第十五話 魔術オタクは里帰りを経験する

「それでは、呪文だけではなくて魔法使いにも階梯があるのですね?」


「そうです。第一階梯の魔法使い、第二階梯の魔法使いという風に呼ばれます。当然、階梯が高いほど強力な魔法使いということになります」


屋敷を出発した俺達は大通りから南の大門を通り、王都郊外に広がる農村地帯を駆け抜け、荒れ地を貫く街道から少し離れた小川のほとりで小休止をしていた。街道を利用する旅人が多く利用するせいか、草木は切り払われてちょっとした広場のようになっている。俺達はそこで馬車から降り、地面に厚手の敷物を広げて腰を下ろしていた。


王都からアルカライ村まで徒歩で三日。俺達は馬車と騎馬で移動しているが、それでも旅程は三日を見込んでいる。理由は、途中で休むことが出来る街道沿いの村が二箇所しかないから。馬車ではどう急いでも二日かかり、その場合は必然的に野宿となる。俺とルリアの幼児組がいることもあり、道中はかなりの余裕を持って予定が組まれていた。


ラズさんたちは馬に小川の水を飲ませ、御者のヨラムさんは馬車の点検をしながら、油断なく周囲に目を光らせている。そんな中で俺達は、ハンナが淹れてくれたお茶を飲みながら歓談していた。今は俺がナタンさんから、魔法について色々と話を聞いている最中だ。


「それでは、その魔法使いが習得している最も高い呪文の階梯が、その魔法使いの階梯をも示すということでしょうか?」


「正確に言えば、少し違います。現在の階梯の呪文を全て習得して初めて、魔法使いは一段上の階梯に上がれるのです。例えば第一階梯の呪文を全て習得しないうちに、第二階梯の呪文を習得したとしましょう。その魔法使いは第二階梯の呪文を使用できますが、魔法使いとしての階梯は第一階梯のままとなります」


「現在の自身の階梯よりも、高い階梯の呪文を習得できるのですか?」


「あまり勧められませんが、出来ます。但し技量が伴わずに高い階梯の呪文を習得しても、発動に時間がかかったり魔力を大きく消費したりと、良い事がありません。自分の階梯を上げるのにも遅れが生じます。ですので多くの指導者は、先ずは現在の階梯の呪文を全て習得することを優先するよう教えるのです」


とまあ、俺の質問に律儀に答えてくれるナタンさん。彼はこの広場に着いてすぐ、ラズさん達と同様に周囲の警戒に就こうとしていた。それをマリア母さんが「久しぶりに会ったんだから、ちょっと話でもしなさい」と強引に座らせたのだ。


ところが「最近どうしている」だの「いい人は見つかったのか」だの、適当に話した後で「サキ、貴方もナタンに尋ねたいことがあれば聞いてみなさい。現役の軍人で魔法使いの話を聞ける機会なんて、滅多に無いわよ」と俺に振る始末。だが確かに、こんなチャンスは早々ない。そんな訳で俺は知りたかった魔法の疑問点について、ナタンさんを質問攻めにしているところだ。


「ちなみにナタンさんの階梯はいくつなんですか?」


「第三階梯です。私だけでなく、『竜の翼』の隊員は全員が第三階梯ですね」


「ちなみに私は第二階梯。魔法学院を卒業した魔法使いの半数は第一階梯のままだから、これでも優秀なのよ~」


横から口を挟むマリア母さん。先程からルリアを膝の上に座らせて頭を撫でていたが、こちらの会話は聞いていたようだ。そのルリアはマリア母さんにされるがまま、我関せずと本を読んでいる。馬車の中で本を読むのは乗り物酔いしやすいからと止められていたので、ここで取り返すつもりらしい。


それにしてもマリア母さん、あれだけ姉弟子風を吹かせておいてナタンさんより階梯低かったのか……。どうやら、現実の姉弟が「先に生まれた」というだけで弟が姉に逆らえないように、姉弟弟子にも実力だけでは覆せない序列のようなものが存在するようだ。


「階梯を一つ上げるだけでも、大変なのですね」


「はい。先程マリア様がおっしゃられたように、第二階梯に上がった魔法使いは全体の半数以下です。これが第三階梯となりますと全体の約一割、アルカライ卿を始めとした第四階梯の魔法使いともなれば、王国全体で両手の指に満たないでしょう」


