第27話 北方の脅威

 そういえば、とシュトラウスは前置きして言った。


「帝都で会った友人にここでの話をしたら、アストラ伯は変わっていると言われたよ。貴族でない人間を会議に参加させるなんて、と」

「先日クルシカに教わったんだが、昔は平民と貴族が階級闘争を繰り広げていたんだろう。そのときは平民も政治に参加していたと。エウドキアはレムリアの後継者を自称しているのに、なぜ今は下火になっているんだ?」

「ああ、それは『平民』の代表として護民官がいた時代の話だな」


 今のエウドキアの前身であるレムリアは王を追放した過去があり、共和政の伝統が根強い社会だった。

 そのような伝統ゆえかレムリアでは、閥族派と呼ばれる世襲貴族たちと平民派と呼ばれる新興勢力が激しく対立した。

 護民官は、そんな時代に平民たちの権利を代表するために生まれた公職だった。


「今は違うのか?」

「護民官が平民の代表であったのは千年も昔のことだ。その間に『平民』という概念も、人々のアイデンティティも消えてしまった。今の帝国には、貴族を除けば三種類の人間がいる。参政権をもち国家に対してなんら義務をもたない市民、市民権を持たないが兵役や納税の義務と引き換えに居住が認められる自由民、そしてそのどれにも属さない奴隷――そういえばお前も、元は市民だったか」

「名ばかりのな」


 市民権は数世紀にわたって拡大されてきた。

 最初は厳格に審査されていたが、帝国が拡大するにつれて基準はどんどん緩くなり、その結果『名ばかり市民』と呼ばれる者たちが誕生することになったのである。


 彼らの多くは政治に興味を持たず、また個人的利益に反する兵役も嫌っており、その割にはたびたび政治的不満を撒き散らして帝都の治安を悪化させている。


「平民階級が細かく分かれると、上澄みのほうは自分たちを他の平民とは違う存在として扱い始めたのさ。そういうエリート主義が行き着いた結果が今の惨状だ。帝国の半分以上を占める特権階級たる貴族と市民を、それより少ない自由民と奴隷たちが支えている。これをいびつと言わずして、他になんという? 後先考えず発展した末路ってやつかもな」





 会議場のざわめきは、僕が入ってくると止んで静かになった。


 いつものメンバーに加えて各行政部門の暫定的な指導者たちを集めたのは、アストラに驚くべき知らせが舞い込んできたからだった。


「諸君、集まってくれてありがとう。第一回目の会議がこんな状況下で開かれたのは残念だが、ここにいるものはアストラに何らかの利害を共有する者たちだ。君たちにはこの危機に際して、問題解決のための助力をお願いしたい」


 そういうと、一同の拍手がこだました。

 彼らがどんな野心を抱いているにせよ、彼らの力は役に立つ。


 その力を有効に使うためには、汚職を働いてつまらない小銭を稼ぐより、僕と一緒にアストラを発展させたほうが得だと思わせることが肝要だ。


 僕が席に座ると、隣に座るクルシカが早速説明を始めた。


「先の皇帝陛下の崩御にアルカシアの魔の手が絡んでいることは、皆さん風の噂でご存知かと思います。彼らの目的が帝国の政治的混乱にあることも。そのため私たちは皇帝暗殺事件のあと、ほとぼりが冷めるまでアルカシアは当分大人しくしているものと思い込んでいました。しかしその見通しは甘かったようです」


 そういってクルシカは険しい顔になる。


「明らかに、アルカシアは方針を変えました。彼らは我々にとっての潜在的な敵に、我々に対抗するための力を与えることにしたようです。この種の敵対的な工作活動の結果、現在北方で不穏な動きが生じています。将軍のティグリナが詳しく説明を」

「ご紹介預かりましたティグリナです。早速説明を。数週間前からボリニア川の上流域でヴィリアーニ族の活動が活発になっています」

「ヴィリアーニ族というのは?」

「ボリニア川上流域に先住する蛮族の一つで、河川交易によって得た富でこの地域では頭一つ抜けた経済力を有しています。調査の結果、遅くとも今年の冬ごろ、大地が雪解けを迎える前に彼らが軍備を整え侵攻してくる可能性が高いことが分かりました」


 その言葉に部屋の一同はざわついた。

 ティグリナは図板にアストラ周辺の地図を広げ、僕に向かって説明する。


 公衆の目前だからか、ティグリナの口調はいつもと違ってやけに丁寧だ。


「残念ながら地の利は彼らにあります。我々がこの地にアストラという橋頭堡きょうとうほを築くまで、過去五百年にわたり彼らはボリニア川沿岸での交易を独占してきました。川の水深、流速、陸上の地形、気温の変化に至るまで、敵の持つ情報は我々の持つそれを遥かに上回っていると考えるのが自然です」

「敵はどのように攻撃を?」

「敵の攻撃手段は単純ですが、それ故に対処が難しい。彼らは河川の航行に向いた高速船を有しています。手口としてはこうです。こちらの防衛体制が整わない間に沿岸に上陸し、重歩兵で構成された突撃部隊が先行して主要拠点を制圧。後続の軽歩兵部隊は残敵を迂回うかいしながら面での制圧に取り掛かる」


