第4話 草の根運動

「それで、大見得を切ったはいいんだが……」


 荷役用の牛が原木を運ぶ牧歌的な風景を眺めながら切り株に座ってつぶやく。

 そんなことで暇をつぶしていると、隣に立っていたクルシカが煽ってきた。


「あら、先ほどあのような心温まる言葉を申されましたのに、もう自信を失われたのですか?」

「そんなわけないやい! ……全くキミは、僕に惚れたんじゃないのかよ」

「それはもちろんお慕いいたしております。ですがただ甘やかし続けることが貴族の妻として賢明なこととは限りませんでしょう?」


 それにはまったく異論の余地はない。言い返しようもない正論に、僕はがっくりと肩を落とす。


「もちろん策はあるよ。農作をすればいいんだ、結局」


 肥沃な黒色土壌チェルノーゼムはそれ自体が一つの資産だ。この世界ではその真の価値をまだ誰も知らないが、天下に知れ渡れば人々はこの土地を羨望の眼差しで見つめるだろう。


 イチから農作を進めるというのはたしかに困難な仕事ではあるが、幸いにもヘンリクには初めから多くの支援がある。とりわけクルシカの実家であるミヤセン家の投資は大きい。


 ミレイ卿がこの地によこしてくれた領民と多くの人夫じんぷは、労働力不足になりがちな初期の村作りにとって大きな助けとなる。


 それでも、だ。


「何か問題があるのですか?」

「問題は農作が安定するまでのツナギの食料だよ」


 たとえどんな階級であろうと、食べずに生きていける人間などいない。

 そして飢えの苦しみや怒りは、もっとも強い絆や信仰、信頼関係さえ破壊する。


 だからこそ領地を持つすべての貴族が絶対に防ぎたがるのが飢饉なのだ。


「食料は十分あるように思いますが……」


 そう言ってクルシカは食料の積まれた台車の車列を見やる。

 確かに見た目の上は多く見えるが、それではダメなのだ。


「あれではダメだ。あの車列には三十人が一ヶ月暮らせる量の食料しか載っていない」

「あれだけあって、それだけしか保たないのですか」

「だからこそ早く他に食料を得る方法を用意しなければならないんだ。それにたとえ農作が軌道に乗ったとしても、それにばかり頼ってもいられない」


 人類と穀物の間には長い歴史があり、記録によれば少なくとも十万年前には食べられていたという。しかしそれらが栽培され始めて『農業』になったのはわずか二万年前のことだ。なぜか?