「そう考えると伯母様、じゃなかったお師匠様の第六階梯というのが、どれほど凄いか分かるわね。第五階梯に登った人すら他に居ないのに、第六なんて……」


マリア母さんはそう言うが、俺には正直ピンと来ない。高位の魔法使いが数少ない中で、頭一つどころか二つ抜けている婆ちゃんが凄いというのは分かるが。


いや待てよ。魔法使いの階梯を魔術結社の位階に例えてみたらどうだろう。そうすると婆ちゃんの第六階梯というのは、位階で言うと6=5<大達人アデプタス・メジャー>ということになる。え、マジか。凄えよ、人間が到達できるほぼ上限じゃねえか!第七は名誉職で、結社の創始者くらいしか名乗ってなかったらしいしな。


だがこの世界には、まだ上が存在している。シスター・マギサ。<神殿の主催者マジスター・テンプリ>と名乗った彼女は、その言葉を信じるなら8=3、第八位階の魔術師ということになる。肉体を持っていては到達できないとされる、結社の霊的指導者を示す位階だ。本人曰く「魔法の女神イシス」と呼ばれているそうだが、さもありなん。ルリアに憑依してその口を借りて話すなど、尋常な魔術師では不可能だろう。


だが、彼女が俺に託した「頼み事」については正直困っている。魔術の復興は、まあいい。どの道、俺が魔術師を目指すのは変わりようがないし、その過程で習得した魔術を広めればいいだけだ。しかし古代魔法王国の再興とか、人類を衰退から救うとかは、ちょっと無理難題が過ぎると思うんだがな。個人でやることじゃないだろ、それ。


「だいぶ休んでしまいましたね。そろそろ出発しましょうか」


ナタンさんの言葉に、思わず我に返る。どうやら思っていた以上に、休憩に時間を費やしてしまったようだ。周囲を見渡すと、ハンナがいない。どうやら魔法の話になりそうなのを察して席を外し、見張ってくれている男性陣にお茶を振る舞っていたらしい。今はラズさんと立ち話をしている。仲いいよな、あの二人。


ともあれ、休んでばかりいては何時まで経っても故郷に着かない。俺は一つ伸びをしてから立ち上がると、旅を再開すべく馬車に乗り込んだ。



それからの行程も、何ら問題なく進んだ。途中、街道の傍にある村で二泊したが、旅行にありがちなトラブルなど無くすんなりと通過できた。父さんが予め使いを出して、こちらの人員と旅程を伝えて宿を確保していたのが大きい。街道沿いの村と言っても、数十戸ほどの農村だ。王国の経済レベルの問題なのか、街道を利用する隊商なども少ないようで、つまり村には宿泊施設など無い。ではどうするのかと言うと、村長の自宅に泊めてもらうのだ。そのための先触れであり、前もって謝礼などは済ませてあるらしい。


簡素な寝台に心づくしの料理といったもてなしだったが、俺には全く不満がなかった。寝床が固くても床よりマシだし、飯だって腹に溜まれば文句はない。そもそも屋敷での生活すら、前世での生活環境に比べれば遥かに劣っているのだが、「こういうものか」と思うだけで特に気にはならなかったしな。前世の食事の再現?そんな事より魔術だろ。


それよりも応対に出てきた村長一家が、二度ともひたすら平伏といった態度だったのが驚きだった。これが貴族と平民の身分差かと思ったが、ラズさん達によるとそれだけではないそうだ。何でも我がアルカライ家は近隣の領主であることに加えて魔法の大家として知られ、王都周辺では大変な声望を得ているらしい。


それを聞いた俺の脳裏に、屋敷の料理長の「魔法使いはおっかない」という言葉が蘇る。ああ、「おっかない」の二乗なわけね。そりゃあ萎縮してしまっても仕方ないな。こちらが心配になるくらいへつらわれるのも、いい気はしないが仕方がない。軽んじられるよりはマシと思っておく。



