第8話 理論と実践
「だめだ、また壊れた……」
「おーい、やってるかい」
まだ調度品もそろっていないない簡素な自室で机に向かって揚水機のミニチュアをもくもくと作成していると、扉を開けて部屋の中にシュトラウスが入ってきた。
いや、ノックぐらいしろよ。
「おい、一応キミも僕の臣下なんだからさ」
「分かってる分かってる、次から気をつけるよ。で、揚水機を作ってるんだって?」
「まあね。それにしてもなんだシュトラウス、今日の仕事はすんだのか?」
「何いってんだ、もう夕暮れだぞ」
嘘だろう、おい。
外を見るとシュトラウスの言う通り、太陽は地平線の向こうへ落ちかけていた。
「マジか……ミニチュアの試作だけで半日が終わってしまった」
「その調子だと、うまくいってないみたいだな。土属性の元素魔法で試作模型を作ってたのか?」
「まあね……」
いきなり大きなものを作って失敗したら、それだけ時間や金を無駄にすることになる。
だからこそこうして、まずはミニチュア作りからスタートすることにしたのだ。
こういうときには土属性の元素魔法が役に立つ。
しかしそれでも上手くいかなかった。
水車自体を作るのは簡単だが、問題はその先にあった。
シュトラウスが作業する机の上を覗き込んでくる。
「どれ、どんなところで詰まってるんだ。お兄さんに見せてみなさい」
馴れ馴れしいな、こいつ……
「簡単に言えば、水を汲み上げて上へと送るメカニズムさ」
「……つまり?」
「水を運ぶにはいろんな方法があるが、ひとまず原始的な方法を考えてみたんだ」
シュトラウスに示したのはスキー場のリフトと同じ仕組みだ。
いくつか用意した桶をロープにくくりつけ、水力を使って川から拠点のある丘まで持ち上げる。
でもコレが上手くいかなかった。
「なんでうまくいかないんだ?」
「水の入った桶が重すぎるんだよ」
僕は水の重さを舐めていた。一つの桶に入る水は約五キロ、これは相当に重い。
「効率的に水を運ぶとなると、ロープの複数の箇所に桶をくくりつける必要がある。だけどそうすると坂を下るほうの桶は水が入ってないぶん軽くなるから、運ぶ途中の重い桶のほうにロープが引っ張られる。そうすると結果的に支柱が傾いてしまうんだ」
重心の傾きはリフトにとってマズい事態だ。これに対処する方法は二つある。
一つ目の解決策は支柱の太さを太くしたり、あるいは地下深くにちゃんとした基礎を打つことだ。
これは支柱が傾かないよう頑丈にするということだが、よけいに工事が大掛かりなものになってしまうので本末転倒な解決策だろう。
二つ目の解決策は支柱の高さを低くすることだ。
これは全体の重心を下において安定させる方法だが、これにも穴がある。重いものを運ぶロープは次第にたわんでくる。
そのたわみが積み重なって、最後には桶が地面にぶつかってしまうのだ。
「だとしたら……やっぱその方法はダメなんじゃないのか?」
シュトラウスが辛辣な言葉を投げかけてくる。
まあ、そうなんだよなあ。
らせんを回転させて水を運ぶアルキメディアン・スクリューなんかも考慮はしたが、今の工作技術ではとてもできそうな気配がない。
感覚に頼って滑らかな螺旋を作ることは至難の業だ。
「もっと他に方法はないのか?」
「考えてるよ、考えてるんだが……」
現代人ゆえ多少の雑学はあれど、別に脳内にWikipediaがそのまま入っているわけではない。現代の知識すべてを使えるわけではないのだ。
それでもどうにか脳内にある知識を使って、車輪の再発明ができないかどうか考える。
……厳しいな。これっぽっちもアイデアが浮かんでこない。
行き詰まって悩んでいると、開いたドアからクルシカが入ってきた。
「ヘンリク様、あまり根を詰めすぎないでそろそろお夕飯にしませんか? ……あら、シュトラウス様もいらっしゃったのですね」
