第2話 望まぬ爵位

「なんだ、不満か?」


 ミレイ卿の笑顔に、僕は言いようのない圧を感じた。


 そりゃあ不満なワケはない。

 この世界に来た当初ならば両手を挙げて喜んだかもしれない、


 だけども、あまりに都合が良すぎるではないか。

 平民に貴族が頭を垂れて謝るだけでも一大事なのに、そのうえ婚姻だって?

 とても脳が追いつく話ではなかった。


「お祖父様、ヘンリク様が固まっておられます。一つ一つ説明していかないと」

「む、そうか。そうかもしれんな」

「私がヘンリク様に説明いたしますわ」


 ここだけ見るとミレイ卿はただの好好爺こうこうやにも思える。

 注意されても怒るどころか参ったと笑みを浮かべる余裕すら見せている。


 だが僕は知っている。貴族は貴族という生き物なのだ。

 平民の理屈で推し量ってはいけない。


「まず先日の件に付いてもう一度お礼を申し上げておきます。貴方に助けていただかなければ、私はとうに死んでいたでしょうから」

「は、はい」

「それで、教会で執り行われた神聖術式ですが――失敗したのです」

「なるほど、失敗……失敗!?」


 神聖魔法は聖職者が扱う特殊な魔法だ。死者を蘇生させることこそ出来ないが、十分に血肉が足りてさえいればどんな治癒困難な病でも治すことができるはずだ。

 それが失敗とはどういうわけだろうか。


「はい、失敗です。その証に、これを」


 彼女は服をずらして、白い柔肌をちらりと見せた。ミレイ卿が焦った声で言う。


「お、おい、クルシカや」

「お祖父様は黙っていてくださいまし。どうせ夫となる身の上、隠すことにどれだけの意味がありましょうか」

「しかし、まだそうなると決まったわけでもないのだから……」

「乙女の柔肌をお見せした時点でヘンリク様をこの屋敷から返す気はございません。それに二度はお伝えしませんわ、お祖父様?」


 何やら不穏な単語が聞こえた気がした。

 突っ込んでも仕方のないことは無視に限る。


 それにしてもミレイ卿は、クルシカの言葉に縮こまってしまっていた。これが先程まで畏怖していた彼と同一人物だというのだろうか。

 あるいは、先程の憶測はあながち間違いでもなかったのかもしれない。確か唯一の孫娘ともいっていたし、そうに違いない。ミレイ卿は孫娘に弱いのだ。


「さあヘンリク様、どうぞ」

「は、はあ。では失礼して」


 僕は促されるままにクルシカの肌をまじまじと見つめた。祖父の血は争えないのか、このもずいぶん剛毅な性格をしているようだ。


 こういうのをおてんばむすめというのだろうか、独りでスラムの路地裏をウロツいていたというのも納得してしまう。


 彼女の腹部に注目すると、言われてみれば確かに傷跡が残っているように見える。

 またその位置は、先日路地裏で刺されていた場所と全く同じ場所に思えた。


「これは……傷跡ですか? またどうして?」

「司祭様も不思議がっておられました。なぜ傷跡が残ったのかと。帝都の司祭様はこの地で何十年もお勤めされておりますが、このような事例は今までに見たことがないとのことです」


 そういってクルシカは服の位置をもとに戻した。


 ところで今の話を聞いて、僕には一つ心当たりがあった。


「私が思うに、血を止めた処置のせいかもしれません」

「処置?」

「大量に血が出ていたので、クルシカ様がお召しになっていたローブの裏張りを割いて傷口に詰め込みました。その時に何か……神聖術にとって不都合なことが起きたのかも」

「ふむ、そうでしたか。しかし仮にその処置のせいであったとしても、その処置がなければ私はこの世を去っていたのでしょう?」

「あくまで、可能性ですが」

「後で聞いた話によれば、貴方に教会に運び込まれた時、私は生と死の境目をさまよっている状態でした。私を助けるためにかなり多くの血を使ったそうです。であれば、貴方がその処置を執り行わなければ私は今ここにいなかったと考えるのが自然でしょう」

