第二話 魔術オタクは転生先の世界で惑う

「如何でしたか?」


「駄目だね。論外だ。ものにはならないだろうさ」


「何ということだ……」


「幸い、もう片方は見込みがある。こちらに期待するとしよう」


「……承知致しました」




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――――――――。


――――――――――――――――。



……ん?おお!?


急に意識がはっきりして、周りがよく見えるようになった。


明るい部屋の中、柵のついたベッドの上に俺は座っている。尻に当たる感触は柔らかく、シーツは白く清潔で、気持ちがいい。足を投げ出して座っているんだが、服の裾から出ている足が小さい。ぷよぷよしている。顔の前に手を持ってきて、にぎにぎと動かしてみた。うーん、ちっこい上にうまく握れない。日本人・白沢秋の記憶はあるが、体は小さい子供のようだ。


(生まれ変わってんな、これ)


自分では呟いたつもりだったが、発せられたのは「うー」とかいう言葉にならない声だった。声帯も口唇も、まだうまく使えないようだ。恐らく、今の俺は乳児以上幼児以下ってところだろう。頭が物理的に重いので、バランスを崩さないようゆっくりと周囲を見渡すと、直ぐ側に別の子供が寝ているのに気がついた。俺が着ているのと同じ、柔らかな生地の子供服を着て、体の大きさも同じくらいだ。兄弟かな?双子だろうか?


すやすやと眠る、その子の横顔を見ているうちに、俺も唐突に眠くなってきた。やばい、全然抗えん。そのままぼふりと横になると、俺の意識はどんどん薄れていく。完全に眠りに落ちる前に、俺は「いやー、新しい人生って素晴らしい。なんだか世界が輝いて見えるわ」なんてことを思っていたのだった。




それからすぐに判明したのは、俺の転生した世界は「輝いている、物理的に」ということだった。


よくわからないけど部屋中に、光る粒子みたいなものが沢山浮いてるんだな。それも、結構な密度で。キラキラって感じじゃなくて、生まれ変わる直前に見た魂の光と同じような、目に刺さらない明かり。そんなものが沢山周囲にあったら、視界が遮られて大変なことになりそうだけど、不思議と部屋の壁や向かいの窓とかはちゃんと見えている。窓から差す陽の光の中でも、光の粒子が浮いているのが分かる。あれだ、心霊動画でよく見るオーブの映像みたいな感じ。なお、夜中でも光っているのを確認済みである。おかげで夜でも、結構周りが視えるんだよな。目に優しい光だから、眩しくて眠れないということもないのは助かります。


俺はまだよく動かない手を伸ばして、空中の光の粒に触れてみようとする。手の動きに応じて、ふわふわと宙を漂っているように見えるけど、実際に掴んだりは出来ないようだ。もしかしたら、実体はないのかも知れない。


それでですね、光ってるのは宙に浮いてるものだけじゃないんですよ。今俺の横で寝ている、兄弟だか姉妹だか他人だか分からない子。この子も光ってます。体の内側からぼやっとした明かりが出て、体全体を覆っているのだ。オーラかな?それにしては、俺自身の体は全然光っているように見えないのが不思議なんだが。個人差とか、あるんだろうか。


なんだか羨ましくなって眺めていたら、その子と目が合った。眠たいのか、半開きの瞳が俺を見ている。それが、何もない空中をわちゃわちゃと掴もうとしている俺に対する、呆れたようなジト目に見えて仕方がない。俺は宙の光を捕まえようという無駄な試みを諦め、揃って横たわると眠りについた。




幼児の体というのは不便なもので、すぐ眠くなる上に思考もうまくまとまらない。それでも時が経つにつれて、ようやく自己と現状の認識が深まってきた。


まず俺(「俺」だった。握れたので、確認済み)は、新しい世界に生まれ変わったと考えてまず間違いない。死ぬ前と、死んでから生まれ直すまでの記憶がちゃんとあり、生まれてからの記憶も断片的だが覚えている。生後すぐに記憶が戻らなかったのは、前世から持ってきた霊体がこの体に馴染むのに時間がかかったからかもしれない。


