第28話 相対する者

 ある晩、ボリニア川を上った先にあるヴィリアーニ族の中継拠点では、兵を挙げ帝国との戦いを控えて戦士たちによる宴が繰り広げられていた。


 そんな宴の熱気から逃れるように、ヴィリアーニ族の首長ヴォルグリーヴの息子ミルロクニルは自らの従者とともに星空のもとの散歩にふけっていた。


「殿下、いよいよ明日でございますな」

「ああ」


 ミルロクニルは短く頷いた。

 宴に多くの者が盛り上がる中、彼の声色は冴えなかった。


 不思議に思って、従者はミルロクニルに尋ねる。


「どうされましたか、もしやお体の調子が優れないので」

「いや、そんなことはない。ただ少し此度こたびの戦いのことを考えていただけだ」

「殿下は最後まで戦に反対されておりました様子。いったいなにゆえ反対なさっておられたのですか」


 尚武の気風の強いヴィリアーニ族において、戦いとは名誉ある行いである。

 戦う武器と大義があればどんな相手であろうと立ち向かうべきであり、そこから逃げることは恥とみなされる。


 そんなヴィリアーニ族の家臣団の中でただ一人、秀でた智謀をもつ軍師ミルロクニルは帝国領アストラへの攻撃に最後まで反対し続けていた。


「帝国という虎の尾を踏んでよいことなど一つもない。一度戦になればもはや後戻りはできぬ。帝国の兵を十人殺せば、彼らは必ずその血を贖いに我ら百人の兵を殺しにくるだろう」

「しかし此度の戦、先に原因を作ってきたのは帝国です。帝国人がボリニア川の交易に無断で手を出してきた以上、こちらもそれに答えるのが道理というもの。此度の戦は、帝国に自らの身の程を分からせるまたとない機会ではありませんか」

「――むろん、私も帝国の専横せんおうを黙って見過ごす気はない。もし戦の提案がわがヴィリアーニのいずれかの氏族から出てきたものであるならば、私も素直に受け入れただろう。だが現実には、策を出してきたのはあの女だ」


 ミルロクニルの気分が浮かない理由は、最近になってアルカシアから訪れ、父に取り入った謎の女――確か名前をミモザといったか――にあった。


 美しく照る黒いストレートの長髪に黒い瞳、その姿は亡き母に瓜二つの美貌の女性であり、ミルロクニルの父ヴォルグリーヴは彼女の色香に当てられたのだろう。


 だがその奥にあるドス黒い欲望を、ミルロクニルは見逃さなかった。


「あの女はわれらの兵の生き死になど、何も考えておりはせぬ。それに戦いとなれば苦しむのは民だ。だがあの女の目には民も見えておりはせぬ。あるいは父上とて、あの女には籠絡ろうらくの対象として見えているだけだ」

「おたわむれを。ミモザ殿が来なければ、我らは帝国とは戦えておりませんでした。東からもたらされた装備があってこそ、帝国に対して兵を挙げることも叶うのですよ」


 ミルロクニルは従者を一瞥した。

 これ以上何を言ったところで、この男を説得することは出来ないだろう。


 いや、この男だけではないのだ。

 『タダより高いものはない』という先人の言葉を、武将たちは知らないとみえる。


 アルカシアがタダ同然で装備を我らに売り払っているのは、我らと帝国を争わせるという彼らの策略あってのこと。

 裏で何を考えているのか分かったものではないのだ。


「よいか、あの女を信用などするな。不義が明らかになったその日には、私がその場でミモザを斬る!」





「報告します! 敵地に忍び込んだ間諜かんちょうの報告によると、明朝アストラに六隻の軍艦が集結する見込みであるとのことです!」


 翌朝になってその情報がもたらされたとき、武将たちは互いに顔を見合わせて狼狽うろたえた。

 帝国海軍による多少の介入は予想していても、六隻の軍艦を擁する艦隊を派遣してくるとは思っていなかったのである。


 ここぞとばかりにミルロクニルは首長である父親の前に出て、軍の撤退を訴えた。


「父上、よくお考え下さい。敵軍は六隻に対して、我が方の艦隊は五隻。いかに我らの兵が精強といえども、数にまさる帝国軍に戦いを仕掛けて無傷でいられるわけはありません。敵が積極的な攻勢に転じる前に、ただちに撤退すべきです」


 その献策に、首長ヴォルグリーヴの傍に控えていたミモザは反論する。


「ここまで来て、ミルロクニル様は戦いから逃げよとおっしゃるのですか?」

「黙れ! お前は兵の生き死にに責任を追う立場ではない。――父上、その女は帝国を弱らせたいがため、父上のことを利用しているにすぎません。どうか此度の戦い、今一度お考え直し下さい」