そうして途中何度も休憩を入れながら、のんびりとアルカライ村を目指す。王都から離れるにつれ、耕作地などの人の手の入った景色が減り、森や荒れ地などの光景が現れるようになった。この間、街道を行き交う人の数は少なく、本気で王国の流通が心配になってくる。


マリア母さん曰く、収穫期になれば往来はもっと増えるそうだが、逆に冬ともなれば本当に人を見かけることは稀になるらしい。やはり自然の力には逆らえないということか。


それよりも休憩中に気づいたことだが、郊外へ出るにつれて大気に漂う魔力の粒が増えてきたような気がする。周りを見渡してみても、街道の上よりも離れたところにある森の方が明らかに魔力が濃い。自然が豊かな方が、空気中の魔力の量も増えるのだろうか。多分、俺以外に気にする者など皆無だろうが。


そして王都を出発して三日目の午後遅く、俺達はアルカライ村に到着したのだった。



「サキ様!ルリア様!ようこそおいで下さいました!!」


村に着いた途端、「何ぞ?!」という光景に出迎えられる。今まで通過して来た村とさほど変わらない、数十戸ほどの農家が集まっていると思しき村。その入口に、百を越えようかという人々が集まっていた。その先頭に立つ若い男が大声を上げると、わあっという歓声と共に拍手が打ち鳴らされる。


それ以上進めず仕方なしに馬車から降りると、群衆の熱気が更に一段上がったように見えた。皆口々に「ようこそ、サキ坊っちゃん!」だの「ルリア様!」だの叫び、激しく両手を振ったりその場で飛び跳ねたりしている。もしここが日本だったら、万歳三唱が始まりかねない勢いだ。


やがて人々の中から、老齢の男性が進み出てきた。髪や髭には白いものが混じっているが綺麗に整えられており、仕立てが良くこざっぱりとした装いも相まって、田舎暮らしを満喫している老紳士のような雰囲気がある。彼は振り向いて両手を上げ村人達を落ち着かせると、俺達に向き直り話し始めた。


「お二人とも、ようこそいらっしゃいました。私は村長のルース・アルカライ。村を代表して、ご挨拶をさせていただきます。アルカライ村はお二人を歓迎いたしますぞ」


その言葉が終わった途端、再び盛り上がる村人達。俺はその様子を見て、ちょっと気後れしていた。前世を通してみても、こんな風に大勢から歓迎されたことなど無い。まるで有名人が空港に降りた途端、出待ちのファンに囲まれたような有様だ。正直、どこかに隠れたい。ルリアなど早速俺の背後に退避している。


と、俺達の背中に手を回して前に押し出す人がいた。見上げてみると、やっぱりマリア母さんだ。周囲の村人から「マリア様だ」「マリアお嬢様」といった呟きが聞こえてくる。マリア母さんは群衆の目の前まで俺達を押し出すと、周囲を見渡してからこう言った。


「さあみんな、静かにして聞いて頂戴。これから、未来の当主様のお言葉があるわよ」


うわあ、この人やりやがった。見ると村の人達はさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返り、熱のこもった視線で俺とルリアを見つめている。そしてこの事態を引き起こした張本人は、両手を腰に当て「ふふん」とでもいった感じで静観の構え。吸盤でもあるかのように、俺の背中に貼り付いているルリアはもとより戦力外。


あー畜生、やるしかない。俺はわざとらしくも咳払いなぞして時間を稼ぎ、その間高速で頭を回転させてこの場に相応しい言葉を組み立て、語り出した。


「皆さん、初めまして。アルカライ子爵レヴィの嫡子、サキ・アドニ・アルカライです。こうして父祖伝来の地を訪れることができ、大変嬉しく、また誇りに思います。代々我がアルカライ家と共にあった皆さんは、我が家の宝です。これからも私どもと一緒に、アルカライ家を盛り立ててください」


瞬間、これまでで最大の歓声が爆発した。みな口々に「サキ様!」「サキ様」と俺の名を呼び、先程に倍する勢いで手を振ってくれる。年配者の中には、顔をくしゃくしゃにして涙ぐむ者までいる始末だ。俺はこの場に居づらい気持ちを感じながらも、何となく嬉しいようなくすぐったいような気分もあり、思わず村人達に向かって手を振り返してしまった。


「あーもう、どうしてこの子はこうなのかしらね」


見上げると、マリア母さんが湿度の高いじとっとした目付きで俺を見下ろしている。貴方の急な振りに応えてスピーチしたのに、何で俺が責められるの?


