第13話 聖なる血脈
負傷者を連れ立ちながら道を歩き続けて一月半。
僕たちはようやく帝都に辿り着いた。
「帝都の門は、こんなに大きかったかな」
見慣れているはずの帝都の城壁が、今日は一層巨大に見えた。
美観と耐久性に優れる
最も強固な内壁は五メートルの厚さと十二メートルの高さを誇り、その外には三メートルの厚さと八メートルの高さを持つ外壁が続く。
それぞれの城壁には定期的に塔が配置され、帝都と外界とを接続するため設けられた九つある大門を監視していた。
大門を通過する雑然とした人の流れは前世の通学風景を思い起こさせ、故郷を懐かしく思う心が強まってくる。
……とはいえこの体はこの世界のものだから、「故郷」というのはおかしな表現かもしれないが。
「――閣下」
「ああ、アンリオか。どうしたんだ」
「私はこれから皇帝陛下にお目通りに参ります。閣下はどうなされますか?」
皇帝陛下。兵を無事によこしたからには、早くこちらへの疑念を解いてもらわなければならない。
もとよりこちらには反乱の意志などないのだから。
「同行させてもらいたい。第五軍に何が起こったのか、私の口からも説明すべきだろう」
「恐れ入ります」
僕はティグリナと一旦別れることにした。明日の午後、シラクサ商会の商会本館前で落ち会おうと。
それで別れる直前、ティグリナは僕に一つだけ忠告した。
「皇帝に会うなら、気をつけろよ。やつは変わり者だからな」
◆
帝都の東南端、内海の青い波が穏やかに打ち寄せる場所に大宮殿はそびえ立っている。
宮殿の外壁は白大理石で覆われており、陽光を浴びて輝く姿は遠くからでも一目でわかるほどだ。
巨大なドームが幾つも連なり、天を突くようにそびえ立つ塔がその威容を誇示している。
アーチ状の門や窓は精巧な彫刻で飾られ、職人たちの技がいかに優れているかを物語っていた。
実は、ここに来たのは初めてではない。
以前爵位を授与されたときに一度だけ訪れたことがあった。
とはいえその時は、皇帝には顔を合わせた程度だ。
僕たちは色とりどりの花々が咲きほこる中庭に案内された。
帝都の周辺では見ない植物も植わっているようで、おそらくは帝国の各地から集めさせたのだろう。
このような細部にまで手をかけ、金を惜しまない
中庭の中心には大理石で作られた直径四メートルほどの噴水があり、頂点からは涼やかな音を立てて水が流れ落ちていた。
この噴水は一体どういう原理で動いているのだろう。
不思議に思って近づいたところ、噴水の影で魚に餌をやる皇帝の姿が見えた。
帝国皇帝ティベリウスには年齢を重ねた証が身体の随所に見受けられた。
かつて黒だったろうその髪は、齢とともに白に染まったのだろう。
深いしわが刻まれた顔からは、長年の苦労が読み取れた。
またその鋭い目は、衰えた視力を補うかのように強い意志を宿し、かつての力強さをかすかに残していた。
僕たちはティベリウスに近づいた。
アンリオは軍人が行う最敬礼を示して帝国の統治者に敬意を払ったので、僕は貴族式の敬礼で彼に忠誠を示した。しかし彼はこちらを向こうともしなかった。
「帝国軍第五軍、ただいま帝都に帰還しました」
「ご苦労だった。将軍のことは聞いている……残念なことだ」
彼は噴水の池に餌を撒いた。
彼の周りに寄る魚が跳ねたバチャバチャという煩い水音が静かな庭園に響く。
低く落ち着いた調子で彼は続けた。
「第五軍はどの程度の被害を被った」
「負傷者八千、死者二千、行方不明者五百、しめて一万と五百です。歩兵部隊は八割が戦列を外れました」
「壊滅だな」
……帝国の皇帝というものは、これしきのことで動揺してはならないものなのだろうか。
「我々はほとんど全滅するところでした。ヘンリク卿の助力がなければ、第五軍は文字通り消滅していたでしょう」
「うむ……卿には感謝せねばなるまい」