「そうかもしれません」

「そうであれば、この傷は避けられないものであったと思いませんか?」


 そう言って、クルシカはこちらに目配せしてくる。


 なるほど、ミレイ卿は孫娘が傷物になったとこの件を不満に思っていたのかもしれない。そこで助け舟を出してくれたのが彼女なのだろう。


 なら、ここは彼女に乗っておくことにしよう。


「おっしゃる通りです」

「――ですわよ、お祖父様?」

「うむ……」


 こちらに対する怒りというのではないが、苦々しい表情を見せているのはミレイ卿だ。


 先程は突拍子もない提案に驚いたが、突然結婚と言い出したのもその件に絡んでいるのかも知れない。


「ですが一つ問題が起きました。フォルシン様とのことで」

「フォルシン様?」

「はい、私とフォルシン様との間では十の頃に婚姻の約束を結んでいたのです」


 やはりそういうことだったかと得心した。


 帝国の貴族は願掛けの類を異常に気にする。嫁入り前に傷物になった娘は、それがたといどんな家柄の娘であろうとお断りということなのだろう。


 つまりクルシカは、フォルシンという貴族の男に捨てられたのだ。


「この傷は私の不始末が原因、今更泣き言など申すつもりは毛頭ございません。けれども我がミヤセン家の名誉にかけて、相手がいないからと私がどこの馬の骨とも知れぬ相手と結婚すればそれもまた問題です」

「なるほど。しかし……」

「なんでしょう」

「私はイチ平民にすぎませんよ。それも使い走りをやっている冒険者です」

「もちろん、存じております」

「であれば、どうして」

「それは……」


 その問いを投げかけられたクルシカは急にしおらしくなったかと思うと、うつむき加減で黙りこくってしまった。


 今まで黙っていたミレイ卿が横から口を挟んだ。


「それについてはワシが代弁してやろう。要はな、クルシカはお前に惚れてしまったのだよ」

「は?」

「お祖父様!」

「どうせ夫となる身の上なのだろう? ならば今話しておいた方が良いではないか」

「それは、そうですけど……」


 今やミレイ卿とクルシカの立場は逆転していた。

 惚れたという言葉に頬を赤らめる彼女を見る限り、その言葉は嘘ではないらしい。


「見ての通り、クルシカは昔から勝ち気な娘でな。普通の女子おなごが好むような御伽噺おとぎばなしより、むしろ詩人の語る冒険譚のほうに興味を持つ娘だったのだ。――確かヘンリクといったな、お前を主人公にした冒険の詩歌も楽しそうに聞いていたよ」


 多少有名になった頃に吟遊詩人が詩歌にしたのは聞いていたが、まさかそれが貴族の耳に入っているとは。


「本当ですか」

「ああ。どうにか矯正しようとしたが、無駄だった。そのうち好奇心が高じて屋敷を抜け出すようになってな。止められなかった私たちも悪かったのだが、その結果はお前のよく知るところだ」


 つまるところ、冒険への憧れが高じてスラムをウロついていたということか。

 なんと無謀な。


「しかし、憧れがゆえに私に恋心を抱かれているのでしたら、それは――」

「人間の深層を知らぬということだろう。もちろんワシもそれを危惧していた。だから一度は止めたのだ」


 そこでクルシカが我慢できずに口を挟んできた。


「私、そんな不純な動機でヘンリク様を好いておるのではありません!」

「ク、クルシカ様」

「様、はおやめになって。……半年前に路地裏であの悪漢に腹を刺された時、私はここで死ぬのだなと思いました。現実と物語を混同し、現実を甘く見た罰だと。この屋敷とは違って、スラムでは誰も私のことを守ってなどくれない。最後に考えたことは冷たい石畳の上ではなく、フカフカのベッドの上で眠るように死にたかったということだけでした」