「マリア母さんが喋れって言ったんじゃない」


「もう少し慌てるとか、言い間違いをするとかしなさいよ。微笑ましいところを見せて、みんなに親しみを持ってもらおうと思ったのに」


「その期待が間違い」


ルリアが俺の背中に顔を埋めたまま、ぽつりと酷いことを言う。


「僕の後で、ルリアにも喋ってもらえば良かったかな?」


「無理」


即答するのな。まあ、大勢の村人の前にいきなり連れ出されて気分が悪くなったりしないか心配していたが、思ったよりルリアは大丈夫そうだ。それよりも、村の人達のテンションが全然下がらないんだが、これどうすりゃいいんだ?



「賑やかだねえ」


その声は、百人を超える人々のざわめきの中でもはっきりと聞こえた。瞬時に先程までの喧騒がかき消え、その場に静寂が訪れる。


俺達と村人達の間に、いつの間にか婆ちゃんが姿を現していた。以前にも見た簡素なローブをまとい、背丈を超える長さの杖を携えている。その姿を認めた途端、村人達が一斉に膝をついた。ハンナはもちろん、護衛のナタンさんや男性使用人達も跪き、マリア母さんだけがその場に立って頭を下げている。一瞬俺もつられてしゃがみかけていたが、慌ててそのまま頭を下げた。


「皆よく集まってくれたね。だが、孫達は王都から旅してきたばかりさ。ひとまず落ち着いて貰ってから、改めて顔見世の機会を設けようじゃないか。さあ、解散解散」


そう言って婆ちゃんが手を叩くと、村の人達は皆立ち上がって一礼した後、思い思いの方向へ立ち去っていく。場にざわめきが戻ってきて、ようやく俺も緊張を解くことができた。俺はルリアとマリア母さん、使用人一同と共に婆ちゃんのもとへ向かう。


「伯母様、ご無沙汰しております」


「お久しぶりです、お祖母様」


マリア母さんと俺は、婆ちゃんに向かって改めて頭を下げる。ルリアは俺の背から顔をのぞかせて、ぴょこりとお辞儀した。婆ちゃんは俺達を見渡しながら、満足そうな笑みを浮かべている。


「皆も息災そうで何より。サキ、ルリア、しばらく見ないうちにまた大きくなったね。ああ、ナタン。あんたも無理を言って済まなかったね」


「とんでもありません、お師匠様。お声掛けいただき光栄です」


後ろで控えていたナタンさんが、深々と礼をする。その様子を満足気に見ていた婆ちゃんは、俺達を見回してこう告げた。


「それにしても、よく来てくれたね。何も無いところだけれど、ゆっくりしていきなさい。とりあえずルースの家で荷解きをしてもらって、それから夕餉にしようかね。それでいいね?」


最後の言葉は、解散の後もこの場に残った村長さんに向けたものだ。村長さんは「承りました」と答え、もう一人一緒に残った若い男性とともに、俺達を村の中へ招き入れてくれる。この若い人、記憶が正しければ村に着いた時、最初に歓迎の言葉を叫んでいた人だ。村長さんの息子さんだろうか。ん、この人髪が黒くないか?もしかすると……。


「ねえ、村長さんたちってもしかして」


隣を歩くマリア母さんの袖を引いて問い掛けると、皆まで言わないうちに答えが返ってくる。


「そうよ。私のお父さんでエステル伯母様の弟、ルース・アルカライ。横にいるのが、兄さんのカロ・アルカライ。レヴィは忙しくて王都から動けないから、この村の面倒は代わりに父さん達が見ているの」


なるほど、村長兼代官みたいなものか。ちなみにルースさんとカロさんからは、普通の人と同程度の魔力の輝きしか見えない。婆ちゃん、マリア母さん、ルリア。もしかしたらアルカライの血は、女性により強く魔力を与えるのかも知れん。俺もこんなだし、俺の父さんだけが例外ということはありそうだ。


