魔術オタクの魔法革命~魔法使いの世界の中で、たった一人の大魔術師~

カタリ

第零話 魔術オタクは死闘の最中に黄昏れる

険しい山々へと続く小径こみちを辿りながら、サキ・アドニ・アルカライは溜息混じりの声を上げた。


「こんな辺境くんだりまで来て魔物退治なんて、真っ当な魔術師のやることじゃないって」


ここはハノーク王国から遥か北東、大陸東部地域を南北に分断する中央山脈へと分け入ったところにある山道である。人通りも稀な場所だが、僅かに隊商の往来でもあるのかかろうじて道らしきものが細々と続いている。


ローブを纏い荷を背負って歩くその姿は、旅慣れた魔法使いといった風情である。年の頃は二十歳前後だろうか。その面相はフードを下ろしているせいで明らかではないが、柔らかく輪郭を縁取る金髪と意思の強そうな碧眼が見て取れる。


「油断しない。ここはもう、危険地帯」


サキの背後から、いささか抑揚に欠けた若い女性の声がかかる。サキの後をついて歩いていた人物から発せられたものだ。サキ同様旅支度のローブ姿だが、彼女のフードは上げられており素顔が晒されていた。


非常に整った容貌の女性だ。美しい黒髪は大きな一本の三つ編みにされ、女性の腰辺りまで伸ばされている。顔は日に焼けたことなど皆無と思われる透き通った白さで、若さゆえの血の巡りの良さかほんのり赤みを浮かべていた。大きな黒い瞳は黒曜石の輝きで、長いまつ毛が半分閉じたような眼を切れ長に縁取っている。その目にかかっているのは、ハノーク王国では非常に珍しい――多分唯一――眼鏡だ。


見方によっては不機嫌そうに結ばれた唇は小さく、艶々と輝いている。全体として愛らしいと言えるような顔の作りなのだが、表情が薄くどこか冷たい印象も与える美貌だった。ローブに隠されて体の線は見えないが、全体的にほっそりとした小柄な体型だ。


「そうは言っても、山に入ってもう二日だぜ。その間、ひたすら交易路を辿って坂を登ったり下ったり。いい加減飽きちまうよ」

サキは足を止めると、女性の方を振り返りながら言った。同時にフードを下ろし、言葉遣いとは裏腹の上品に整った容貌を晒す。黙ってさえいれば、多くの女性から好感を得られそうな顔立ちだ。


「もうすぐ退屈じゃなくなる。黙って歩く」


「相変わらず厳しいねえ。そんなんじゃ嫁の貰い手がないよ?」


「必要ない」


女性の返答はにべもない。


「そういうとこだぞ。長い付き合いだけど、そのバッサリ切る所を……」


途中まで言いかけて、サキは不意に目指す先の方向を振り返った。先程までとは打って変わって表情を引き締め、腰を軽く落とし警戒態勢を取る。


山脈へと続く道の行き先は、木々や斜面に隠れて見通しが悪い。特に変わったところは無いが、サキは進行方向を見つめながら呟き始める。


「<アーマー><シールド><魔法の鎧マジック・アーマー><魔法の翼マジック・ウイング>」


同時に、女性も呟きを始めていた。


「<抵抗レジスタンス><火炎防御ファイヤー・プロテクション><呪文障壁スペル・バリアー><呪文反射スペル・リフレクション>」


呟く毎に、二人の眼前で輝く文様が現れては消えていく。文様が消える度に、二人の体全体が白色の光に包まれる。この程度の階梯の呪文であれば、指で空中に印を描く必要はない。詠唱を省略しないのは、互いが何の呪文を使用したのか伝えるためだ。


