第15話 帝国の病理

 オフィーリアは僕の後ろをぴょこぴょことついてくる。

 ハリントスが彼女に上等な服を用意してくれたが、どうも似合っていない。

 馬子にも衣装という言葉があるが、どうやら服だけで人の印象を変えるのは難しいらしい。


 帝都の町中を歩きながら、僕は彼女にこれまでの経緯を伝えた。

 石畳の道は賑やかで、露天商たちの声が響いていた。


「アストラは良い土地だ。優れた土があり、付近には大河が流れ、鉄鉱山まである。なぜ皇帝は自分で開拓せず、僕に委ねたのだと思う? 単にその価値を知らなかったからだと思うか?」

「否定はしませんが、加えていうなら人が足りないからでしょう。かつて帝国は周囲の部族や王国を征服して捕虜を手に入れていました。しかし最近は大きな戦争がありません」

「奴隷が不足しているということか」


 たしか、ハリントスもそんな話をしていたな。彼から買った五十名の奴隷もずいぶん高くついた。

 それはヘンリクが冒険者として六年間働いて稼いだ額とほぼ同じで、皇帝からの褒賞があってこそのものだ。


「帝都における小麦の価格は、ここ十年で三倍になりました。そのせいで市民は皇帝を批判しています。価格を下げるには小麦の生産を増やさねばなりませんが、生産を増やすにはさらなる農地が必要で、そのためには畑を耕す労働者が必要です。しかし市民たちは農村で働こうとしません。そんなものは市民の仕事ではないと思っているからです」

「もし彼らを農地で働かせたら、問題は解決すると思うか?」

「夢物語でしょう。皇帝の権威は貴族と市民の信任の上に成り立っています。皇帝であっても、法的な根拠なくして労働を強制することはできません」


 父祖アウグストゥスによって帝国が築かれる以前、現在帝国と呼ばれている地域と王国と呼ばれている地域はレムリアという一つの国だった。

 レムリアは王の失政と暴虐によって危機を迎え、最終的に市民たちの革命によって王は廃された。


 その後、帝国はレムリアの正統な後継者として王を戴かないことを理念としている。

 皇帝の権力が帝国法によって強く制限されているのはそのためだ。


「それに、巨大な組織には内輪もめがつきものです。管理するものが増えるにつれてそれぞれの領分は細分化され、規則は複雑になります。そうなると、ともすれば官僚たちは『自分の仕事をこれまで通り片付けばそれでいい』という事なかれ主義に走りがちで、新たな地域の開拓などやりたがらないでしょう」

「とはいえ皇帝と貴族の力関係を考えれば、貴族に領地をそのままくれてやるわけにもいかない。だから僕のような門外漢に頼らざるを得なかったということか」


 繁文縟礼はんぶんじょくれいという言葉がある。

 管理を容易にするために多くの規則や法令を定めた結果、かえって柔軟性を欠いた仕組みができあがるという意味だ。

 大企業病、お役所仕事といってもいいが、最近の帝国はまさにこの種の病理に蝕まれていた。


「まったく、貴族になったと思ったらこの有り様か。辺境の地を押し付けられたと思えば、今度は帝国の命運まで背負い込む羽目になろうとは」

「ヘンリク様の身体に『聖なる血』が流れているからこそででしょう」

「皇帝は、僕の血は帝国を混乱させるだろうといっていたが」

「今の状況ではそうなるでしょうね。しかし幸いと言っていいのか分かりませんが、陛下の嫡子のうち二人は流行り病ですでにお亡くなりに。残るお一人は芸事に入れ込んでおられ、政治には関心がありません。『私と同じ道をたどることのないように』――皇帝陛下がそのようにおっしゃったのであれば、いずれ陛下はヘンリク様に帝国をお任せになるつもりやもしれません」


 なるほど、あの言葉はそういうことか。

 「貴種とは何か」などという唐突な質問も、そのことを考えれば道理は通る。


「つまりこういうことか。僕がアストラを穀倉地帯として開発することに成功すれば、その食糧は帝都へと送られる。高止まりしていた穀物の価格は下がり、民心は僕に集まる。貴族たちの反対は『聖なる血』を理由にして受け流せると」

「皇帝陛下がそのように考えておられても不思議ではありません」

「しかし僕は下賤げせんの出だぞ。皇帝なんて――」

「貴族が元は成り上がりなら、皇帝とて同じこと。皇帝が世襲で決まるなどというのは元はといえばアウグストゥスの『聖なる血』のせいです。それを即位の根拠にするなら、いずれヘンリク様が即位されることがあってもなんら不思議ではありません」