「帝国の貴族として当然の行いです、陛下」
どうもヤな感じだ。ティベリウスが放つ威圧感は、クルシカの祖父であるミレイ卿が放つそれとはまた違う。
喋っている内容はともかく、彼の口調からは死者に対する敬意というものが感じられないのである。
「報告ご苦労であった。あとは
「はっ、では――」
「ヘンリク卿、君は残ってくれ。貴殿とは少し話がしたくてな」
アンリオは足早にその場を去った。
皇帝陛下との謁見など、普通に生きていては早々ないことだ。
おそらく彼も緊張していたのだろう。
あるいは僕と同様、彼もティベリウスに得体のしれない不気味さを感じとったのかもしれない。
庭園には僕と皇帝の二人だけになった。
「卿は貴種というものをどう考える」
「貴種、ですか」
ティベリウスはずいぶん突飛な質問を僕に投げかけてきた。
彼はこの質問で僕の何を知ろうとしているというのだろうか。
第五軍の救援によって彼の警戒心が解かれることを期待したが、そうはならなかったようだ。
僕は少し考えた後に返事した。
「分かりません」
「ほう、なぜだ」
「私は貴種の生まれではありません。ましてやこれまで冒険者として身を立ててきました」
「それはそうだ。しかし卿はいまや五十の領民を抱えている、その意味では正しく貴種であるわけだ。――貴種という言葉を、あまり大きなものとして受け取る必要はないのだよ。ただ民を統治するもの、そのように捉えればいい」
「要するに陛下は、私に帝王学の講義をされているのですか」
その言葉にティベリウスの頬が少し緩んだ気がした。
「貴種とはどういう存在かという問いに、人はいろいろ言う。高潔な人格、深い教養、強い責任感、寛大と寛容、
「団結、ですか」
「左様。民衆は決して自らを
そう言ってティベリウスは僕の方へと向き直る。
「そして万人を団結させる力とは才能ではない。信仰だ」
「信仰?」
「才能は、誰しもが持つわけではないから才能なのだ。人徳に優れていること、理知のあること、行動力のあること、これら全ては才能だ。優れていることが認められれば認められるほど、才能は人にひそむ妬みや恨みの感情を呼び覚ます」
「それは……そうかもしれません」
「信仰は違う。信仰とはただ信じることだ。善くも悪くも、信仰に理由はないからな。理由というものが生まれるとすれば、それは信仰のあとに生まれるものだ。ゆえに万人を団結させる力とは信仰しかない」
「……万人を団結させる力、それはつまり『聖なる血』のことですか」
その言葉にティベリウスの目つきが変わった。
『聖なる血』、それは神が皇帝に世界を統一させるため、始祖アウグストゥスに与えたという魔法の力。帝国の建国神話における重要な一節だ。
「『聖なる血』は統治のための名目ではなく、むしろ本質だ。二つの血が国に流れば、それは必ず争いを生む。今は良くとも私が死んだとき、貴君の『聖なる血』は必ず帝国に争いを呼び起こすだろう」
「皇帝陛下、私は――」
「それ以上言うな。……安心せい、すぐに卿を取って食おうという気はない。貴君はすでに第五軍の救援において多大な武功を挙げた。そうでなくとも五十人の領民のうち、五人もの兵をここまで連れてきたのだろう。仮に私が帝国の法に反して卿を投獄し、また処刑しようものなら、私は貴族たちに暴政を咎められ皇帝の座を追われることになる」
その言葉は嘘ではなさそうで、僕は少し安堵した。
と同時に、もう一つ気になっていたことについて質問しておかなければならない。
「王国との戦争については、これからどうなるのでしょうか」
「第五軍が壊滅した以上、しばらくは防戦に徹することになろう。グリードには一杯食わされたが、とはいえ帝都まで攻め上がってくる気力もあるまい。ようは今度の件は、奴らにとっての時間稼ぎよ」
「正面から戦えば勝てないゆえに、奇策に頼ったと?」
