第11話 久方の再会
焚き火を囲って座る他の五人は話に夢中で、近づく人影に気付いていない様子だった。
僕だけがそれに気づいて、腰に抱いた剣をいつでも引き抜ける準備をしていた。
相手は親切にも、馬のいななきで接近を知らせてきた。
……敵対的な相手ではないらしい。
だいいちこちらに害を加えようとしているなら、灯りで近づいていることを知らせたりはしないだろう。
まっくらな闇の中から急に人影が現れた。聞こえる足音の重さと体格から考えるに、そいつは女だ。
他の五人は突然現れたそいつに驚いて、腰を抜かしてしまった。
「誰だ?」
「冒険者だ、敵意はない」
女の声は若かった。そして戦いに慣れていそうな気配があった。
とはいえ、声の調子から殺気を感じることはない。
「名前は?」
「ティグリナ」
「ティグリナ? シリアナ砂漠で流砂に引きずり込まれた、マハカマ・ティグリナ?」
「どうしてそれを……待て、その声は聞いたことがある。もしかしてヘンリクか?」
焚き火から吹き上がった金色の光が女の顔を照らし出した。
クルシカの絹のように透き通る
頬にはかつて付いた生々しい古傷があり、口調もクルシカとはかけ離れた粗野な調子だ。
「おい、大丈夫だ。彼女は味方だ」
そういって兵たちを静止した。
長棒を握りしめて震えていた兵たちは戦いにならないと分かったのか、ほっと胸をなでおろして息をついた様子だった。
「ハッ、大の男が情けないね」
「そう言わないでくれ、まだ戦いに慣れていないんだ」
「しばらく見ないと思ったら、今度は新人冒険者のオトモでもやってるのか?」
「いや、違う。彼らは僕に付き従う領民だ」
「領民? まるで貴族みたいな物言いだね。 まさか帝都で話題の成り上がり伯ってのはあんたのことか? 冒険者から貴族になったっていう」
「もう噂が広まってるのか」
チッチッチ、彼女はドヤ顔で人差し指を振る。
「冒険者たちの横のつながりを舐めないことだね。それにしても、へえ、アンタがねえ。一番ありえなさそうだったのに」
「正直なところ、僕もなにがなんだか。休んでいくか?」
「いいのか? 正直一人で心細かったんだ。どっこいしょっと」
そう言って彼女は僕のとなりに座った。
彼女はマハカマ・ティグリナ。帝都でも一二を争う腕の立つ女冒険者だ。
共闘したことがあるが、クルシカとはまた違った意味で退屈しない女性だったことを覚えている。
「それで、君はここで何を?」
「そりゃあ冒険者だもの。依頼だよ、依頼」
「一人でか?」
「アンタだって一人で依頼をこなすことのほうが多かっただろ」
まあ、たしかにそうだ。一人旅には不便も多く、ティグリナのような手練れの冒険者と何度か一緒に旅をしたこともある。
とはいえお互い一人旅の気楽さには勝てず、数回依頼をこなしたあと結局は解散することになった。
「まあ、今回は半分自分のためでもあるけどね。北方の開拓が始まったっていうからそっちの植生を探りにきたんだ」
「探索に余念がないんだな」
「そりゃそうさ。アタシの戦い方は知ってるだろ? よりよい毒を見つけることはライフワークだからな」
よりよい、ね。
ティグリナは平民上がりの人間で、元素魔法を使えない代わりに即効性の猛毒を用いて戦う
彼女の操る毒には治癒呪文による解毒さえ間に合わず、一度手にかかれば助かる手段はほとんどない。
「にしても、ここで再会するとは奇遇だな。ならついでに、君に見てもらいたいものがあるんだが」
「いいけど、同定ぶんの金はもらうぜ」
「心配するな、報酬はキッチリ払う」
背負っていた荷物を降ろして積荷の中の小瓶を漁る。
村から持ち出してきた正体不明の野草がいくつかあったはずだ。
もともと売り物にできるものがないか、帝都についたら博物学者に頼んで調べてもらうつもりだった。
こと植生に関してはティグリナの右に出るものはいない。彼女に見てもらおう。