しかし親族だというのに、ルースさんやカロさんは随分婆ちゃんや俺にへりくだっている。同じ一族でも、貴族とそうでない者との身分差ということか。ちなみに俺の名前、「サキ・アドニ・アルカライ」の「アドニ」は貴族位を表す称号だ。村長一家にはそれがない。つまり分家ってことだな。


ん?そうなるとルリアはどうなる?彼女は俺の乳母子めのとごだが平民だし、自分の孫や姪に「様」をつけるのはおかしい。あれか、魔法使いというかその見習いだからか?いや、現に前を歩いているマリア母さんとルースさん、カロさんは普通に話している。まあマリア母さんは軽い人だし、敬語を使うには距離感が近いってのもあるだろうが。


俺の腕を掴んで歩くルリアを、横目で見る。俺の視線に気づいたルリアが、いつもの少し眠たげな目で見返してきた。これはあれだ、目で「おなかすいた」と語っている時の顔だ。


「村長さんの家に着いたら、お土産に持ってきたお菓子を出してもらおうな」


俺がそう言うと、ルリアはこくこくと何度も頷く。俺は何故か無性に可笑しくなって、笑いながらハンナに菓子の件をお願いするのだった。



村長さんの家は、邸宅と言っていい程立派なものだった。周囲にある農家と基本的な作りは変わらないが、構えが大きく二階もある。古いが良く手入れがされていて、「古民家」という表現がぴったりだ。ここに来る途中でもう一軒、同じぐらいに大きな家の前を通ったのだが、そちらには婆ちゃんが一人で住んでいるとのこと。隠居を決めた際、新しく建てたらしい。今居るこの家が婆ちゃん達の生家で、大昔からあるものを手直ししながら使っているのだそうだ。


疑っているわけじゃなかったが、旧家というのは本当なんだな。俺としては一刻も早く、この家に伝わるという巻物を見たかったのだが、着いて早々は流石にがっつき過ぎだ。夕食には婆ちゃんも同席するようなので、その場で切り出すことにする。


ルースさんとカロさんの奥さんたちが夕飯の準備をする中、俺達は結構な広さのダイニングルームでまったりとくつろぐ。アルカライ村も例に漏れず、街道を利用する旅人を村長宅に泊めたりするせいか、本家御一行九名様が入ってもまだ余裕がある。もっとも男性陣は荷物の運び入れや馬の世話があるので、今この場にいるのはナタンさんだけだが。


ハンナは夕飯の支度を手伝うと申し出たが「そんな事とんでもない」と断られたので、今は皆のお茶を給仕している。そんな訳で、俺は隣に座っている人をじろりと睨んでみた。


「私はほら、今日はお客様だしぃ」


「何も言わないうちから言いたいことを察するのは凄いけど、開き直るのはどうなのかな」


自分の母と兄嫁が忙しくしている中、のんびりとお茶などすすっているマリア母さん。その膝の上では、ルリアが無言でお茶請けの菓子を食べている。里帰りした娘がこれでいいのかと周りを見るが、ルースさんもカロさんも苦笑いを浮かべるだけだった。


「マリアに家事を期待しちゃ駄目だよ。小さい頃から、魔法ばかりやらせてきたからね」


意外ッ!それは婆ちゃんの援護射撃!!そこで気づく、これは自分のことも弁護しているのだと。何食わぬ顔で茶を飲んでいる婆ちゃんとマリア母さん、そしてお菓子に夢中なルリア。俺は今まで以上に、三代に渡る魔女の系譜に確かな血の繋がりを感じたのだった。



村長さん宅で振る舞われた料理は、屋敷で普段食べているものと比べても遜色がないものだった。パンに肉と野菜の煮込み料理、チーズにサラダといったシンプルなメニューだったが、とにかく肉と野菜が新鮮なのだ。聞けば、使っている野鳥の肉も野菜も、今日捕まえたり収穫したりしたものだという。流石は生産地と言う他ない。


「今日は遅いし、例の件は明日にしようかね。サキもそれでいいね?」


その夕食の席で、婆ちゃんがそう切り出してきた。早速釘を刺されたが、我が家の秘伝の話らしいので迂闊なことも言えない。仕方なく「分かりました」と答えておく。婆ちゃんは「いい子だ」と微笑んで、「それでだね」と言葉を継いだ。