 簡単だ。多くの人の考えに反して、食料を得る手段として農業は非常に効率の悪い手法だからだ。


 そもそも前提として、農作物の世話をするためには大量の人が必要だ。また栽培には長い期間がかかる。

 加えて化学肥料も品種改良もないこの時代、麦の収穫量は悲しくなるほど少ない。


 もちろんこの恵まれた土地であればそれらの懸念はある程度解消されるだろう。

 だがそれでも災害や凶作によって食糧不足に陥る懸念は拭えない。


「では、採集ですか?」

「そうなるんだけどなあ……」


 採集はそもそも何が食えるのか分からない、というのが問題だ。


 帝都周辺の植生についてなら多少の覚えはあるが、帝都から馬車で北に二月ふたつきというこのアストラの大地ではこれまで得た知識は全く役に立たない。

 もし毒のある果実や草、毒キノコなどに当たれば現状治療は不可能だ。


「立ち上げて間もない村で、食中毒のリスクは犯せない。そうなると――」

「とりあえず、周囲を探索されてはいかがでしょう? 良い漁場や狩場が見つかるかも知れませんし」

「そうだな、そうするか」


 まずはそれぞれの大まかな地形を把握しよう。

 本格的な家々を作るにしても、まず周囲の地形を把握しないことには始まらない。


 そう思って僕は重い腰を上げた。

 何人かの腕に覚えがある若い男衆を引き連れて、周囲の探索に出ることにした。



 ◆



「……よし、これで大まかな地図が出来たな」


 一日かけて探索を終え、拠点に帰ってくるころには仮拠点の建設が既に終わっていた。


 陽も暮れてみながそれぞれのテントに帰る中、僕は一人天幕の下で羊皮紙に地図を書きあらわしていた。


 アストラ辺境伯の中心部――仮拠点が設営された場所はいわゆる楯状地たてじょうちで、拠点を中心になだらかな丘が広がる地形になっている。

 北には建材に適した樹木が生育する森林地帯、東には幅百メートル程度の川が流れている。


 都市を建設するにはピッタリの場所だ。


「これはいわゆる巨大河きょだいがというやつか、帝都との航路が開拓できるなら生活必需品の輸入も可能になるが……」


 拠点の西側は農耕に適した開けた草原が主で、中心部の周辺には連なる山はほとんどない。


 ただし唯一拠点からも見える孤立した山が、川を超えた東側にある。

 探ってみたところ山のあちこちに酸化鉄が露出して存在していた。


 拠点周辺の土地が楯状地たてじょうちであることも鑑みるに、安定陸塊にありがちな鉄の鉱脈が存在しているのだろう。


 将来的には周辺で鉱山が開発できるに違いない。


「近くに露天掘りできる鉄鉱山があるのは良いニュースだけど、今はそれどころじゃないんだよな……」


 今は食えない鉄より食える食料である。

 しかしこの立地でどのような食料が期待できるのだろうか悩む。


 採集と農作を除くと、現時点で有望な食料の調達方法は二つに絞られる。


 一つは拠点のすぐ東側を流れる巨大河での漁労、もう一つは北の森林地帯を根城とする動物の狩猟だ。


 しかしどちらにも特有の問題がある。


「あの、伯爵さま」

「ん?」


 振り向くと、そこには自分の腰ぐらいの背丈の女の子がいた。そういえば、少女を見たことがある。昼間、河から水くみをして拠点に運んでいた子だ。だが名前が出てこない。


「君の名前は?」

「エトっていいます」

「そうか。エトはどうしてここに?」

「食べ物を探しているんですよね? 私、ミヤセン様の土地に住んでいたとき、舟を編む仕事をしていました。それで伯爵様にお伝えしたいことがあるんです」


 この世界に子どもの権利条約なんてない。

 昔の地球と同じで、子どもも立派な労働力だ。


 しかも帝国全体の人手不足が、それに拍車をかけている。


「舟を編む――っていうと?」

「私たちが昔いた土地では、植物の葉を使った舟をつくって木の舟の代わりにするんです。エトは昔、その舟を編む仕事をしていました」

「なるほどね。どうして僕が食べ物を探しているって分かったの?」

「クルシカ様が伯爵様が悩んでいるって話してくれたんです。それで私、みんなに聞きました。食べ物を集める手段を考えたんです」


 クルシカの入れ知恵か。問題を共有して良い解決策を募るとは、彼女はやはり頭が回るな。


「そうか、それで何か閃いたのかい?」

「はい。今日河から水をここまで運んでくる最中、河の近くにそれによく似た植物を見つけました」


 昼の記憶を掘り返して思い出す。たしかにヨシに似た植物の群生地があった。


「君はそれで舟を作れる?」

「小舟ですけど、出来ます。一緒に河べりに行った子は、漁網に使う植物の木を見つけたって言ってました」


 河べりに生えていて、漁網に使われる植物――ヤナギか!


「明日、その場所にみんなを案内してくれるかい? それを使えば魚を獲ることができるかもしれない」

「はい! じゃあ、おやすみなさい!」


 漁労の欠点は大掛かりな道具が必要なことだ。だが舟と網の両方が揃うなら、十分に効率的な漁業が行える。

 この巨大河には一体どんな魚がいるのだろうか。



 ◆



 エトが天幕を飛び出すのとちょうど入れ替わるように、クルシカが中に入ってきた。


「クルシカ、聞いてたのか。入ってくればよかったのに」

「一度に入ってきたら騒がしいでしょう。それにわたくし子どもは苦手なのです」

「意外だね。君はそういうのは好きそうだと思っていたんだけど」

「意外にもそうではありませんね」


 クルシカはそう言い、机を挟んで向かい側に立つ。

 そうして机の上に広げられた地図をじっと見つめて言った。


「これが周辺の地図ですか。今日一日かけてこれを?」

「ああ、そうだよ。それから、漁労の目処もたったんだ。明日エトという子に案内してもらって、ヨシから舟を、ヤナギの木から網をそれぞれ作ってもらうよう皆に頼むつもりだよ」