「――ちょっと待て、それ」
三つ目の小瓶を出したところで、ティグリナが叫んだ。
「これ?」
「それだ。マリンシード。どこで手に入れたんだ?」
「うちの領地から持ってきたんだ。もしかして貴重なものなのか」
「マリンシードの名前の由来を知ってるか?」
「いや、知らん」
「だと思った。その瓶を貸してみな」
彼女は瓶をひったくると中に入っていたマリンシードの葉をちぎり、それを指の腹で押しつぶした。
手を開くと彼女の手が碧色に染まっている。それも暗い場所でもはっきり分かるぐらいに。
「なるほど、
「マリンシードはほとんど市中に出回ってない。それはこの植物が寒い土地でしか生育できないからだ。抽出したときの不純物も多くて、キレイに発色させる方法はまだよく分かってない」
「売れるのか?」
「碧色の染料は希少だからね。もしうまく色の成分を抽出できるなら、高価なラピスラズリの代替として売れるかもしれない……まあ、そのためには上手く加工するための研究が必要なんだケド」
そういえばティグリナは研究費を稼ぐために冒険者をしているんだったか。
冒険者のなかでもひときわ金の扱いには神経質だった覚えがある。
「依頼というのは、マリンシードを探せって?」
「いいや、ちょっと違う。雇い主は帝都にあるシラクサ商会で、新しい染料の候補を調査してくれって依頼。マリンシードはアタシが思いつきで探そうとしてただけだ」
「それなら君はそのシラクサ商会にはある程度顔が利くってことか」
「それはそうだが……まさか、これを売り込もうとしてるのか?」
「そのまさかだ」
もしこの植物にそこまでの価値があるなら、領地の発展に活用しない手はない。
食料作物の麦と商品作物のマリンシード、この二つが合わされば農業生産だけでアストラは独り立ちできるはずだ。
「相変わらず、一度決めたら行動が早いね。わかった、商会の担当者に掛け合ってみよう」
「ありがとう、ティグリナ」
「どちらにも益になることのようだし、今回の件については貸し借り無しだ」
帝都には後ろ向きな気持ちで向かう予定だったとはいえ、転んでもただでは起きるつもりはない。
皇帝の信頼を勝ち取り、マリンシードの商談をまとめて村に帰る。
これしかない、そう腹は決まった。
◆
「話は変わるけど、アンタらはここで何をしてるんだ? まさか六人で戦争をおっぱじめようってワケじゃあるまいに」
「あいにく、戦争をおっぱじめるっていう点については本当だ。皇帝が兵を挙げたという話は聞いたか? グリードとの戦争が始まるって」
「冗談だろ?」
「みんな同じことを言うもんだな、だが事実さ。君は知らなかったのか?」
ティグリナは首を横に振った。
「アタシはここに来るまで途中いろんなところに立ち寄ってたから、話が入ってこなかったのかもな。でもだとすると、皇帝はずいぶん急に戦争を決めたみたいじゃないか。戦争ってのはそんな簡単に始まるものだっけか? アンタのところに届いた情報が虚報っていう可能性は?」
「早便の使者は間違いなく帝国兵だったし、陛下の
「だとしたら、皇帝がそこまで戦いを急いだ理由って何なのかねぇ?」
聖なる血、ティグリナにそう言いかけてやめた。
それは理由の一つかもしれないが、確かなことではない。
だいいちそれだけのためだけに戦争なんて起こすとは思えなかった。
「ま、お上のやることなんて、私たち下々の人間がイチイチ考えてもしょうがないことか」
「一応ぼくもキミのいうお上なんだが」
「そういえばそうだったか。ごめんねぇ、アンタ相手に敬語とか苦手でさ。――ほら、アンタって見た目からして貴族っていうふうじゃないじゃんか」
「君は貴族相手にどんな偏見を持ってるんだ」
「高慢で横柄。自分の家のためなら他人を使い捨て、そのくせやたらと外聞を気にする政治バカ」
「散々だな」