「ナタンと屋敷の若い衆には、ちょっと使いを頼みたいんだよ。何日かかかると思うから、その間あんた達はこの村でゆっくりしていくといい」


「でも、ナタンって私達の護衛でしょ。いくら伯母様だからって、勝手に使っていいの?」


「いえ、自分はこちらに着いたらお師匠様に従えと、アルカライ卿からも言い含められておりますので」


「そういうことさ。それとも何かい、この年寄りは若い者たちに比べて頼りないとでも言うつもりかい?」


「そ、そりゃあ伯母様の居るこの村で何か企もうなんて、命知らずはいないと思いますけど……」


どうやらナタンさんとラズさん達は、この村に着いて早々別のところへ行かされるらしい。かなりゆっくりした旅程だったとは言え、目的地に着くなり次の用事とはご愁傷さまとしか言いようがない。そういう俺も、知らず知らず疲れが溜まっていたようだ。美味しい夕飯をいただいている間に、眠気が忍び寄ってきている。


ぼんやり霞み始めた視界の中で、隣のルリアがいつも以上に眠たげな表情でうつらうつらしているのが目に入る。うん、もうダメだ。どうせ巻物は明日なんだし、今日はこのまま寝てしまおう……。




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サキ達一行が、アルカライ村に着いて三日後。彼らが旅してきた街道からかなり離れた木立の中に、二十名になろうかという男たちが潜んでいた。


男たちは全員が綺麗とは言えない身なりに無精髭を伸ばし、山刀マチェットやショートソード、短弓などを携えている。一見したところ追い剥ぎか野盗のたぐいと思うところだが、それにしては数が多い。無論大規模な山賊団という可能性もあるが、この街道は行き交う人々もそれ程多くなく、この頭数を維持するのに必要な稼ぎがあるとは考え難い。また、男達の会話の内容が、彼らが唯の物盗りでないことを示していた。


「つまり、王都へ向かう貴族の馬車を襲う訳だな?それで、その馬車に乗ってる子供をひっ攫う、と」


「ああ。全部で七、八人は居るって話だが、なあに半分は女子供だ。男は皆殺しにして、ガキは攫うか、無理なら殺す。女はまあ、好きにしていいんじゃねえか?」


男達の間に、下卑た笑い声が起きる。明らかに、他者を踏みにじって奪うことに抵抗のない人間の表情だ。


「だがよ、子供を攫うのは面倒じゃねえか?あいつらやたらと泣きわめくし、ちょっと殴るとすぐ死んじまう」


「生きたまま引き渡したほうが、報酬がたけえんだよ。二人いるらしいが、両方生きてたら約束の五倍払うって話だ。しばらく遊んで暮らせるぜ」


ヒュー、と調子っ外れの口笛がいくつも鳴り響く。やる気が満ちてきた男達がいる一方で、浮かない顔をする者もいた。


「貴族に手を出すのは、正直気が進まねえな。護衛も腕が立つことが多いし、もしかしたら魔法使いがいるかも知れねえ」


「何だ、ビビってんのか?心配すんな、多少腕に覚えがあってもこの人数だ、囲んじまえば問題ねえ」


「その通りよ。だいたいいくら貴族だからって、そうそう魔法使いは雇えやしねえ。それに……」


先程から説明役を引き受けていたリーダーらしき男が、含みを持たせた物言いで背後を振り返る。そこには男達から少し離れ、一人で木立に寄りかかってうつむくマントを着た男が居た。


「魔法使いなら、こっちにも居るわな。お願いしますぜ先生」


先生と呼ばれたマントの男は、不機嫌な表情を隠しもせず無言で頷いた。



男のこれまでの人生は、一言で言うと「中途半端」だった。彼の生家は貴族に名を連ねていたが、村一つを領有するさして裕福でない男爵家だった。その木っ端貴族の、さらに次男として生まれた彼は、それから幾つもの挫折を経験していく。


家督を継ぐのは長男のため、両親は多少無理をして、彼を王都の私塾に通わせてくれた。そこでの成績は、可もなく不可もなく。他人より多少魔力があるということで魔法学校へ進むことを決めたが、入学試験を中々突破できず、不遇をかこちながら何年も過ごすことになった。二十歳を越えた頃、とうとう合格して魔法使いへの道を歩みだす。