「ああクルシカ、もうそんな時間か」
「シュトラウス様もどうぞご一緒に。今日は魚の香草焼きですよ」
「それはありがたい。ヘンリク、せっかくだしお言葉に甘えてもよいかな?」
貴族の心構え云々言っていたクルシカも、村には使用人がいないからか自分で料理なんか作ったりしている。
ふつう貴族が調理場に立つことなんてめったに無いから、これはめずらしいことだ。
とはいえクルシカが楽しそうなのだ、別に止める理由もない。
「いいよいいよ、好きに食っていけ」
この村である程度教養のある話ができるのは、今のところこの三人しかいないのだ。
一人で食うのも悪くないが、夕食時ぐらい歓談を楽しもうじゃないか。
◆
「いやあ、実にうまい」
「ありがとうございます、シュトラウス様は本当に褒めるのがお上手ですね。職業病かしら」
「いやはや、これは一本取られました。子ども相手に教えていると、自然と人を褒める習慣がついてくるんですよ」
いや、実際本当に美味しい。クルシカには料理人の才能があるんじゃないだろうか。
こちらに来てから毎日彼女の手料理を食べているが、日に日に腕が上達している気がする。
「とりわけ香草焼きは美味しかったな。特に一度蒸されているのがよかった。魚の皮はパリパリ、身はふわふわに仕上がっていたよ、屋敷じゃ料理をする機会もなかっただろうに、一体どこで閃いたんだ?」
「美味しいと思ったら欠かさず屋敷の料理人に聞いていたのです。以前から料理には興味がありましたから」
そこまでするか。クルシカの行動力には驚くべきものがある。
「ということは実際に作ったのはここでは初めてだということですか。この香草焼きは見よう見まねで作ったと? まったく素晴らしいことだ。ヘンリク、キミも彼女から模倣の才能を分けてもらわないといけないんじゃないか」
「ほっとけ」
その返事に二人は笑う。
……まあ、半日かけた失敗も会話のネタになったならいいか。
揚水機のシステムはまた明日考えよう。
「さあ、皆さん。最後にこちらをどうぞ」
「やや、これはなんだ?」
最後に出されたのは湯気の立つ真っ赤なスープだ。
スープの上には細かく刻まれた、パセリに似た緑が散りばめられている。
これもまた、凝った料理だな。
「こちらを使ってお飲みください」
そう言ってクルシカは細長く中が中空になった植物の管を持たせてくる。
ストローに似た形状だ。
「これは、どのように?」
「管を手で持って、ゆっくりスープを吸い上げてください。ただし、管はお噛みにならないよう」
「ほうほう、これは……うまい! 熱いスープが管を通る途中で冷めてちょうどいい温度になっていますね。しかもこの植物は香味野菜でしょう。熱いスープにクセのある香味が溶け出して、口に届くころには程よいブレンドになっている」
「ああ、よかった。これはわたくしのはじめて作ったオリジナルの料理なんです。うまくいって安心しましたわ」
「いやはや、実に面白い料理です。吸い上げるということがこんなに楽しいものだとは」
確かに久しぶりの感覚だ。ストローを使うなんて何年ぶりだろう?
小さいころ、飲み物にストローで泡を吹きこむ遊びをして親に叱られたのを思い出す。
……ストローか。ストロー……
「ところでヘンリク様はお気に召しましたか? ……ヘンリク様?」
「おっとクルシカ様、ヘンリクはいま揚水機のことで頭がいっぱいなんですよ。昔から集中すると周りが見えなくなるんです。おおかた今回も、何か解決の糸口を見つけたんじゃないかな」
……ストローでスープを吸い上げる、吸い上げ? ……そうか!
ガタッと椅子から立ち上がって叫んだ。
「エウレカ、閃いたぞ! ごちそうさま!」
ね、言ったでしょ?