もしくは赤ん坊の脳神経組織が未発達で、抱え込んだ情報を処理できていなかった可能性もある。前世で読んだ本によれば、赤ちゃんの脳神経ネットワークは生後急速に発達し、10ヶ月頃でシナプスの増加が頂点に達するらしい。今の俺もそのくらいの年齢なのだろう。こういうことを考えられる事自体、生まれ変わりをはっきりと示唆している。


それから大人。別にこの部屋に幼児二人で放置されていたわけではなく、これまでもちょくちょく大人の人が俺達の顔を見に来たり、世話を焼いたりしてくれていた。こちらの世界での出生から現在までの記憶は曖昧だが、母親らしき若い女性が乳を与えたり、おむつを換えたりしてくれたのを憶えている。そして現在、俺はその母親らしき女性が三人いることに気がついた。はっきり判別ができるようになった、と言うべきか。


一番世話してくれる女性は二十歳前後か、線の細いきれいな女性だ。お乳を与えてくれていたのも、この人。もう一人はそれよりやや若く、十代後半に見える。前世の記憶がある俺からしたら、女の子と呼びたくなってしまうような女性だ。トイレ関係のお世話は、この人がメイン。若くてかわいい女の子に下の世話を焼かれるのはアレだけど、体が幼児のせいか普通に受け入れてしまった。


そして最後に、たまにしか現れない女性。最初の女性と同じく二十歳前後で、やっぱり美人。他の二人はこの部屋に常駐といった感じだが、この人は俺達子どもたちに話しかけたり撫でたりはしても、世話をしたり長居をしたりということはない。


そして三人の服装。最初の女性がゆったりした長袖のドレス姿で、女の子が地味なワンピースに前掛けというかエプロン、最後の女性は元の世界の修道士が着るようなローブ姿。


もうこの時点で色々考えちゃいますが、俺を更に混乱させることに父親らしき人も二人、この部屋を出入りしていたりするのだった。一人はいつも長袖の服にズボン、ベスト風の上着といった服装で、俺よりも隣の子に話しかけたり抱きかかえたりすることが多い。もう一人の男の人はこれまたローブ姿で、顔を出す頻度が少なく俺達にあまり構わないのもローブの女性と同じ。


そして大事なことに、この大人の人達もやっぱり内側から光っているのだった。


その光り方には個人差があり、ローブの男女が一番明るくて、次いで光っているのが、お乳をくれていた女性。ベストの男性とエプロンの女の子は、この人達に比べるとちょっとしか光ってない。まあ、ほとんど光ってない俺よりは、全然マシなんですけどね。稀に大人が全員この部屋に勢揃いしたりすると、日暮れ時でも照明いらずという感じになる。なお、隣の子はダントツで明るい模様。くそう、俺と同じ幼児のくせに。お前だけずるいぞ。




ここに至って、俺が生まれた世界及び取り巻く環境について幾つかの知見と仮説が揃ってきた。


①文化は元の世界で言う欧州寄り。ベッドと椅子、石造りの外壁と木製の窓、漆喰の壁に木製のドア。


②科学技術は判断が難しいが、服飾から中世~ルネサンス辺りまであり得る。照明がランプなので、現代ではない。


③人種や言語はよくわからない。色白なアジア人といった肌の色だが、髪色は様々だし、言葉は全く聞き覚えがない。


④この部屋を含む家は、富裕階級である可能性が高い。女の子は使用人っぽいし、壁にもレースや種々の飾りがかかっている。


⑤俺達幼児コンビは双子や腹違いの兄弟でなく、別々の夫婦の子供である可能性大。




①②に関してはこの部屋から出たことがないので判断材料に乏しく、あくまで想像。


③は異世界だし、仕方ないね。言葉が分からないのは不便だけど。なお、ローブの男性とドレスの女性が黒髪で、ローブの女性は金髪。ズボンの男性は栗色で、女の子は赤毛だった。隣の子の頭はまだ薄いけど、多分黒髪だろう。俺は不明。鏡見たこと無いからね。