「おいでなすった!!」


サキは一言叫ぶと、地を蹴って宙に飛び上がる。同時に前方の木々を飛び越え、巨大な影が直前までサキが居た場所に地響きを立てて着地した。


二人の前に出現した巨大なものは、爆音の吠え声を上げ山中に響かせた。全長十数mにもなる巨体には、三つの首がある。大まかに言って翼が生えた獅子の姿をしているが、その両肩付近に山羊と竜の頭が生えていた。後ろに伸びた尾は先端が蛇の頭になっている。唸り声を上げる三つの口からは、火の粉を撒き散らす炎が漏れ出ていた。――キマイラだ。その巨体から溢れる膨大な魔力の輝きに、サキは思わず口笛を吹く。


キマイラは獲物の影を求めて三つのこうべを巡らせるが、やがて上空にある二人の姿に気がついた。サキも女性も、キマイラが襲ってきた瞬間に飛び退いたまま上昇を続け、落下することなく怪物の頭上高くに浮いている。両者の背には、金色の光で構成された翼が揺らめいていた。


キマイラは憎々しげに吠えると、自らもコウモリめいた翼を広げ飛び上がった。二人をめがけ急上昇するが、空中で見えない壁にぶつかったかの様に弾かれ地面へと墜落する。二人とキマイラの間の空中に、渦巻く空気の流れがあった。その中心では、魔力の煌めきが僅かに見て取れる。


「偵察から遊撃まで、マジで頼りになるぜ大気の精霊エア・エレメンタル


腕を組み自慢気に語るサキの背後で、女性が腕を眼前に突き出した。細い指先が宙に複雑な模様を描き、その軌跡を金色の光がなぞっていく。


「<喚起エボケーション大地の精霊アース・エレメンタル>」


指の動きを止め、女性が呟く。同時に眼下に伏したキマイラの前で、地面が盛り上がった。土と岩が吹き上がるように人型を成し、人間の背丈の三倍近い大きさの大地の精霊が姿を現す。


大地の精霊はキマイラに躍りかかると、その獅子の首を脇へ抱え込んだ。自らより遥かに巨大なキマイラを押さえつけながら、空いた方の手で竜と山羊の首を殴りつける。


「よっしゃ!そのまま抑えとけよ!!」


サキは爪の反撃を物ともしない大地の精霊に向かって叫ぶと、自らも空中に文様を描く。踊る光の線が幾つもの印を結び、最後にサキは一言唱える。


「<召雷コール・ライトニング>」


大地の精霊がキマイラの首から手を離して飛び退くと同時に、雨雲の一つもない空から青天の霹靂が轟いた。稲妻が地上のキマイラを打ち据え、荒れ狂う電流が周囲の山肌と木々を焼く。


「山火事はダメ」


女性の呟きとともに、周囲の大気が凍えるような冷たさを帯びた。キマイラを中心として、今度はこぶし大程もある雹が無数に降り注ぐ。その勢いは凄まじく、木々をへし折り地面を抉っていく。


「うわー。マジかよ」


「やっぱり、しぶとい」


雹の嵐がおさまった地上で、キマイラが怒りに満ちた咆哮を上げた。その体は随所で焼けただれ、翼の翼膜には大きな裂け目や穴が開いている。しかし三首六眼は戦意と憎悪を込めて、二人と大地の精霊を睨めつけていた。


「俺、帰っていいかなあ?こういう荒事って、魔術師の領分じゃないと思うんだよね」


「今更遅い」


「いつになったら塔に籠もって研究三昧の日々が手に入るんだよ。俺はこんなことの為に魔術師を目指した訳じゃねえぞ」


「黙って集中する。死ぬよ」


手負いのキマイラは肉薄してきた大地の精霊を躱し、二人がいる上空へ向けて再度飛び上がる。三つの口から漏れる炎がより強くなり、「火炎の吐息(ファイヤーブレス)」の予兆を伺わせていた。


「そいつぁ困る。国に身重の嫁さんを残して来てるんだ。こんなところで死ねねえよ」


サキは軽口を叩きながらも、その視線は油断なく狂乱の態のキマイラに注がれている。



――本当に、何で俺はこんな事をする羽目になったのかねえ。


眼前に陣取る大気の精霊に脳裏で迎撃を命じながら、サキ・アドニ・アルカライはこの世界に転生してからの出来事を何となく思い返していた。

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