 クルシカはまくしたてるように言う。


「スラムとはそういうものですから」

「でも貴方は違った。あのとき路地裏で私が死にかけていたことに気づいていた人は、実は貴方のほかにもいたのかもしれません。でも今私がここにいるのは、紛れもなく貴方のおかげです。己の善行に対する報いも期待できないのに、悪漢を撃退するばかりでなく私の命をも救ってくれたのですから」


 僕は赤面した。そこまで言われると流石に悪い気はしなかった。

 ミレイ卿がオホンと一つ咳をして話を戻す。


「――というわけで譲らんのよ。ワシも思うところがないわけではないが、可愛い孫の頼みだ。できるだけ尊重してやりたい。それでお前に頼みがある」

「なんでしょうか」

「お主、帝国の爵位に興味はないか?」

「爵位、ですか」


 要は貴族の地位に興味がないかということだろう。


 ……待てよ、更なる面倒事に巻き込まれている予感がする。


「しかし私は卑しい身分の生まれです。貴種に値するとはとてもとても」

「そう謙遜しなくともよい。お前の武功が決して低いものでないことは聞き及んでおる。何を隠そう、ミヤセン家も征服戦争を通じてその地位を高めたのだ。最近では戦いもないから成り上がり者も少ないが、なに、全ての貴種はモトは成り上がりよ」

「なるほど……」


 なにが「なるほど」だ! 僕は心のなかで自分を叱った。

 しかしこれ以上卿の好意を断れば逆に失礼にあたるだろう。


「なにより我が孫クルシカを嫁に向かわせるのであれば尚更のことであろう。貴種であればどのような低格でも申し分は立つが、流石に平民だと世間体が悪いではないか、お互いにな?」

「それは……たしかにそうですね」

「それら委細の事柄を、先日皇帝陛下に上奏した次第だ。陛下は二つ返事で了承してくださった」


 ちょっと待て! 帝国皇帝に奏上? 

 既に結婚は決定事項なのだろうか、内堀が埋められていたことに愕然とした。


「へ、陛下に?」

「悪く思うな。我が家は皇帝陛下とねんごろの身、婚姻を含めた重大事じゅうだいじを決めるには話を通さねばならん。それでお主に爵位を授けることも決まった」

「それで、どのような?」


 すでに話は決まっていて、自分は蚊帳の外だったことに憮然とする気持ちがないわけではない。

 けれども同時に、それほどまで評価されていることは決して気分の悪いものでもなかった。


 なにより騎士に叙されるのであれば箔もつくし、国家からの給金も出る。これまでのように自由気ままな冒険者稼業はできなくなるだろうが、その点は致し方ない。


「うむ、アストラ辺境伯だ。どうだ、素晴らしいだろう。辺境伯の創家など、めったにないことだぞ?」


 へ、辺境伯? 辺境伯って、辺境伯か。僕は思わず自分の耳を疑った。


 皇帝から直々に帝都から遠く離れた広大な土地の防衛と支配を任され、小国の君主と同等の権力を有するという、あの? 


 平民にそんな地位を与えるなんて一体何を考えているんだ、この爺さんは。


「恐れながら、アストラ辺境伯というのは――」

「新たに設けられた爵位ゆえ、お前が知らぬのも無理はあるまい。帝都より北に馬車で二月ふたつき、一面に荒野が広がる地だ。もとは陛下直轄の領地であったが、これまで管理の行き届いていない地であったゆえ、この度お前に下賜されることが決まったのだ。陛下はお前にその地の開拓を任せるとおっしゃった。できるな?」


 ハメられた! 笑顔が引きつるのが自分でもわかった。転んでもただでは起きない爺さんだ。自分の孫娘をダシにして、自分の手駒を増やそうとしているのだろう。


 全く貴族というやつはこれだから困る。しかしそれが分かったからといって、打開策が思いつくというわけでもない。


 窮鼠猫を噛むなんていうのは、ネコの噛み方を分かっているネズミにだけ当てはまる話だ。蛇に睨まれた蛙である僕は、ことの委細を説明するミレイ卿の話をじっと聞いているしかなかった。

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