第17話 自尊心の病

 アストラに帰ってから数日、あれからティグリナの様子がおかしい。


 帰りの道での一件がいまだに尾を引いているのだろうか。

 どうも彼女に避けられている気がする。


「ティグリナ殿と、昔なにかあったのでは」


 そんなことをオフィーリアに尋ねられて、僕は昔の記憶を掘り起こした。


 それでも特に心当たりはなかった。

 冒険者時代にしばらくバディを組んで冒険をしたことはあったが、男女の仲にはなっていない。


 そもそも僕のことが好きなら、どうして彼女は今までそれを黙っていたのだろう。


 ティグリナが村に留まって兵士たちに戦い方を教えてくれているのは嬉しいが、この問題をいつまでも放置しておくわけにもいかない。


「……こういう、人の心の機微を相手にするのはクルシカが適任なんだがなあ」

「私に何かご用ですか?」

「うわっ!?」


 椅子に座って考え事をしていると、いつの間にか隣にクルシカが立っていた。

 僕はびっくりして椅子から転げ落ちる。


「いたた……びっくりした。クルシカ、いつからそこに?」

「先ほどから声をおかけしていますのに、ヘンリク様は上の空でおられましたので。村に戻られてからずっと何かにお悩みのようですね」

「いや、問題というほどのものじゃないんだけど」

「よろしければ、私にも聞かせてもらえませんか?」


 えっ、クルシカに? いやいや、当事者に話すわけにはいかない。


「君に話すようなことでは」

「最初に村に来たころ、まず私にご相談くださいと申しましたわよね。一人で抱え込まれるのはよくないことです」


 それとなくいさめられてしまった。


 ……まあ、クルシカになら話してもいいかもしれない。

 彼女は僕を信頼してくれているようだし、この手の色恋沙汰に対して感情的な反応を返すほうでもないだろう。


「実は、ティグリナのことで」

「お客人ですわね。以前、ヘンリク様と一緒に冒険をされていたという」

「仮にだ。仮にだけど……彼女が僕を好きになったとすれば、それはなんでだと思う?」


 それを聞いてクルシカは、ここ数日のことに納得がいったというような表情を見せた。


「そういうことでしたか」

「ごめん、クルシカ」

「謝らないでくださいまし、私は貴族の子女です。いつかこのような事態が起きることは予見していました。ヘンリク様ご自身はどう思われているのですか?」

「そりゃあ、悪い気はしないよ。ティグリナは美しい女性だし、冒険者として腕も立つ。それに彼女の人を率いる才能はアストラにとっても大きな武器になるだろう。だけど、ティグリナをこの村に引き留めるために彼女の好意を利用しようというのなら、それはなんだか気分がよくない」


 領地の経営には多くの優れた人材が必要だ。

 官僚制のような大掛かりな仕組みを作る金も時間もない以上、今は僕がこれまで築き上げた個人的な人脈に頼るしかない。


 それでも君臣の関係はあくまでビジネスライクなものであるべきだ。

 相手の好意に一方的に付け込んで成立する関係は王道から外れているし、だいいち長続きしない。


「正しいことをなさっていると思います」

「結局、僕はどうすればいいんだろうと思うわけさ。君はどう思う?」


 クルシカは僕にいった。


「……私はヘンリク様のことが好きです。かといって、ヘンリク様の行うこと全てを肯定する気はございません。それは相手のことを大切に思っているならば、相手のためになることをしようとするからです」

「正しい?」

「人に対する恋心は短い時間で大きくなるものではありません。ティグリナ様は長いあいだ、ヘンリク様のことを大切に思われていたのではないでしょうか。それでも彼女が思いの丈を伝えなかったのは、それがヘンリク様の迷惑になると思われたから」