「ミルロクニル、少し落ち着け。今のお前の言葉は相手を不当な根拠でおとしめるものだ。戦の前の讒言ざんげんは、ほんらい軍紀に則り厳罰に処されるべき所業だ」


 父親の言葉にミルロクニルはハッとして、膝をついて謝罪した。


「失礼しました、父上。どうかお許しを」

「うむ。もちろんお前のいうことにも一理ある。だが一度、ミモザのいうことも聞いてみようではないか。決断を下すのはそれからでも遅くなかろう」


 ミルロクニルの苛立ちにもかまわず、ミモザは舞うような独特の仕草で色香をふりまきながら、うやうやしく頭を下げていう。


「発言をお許しくださり感謝申し上げます、首長。――さてもしアストラ伯ヘンリクが、本当に六隻の軍艦を呼び寄せたのならミルロクニル様の話も通りましょう。けれどもそれが本当のことであるとは限りません」

「どういう意味だ」

「此度の情報は、アストラ伯ヘンリクの策謀であるということです」


 ミモザの言葉に周囲はざわめいた。

 一同は顔を見合わせてお互いに話し込む。


 ミルロクニルはあからさまに不機嫌になり、彼女に詰め寄った。


「――くだらん冗句だ。ミモザ殿は我が方の間諜が誤った情報を掴んだとおっしゃるのか?」

「どのような者にも失敗はあります。ヘンリクは我々の間で不和があることを感じとり、我々に離間の策を仕掛けているのでしょう。六隻の軍艦というのはこけおどしで、実態はおそらくその半数ほど。立ち上げたばかりで人口の少ないアストラの抱える兵力は僅かであり、敵の軍艦が三隻ならば籠城されたとしてもこちらに十分な勝機があります」

「貴君の言っていることは、あくまで可能性の話ではないか。もし残り半数の軍艦が身を潜め、戦闘中に現れつようなことがあれば、我々の本隊は逃げることすらできず壊滅するであろう」


「もうよい、二人とも。ミモザの意見はよく分かった」


 ヴォルグリーヴのその言葉に、二人は言い争いをやめて首長のほうへと振り返った。


 頭を抱えた首長は、実の息子に助言を求める。


「――ミルロクニル、お前は我が方でもっとも優れた智謀を持つ者だ。そのお前が、あくまで戦いを避けよというのだな? ここで敵が現れるのを待つという手はないのか」

「畏れながら父上、ここで敵を待てば冬が訪れます。川は凍って船は通れなくなり、兵馬に与える兵糧が不足します。戦いの趨勢すうせいを決めかねない不安要素が残る中、進軍を強行するのは上策ではありません。戦いの主導権は敵側にあり、今敵地におもむけば敵の懐に誘い込まれるも同然です」


 ミルロクニルの言葉に首長は大きなため息を吐いて、それから言った。


「よかろう。口惜しいが、此度はお前の意見を聞き入れて兵を退くことにする。戦いは我らの名誉だが、いたずらに兵を消耗させることは本望ではなく、此度の撤退を持って我らの名誉が傷つくということにはなるまい。しばし機が熟すのを待ち、再び機が訪れた際には今度こそアストラを落すのだ。以上のこと、兵たちにも下知げぢせよ!」

「はっ!」


 その言葉に武将たちが散っていき、最後に首長が自室に退くと、部屋にいるのはミルロクニルとミモザの二人だけとなった。


 ミルロクニルはミモザに煽るような口調で話しかける。


「残念だったな。今回はお前の思い通りにはならなかった」

「これもヴォルグリーヴ様のお決めになられたこと、致し方のないことです。それに首長は、また機が熟せばとおっしゃりました。いずれヘンリクと相まみえる機会は巡ってきます」


 そのミモザの言葉をミルロクニルは訝しんだ。


「奇妙なことをいうものだな。アルカシア人のお前に、ヘンリクに対する何の因縁がある」

「私がいつ、アルカシア人と申し上げましたか?」

「なに?」

「私は帝国に生まれ、帝国で育ちました。アルカシアに渡ったのは成人してからです」

「ますます分からん。帝国人であるお前が、なぜアルカシアの王に仕えて帝国に弓を引く。お前とヘンリクの間には、どんな確執がある」

「それは――」


 その言葉の先を続けようとして、ミモザは言葉を詰まらせた。


「――ミルロクニル様にお話できるようなことではありません。個人的な確執である、とだけ」

「ふん、まあいい。せいぜいこれに懲りて、父上に無謀な策を吹き込むのはやめることだな」


 その捨て台詞とともに部屋からミルロクニルが出ていったあと、ミモザは懐から一葉の写真――この世界にはまだ存在しないはずの遺物オーパーツ――を取り出し、独りつぶやいた。


「ああ、ヘンリク。今回も貴方を取り逃してしまった。運命の女神様も意地悪なものね。でも私は必ず手に入れる、貴方の全てを。せっかく一緒に来たんだもの。だからそのときまで――私を待っていてね?」


 部屋に立つミモザの不気味に歪む笑顔を見たものは、誰もいなかった。

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