④も想像に過ぎないが、幼児を寝かせるためだけにひと部屋割いている時点で、一般家庭ではないだろう。俺達の幼児服やベッドが清潔で柔らかいという点を見ても、中世だったら富豪・貴族レベルでもおかしくない。


⑤これまでの全てを勘案すると、俺の両親はローブの男女で、隣の子はベストの男性とドレスの女性との子供、という構図が浮かんでくる。 その場合、俺の両親はこの家の主で、結構なお金持ちの可能性が高い。ドレスの女性が乳母さんで、女の子はメイドさん。俺達は実の兄弟ではなく乳兄弟、ということになるんじゃないだろうか。もちろん、ローブの男女は全くの他人で俺達は双子という可能性もあるので、断言はできないが。



ここまで考えたところで、脳が猛烈にカロリーを消費しているせいかまた眠くなってきた。いろいろと考えることは多いが、現状では分からないことが多すぎて全てが推論止まりだ。それに、今まで魔術の魔の字も見受けられないのはちょっと不安になる。ローブの人は魔術師っぽいけど。アズラエルさんを信じてないわけじゃないが、やっぱり自分で魔術に触れてみるまでは安心できない。ともかくもっと大きくなって行動範囲を広げ、言葉も覚えないと、世界についても魔術についても分かることは少ないだろう。


よって自身の健やかな成長を促すためにも、俺は隣の子の横に並んで寝転んでそのまま眠りについた。眠りにつく前の世界は、やっぱり謎の光で満ちていた。




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「サキ様。転ばないようお気をつけ下さい」

「大丈夫だよ」


背後から聞こえるハンナの声に返事をして、俺は庭へ通じる屋敷のドアを開けた。途端に、言ったそばから段差に足を取られふらついてしまう。すると手を繋いでいたルリアが俺の腕を取って、転ばないように支えてくれた。


「サキ様!」

言わんこっちゃない、と駆け寄ってくるハンナへ照れ隠しに笑ってみせると、じっと俺を見つめているルリアに礼を言う。


「ありがとうルリア。助かったよ」

「……ん」

日頃から口数が少ない幼馴染は返事になっていない返事を返すと、改めて俺と手を繋ぎ直した。


この世界に転生してから三年。寝てばかりだった初心者幼児の俺も、言葉を覚え歩くことができるようになった。もはや立派な中堅幼児である。最近ようやく庭で遊んでも良いとの許可が出たので、本日は幼馴染と子守を引き連れて、外の光を浴びている。


先程も呼ばれていたが、「サキ」が俺の名前。フルネームは「サキ・アドニ・アルカライ」。前世が秋で今生がサキとは、あまり代わり映えがしないような気もする。元日本人としては、この名前は女の子っぽいと思わざるを得ないんだが、周囲によれば男の子に「サキ」と名付けるのは珍しくないそうな。


そして、俺と手を繋いでいる幼馴染がルリア。俺の乳母子めのとごだ。生まれた日も近く、今まで本当の兄妹のように育ってきた。これまでずっと、女の子と同じベッドで寝ていたと気づいた時の俺の気持ちを想像していただきたい。まあ、幼児なんですけどね。乳母のマリア母さん譲りの黒髪をショートにして、同じく翠がかった黒い瞳は、長く柔らかな睫毛で切れ長に縁取られている。


3歳という年齢にしても整った顔立ちだと思うのだが、普段から無口であまり表情を顕にしないせいで、愛想に欠けるのが玉に瑕か。今も一言も喋らないまま、どこを見ているのか分からない茫洋とした視線をさまよわせている。