「僕は迷惑だなんて」

「一時期、二人で冒険をされていたのですよね。それをやめるというのはどちらが言い出されたことなのですか?」


 僕は記憶をたどって思い出す。たしかあれは……


「……ティグリナだ」

「そのとき理由を聞かれましたか?」

「いいや」


 一緒に冒険することをやめようと言われたとき、僕は大してそれを疑問に思わなかった。

 彼女との冒険は苦痛ではなかったが、冒険者として一人で活動する時間が長かったためか僕はあっさり彼女の提案を受け入れた。


「ティグリナ様は、自分がヘンリク様の足を引っ張っていると考えられたのかも知れません。だから大人しく身を引こうとされたのでは」

「そんなバカな」


 とはいえ、僕にはそれを否定する材料もなかった。

 思えば彼女がバディ解消を口にしたのはシリアナ砂漠での冒険が終わってすぐだった。

 僕の忠告を無視して進んだ彼女が流砂に巻き込まれた、あの事件だ。


「ティグリナ様は奥手な方なのだと思います。ヘンリク様の方から行動を起こせば、彼女も自分の心に踏ん切りが付くのではないでしょうか」





 晩になって、僕はティグリナのもとを訪れた。彼女は村から少し離れた場所にテントを立てて、そこで暮らしている。

 意識の高い冒険者がよくやることで、街や拠点にいる間に野生の感覚を失わないようにする意味があるのだ。


 三人ほどが寝られるテントの中に入って、僕は彼女と向かい合って座った。


「……それで、どうしたんだ?」

「ちょっと顔を見に来たんだ。最近はどうした、いつもの元気がないじゃないか」

「そうか? 私はいつも通りだよ」


 ティグリナの口調はいつも通りだったが、僕に向ける態度はどうにもよそよそしく、またどこかぎこちなかった。


「兵士たちの訓練は順調か?」

「ああ、うん。最初は腰が引けていたけど、今は大分それらしくなった。あとは実践あるのみだね」

「そうか、それは素晴らしいな」

「それで、頼まれてたことも終わったし……明日にでも帝都へ向けて帰ろうと思うんだ。ここに長居するのも悪いしさ」


 そういって彼女は髪の癖っ毛を触った。

 迷っているときや後ろめたいことがあるとき、彼女が無意識にするクセだった。


「ティグリナ、話がある」

「何だよ、改まって」

「君の想いに気づいてあげられなくて悪かった」

「……気づいてたのか」

「バレバレだ」

「気付かれたんじゃしょうがない。なら、ここを離れる理由もわかるだろ」

「いや、君はここに留まるべきだ」


 ここで彼女を帝都へと帰らせれば、そこで繋がりが切れてしまう。

 彼女の好意を利用する気はないが、彼女と本音で話すためにはここで退くわけにはいかない。


「勘弁してくれ。アタシは貴族じゃない。貴族社会には馴染めないんだ」

「馴染む必要なんてない。僕には君が必要なんだ」

「必要ってのは、この領地にか? それともお前がか? ……いや、変な質問だったな。忘れてくれ」

「あえていうなら両方だ。素人に戦い方を教えるのは楽しくなかったか」

「楽しいさ。楽しいけど……」


 そう言いいながら、ティグリナはうつむいた。彼女らしくない落ち込みようだ。


「一緒にいてほしい。それが僕の本音だ。だからこうやってここに来て、君が帝都へ帰らないよう説得しに来たんだ」

「アンタの奥さんが怒るんじゃないのか?」

「ティグリナ、僕は君の本音が聞きたいんだ。口調を直せないならそれでもいい。貴族になりたくないならそれでもいい。クルシカとの付き合いもしなくていい。そんなことは後でどうにかすればいいんだ。問題は単純だよ、君がどうしたいかだ」


 その言葉に、彼女はようやく口を開いた。


「私はアンタが好きだよ。いつからかって言われても困るけどな。ただなんとなく好意を持ってて、死んでほしくないって思ってた……それに恋って名前をつけるなら、私は恋をしてたんだろう」

「それは僕とバディになってからか?」

「そうだ。……アンタの強さは冒険者の間でも有名だった。なかでも私が気に入ったのは、むやみに人を殺さないっていう評判さ。それまで冒険者なんてごろつきが多少マシになったぐらいのもんだと思っていたから、驚いた。そんな倫理観のあるやつを見てみたいと思って、アンタと一緒に冒険したいと思ったんだ」


 僕が冒険者稼業を始めたのはわずかに九歳のころだ。

 そんな子どもが大人顔負けの強さを持っているというのだから、評判になったのはいうまでもない。


「それでバディを組んだのか」

「あんたは強いよ。それに知識も豊富だ。アタシはアンタより年上だろ。自分がアンタより優れているって見せたかったんだ。だけど、そうはならなかった」


 これまで僕は、ティグリナの年齢を聞いたことはなかった。

 おそらく彼女は、僕が冒険者になるよりずっと前から冒険を続けてきたのだ。


 ところがある日、後ろからものすごい才能を持った人間がやってきた。

 自分よりも齢の低い、わずかに九歳のその冒険者。


 自分より遥かに強いその冒険者を前にして、彼女がこれまで培ってきた冒険者としてのプライドは折れた。


「アンタのことを天才だっていう人間もいたな。最初こそライバル意識を燃やしてる人間もいたけど、次第にみんな競おうとはしなくなった。ただでさえ命の軽い業界だ、身の丈に合わないことをすればそれだけ命は短くなる。でも私は諦められなかった」


 だから彼女は僕の忠告を無視して流砂に突っ込んだのだろうか。


「自分の弱さを痛感したね。強さっていっても、剣舞がうまいとか魔法が使えるとか、そういう話じゃない。精神的なタフさの話さ。それが私には致命的に欠けていた。そしてそれは、鍛えようと思って鍛えられるものじゃないんだ」

「だから君は、バディを解消しようといったのか」

「このまま一緒にいたら、アンタを死なせてしまう。私が野垂れ死ぬのは勝手だが、あんたを死なせでもしたら私は死んでも死にきれない」


 そしてその時、彼女は僕と競い合うことをやめた。

 それが自分のエゴであることに気づいたからだ。


「僕への好意を自覚したのはいつなんだ?」

「オフィーリア……あの小さな女の子に言われた、あの時さ。なぜだか急に胸が高鳴って、自分でも変だと思った。アンタもそうだと思うけど、それまであんたを男として見たことなんてなかったから。でも考えてみれば、お前を好きにならない理由なんてないんだ。アンタは勇敢だし、知的だし、優しいし……顔だってなかなか男前だ」


 そういってティグリナは恥ずかしそうに微笑んだ。

 いつもの男勝りな高笑いとは違った、乙女な笑顔だった。


「まだよくわからないんだ、自分が何をしたいのか。あんたの妻になりたいのかって言われて、そうだとはハッキリ言えない感じがする」

「それが普通の感情だよ」


 むしろお家のために喜んで身を捧げる、貴族連中の恋愛観が異常なだけだ。


「ハハ、そうだな。だから時間がほしいんだ。自分の中で踏ん切りをつける時間が。だから、その……その時が来るまで、この村にいてもいいか?」

「当たり前だ、歓迎するよ」


 そういって僕とティグリナは二人して抱き合った。

 その時初めて、僕はティグリナが一人の女性であることに気づいた気がした。

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