しかしそこでも成績は芳しく無く、その上派手な威力に目を奪われて無謀にも上の階梯の呪文に手を出したため、卒業の基準を満たせずに放校。生涯呪文を使うことを禁じられる事となった。


退学が決定した時、彼の頭の中を占めていたのは怒りだった。何故、もっと裕福な家に生まれなかったのか。何故、跡継ぎとして生まれてこなかったのか。何故、もっと強大な魔力を持って生まれなかったのか。何故。何故。何故。


自分ではどうにもならないと感じた理由で、魔法使いへの道は閉ざされてしまった。魔法学校の学生だった頃、街を歩けばその身に纏うローブを見て、周囲から畏敬の念を向けられていたものだった。それが今では実家に戻ることも叶わず、平民達からも路傍の石を見るような視線を向けられる始末。


もう二度と呪文を使ってはならないなど、彼には耐え難かった。それは唯一、彼が「他人とは違う特別なものであった」ことの証なのだ。しかし一度ひとたび彼が呪文を使ったことが明るみに出れば、待っているのは死罪。自然と、彼は王都の闇に向かって歩を進めることになった。後ろ暗い連中を相手に、非合法の魔法の使い手として自身を売り込むことで、糊口を凌ぐようになったのである。


そのうち、彼は平服の上からマントを羽織るようになった。この王都でローブ姿は目立ちすぎるし、素性が割れる危険がある。マントは彼の精一杯の虚勢だった。こうして明らかな犯罪者達の中に身を置いていても、「俺はお前たちとは違う」という無言の意思表示なのである。


そうして鬱々と現在までの不運を思い出していた彼の意識は、「敵襲ーっ!!」という叫びによって現実に引き戻されることになる。




始まりは、どこからか飛んできた一本の矢だった。林に潜んでいた男達のうち、一人の喉に矢が突き立った。その男は「ひゅう」と空気の抜けるような声を上げると、すぐさまその声はゴボゴボという水音に変じる。白目をむき、喉から生えた矢羽を握りしめて男が仰向けに倒れ込むのを、周囲の輩は無言で見つめていた。


やがて周囲から「痛えっ!」「畜生!」と続けて声が上がり、更にはヒュンヒュンと連続して風切り音が聞こえてくるに至って、男達はようやく我に返った。慌てて頭を下げ、互いに大声で襲撃されていることを伝える。リーダーの男が下生えの間から矢の飛来する方向を伺うと、街道まで続く草地の途中、今居る林から三十メートルほどの距離に、片膝を突いて弓を引く三人の人影を見て取ることが出来た。


(どうしてバレた?いやそもそも、こいつらは何者だ?何故俺達を襲う?草地の中を這って接近してきたのか?本当に三人だけなのか?)


リーダーの脳裏に幾つもの疑問が渦巻くが、それを考えている間にも矢は飛んでくる。「ぐう」といううめき声と共に、また一人仲間が負傷したことを知ったリーダーは、頭を振って一番大事な損得計算に集中した。


(林の中を撤退すれば、すぐに矢は当たらなくなる。だがよ、ここで逃げちゃ丸損の上、俺達の評判も地の底だ。雇い主に言い訳するにしろ、邪魔に入った奴らをやっちまわなけりゃ言い分も立たねえ。相手は三人、林から出りゃ袋叩きに出来んだろ)


手前てめえら!ビビってんじゃねえ、打って出るぞ!」


この時リーダーの頭の中に、魔法使い崩れの男のことは計算に入っていない。この仕事が初顔合わせだったこともあり、何より奇襲により冷静を欠いていた。そうして男達は手に手に得物を持ち、林の中から駆け出していったのだった。



マントの男は冷めた目付きで、相手に向かって突撃して行く追い剥ぎ紛いの連中の背中を眺めていた。仕事が始まる前にケチがついたことから、一瞬全部放り出してしまおうとも考えたが、今回の依頼が断れない筋からの話だったことを思い出して踏みとどまる。全くやる気が出ないが、ひとまずあの射手達を黙らせねばなるまい。