そんな俺達を一歩引いた場所から心配そうに見守っているのは、使用人のハンナ。生まれた時から、俺達のお世話をしてくれている人だ。ナースメイドというんだっけ?野暮ったい厚手のワンピースの上にエプロンを付け、三角巾で抑えた赤毛を後ろで三編みにしている姿は、いかにも純朴そうな少女メイドといった風情。実際にはもう十代も終わりを迎える年頃のはずなので、少女と呼ぶのは失礼にあたるのかも知れないけど、「綺麗」より「可愛らしい」という表現が似合う女性だ。


聞くところによると未だ未婚とのことだが、この国では十五歳で成人とみなされるそうなので、少々焦った方がいいのではないだろうか。一度さり気なく水を向けてみたことがあるんだけど、「お二人が立派になるまで嫁に行くなど考えられません!」と強い返事を頂戴した。まあ、「ハンナはけっこんしないの?」と直球投げ込んだ俺が悪いんですけどね。どこがさり気なくなんだか。


「あっちの細いのがマイムナで、こっちの大きいのがカヴィルン、向こうにあるのがマロル、だったよね?」


「まあサキ様、野菜の名前もすっかり憶えてしまわれましたね」


屋敷の庭の一角には菜園があり、様々な作物が植えてある。そこを歩きながら野菜を指差し名前を言う俺に、ハンナが手を叩いて喜んでくれた。努力を認められた俺は少々嬉しくなり、隣のルリアに「ふふん」と胸を張る。ルリアからはいつものように、「ふーん」という感じの無言の視線が返ってくるだけだったが。


生まれてから現在に至るまで、俺が何をおいてもまず取り組んだのが「言葉を覚える」ことだった。周囲で使われていた言語が全く分からなかったため、前世の記憶が蘇ってすぐ、必死に周りの大人の会話を真似し始めたのだ。その甲斐あってかすぐに自分の名前が言えるようになり、一歳になる頃にはたどたどしくも、会話らしきものが成り立つようになった。


凄いね、幼少期の頭脳。言葉がするっと頭に入ってくるんだこれが。現在は語彙を増やすために、とにかく色々なものの名前を尋ねまくっている。ちなみに、マイムナが水菜っぽい野菜で、カヴィルンが大根によく似た野菜、マロルはレタスそのものの野菜である。


実際には前世で慣れ親しんだ日本語が、異世界言語習得の妨げになることもあった。厄介なのは「概念」で、日本語なら「政治」「経済」と一言で済むものを、こちらの言葉で伝わるように説明するには非常な困難が伴った。「ものを売ったり買ったり、交換したりすることが上手くいくような仕組み」と言われても、ピンと来ないようなものだ。今後はこういった、抽象的な言葉も憶えていかねばなるまい。


もう一つ。魔術についても周囲に尋ねてみたのだが、返ってきたのは「もう少し大きくなってから」という返事だけだった。んー、その言い方はつまり、魔術そのものは存在するってことだよな?勢い込んでもっと色々聞いてみたが、教えてもらえたのは俺の両親が魔法使いだということだけだった。


「魔法使い」……気になる。こちらの言葉に通暁している訳でもないのではっきりとは言えないが、な~んか「まじない師」っぽいニュアンスを感じる。俺がなりたいのは「魔術師」で、結社や専門機関に属しているような、いわゆる「学究の徒」だ。いや、人里離れた山水に庵を結んで、独り魔術を研究する隠者でもいいけど。断じて、依頼者の求めに応じて他人を呪ったり、雨乞いをしたり、恋する若人のために惚れ薬を煎じるような仕事に就きたいわけではない。


ここは俺的には大事なところなので、なるべく早めに知りたいところだ。早く大きくなりたいぜ。


「お屋敷の外にも出てみたいな。ハンナは王都には詳しいの?」


「私はこの街で生まれ育ちましたので。お二人がもう少し大きくなって、当主様からお許しをいただけましたら、王都の中をご案内して差し上げますよ」


「そう言えばハンナのお父さんは、この街で商売をしているんだっけ」


「はい、当主様にもご贔屓にしていただいております。そういったご縁もありまして、私もこのお屋敷で働かせていただいているのです」


行儀見習いというやつだな。市井の有力者が自分の子女を上流階級の屋敷へ送り込み、働きながら言葉遣いや作法を学ばせるというヤツ。元の世界でも、近世ではよくあった話らしい。メイドさん、乳母、庭付きの屋敷、上流階級。もうお分かりかとは思うが、我がアルカライ家は貴族であり、国王より子爵に叙されている。


