第34話 貴種の悩み

 宮殿内に広く設けられた浴室には五十人ほどは入れそうで、湯船だけで六列の二五メートルプールほどの広さがある。

 いかにも身体に良さそうな、いい香りのする緑色の薬湯に浸かりながら、僕は思わず眠りそうになってしまう。


 とはいえ、身体は休めても気は休まらないわけで……

 湯船に浸かりながら、僕は従者を呼び出して今後の課題とその解決策について速記させていた。



 ◆



 今のところ、僕たちが早急に取り掛からなければならない課題は四つある。



 第一に、脆弱な権力基盤を安定させることだ。

 現在のところ僕は聖教会と元老院からの支持を得ているが、シュトラウスが言っていたようにこれは時間稼ぎにしかならない。

 政治的空白をきらって即位を優先させたために、いまだ主要な大貴族五家のうち四家の支持を得られていないのである。


 これの何が問題かといえば、年明けの徴税に支障をきたす可能性があるのだ。

 帝国において、都市部の人口は総人口のわずか五%にも満たない。人口の大部分を占める地方部からの徴税は地方貴族への委任によって賄われている。

 彼らの支持を得なければ本年度の地方部の税収はほとんど期待できなくなるだろう。それは国庫の窮乏を意味する。


 そこで、陸軍への売官制度の導入によって彼らを懐柔することを試みよう。

 これはもともと行おうと考えていた軍制改革の一環だ。


 帝国軍の動員兵力は西方諸国の中では飛び抜けて高いが、その内情はお寒い。

 とりわけ人手不足は深刻で、貴族階級に偏重した縁故主義と資金不足が状況をより複雑なものにしている。

 歴史的に見て、これを解決する手段は一つしかない。売官制度の整備だ。

 軍隊内の位階を金で売買する……言葉の響きは悪いが、これほどまでに状況にピッタリ合った施策もない。

 皇帝にとっては財政支出の増大を防ぎながら位階を売却した資金で軍を増強できるし、貴族たちにとっては皇帝の権力を減らすまたとない機会になる。

 また金さえあればポストを手に入れることができる環境は、長期的には実力主義の風潮を高めることにもつながるだろう。


 また、売官制度には副次的な効果もある。将来的に貴族たちの軍隊徴集権を廃止する道へとつながるのだ。

 知っての通り、帝国には中央政府の指揮下にある帝国軍と地方貴族の私兵である貴族徴集軍という二つの軍隊がある。

 これはいかにも非効率的な軍制だ。しかも一つの国に軍隊という暴力装置が二つ以上あることは、権力の安定という観点からも望ましくない。

 この不合理も、貴族たちに言わせれば皇帝権に対抗するため必要な致し方ない犠牲だ。帝国軍が今のように皇帝の意図を汲む機関である限り、貴族たちは皇帝に対抗するため自分たちの徴集権を手放そうとはしないだろう。

 だが逆に帝国軍に貴族たちの意志が強く反映されるなら、徴集権は無用の長物になる。適切な段階を踏んで権限の移譲を行えば、彼らから徴集権を取り上げることもできるかもしれない。



 第二に、道半ばであるアストラの開発に投資することだ。

 あまりにも急に皇帝位が転がり込んできたものだから、僕たちはアストラの開発を半ばほっぽり出して帝都へと来てしまった。

 村の人口は急激に増えているとはいえ二百人弱、ヴィリアーニ族の再侵攻にも備えなければならない中、僕はこれから皇帝としての職務にも追われることになる。


 だがこれについては、悪いことばかりというわけでもない。

 農業の振興、鉄鉱石の採掘、化学工場の建設……やりたいことは山ほどあったが、それを同時にやるにはリソースが不足していた。

 しかし僕は今、皇帝としての権力を使って帝国全体の資源をアストラへと集中させることができる。


 それに自分の足元を固めておけば、いざというときにアストラの資金や資源を帝国の危機に自由に流用することも可能になる。

 とりわけ帝国の食糧価格はここ最近不安定で、次に凶作が起きれば不満は暴動へと発展しかねない。

 だからこそアストラを開発して巨大な食料庫に変えることは、穀物価格の安定を通して帝都の治安維持にも資するのだ。

 