 言うは易し行うは難し。


 言葉で説明するのは簡単でも、この作戦を実行するには部隊指揮官の高い練度が必要不可欠だ。

 それが行えているということは、彼らの襲撃はよく準備されたものだと考えて良いだろう。


「蛮族とはいうが、彼らの戦術は高度に洗練されているようだね」

「サイピア殿によると、この種の沿岸襲撃は過去にも例があるようです。今回と同じように、彼らの『正当な』権利――ボリニア川交易の独占――を侵されたと考えた場合、報復として攻撃を仕掛けてくると」

「ならば今次の攻撃は、彼らにとっては正当な交易戦争というわけか。アルカシアがきつけるには絶好の材料だ」


 皇帝がこの地を開拓してこなかった理由にが含まれていたのだとすれば、僕も一杯食わされたということになる。


 皇帝ティベリウス、死してなお老獪な爺さんだ。


「それで、アストラの防衛計画は?」

「奥方様の要請により、帝都から海軍所属の交易保護艦隊三隻が急行中です」

「それでも敵は攻めて来るか?」

「敵艦隊はおよそ五隻。正確な数は現状不明ですが、現状の偵察活動から鑑みるに帝国海軍と戦う意志があるものと推測します」

「我が方の勝算は?」

「ハッキリ申し上げます。我々の兵の練度は彼らのそれに遠く及ばず、また情報戦でも劣勢です。まともにぶつかり合えば大きな被害が出るでしょう」


 ここで『勝てない』とは言わないのがティグリナらしいところだ。

 先日紹介した魔法陣爆弾も計算に入れれば、敵の襲撃を跳ね除けられる可能性は十分にあるだろう。


 ただしその場合には、領民に犠牲が出ることも覚悟しておかなければいけない。


 少し考え込んでいると、オフィーリアが手を挙げているのに気づいた。


「オフィーリア」

「監察部から報告いたします。情報戦についてですが、アストラの領内に敵の間諜かんちょうが忍び込んでいるという情報があります」

「その情報はただの憶測おくそくではなく、確かなものなのか?」

「信頼できる筋からの情報であり、裏取りもできています。おそらく、襲撃に呼応して蜂起ほうきし、内部から混乱を引き起こそうとしているのかと。」

「よし。人物の特定は済んでいるのか?」

「おおよそは完了しています。それで、いかがされますか」

「というと?」

「間諜は敵と内通している可能性が高く、こちら側の情報を敵に送る手段を有しているはずです。偽の情報を流せば、リスクはありますが戦いを有利に運べる可能性はあります」

「リスクというのは?」

「謀略とは敵との兵数差をはかりごとによって埋めるものであり、本質的には弱者のすべです。敵に策を気取られればこちらの弱気が露呈し、かえって戦いの趨勢すうせいを危うくするかもしれません」


 さて、どうするか。領民の犠牲は最小限度に抑えなければならない。

 だからといって人命に固執するあまり、策に溺れて戦いそのものを危うくするのは本末転倒だ。


「サイピアはいるか?」

「ここにおります、領主様」

「ヴィリアーニ族について詳しいのか」

「はい。聖職者は世界中どこにでも旅します。もちろんヴィリアーニ族の土地にもです。伝道師のしるした記録は、彼らの風俗や文化を理解する役に立ちます」

「彼らの兵の練度は高いと聞いた。だが政治文化はどうだ?」

「北方の蛮族によくある、典型的な部族制社会です。統治権力が存在しないため、紛争は当事者同士の暴力によって解決されます。また家同士の同盟といったヨコの繋がりが強く、独裁者の出現を極度に嫌っています」


 ふむ、これは使えるかもしれないな。


 どれだけ技術が進歩しても戦うのが人である以上、戦場において重要なのは兵の数でも技術の優位性でもない。

 人の心理をいかに巧みに操るかだ。


「オフィーリア」

「ここにおります、閣下」

「今度の攻撃についてだが、思えばタイミングは不自然だ。敵はアストラを攻撃しようと素振りをこれまで全く見せてこなかったのに、アルカシアが介入してようやく重い腰を上げたように見える。これを君はどう思うか」

「おそらくヴィリアーニ族の内部でも意見が割れたものと推察します。帝国に対する反発の気持ちはあれど、帝国は未だ強大。たとえ一時的な勝利を収めたとしても、報復を受ける可能性は十分にありますゆえ」

「ならば、彼らの中には反対派もいると?」

「いるでしょう、それも少なくない数。帝国軍を恐れているからこそ、間諜を用いてこちらの内情を探っているものと思われます」


 たしかにそうだ。アストラ周辺の地理情報については敵の方がよほど詳しい。

 にも関わらず、敵がこの地域にわざわざ間諜を忍び込ませているのはなぜだろうか。

 自分たちと比較してはるかに劣る敵の動向を探るためというのは、慎重さの現れと見るにしても不自然である。


 そこから導き出される答えは一つ。

 彼らが知りたがっているのはアストラではなくその背後にいる帝国の動向、すなわち帝国軍が派遣してくる交易保護艦隊の規模なのだ。


「ならば彼らに離間策を仕掛けよう。シュトラウス、アストラの中心部に立て看板を起き、帝都からの交易保護艦隊についての発布を出せ。ただしその数を実際の二倍にして書くんだ」


 孫子曰く、戦いの上策とは戦わずして勝つことである。

 ここはその策を取り入れさせてもらおう。

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