そう、「公侯伯子男」である。勿論日本語や英語そのままじゃないが、本当にこの五階級で分類されているらしい。扱いもほとんど同じなので、つまり我がアルカライ家の地位は「下級貴族の中の最上位」という、「小物界の大物」といった立ち位置となる。俺はアルカライ子爵家嫡男、サキ・アドニ・アルカライというわけだ。


「王都見学かあ、楽しみだなあ。ルリアはどんなところを見たい?」


「……サキについて行く」


「行きたいところがあったら、ちゃんと言わないとダメだよ?」


「特にない」


「そ、そう」


非常に素っ気ない返答だが、俺の乳母子はこれが通常運転である。まだ幼いから流暢に話せないとかではなく、必要最低限しか喋らない。俺と同程度には他人の会話を理解している節があるし、言語能力に問題はないと思われるのだが、表情をあまり変えないところも相まって、コミュ障気味である。幼馴染の身としては少々心配だ。


興味なさげに菜園を眺めているルリアは、明るい光に包まれている。もっと小さい頃からも謎の光を放っていたが、今は昔よりも明るく光っているように見える。ほとんど光っていない俺や、俺よりは僅かにマシな程度のハンナに比べ、段違いの光り方だ。実は庭の外に出るようになってから、人間だけでなく樹木や草花も、ごく弱い光を放っているのに気がついた。人間に比べたら頼りない光だが、それでも目の前の野菜などよりは、庭木の方が少し強い光り方をしているように思う。また空中の光の粒子も、室内と違って屋外では風が吹くのに合わせ、掻き混ぜられているように軽く宙を舞っている。


この光については、現在に至るまで謎のままだ。一度乳母のマリアさんに尋ねてみたことがあるのだが、その時は「どういうこと?もっと詳しく聞かせて」と真剣な口調で尋ねられた。



「ええと、人の体の内側からこう、ぼんやりした光が出てるんだよ。体全体を包むような感じで」


「……屋敷の人達は、みんな光って見えるの?」


「人によって明るさが違うよ。大体の人はそんなに光ってないけど、マリア母さんやルリアはすごく明るい」


「……サキ、その話を他の人にしたことは?」


「ないよ」


「いいこと、サキ?今の話はお父様とお母様、それに私以外には絶対にしちゃダメよ。マリア母さんと約束して?」


「……分かった」


とまあ、最後は両肩掴んで揺さぶらんばかりの勢いで、そう約束させられたのだった。挙げ句次の日には珍しくも両親揃って俺に会いに来て、マリアさんと三人での綿密な聞き取り調査が行われる始末。その時も繰り返し、他人が中から光っているように見えること、人によって明るさが違うこと、人だけでなく空中にも光るものが沢山浮いていることを説明した。


しかしそれがなぜ見えるのか、他の人にも見えるのかは、最後まで教えてもらえなかった。それ以降、三人とも俺に見える光については触れてこないし、俺も三人以外の人には話してないから、結局何だったのかは不明。むう、気になる。



そうしてしばらく俺とルリア、ハンナの三人で庭を見て回っていたのだが、その時庭園の方から大人の男性が歩いてくるのが見えた。彼は「お、ルリアにサキじゃないか!」と声を上げると、手に持った仕事道具――梯子や大鋏などだ――をその場に落とすと、駆け寄ってきてルリアを抱え上げた。


