第12話 深林の戦い
「何が起こっている……何が……」
帝国第五軍の指揮を執る将軍ウォレスの問いに答えるものはいなかった。
帝国軍の劣勢は明らかで、一部では
兵力二万を擁する第五軍は国境地帯を防備するため、帝都から三個歩兵軍団と三個騎兵大隊、加えて三個支援大隊を伴って西方へと進軍していた。
道中、
そうであるなら、国境に配置された部隊は大した抵抗も行わず敵軍を素通ししたということになるではないか、と。
したがってウォレスは油断していた。
彼は森にいる部隊は少数であるはずと推測し、その数を多くて千と見積もったが、残念ながらその推測には何の根拠もなかった。
彼は行軍における通常の規則を無視し、視界も防御も限られている森林に無策にも分け入った。
彼は事前に追加の偵察隊を派遣することを怠り、今後の天候変化を予測するよう部下に指示することさえしなかった。
それどころか敵の数を少数と誤認し、戦闘効率より行軍速度を重視させたために戦列は危険なほど伸びきっていた。
そして六時間前、ウォレスたちは森の中で奇襲を受けた。
その攻撃は巧妙に計算されていた。
帝国軍は受動的戦闘に長けている。
投槍や矢や魔法などの投射攻撃、あるいはワイバーンによる航空攻撃で遠くにいる敵をおびき出し、敵の突撃を精強な重装歩兵で受け止めて敵の士気を崩壊させる。
しかし森の中の奇襲は、それらの黄金パターンをことごとく封じた。
第五軍は苦戦を強いられ、また撤退の時機を誤った。
夕方から降った大雨は地面をぬかるませて兵の足を止めただけでなく、弓の弦をたるませ、盾を水で濡らした。
繰り返される波状攻撃は帝国兵を心身ともに疲労させていた。
帝国軍の隊形は乱れ、組織的な行動をとることが難しくなっていた。
深い森の下には月の光も届かない。友軍が互いの位置関係を把握することは難しく、移動する敵の姿を認識することはもっと難しい。
にも関わらず王国軍は幾度となく奇襲を成功させ、そのたびに帝国は数十から数百の損害を出していた。
「なぜだ、なぜ奴らはこの暗闇の中で行動できる……?」
吐き捨てるようなウォレスのつぶやきは深い闇の中に消えた。
適性を持つものなら、それが火の元素魔法によってもたらされた暗視能力だということに気づいただろう。
ウォレスは水と土の元素魔法には適性があったが、あいにく炎には適性がなかった。それでも知識として知ることは出来たはずだが、彼にはそれもなかった。
結局のところ、ウォレスは政治の手腕には長けていたが、大貴族出身の彼は戦場においてはあまりに傲慢すぎ、また自信過剰すぎたのである。
◆
そのころ、ヘンリクは戦場のすぐ近くまで走ってきていた。
「クソ、ここはただの森じゃない、湖沼地帯だ!」
ぬかるんだ土は泥を通り越して沼と化し、一歩一歩足を前に進めることすら難しい。
風の元素魔法によって自分の足を地面からほんの数ミリだけ浮き上がらせていなければ、まだ戦場からは遠く離れたところにいただろう。
こんな土地で戦ってるバカは誰と誰だ?
不意に耳元を誰かの矢がかすめた。孤立した敵兵と勘違いした誰かが、こちらに向けて射撃しているらしい。
土の元素魔法を使い、次々にこちらに向かって飛んでくる矢の運動エネルギーをゼロにする。
矢は勢いを失い、僕の身体に到達する遥か手前で地面に落ちた。
「ええい、うっとうしい!」
実際に当たらなくとも、常に誰かから照準を向けられているというのはいい気分ではない。
暗視呪文によって視界は確保していたが、あたりでは帝国兵と王国兵の乱戦になっている箇所も多い。
障害物の多い森の中では今何が起こっているのかを把握することが難しい。
「一体どうすればこの戦いを終わらせられる……?」
このままでは帝国軍は壊滅するだろう。
周囲を観察する限り帝国の指揮官は無能であり、ここで止めなければ数万の帝国兵が犠牲となるに違いない。
必死で頭を捻って考える。
敵全員を倒すこともできるかも知れないが時間がかかり、その間味方に多くの犠牲を強いてしまう。
なにか他の手が必要だ。
「何か無いか、何か無いか――そうだ!」
前世の記憶を思い出す。
右手の親指と人差し指を伸ばして銃の形を作り、頭で魔法のイメージを作って親指の引き金を引く。
魔術回路がガキンと噛み合った音を出したその瞬間、人差し指の先から魔法細工の弾丸が発射されて風切音を鳴らした。
その弾丸が天頂に届いた瞬間、辺りにドーンというけたたましい轟音が響き渡る。
それと同時に、辺りはまるで昼のように明るくなった。
「まぶしっ!」
自分でやったことではあるとはいえ、僕は思わず目を手で覆った。
それまで戦っていた両軍の兵士たちは突如浴びせかけられた強い光にたじろぎ、うめき声をあげて目をつぶった。
暗い場所に目が慣れた人間が突然明るい場所に連れ出されたのとまったく同じことが起こっていた。
