戦い慣れた中堅の冒険者たちだった。

 彼らはサバイバルに長けていたし、重い荷物を持った長歩きにも耐性があった。


 しかし、今は違う。


 僕と一緒にいるのは昨日までマトモに剣を振ることすら知らなかった農民たち。

 持っているのは素人にも扱いやすい長棒だけだ。


 せめて槍があればよかったのだろうが、開拓用に持ってきた資材の中に武器になりそうなものには入っていなかった。

 獣や蛮族が出れば、僕が退治すればいいと思っていたからだ。


 僕はペースメーカーとして後続の調子を気にしながら先頭を進んだ。

 五十分程度歩いて十分の休憩を繰り返す。

 多くの荷物は僕が持っているとはいえ、それでも行軍は慣れない素人にとってキツい運動だ。


 ましてや帝都からアストラまでは(平野続きとはいえ)マトモな道路も整備されていない。

 日に二十キロ進めば上等だと考えたほうがいいだろう。


 旅に変化があったのは、村を発って三日目の晩のことだった。

 大きな木のそばでキャンプを設営していたところ、広い平原の地平線の彼方から松明の光がこちらへ近づいてくるのが見えた。

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