「あぁ~、ルリたん可愛いよルリたん」


そう言ってルリアに頬ずりする男性。ルリアは抱えられたまま一言も喋らないし、表情も変わらないけど、その目は「何コイツウザい」といった冷たい光で満たされている。


「ダニおじさん、こんにちは。お仕事の途中?」


「やあ、サキ。ちょっと植え込みの手入れをしていたんだ。ん~、ルリたんは今日も最高に可愛いね!まさにこの世の天使だよ」


ダニおじさんはルリアの父親で、乳母のマリアさんの旦那さんだ。我が家の専属庭師でもある。当アルカライ家の庭は相当広く、樹木だけでなく植え込みを刈り込んで作った庭園に東屋、菜園に薬草園まで備えている。それら全てを管理しているのがダニおじさんだ。俺の名前と同じで、元日本人としてその名前はどうかと思うダニおじさんだけど、男性名としては実にありふれた名前らしい。


「ダニさん、サキ様は当主様のご子息なのですから、もっと丁寧な言葉遣いをしていただかねば困ります」


ハンナの抗議は尤もだが、ウチの屋敷は当主一家と使用人の関係が結構緩い。家令や侍従など礼儀にうるさい人もいるが、ハンナも含めてそういう人は少数派だ。もっとも、中でもこのダニおじさんが特別ゆるゆるなのは確かなのだが。今も会話をしながらルリアへの頬ずりは続行しており、ルリアの視線はますます冷たくなっている。


「まあまあ、そう言わずに。ルリアとサキは兄妹みたいなものだから、詰まるところサキは僕の息子みたいなものだよ」


「おじさん、菜園の野菜の名前全部憶えたよ。今度は薬草のことも教えてほしいな」


「おお、偉いなあサキは。よし、今から薬草園の方に行こうか」


実のところ、俺の両親は貴族としての仕事が忙しく、ゆっくり話す時間もなかなか取れないような有様だ。乳母のマリアさんやハンナを除けば、ダニおじさんは一番身近な大人と言っていい。それに、彼はおじさんと言っても二十代半ば。俺が前世で命を落とした時と同年代である。俺にとっては友達感覚で気安く話せる、使用人の中でも重要人物と言えよう。


ダニおじさんはルリアを抱えたまま俺の手を引き薬草園へ向かおうとしたが、庭中に響き渡る声でそれは中断させられた。


「あなた!いつまで仕事をサボっているの!!」


いつの間にか庭に出てきていたマリア母さん――俺にとっては乳母だが、この人に育てられたようなものだから、どうしてもそう呼んでしまう――が、腰に手を当てて怒っていた。胸を張っての仁王立ちだが、彼女に授乳して頂いていた俺からすると、そんなに薄い……おっと、これ以上いけない。マリア母さんの後ろの東屋には、珍しいことに俺の両親の姿もある。どうやら三人でお茶を楽しんでいたようだ。


「いや、我が愛しの姫君のご機嫌を……」


「娘にかまけて、仕事を放り出していいわけないでしょう?!」


「そんなに怒らないでよ。君は笑顔が一番素敵なんだから」


「もういいから、二人を連れてこちらに来なさい。せっかくこうして揃ったんだし、皆でお茶にしましょう」


おじさんの妄言を切って捨てると、それ以上何も言わずにマリア母さんは東屋へ戻っていった。ダニおじさんはルリアを抱え直すと、俺に向かって大げさに肩をすくめてみせる。


「女神様がお怒りだ。あちらへ行こうか」


これは何も冗談めかして言っているのではなく、彼は日頃からマリア母さんを「僕の女神」、ルリアを「姫君」「妖精」「天使」と呼んではばからない。俺は生温くなりそうな視線を子供らしい笑顔で取り繕い、おじさんに手を引かれるまま、ハンナを伴って東屋へ向かった。




生け垣と花壇からなる庭園の中にある東屋で、二組の夫婦と二人の子供がテーブルに着いている。卓の上には人数分のお茶(色は烏龍茶に近い)とお菓子が並べられており、俺は大人同様にお茶を啜って苦味に悶えていた。ちなみにこの世界でも、子どもがお茶を飲むと夜眠れなくなるということは知られているらしい。止めておきなさいと窘められたのだが、久方振りの喫茶に我慢ができなかった。ルリアはお茶に目もくれず、無心にお菓子を貪っている。ハンナは先程までお茶の支度をしていたが、今はメイドらしく俺達の後ろに立って控えていた。


