第3話 黄金の大地

 帝国。それは大陸の西方に位置する覇権国家である。


 別名エウドキアとも呼ばれるが、たいていのものはそれを単に『帝国』と呼ぶ。

 多民族を包摂ほうせつし、西方世界全域をまたがる広大な版図はんとをもつ世界帝国だ。


 しかしそんな帝国にも近頃悩みがあった。

 国家財政が絶賛火の車、平たく言えばおカネがないのである。


 そしてその原因は明白であった。皇帝の手元に有り余るほどの直轄領があるのに、そのほとんどを開拓できていないからだ。開拓しようと思っても、皇帝に仕える官僚と軍に支払う給与だけで予算のほとんどを使い切ってしまう。かといって貴族にその土地を分配すれば、今度は彼らの増長を招きかねない。


 ここで賢明なる皇帝ティベリウスは考えた。「地域に住む有力者に爵位しゃくいを配り、そいつらに土地を開拓させればいいのでは? 皇帝は何もしなくても、そいつ等から税金を取りさえすればいいや」と。


 けだし妙案みょうあんというべきだろう。今や領地経営も下請けに出す時代である。


 ――ところでここに一人の転生者がいた。名はヘンリク。


 転生者の特権ゆえか生まれつき武芸の才があり、その才を生かして冒険者として活躍し一山財産を築いたまではよかった。


 ところがある日、良かれと思ってさる大貴族の娘を助けたのがマズかった。

 彼はいま、新たに彼のものとなった領民と人夫にんぷを引き連れて、辺り一面何も無い荒野に立ちつくしていた。





「なんでだああああああああああああ!?」


 到着した人夫にんぷたちが今日の寝床を作ろうと早速作業に取り掛かるなか、僕は髪をかきむしり頭を抱えて嘆く。


 そのあまりに無様な姿に、隣に立つ少女に無慈悲な口調でたしなめられた。


「諦めましょう、ヘンリク様。これが運命です。大人というものは汚いものなのです」

「汚いのは大人じゃなくてキミたち貴族だ!」

「あらヘンリク様、アナタも今や貴族ではありませんか」


 彼女の名はクルシカ。

 年は十六ぐらいで、僕と同じぐらい。一挙手一投足の育ちの良さから、傍目から見てもタダの平民ではないことが分かる。彼女は帝国の大貴族ミヤセン家の令嬢だ。


 そして今では、僕の正式な妻である。


「そもそもは、君を助けたのがケチの付け始めだったんだ」

「あら、今さらそんなことを仰るのですか? そんなことを言い出せば、ワタクシも助けてくれなど言った覚えは記憶にございませんわ」

「それは出血多量で意識がなかっただけだ! あのまま放置してたら間違いなく死んでいたのに、見捨てられるわけないだろう!」


 そういって口喧嘩を始める僕たち二人を、領民たちは遠くからまたか、という目で見ていた。帝都からの道中ずっと同じことを繰り返しているので、また痴話喧嘩をしているよ、ぐらいに思われているのだろう。


「――というかクルシカ、君はキャラが変わってないか? 屋敷にいた時はもう少しこう……深窓しんそうの令嬢というか、いや事実そうではあるのだろうが、もう少しおしとやかな女性であった気がするんだが」

「今更ですの? お祖父様の前では猫を被っているのです。あまり乱暴らんぼうな言葉遣いをするとそれとなくたしなめられますから」


 猫を被っているなんて自分で言うか。スラムに単身で乗り込んだだけあってお転婆なのは分かっていたが、悪い意味で退屈しなさそうな性格だ。


「とにかく一度、ここまでのことを整理いたしましょう」

「整理って言ったって、さっき馬車の中で散々やっただろ」

「では、それをもう一度繰り返してくださいまし」


 ええっと、と頭を捻り、先ほどした会話を思い出した。


「屋敷を抜け出し街に出かけていたキミは全くの好奇心から路地裏に入り、そこで運悪く暴漢に襲われた。刃物で腹を刺されて瀕死の重症を負ったところに僕が通りかかって、君を助けた」

「はい」

「傷が浅くて一命を取り留めたはよかったが、腹に傷跡が残ったせいで君の婚約は破談。どうしようかと困っていた君のお祖父さんにそそのかされて、僕は辺境を治める貴族になってしまった」

そそのか? 」


 発した言葉を並び立てて、クルシカは嘲笑ちょうしょうした。


「ヘンリク様もまんざらではない表情をしておられたようでしたが」

「その時は領地をもたない騎士身分に叙されるのかなとか考えてたの! まさか貴族というのが辺境伯で、しかもこんな辺境の地の開拓事業を押し付けられるなんて……」


 とほほ、と意気消沈する。


 アストラ辺境伯領は新設された爵位で、その土地はもともと皇帝の直轄領だ。

 この土地における大きな権限が与えられている反面、開拓に失敗しでもすればタダではすまないだろう。


 なんたって元は平民なのだ、現代風にいえば僕は雇われ社長のようなもので、失敗すればクビが飛ぶ。


 この世界では、下手をすれば物理的に。


「どうしてこうなった……」


 その様子を見たクルシカは落ち込んで、しおらしげな表情を浮かべた。

 こういうところは恋する乙女という感じで、思わずその表情にドキッとする。


「私と結婚するという栄誉を授かったのですから、逆に殿下には喜んでほしいぐらいですのに」

「まあ、それはたしかに嬉しいけど」


 これほどの美人にここまで言われると、なんだか自分が悪いような気分になってくる。……いや実際悪いのかもしれないな。


 気まずさをごまかすように、僕はポリポリと額を掻いた。


 確かに目の肥えた現代人の視点から見てもクルシカは美しい。顔だけじゃなく、スタイルだっていいのだ。加えて貴族の子女として高い教育を受けてもいる。だから彼女が自分を高く評価して居丈高いたけだかな態度を取るのも分からなくはない。