 第三に、王国との戦争に決着をつけることだ。

 なぜティベリウスが王国との戦争を始めたのかは分からない。しかしこの戦争が今や大いなる過ちであることは明らかだ。

 当初の侵攻計画は王国側の奇策によって機能不全に陥り、戦況は泥沼化してアルカシアの介入を招いている。

 だからこそ王国に使節を派遣し、早急に和平交渉に取り掛からなければならない。


 だがこれは、口でいうよりはるかに難しいことだ。

 この世界にはまだ在外公館という概念がなく、そのため帝国と王国は互いに外交使節を常駐させていないし、互いに信頼関係も築けていない。

 外交とは平時の積み重ねであって、いざという時にいきなり大立ち回りをするのでは遅すぎるのだ。交渉は難航することが予想される。


 そして同時に、アルカシアに対して強力なメッセージを発信することも忘れてはならない。

 皇帝暗殺や贋金製造など、彼らが今回起こした陰謀は越えてはならない一線を大きく踏み越えている。

 それを知らせるため、僕たちは断固とした対応を取る必要がある。優柔不断な態度は外交的大惨事を招くだろう。

 とはいえ帝国にアルカシアと戦争をする余裕があるわけでもないから、これも強く出過ぎることはできない。



 第四に、混乱する国内経済を立て直し、為替相場を安定させることだ。

 贋金事件の余波で低迷する国内経済を立て直すには、同時に二つの施策を実行することが必要になる。

 早急に贋金の流通ルートを特定してアルカシアの密造拠点を制圧し、次に新金貨の発行によって混乱する市場を落ち着かせなければならない。


 前者については、残念ながら帝国には全国的な警察機構が存在しない。都市部の犯罪は都市の自警団、地方部の犯罪は貴族の従士団がそれぞれ取り締まりを行っている。当然ながら、これらの組織に複数の地域にまたがる広域犯罪を捜査する能力はない。

 そこで今回の事件を奇貨として、元老院に国家警察の設置を認めさせる。イメージしているのはアメリカの連邦捜査局(FBI)のような組織だ。

 従来このような捜査を代替してきたのは僕たち――貴族に雇われた冒険者であり、したがって今後しばらくは登用した元冒険者が組織の中心になるだろう。


 後者については、今回贋金の発見が遅れたのは市場の監視を民間の両替商に任せていたことも原因の一つだ。

 通貨防衛において対応が後手に回ることはすなわち敗北を意味する。

 貴族はともかく、商人には皇帝の権勢も通用しないからだ。

 そこで中央銀行を作り、市中の通貨流通を監視させることにしよう。


 まとめると、これからやらなければならないことは……


 ①陸軍売官制度の施行

 ②アストラへの資源傾斜配分の設定

 ③王国への和平使節団の派遣

 ④アルカシアへの報復措置の実施

 ④広域事件を捜査する国家警察の組織

 ⑥市場の動向を監視する中央銀行の設置


 まあ、今考えつくものとしてはこんなところだろう。

 僕の手元にいる人材――クルシカ、シュトラウス、ティグリナ、オフィーリア、サイピアをどう使うかも悩みどころだ。

 既に人が埋まっている中央政界にねじ込むわけにもいかないから、新設の部署に彼らをねじ込んで影響力を行使するのが一番丸く回るのかな。



 ◆



 で、だ。


「――ヘンリク様? なぜ叱られているのかおわかりですか?」

「休養日なのに仕事をしていたからです……」


 浴場から出たあとも従者相手に仕事を続けていたのがよくなかった。

 これは仕事ではなく息抜きだと弁解しようとしたのだが、それが逆にクルシカを怒らせてしまったようだ。


 クルシカは大きなため息を吐く。


「どうしてそこまでして働きたがるのです? ――いえ、別に怠けるのがいいと言っているわけではありませんが」

「いやあ、どうもなにかしていないと落ち着かなくて」

「……でも、疲れているのですよね?」

「疲れてるんだけど、なんだかやる気が湧いてきちゃって! ほら、風呂に入るといいアイデアが思いつくんだよ」

「……ヘンリク様、少し頭をこちらに向けて下さい」

「え、何? いいけど何をするのって――アイテテテテ!」


 両手の握りこぶしで頭をグリグリとされた。痛い。


「何度申し上げれば分かるのですか! そのような状態で公務を務められても、周りが迷惑するだけです! 休みの日には休んで下さい!」

「申し訳ない……」


 耳の痛い正論に、さすがにションボリとするほかない。


 思えばソロで活動していた冒険者時代は気楽だった。

 何をするにしてもしないにしても、責任は自分ひとりが背負えばいい。

 やることもシンプルだ。敵をやっつけて報酬をもらい、メシを食っては飲んで寝る。

 名誉とか金とかを求めていたのではなくとも、そこにはたしかに大いなる自由があった。


 それに比べて今は……まあ、これが貴種ってやつだものなあ。

 しかも帝国の皇帝ときた。


 こんな事をいうとクルシカには怒られるかもしれないが、周囲の情勢が安定したらさっさと皇帝位なんて降りたいものだ。

 前から思っていたが、どうもこういう責任ある立場はダメだ。使命感があるわけでもないし、僕にトップは向かない。


 せいぜいアストラ一領を預かって統治するぐらいが、僕の器というものなのだから。




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アストラ辺境伯領経営日記 ~現代日本から転生した冒険者は、未開の荒野で豊かな領地を作りたい~ MITA @mitani

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