 その話を聞いたクルシカは心中複雑そうに強い口調で意見した。


「ヘンリク様、一つだけ忠告しておきますわ。アナタはもはや冒険者ではありません。帝国の貴族、それも辺境伯です。この地にいる他の平民とは階級が違います。もちろん今は村の立ち上げ期、協力するなとは申しません。しかし相手が子どもであろうが大人であろうが、自らが人々を指導する立場であることをお忘れなきよう」

「わかった、それは理解したよ」

「問題があれば今日のようにまず私に相談くださいませ。一人で抱え込むのもよくありませんし、そのために私がいるのですから」


 冒険者の世界でも馴れ合いは禁物だ。

 集団で仕事を請け負う時には常に報酬の分配と行動中の指揮系統には気を遣う。

 仲が良かった冒険者たちが、報酬の分配が不公平だと不満を漏らして絶縁状態になった例も少なくないのだ。

 それはパーティーの中で誰がリーダーとして動くかが重要ということでもある。


 もっともその調整が面倒だったために、僕は単身で依頼を請け負うことが多かったのだが……


「そういえばクルシカ、キミに一つ聞いていいか?」

「何でしょう」

「どうして僕と結婚する気になったんだい」

「それは以前、ヘンリク様の前で直接申し上げたではありませんか」

「それはそうだけどさ。でも、命を救われたぐらいで人を好きになるものかなって」

「私のこれまで読んだロマンスでは、最終的にはみなそうなっていましたけど」


 その言葉には思わず苦笑した。


「そりゃあロマンスならそうかもしれないけど。でも帝国有数の大貴族の子女が、いちいちそんなことで他人に心動かされるものなのかなって思ったんだよ」

「それはヘンリク様がこれまで冒険者として生きてこられたゆえの言葉ですか」

「まあ、そんなもんかな」


 実際、そこにはなにか根拠があるわけではなかった。


 あえて言うなら『いかなる時も他人を信頼するな』という冒険者の職業病だった。


「ヘンリク様は私のお父様のことはご存知ですか」

「生憎そこまでは」

「お父様は先の戦争で亡くなったのです。もう十年も前のことですが」

「それは――」


 こちらがどうにか言葉をひねり出そうとするのを、クルシカは静止した。


「慰めは不要です。勝ち敗けは兵家の常、戦いに挑むのですから死ぬこともあります。――でも実際に身内が死ぬまでそんな事が起こるとは信じたくないものです。お母様もそうでした」

「君のお父様が死んだという報せを受け取ったとき、君のお母様は?」

「何も」

「何も?」

「何も、です。震える素振りさえ見せませんでした。貴種たるもの、下々の民の模範とならなければならない。私は教育係にそう言い聞かされて育ちました。そのためには自分の感情を押さえつけなければならないとも。お母様もそうだったのでしょう。他の者を不安がらせてはいけないというお母様なりの気遣いだったのです」


 軍を率いる将軍、船を操る船長はどんなときでも平静を保っていなければならない、なんて言葉があったのを思い出した。

 つまるところ貴族もそういう生き物なのかもしれない。


「でも、私は知っています。お母様がずっと後悔していることを。お父様に最後に会った時、いつものように戦いに送り出したことを。最後に言えなかった言葉――必ず生きて帰ってきてねと言いたかったのです、それがお母様の望みの全てでした。ですがもはや永遠に叶いません。私はお母様のように後悔したくないのです」

「死ねば永遠に叶わない。だから僕との結婚を躊躇わなかったのか」

「それが今の私の全てですから」


 やれやれ、クルシカは芯の強い女性だ。意志を貫く性格は母親を反面教師にして生まれたものなのだろう。


 スラムの路地裏という人助けを求めるには最も不向きな場所で誰かに命を救われたことを知った時、彼女は何を思ったのだろうか。

 おそらくいたく感動したに違いない。


 それにしても、クルシカはとことん貴族の子女に向いていない性格をしている。

 ひょっとしたらミレイ卿にも、それが分かっていたのかもしれないな。


 そうでなければいくら貴族として自家の勢力を広げる好機だといえ、あれほど溺愛している愛孫をポッと出の男へと譲り渡すわけがない。

 この結婚自体、クルシカを陰謀渦巻く帝都の宮廷政治から引き剥がすための一つの計算だったのだろう。

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