 それにたとえ腹に傷跡を持っていようとも、貴族の生まれでない平民出身の冒険者が大貴族の子女と結婚できるなんて逆玉、普通は天地がひっくり返ってもありえない話だ。面倒事を抱え込んだとはいえ、本来僕は感謝すべきなのだろう。


「……ヘンリク様は何か言いたげなことがお有りなようですが」

「僕はまだ若いし、いろんな女の子と遊びたいというか」


 その言葉に、クルシカから冷たい見下す視線が飛んで来る。

 それだけで人を殺せる、刺すような視線だ。


「……ゴメンナサイ」

「はあ。私も貴族に生まれた子女の身、殿方の事情も少しは理解しているつもりです。多少のお遊びはお止めしませんわ。それで、おっしゃりたいことはそれだけですの?」

「いや、あまりに話がウマすぎるというかね。君のお祖父さん、何か企んでない?」

「あら、が分かっていなかったわけではございませんのね」


 ふふん、とクルシカは先ほどとは打って変わって得意げになった。

 いや、なんでそこで君が誇らしげにするのさ。


「帝国の財政が火の車であるのは知っていらっしゃいますか? それで皇帝陛下が、各地の有力者に土地をどんどん分け与えていることも」

「それは知ってるよ、有名だし。というか、僕が貴族になったのもおそらくそういう経緯だろう」


 そうでなければ、どれほど有名であろうと一介の冒険者がいきなり高位の貴族に叙階されるわけがない。


「では、各地の有力者に分配する土地はもとは誰の土地ですか?」

「皇帝ティベリウスの直轄地だろう」

「その通りでございます。皇帝陛下の直轄地は、これまで他の貴族が喉から手が出るほど欲しくても手が出せなかった土地。その場所に手を出すことは皇帝に対する反逆行為を意味しますから。しかし今陛下は、自らその土地を差し出しておられます」


「ははあ、話が見えてきたぞ。つまり君たちは有力な冒険者を自分の手の届く子飼いの貴族にしながら、皇帝のもつ経済力を目減りさせて自分たちの支配に組み込もうとしてるわけか」

「そういうことでございます」


 まったく貴族というやつはつくづく奇妙な生き物である。

 自分の娘を政争の道具として使うのもそうだが、道具として使われた方もまた鼻高々としているのであるから。


「でも、だとすると妙だな」

「何でございましょう?」

「いや、それで土地を貰うなら、もうちょっとマシな土地があるんじゃないかなって。こんな未開拓の土地じゃなくて」

「既に発展している都市を他人に譲渡するなどということは、皇帝陛下もお認めになりませんから。しかし私はこの土地もあんがい悪くない土地だと思いますが」

「え?」

「下を見て分かりませんこと?」


 下? そう思って地面を見つめる。

 何があるわけでもない、辺り一面に同じように広がる、ただの黒い土だ。


 ……黒い土?


「ま、まさかこれって」


 膝から崩れ落ちて、土をかき分けた。

 石炭のように黒濃く滋味じみ深い色。粘土質で湿り気を含んでいて、腐った草のカスがところどころに見える。


 間違いない。


「ちぇ、チェルノーゼム!?」

「ちぇるの……? は分かりかねますが、この土地は一面良質な土壌に恵まれていますでしょう。この土地が将来有望だと、私どもの家で雇った探検家が祖父に伝えたそうです。必ずこの土地を陛下に下賜させるべきだと」


 チェルノーゼム。

 乾燥した草原地帯に広く分布する、腐植ふしょくに富んだ黒土を指してそう呼ぶ。

 主に氷河期の後に植物の残りカスが分解しでできたもので、地球で最も肥沃ひよくな土、『土の皇帝』とも呼ばれている。

 その肥沃さといえば、第二次大戦中にウクライナに侵攻してきたナチスが土を貨車で運び出そうとしたという逸話が残るほどだ。


 あんがい良い土地? どころの話ではない。

 この広大な土地には一面お宝が埋まっているようなものだ。


 ティベリウスは無知かバカであるに違いない。

 こんな有望な土地の開拓を、他人に投げてしまうだなんて。


「どうです、やる気は出ましたか?」

「……う」

「はい?」

「当たり前だろう! 僕は決めたぞ、クルシカ」

「殿方は単純でございますね。それで、何を決められたのです?」


 自分でも分かるほど興奮しているのが分かる。

 僕は未だ開発されていない一面の荒野の前で大声を出して叫んだ。


「君の透き通る髪のように、すぐにこの荒野のすべてを小麦の黄金こがねに染めてみせる!」


 これはひょんな人助けをキッカケにして帝都から遠く離れた辺境の地に飛ばされた主人公が、偉大な領主になるまでの過程を描いた物語である。

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