「アンタが染まらないことを祈ってるよ、貴族ってヤツにさ」
全ての冒険者が貴族を嫌っているわけではないが、ティグリナはとりわけ極端な方だろう。
彼女の場合はこれが陰口で済まず、とうの貴族に対しても真正面から同じことを言うからタチが悪い。
帝都の冒険者にとってティグリナがなぜ処刑されないのかは永遠の謎で、中には彼女が隣国アルカシアの姫君であるからではないかと言う人さえいた。
◆
朝になって、僕たちとティグリナは一緒に行動し始めた。
ティグリナは他の五人にはお節介を焼きたがった。
彼女は彼らにマメを潰さない歩き方や重く感じない荷物の詰め込み方、ロープを使った川のわたり方や濡れた服の乾かし方など、冒険初心者に教えるような旅歩きのコツをイチから優しく教えていた。
最初は破天荒な性格の彼女が他の五人と馴染めるか不安だったが、冒険者という一点については彼女は間違いなく優秀だ。
そうして僕たちは歩みを進めた。予定の旅路を半分ほど過ぎたところで、行先が二股に分かれる峡谷に出た。
まったく知らないわけではないが、このあたりの道についてはティグリナのほうが詳しい。僕は彼女に相談した。
「ここは右の道が近道だったか?」
「いや、アタシの情報が古くなければここは左だ。右側にいったところにある川は、先日の大雨で橋が落ちてる。もとより流れも早い川だし近づかないほうがいい」
「左は確か、森の中を突っ切る道か」
「なにか問題でも?」
「いや、気のせいかもな。多少嫌な気配がしただけだ」
ふうん、とティグリナは少し考え込んだ。
「なら、今日は森の手前で休むか」
「いいのか?」
「忘れたのか? 冒険者ってのは勘を大事にするもんだぜ。それにアタシは以前、アンタの忠告を無視してひどい目にあった」
「シリアナ砂漠の流砂か」
「アンタが助けてくれなかったら、アタシは今ごろあの世にいる。だからここはその勘を信じてみよう」
「分かった。……おいみんな、今日はあと少し進んで休憩だ!」
陽はまだ高かったが、森に入る手前の開けた場所でしばしの休息を取った。
ちょうど行きの旅程の半分だったから、溜まった疲れをとるにはちょうどいい。
帝都まではあと一月もあるのだ。急いでも仕方ない。
夕方からは急な雨が降った。春の天気は気まぐれだ。
「カンが当たったな、森に入らなくてよかった。悪天候で森を彷徨いたくはないからな」
だが本当の異変は夜に起こった。
テントの中に見張りのティグリナが入ってきて耳打ちしてきた。
眠い。
「もう交代の時間か? ずいぶん早かったような」
「いや違う。どうも森の様子がおかしい。中から音が聞こえる」
その言葉に飛び起き、外に出る。雨は小雨になっていた。
なんだなんだと思った五人もゾロゾロと起きてきた。
目の前に広がる夜の森は一見ただの暗い森に思える。
だがよく耳をすますと、いまだに降り続く雨の音に混じって何かが聞こえる。
人の雄叫び、武具が盾に当たって弾ける音、矢が空気を切り裂く音だ。
(……戦いの音?)
何が起こってる?
戦ってるのは誰と誰だ?
「ティグリナ、ここに残ってほかの五人を頼む」
「なに?」
「戦っているのは帝国軍だ、間違いない」
「バカな、ここは帝国領の奥深くだぞ。国境の警戒網をすり抜けて王国の連中がここまで入ってきたっていうのか?」
「分からない。だから偵察が必要だ。何が起こってるか、確かめてくる」
確かめるに行くにしても、夜の森に新兵五人を引き連れていくわけにはいかない。
ましてや夕方から降り続いた雨で、地面はぬかるんでいた。
「夜明けまでに戻らなければ、元の道を引き返してアストラに向かえ。いいな」
「……クソ、分かったよ。死ぬなよ」
そうして僕は、深く暗い森の中へと走った。
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