「それにしても、二人はいつも一緒だね。善いことだ」


大人同士の会話が一段落したところで、俺の父親であるレヴィが会話を振ってきた。俺とルリアが、時折テーブルの下で手を繋いでいるのを気づいているのだろう。レヴィ・アドニ・アルカライ。アルカライ子爵レヴィは貴族であり、魔法使いでもある。何でも王室魔法顧問という役職にあり、その実力はこの国でも指折りなのだとか。他にいくつも肩書きがあって、いつも忙しく多方に出掛けている。よって、こうして話をする機会もあまりない。


「本当ね。ルリアちゃんがウチの子になってくれないかしら?」


そういってオカンムーブをかましてくるのは、俺の母親であるサーラ・アドニ・アルカライ。夫婦揃っての魔法使いであり、父親同様に多忙で、俺としてもあまり母親としての実感が無いのが悩みどころだ。そう言えば今日は二人とも普段の修道士風のローブではなく、欧米の学生が卒業式に着るような、いわゆるアカデミックローブによく似た格好をしている。多分、何かの公務から戻ってきたばかりなのだろう。


「駄目よサーラ。ウチのルリアは将来、私似の美人になること間違いなしなんだから。いくら子爵家の跡継ぎでも、おいそれと嫁にはやれないわ」


臆面もなく、そう言い切ったマリア母さん。その横ではダニおじさんが、我が意を得たりと無言で頷いていた。いくらなんでもその発言はやばくないか、と幼児がするには不似合いな感想が口から出そうになるが、当家ではこれが普通である。俺の両親も気分を害することなく、「なあに、結局は自分の自慢?」などと和やかに笑いあっている。


実はマリア母さん、平民の出身ではあるものの父レヴィとは従兄妹の関係にあり、加えて母サーラとは長年の親友であるという。この場ではレヴィ父さん・マリア母さん・ルリアの3人が黒髪なので、確かに血の繋がりが見て取れる。俺はと言えば、サーラ母さん譲りの金髪に碧の目だった。元日本人としては、何というか自分で自分に違和感を感じてしまう。身近に黒髪黒目がいると、特に。


「僕たち、まだ三つですよ?」


俺はそう言って、お茶を一口含む。うむ、苦い。体が幼児のせいか、この世界のお茶が特別そうなのか、前世で味わったお茶より相当強く苦味を感じる。その一方で、大人の精神が「これだよこれ」と口中に広がる苦さを喜んでいるのも感じていた。しかし、自分のことを「僕」と言うのはあれだな、何というか体が痒くなる。


だが貴族の子息に生まれついた以上、それに相応しい口調があるだろうということで、意識してそう口にするようにしている。郷に入っては郷に従えだ。そこで三歳の幼児が自分のことを「まだ三つ」とか言うのか、などと突っ込んではいけない。


「あら。でも最近の貴族の間では、小さい頃から結婚の約束をするのが普通なのよ?」


「国も安定して、貴族達も長期的展望に基づいた行動を取るようになったということだな。実際に婚姻を結ぶ前から、友好的に事に当たれるということでもあるし」


うん、我が父母よ。幼い子供の前でそういう生々しい話は止めようか。あと父上、あまり難しい言葉を使わないでいただけますか?いや、言葉の学習の面では助かるんだが、ついていくのが大変なんだ。