「奇策以前の問題かもしれんがな。ウォレス将軍には以前から問題があった。そうはいってもヤツは大貴族、そう簡単には将軍の地位から退かせることはできんかったのよ。それが今回、最悪の事態を招いてしまったが」
ティベリウスはそういってため息を吐いた。
「攻勢が取りやめになった以上、帝都に卿がいる意味もあるまい。一度帰還するのがよいだろう」
マジか。
ということは、アストラから連れてきた五人も戦わなくていいということだ。
少し肩透かし気味ではあるが、戦いで死者が出るよりはずっといい。
「そういえば皇帝陛下、先ほどの質問ですが」
「何だ」
「これまでに私はたくさんの死を見てきました。そして結局、自分がそれに慣れることはできないと悟りました。自然に任せていては、この世界から死が尽きることはありません。だからこそ民を死なせない統治を行う、それが私の信念です」
その言葉を聞いて、ティベリウスは一時きょとんとしたあとに高笑いをした。
「な、何か」
「いや、なんでもない。……お主は中々奇妙なことを言うものだと思ったのだ。貴族にとって民が死ぬのはいつものことよ。悲しみはすれど、それを疑問を抱く者など今までに見たことがなかった。教会の司教たちは、この世に意味のない死などないという。すべての死は神による
この死にはなんらかの意味がある。
身近な人が死んだ時、あるいは自分が死地へと向かう時、人はそう考えるものなのだろう。
僕はクルシカの父のことを思い出していた。
父の死にクルシカは意味を見出した。そうして彼女は父親の死を乗り越えたと考えた。
だがその思いは結局、彼女自身の
「僕はただ、目の前の人間を助けたいだけです。それだけですよ」
「そうであろうな。お主は私の若い頃と同じよ」
「陛下と同じですか。それはどういう……」
「覚えておけ、『聖なる血』は我らにとっての呪いだということを。どれほど大きな力を持っていようと、その力を使役するのはもはや神ではない。お前自身がその責任を取らねばならないのだ。願わくば、お前が私と同じ道をたどることのないように」
それだけ吐き捨てるようにしてティベリウスは
それにしても「私の若い頃と同じ」、か。
過去の自分に対して向けたようにも思われた最後の忠告は、僕のありうる未来のひとつを暗示しているのかもしれないな。
◆
「うわあ、すごいことになっちゃったぞ」
宮殿を出ると軍務尚書が待ち構えていた。
尚書とは元の世界でいう大臣のようなもので、すなわち軍務尚書とは帝国軍においては皇帝の次に強い権限を持つ司令官ということになる。
彼に連れられて行った先は帝国軍が保有する倉庫の一つだった。
倉庫の中には大量の物資が詰め込まれていた。
太っ腹なことに、皇帝は倉庫十棟分の資材全てをアストラ辺境伯に
これが武功に対する論功行賞ということなのだろうか、あるいは皇帝は僕個人になにか思うところがあったのかもしれない。
それにしてもこれだけの資材を一度に供出できるとは、帝国の経済力には驚くばかりだ。
これだけの物資があれば、村の発展は驚異的な速度で進むだろう。
とはいえ問題は、これをどうやって村まで持って帰るかということだ。
「人手がいるな、それも大量に」
「それでしたら一度、奴隷市場を見学にいかれてはいかがでしょうか。競りは毎日開いておりますし」
奴隷市場か。この世界における奴隷は半分労働者のようなものだ。
主人と奴隷との間で契約を交わし、期限が来るまで雇い主の下まで働く。
とはいえ領民と違って奴隷はあくまで財産として扱われ、原則として主人の命令を拒否する権利はない。
現代人の感覚からしてあまり良いイメージを抱けないのは間違いないが、この状況だと行かざるを得ないかもしれないな。
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