ましてや僕と違って、彼らはその光をほとんど何のガードもなしに受けたのであるから仕方ない。
「退却、退却ー!」
敵の誰か、おそらく指揮官に当たる人物が叫んだ。
ほかの兵に命令を届けるための角笛が吹かれ、ぞろそろと王国軍の撤退が始まる。
周囲が明るくなって奇襲が不利になったと察したのか、あるいは戦場に帝国軍とは違う未知の敵がいることに気づいて慎重になったのかはわからない。
それでいい。さっさと逃げろ。
帝国側には少数の騎兵が残っていたが、再編成して追撃を書けるほどの余裕は残されていなかった。
間一髪で壊滅を防いだとはいえ、状況は芳しくない。
あたりに死体が散乱する惨憺たる状況の中、負傷者の移送と再編成が慌ただしく行われている。
「おい、お前」
声のする方を振り返ると、現場指揮官らしい男と何名かの兵士が一緒になってこちらに剣を向けている。
ははーん、どうやら僕は、彼らに疑われているらしい。
「見ない顔だな。格好からして帝国軍ではないが、王国の人間というわけでもなさそうだ」
「あーっと……僕は味方だ」
「味方?」
男は怪訝な表情を崩さなかった。
彼はこちらを舐め回すような視線を向けている。
「お前の服には返り血の跡もなければ、敵に傷つけられた跡もない。そして靴はこの沼地の中ありえないほど綺麗だ。迷い込んできた平民には思えないがな」
「それは魔法を使って防いだんだよ。さっきの照明弾もそうだ」
「魔法を……? 一体何者なんだ」
「僕はアストラ伯爵、名はヘンリク」
その言葉に男たちは動揺を隠せない様子だった。
まあ仕方ない、自分たちが嫌疑を向けていた男が帝国の貴族、それも伯爵だったのだから。
彼らはたじろぎ、それからかしこまって返答した。
「ヘンリク――閣下。大変失礼しました。まさかこのような場所に貴族さまがおられるとは」
「たまたま通りがかっただけだよ。そうかしこまらないでくれ、君は仕事をしただけだろう。君の名前は?」
「アンリオです。……その、先ほど話に出た照明弾というのは」
「あれだ」
僕は空を指差す。
陰樹が立ち並ぶ木々の下からでもはっきり見えるほど強い光を発する光の球が空に浮かんでいる。
魔術的な原理で浮かんでいる照明弾は、落ちきるのに二時間ほどかかるはずだ。
「あれを、閣下が?」
アンリオは呆けた顔で空を見上げている。
この世界にも照明弾という発想自体はあるが、ここまで強力な光を放つものを作れる人間はそういない。
火の元素魔法に強い適性を持つ僕だからできることだ。
「ところで指揮官。この軍全体を指揮しているのは誰なんだ?」
「ウォレス将軍ですが、戦死されました」
「戦死? まさか流れ弾にでも当たったのか」
「いえ、そうではなく、事ここに至った責任をとって自決されたのです。先ほど伺ったときには、もう」
「……そうか」
帝国の貴族はプライドが高い。
これほどの大軍勢を率いておきながら、兵法の基本を見失って軍団全体を潰走寸前にまで追い込んだのだ。
残る道は自決しかないと考えたのだとしてもおかしくはなかった。
「では、誰が代わりに軍団の指揮を執るんだ?」
「戦いの最中であれば、直近の上級将校が指揮を受け継ぎますが……この状況だと、将校団で協議を行って決めるかと。私も参加しますが」
「帝都に帰還するのであれば、僕の指揮下に入らないかどうか提案してくれないか」
「閣下の、ですか?」
どのみちこの状態では国境にたどり着いても大した仕事は出来まい。
死傷者が多数いる以上、誰が将軍代理になっても帝都に戻るのは同じことだ。
ならば救援に来た貴族がいれば、角が立つことなく指揮権を移譲することができる。
「提案してみます」
「急いだほうがいい、照明弾が落ちきれば奴らはまた攻めてくるからな」
「感謝します、閣下。それでは」
◆
協議の結果、第五軍の将校団は僕に指揮権を移譲することを決めた。
移動の際には軍団の全員に風魔法の速歩呪文をかけたことでずいぶんと驚かれた。
魔法というのは対象にとるものの規模が大きくなればなるほど扱いが難しくなるからだ。だが敵の追撃を防ぐためには仕方のないことだろう。
できるだけ力を見せびらかさないようにしてはきたが、兵の命には変えられない。
かくして、僕は第五軍を引き連れて森を出た。
森を出る頃には夜明けになっていた。
ティグリナたちがまだいるか不安だったが、彼女たちは元の場所で待機していた。
どうやら逃げ出そうとする男たちを、彼女が説得して止めていてくれたらしい。
「もう少しでアタシも逃げ出すところだったぜ。まさか軍を持って帰ってくるとは思わなかったけどな!」
再会したとき、ティグリナはそういって僕の背中を強く叩いて喜んだ。
背中の痛みの中に彼女の喜びが感じられた気がして、不器用な女性だなと僕は思わず笑みがこぼれた。
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