「ふうん。じゃあ今からでも、サキとルリアを婚約させておいても可笑しくないのね」


「ルリアは嫁に行ったりしないよ。たとえ、相手がサキでもね」


「うん、あなたはちょっと黙っていましょうか?」


そして安定のマリア母さんとダニおじさんである。


ふと、視線を感じたので横を見ると、ルリアが黙って俺を見つめていた。今の話に、何か感じるところがあったのだろうか?生まれた時から一緒に居るが、ルリアが何を考えているかは非常に読みにくい。表情を殆ど変えないし、口数も極端に少ないからな。俺は少し考えて、テーブルの下でルリアの手を握り直した。すると彼女はしばらく俺を見つめ続け、また菓子を貪る作業に戻っていった。何だったんだ一体。あと大人どもは、俺達を見てニヤニヤするのを止めろ。


「そうね。二人ともまだ小さいし、将来のことを焦って決める必要はないと思うわ。本当にそうなったら、お義母様にもご相談しないといけないし……」


話をまとめるようにサーラ母さんがそう言うと、レヴィ父さんが急に真面目な顔つきになって、皆を見回した。


「そう言えば、近々先代がこの屋敷に御出でになるぞ」


その言葉が語られた途端、大人達が一瞬動きを止めたような気がした。次いで、皆が一斉に語りだす。


「伯母様がいらっしゃるの!?里のお父さんからは何も聞いてないわよ!」


「お一人でこちらへ来られるそうだ。孫達の顔を見るだけだから、大げさに持て成す必要はないとの事だったが」


「そうは言っても……大変だわ、今から料理長に晩餐の準備をするようお願いしなきゃ」


「庭は見苦しくない程度には手を入れてあるけど、大丈夫かなあ。明日から二、三人、手伝いを雇ってもいいかい?」


慌てた様子で口々に話す大人達に困惑し、俺はルリアと顔を見合わせた。そこで、サーラ母さんが助け舟を出してくれる。


「サキ、貴方のお祖母様が屋敷にいらっしゃるの。ルリアちゃんにとっては、大伯母様に当たる方よ。お父様の前に当主をしておられた方で、この国で一番の魔法使いなの」


「この国一番の魔法使い!?凄い、僕もお会いできるんですか?」


「勿論よ。二人とも憶えていないでしょうけど、赤ちゃんの時にお会いしたことがあるのよ。大きくなった貴方達に会いに来られるみたいだから、恥ずかしくない格好をしないといけないわね。ハンナ、悪いけどマリアと相談して、サキとルリアちゃんに新しい衣装を整えてあげて。急ぎだからお仕着せになるけど、仕方ないわ」


「かしこまりました、奥様」


マジかー、俺に婆ちゃんいたんだ。それも、国一番の魔法使いとか。同居してないのは、何か理由があるのだろうか。しかし、これはチャンスだ。俺の両親は魔術について口が重いから、ここは一つ婆ちゃんに色々聞いてみたいところだ。孫可愛さに、両親が教えてくれない魔術についての知識を聞かせてくれたりしないだろうか。よし、ちょっと気合い入れて会ってみよう。


ふと、隣のルリアに目をやると、彼女は両手に持った菓子に視線を落とし、口をつけず黙り込んでいた。あー、これは、知らない大人に会うのを嫌がっているな?ルリアは人見知りの気があって、この場にいる人間以外とはあまり打ち解けようとしない。屋敷の他の使用人達に慣れるのも、結構な時間がかかったのだ。


「大丈夫だよ、ルリア。僕も一緒だから」


俺がそう声をかけると、ルリアはしばらくこちらを見て、何故か手の菓子を俺の口元に差し出してきた。ちょ、君は何故このタイミングで、このギャラリーの中で、そのような行動を取るのだね。俺はルリアの顔と口元の菓子を交互に見て、しばらく迷い、仕方なく彼女の手から菓子を齧り取った。


「ん」


ルリアはそれでも満足せず、手に残った菓子を俺の口に突き付けてくる。俺が観念して残りの菓子も口に入れると、ルリアは無表情なまま俺に頷いて見せた。畜生、こんな時なんて言ったらいいかなど、前世も含めて経験の無い俺には分からん。三歳児らしく、「おいしいね」とでも言えばいいのか?黙り込んだ俺達二人を大人どもがニヨニヨしながら見守る中、本日のお茶会は終了となった。

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