そう言わんばかりのシュトラウスのドヤ顔を無視して、自分の部屋に帰って図面を描き始めた。
◆
数日後、苦心のかいあって発明が形となり、川べりで領民たちを前にささやかなお披露目会を開いていた。
もちろんシュトラウスも一緒だが、水汲みの仕事が不要になるという言葉に領民たちは半信半疑という表情だった。
「……で、何を作ったんだ?」
「まあ、とりあえず聞けよ。僕は今まで水車を動力にして水を運ぼうと考えていた。でもそれは、水を直接運ぼうとしてたわけじゃない。水を入れた桶をロープにくくりつけて運ぼうとしてたわけだ」
「まあ、そうだろうな」
「だがそれだと問題がある。水車から得られた運動エネルギーの多くが途中で減失してしまう――ようは無駄が多いわけだ。ここまでは分かるか?」
「お前の言ってることがよく分からんのは昔からだ、いいから続けてくれ」
こいつ、今までそんなふうに思ってたのか。
「……とにかくだ。水を運ぶのに、ロープや桶まで動かしてたらたら無駄が多い。だから発想を変えた。水そのものを運ぶことにする」
「そりゃあ一体どういうわけだ、水の元素魔法でも使うのか」
「それだと平民は使えないだろう。俺はあくまで貴族、俺に頼る仕組みじゃダメなんだから」
「じゃ、どうするんだ」
「水圧を使う。必要なのはこれだ」
そういって取り出したのはヨシの茎だ。
ちょうどストロー状になっていて、内径は一センチ程度ある。
「それは……ヨシの茎か? 漁労用の小舟を作るのに使ってる、あの」
「ああ。ヨシの茎は頑丈で、しかも植物だから防水性がある。中も中空で、水を通すのに使える」
「なるほど、あの手料理を見て思いついたわけか」
「そういうことだ。ポンプから押し出した水をこいつで上まで運ぶ」
ヨシの茎につなぐポンプの資材は変形しにくい鉄管がいい。
だが今は用意することが出来ないので、代わりに防水性に優れたスギの木を加工したものを使用した。
このポンプは単純な円柱形が組み合わさった形をしていて、見た目の割に工作難度は低い。
何より、大げさなインフラを必要としないのもいいところだ。
さて、ポンプの原理は単純だ。
まず最初に川の流れに沿って取水口から入力管へ水が流れてくる。
流れてきた水は取水口の反対側にある排水口へ流れようとするが、水流の速度が一定に達すると、排水口に取り付けてある排水弁がオモリによって自動的に閉まるようになっている。
するとこの時、水撃作用と呼ばれる現象が起きる。
ポンプ内の水は排水口が閉じたことで行き場を失い、水圧は急上昇。
取水口から入ってきた水はもう一つの穴である揚水口へ殺到するのだ。
この時生じた勢いを利用して拠点へと水を届けるのである。
この手のポンプは地球では確か水撃ポンプと呼ばれていた。
水圧を利用して水を高い位置に移動させる方法だが、クルシカの料理を見て思い出すまですっかりその存在を忘れていたのだ。
ついでにといえばなんだが、魔術的手法によって効率を少し上げる細工もしておいた。
「なるほど、理屈は分かった。だが実際に動くか見てみようじゃないか」
「もちろん、準備はいいか?」
そういって僕は丘の上で待機しているクルシカに手を振る。
あそこに設置したヨシの茎の先端まで水が届けば実験は成功だ。
「なにかすることはあるのか?」
「何も? 単にこのポンプを川底に沈めればいい」
「じゃあ、俺がやろう。伯爵サマにやらせちゃ悪いからな」
そういってシュトラウスは下着を脱ぎ、比較的流れが速いところへポンプを置きに川へ入って行く。
あまりに単純な原理ゆえ、領民たちは訝しげな表情を崩さない。
間近に来て見ているエトとマールでさえそうなのだ。
「じゃあ、始めるぞ!」
シュトラウスがポンプを水に付けた。
まあ、彼らの疑念も理解できない訳では無い。
これまで水を運ぶためだけに、川と村の間を一日に何度も往復する作業を繰り返してきたのだ。
その苦労がこんなモノでひっくり返されるなら、今までの苦労は何だったのかと思う気持ちはわかる。
だが、技術革新とは得てしてそういうものだ。
これまで多大な努力なしにはできなかったことが、一つの技術が生まれたあとでは誰でも簡単にできるようになる。
技術革新は社会に労働力の余剰を生み出し、その余剰はより効率的な産業に投入される。
文明はその繰り返しで進歩してきた。
「入れたぞ!」
シュトラウスがそういって十秒もしない内に変化が訪れた。
シュトラウスの近くで水撃ポンプが作動する大きな音がしたかと思うと、ヨシの茎で作られたホースに水が流れていく。
その速さは目では追いつかないほどだ。
「来ましたよ~!」
よし! そう思って、思わずガッツポーズした。
クルシカの声に領民たちはうろたえている。
ポンプが作動してからまだ十秒も経っていないのに、もう水が上に着いたというので驚いたのだろう。
エトとマールは本当かどうか確かめに、上に向かっていった。
シュトラウスが川から戻って来た。
ニヤケ顔で、これでも祝福してくれているようだ。
「やったな、すごいじゃないか」
「大したことじゃないよ、発明したのは僕じゃない」
「それでもさ。ここの人たちにとってはお前がすべてだ。みんながこれで楽に働ける、それで十分だろう」
それもそうだ。
遠くで手を振っているクルシカに向かって、僕は手を振り直した。
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