 実際ティベリウスがどこまで本気であるのかは定かではない。

 だがもし僕が危険だと本気で考えているのであれば、今よりもっと直接的な態度をとっているだろう。


 そう考えれば彼が宮廷で見せたあの奇妙な態度は、僕が統治者として適任であるのか試そうとしていたゆえのものだったのかもしれない。

 そうだとすると、僕はそのとき彼の目にどう映ったのだろうか。





 翌日、僕たちはシラクサ商会の前でティグリナと落ちあった。

 僕に連れ立って歩くオフィーリアを見たティグリナは、怪訝な顔でこちらを見つめてきた。


「お前、ついに女の奴隷を買ったのか。まだ子どもだろうになんてやつだ」

「キミの想像してるとは違うからな?」

「……冗談だよ、冗談」


 冗談とはいうが、ティグリナの目は笑っていないように見える。やれやれ、後で誤解を解かなくてはならないようだ。

 十かそれより少し上の見た目の少女が大人顔負けの洞察力を持っているなど想像もつかないのだろう。

 そういえば、クルシカの時にも似たようなことがあったな。しかし僕の見る限り、オフィーリアの狡知はクルシカのそれを遥かに上回るようだ。

 彼女の知性は教育の賜物たまものというよりむしろ天性の才能という感じがするし、それに彼女からは、クルシカにみられたようなひたすら前へと突っ走る危なっかしさというものが一切感じられない。


「まあいい、とにかく中に入ろう。商会主が待ってる」


 そういってティグリナは、僕を中へと案内した。


「おいヴァン、いるかって……相変わらず汚えなあ、人を呼ぶから整理しとけって言っただろう。もう来てんだぞ」


 案内された執務室の中は雑然としていた。

 壁には地図や設計図が所狭しと貼り付けられ、床には財務資料や試作品らしきガラクタが散らばって足の踏み場もない。


 ……奥でなにやらガサコソしているのが商会の主だろうか。

 ティグリナの言葉に、彼は振り向いた。


「ああ、ごめんよ。……はっ、すみません。今すぐ片付けますんで」


 振り返った商館主は優男という感じの風貌。

 頭は回りそうだったが頼りない印象を受けた。


 僕はティグリナの首根っこを掴んで耳打ちした。


「おい、この男で本当に大丈夫なのか」

「すまんすまん、だがこの手の仕事については帝都で一番詳しいやつなんだ」


 彼はとりあえず二つの長椅子と机の上に置かれた書類を片付ける。

 正直帰りたい気持ちが強かったが、先に話をしてもらうよう頼んだのはこちらだ。


 ティグリナの手前、ここで帰るわけにもいかない。

 僕たちはそれぞれ椅子に座って、お互いに向かい合った。


「はじめまして。僕はシラクサ商会の商会長をしているヴァンです。ええと、そちらはヘンリク伯爵閣下と――」

「僕の従者であるオフィーリアだ」


 オフィーリアは座ったままペコリとお辞儀をした。

 ここで自ら言葉を発さず、でしゃばらない所こそ彼女がクルシカとは違うところだ。


「ところで本題に入る前に。少し質問をしてもよろしいですか?」

「もちろん。なんでしょう?」

「貴方はずいぶんお若いようだが、商売の経験はいかほどおありなのです?」


 見た目十六の僕が言えたことではないが、ヴァンはとても熟練の商人というふうには見えない。

 領主として取引をしに来ている以上、安易な気持ちで商談に臨まれては困るのだ。


 アステラでマリンシードを栽培して売ることができるなら、村の重要な産業になるのだから。


「僕は昨年、父からこの仕事を引き継いだのです」

「昨年ですか。それまではなんの仕事を?」

「帝国軍の技術将校をしていました。僕も本当は父の仕事を間近で見て学びたかったのですが、父に軍に入るよう言われまして」


 なるほど、元軍人か。であれば最低限信頼はできそうだ。


「技術将校というと、兵器開発などを行っていたとか」

「いろいろです。そういう部署もありますが、僕が務めていたのは服の調達に関する部署でした」

「服?」

「兵士の肌に最も長く触れるものが服ですから、肌触りや通気性、断熱性などいろいろな点に気を使わなければならないでしょう。軍では兵士の服に適した素材や加工方法を研究するために働いていました。ティグリナと知り合ったのもその時です」


 なるほど、服について詳しいと。

 服について詳しいということは、繊維や染色についてもある程度知識はあるということだ。


 そうであればマリンシードについての話をしても問題はないだろう。


「それを聞いて安心しました。では早速、商談の内容に入っていきましょうか」

「お願いします」

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