「<アーマー>」


男が空中に指でシジルを描き一言唱えると、その体を不可視の障壁が包み込んだ。流れ矢に当たるのは馬鹿らしい。そうして不測の事態に備えてから、ゆっくりと木立の陰から戦闘を観察する。前方では襲撃者達も弓を捨て、得物を腰から抜いて白兵戦になっているようだ。<鎧>は不要だったか、と男は無駄に魔力を消耗したとばかりに舌打ちをする。味方は矢の攻撃で何人かの脱落者を出したが、それでも相手の四倍から五倍の人数だ。殴り合いなら負けはすまい、と男は静観を決め込む。


しかしおかしい。圧倒的な数の差を相手に、襲撃者は中々崩れない。それどころか、一人、また一人と、相手の剣を受けて味方が地に転がっていく。襲撃者はよっぽど腕の立つ者なのか?そうしてまた一人がうめきながら座り込んだところで、荒くれ共のリーダーが男の方を振り向いて叫んだ。


「旦那ぁ!何とかしてくだせえ!」


マントの男は心底うんざりした様子で、しかし隠れていた林の中から歩み出ていくのだった。



野盗のリーダーは歳若い男の隙を伺いながら、必死に相手の振るう剣を躱していた。さっきから横の仲間が何度か突っかけているが、相手は臆せず向かってくる。その顔は若いというより幼さすら感じるものだったが、冷めた眼差しが冷酷にこちらの命を狙っていると感じていた。


それより不思議なのは、さっきから自分や仲間の得物が何度もかすめているにも関わらず、眼前の男が全く手傷を負った様子がないことだ。確かに革製の胸当てや手甲、脛当てといった防具を身につけているようだが、リーダーのショートソードや仲間の山刀を完全に防ぎ切るほど厚い守りとは思えない。相手は全く傷を負わず、こちらはもう何人もやられている。そしてまた、「ぎゃっ!」という声が戦場に響く。別の相手に向かっていた仲間が、膝の上を白いものが見えるほど切り裂かれて崩れ落ちた。


リーダーの背中を、おぞましい悪寒が背骨に沿って走り抜けていく。何なんだよこいつら、絶対何かおかしい。パニック寸前になったリーダーは、ようやくこの場に参加していない味方の存在を思い出した。振り向くとあの野郎、まだ林の中に隠れてやがる。苛立ちと怯えと怒りを込めて、リーダーはマントの男に呼びかけた。


「旦那ぁ!何とかしてくだせえ!」



マントの男は乱闘から距離を取って立ち止まると、三人の襲撃者から適当な一人に的を定め、指で印を描き始めた。所詮は腕が立つ一般人、魔法使いに抗うすべなどあるはずがない。この呪文は決して的を外さず、その威力は板金鎧プレートメイルを着込んだ騎士さえも葬る。


魔法の矢マジックミサイル


男の指先から白い光条が尾を引いて飛び、あやまたず目標に着弾する。しかし次の瞬間、魔法の矢は狙った男に届く寸前で何かに衝突したように光を撒き散らして消えた。狙われた男は一瞬身体を竦ませたようだが、そのまま目の前の相手と切り結んでいる。


(<シールド>だと?そんなバカな。それじゃあ―― )


その光景を目にした途端、マントの男は身を翻そうとした。だが、振り向こうとした身体をねじることが出来ない。逃げ出そうとした足を、踏み出すことが出来ない。既に彼の身体は指の一本に至るまで、自分の意志では動かせなくなっていた。


「屑が。いや、貴様には屑という言葉すら勿体ない」


聞こえてきたその声には押し殺した殺意のようなものが込められており、マントの男は恐怖のあまり膝が砕けそうになった。実際には彼の身体は硬直しており、足が萎えることも倒れることも出来なかったのだが。また、何故かその声は頭上から聞こえてきたのだが、首も完全に固まっているので声の主を視認することも出来ない。とは言え、既に男はこの時、相手が誰なのか確かめる気概も失っていた。


眠りスリープ


再び頭上から声がすると、前方でまだ争っていた野盗達が次々と、糸が切れた操り人形のように倒れていく。唯一残ったリーダーがショートソードを投げ捨て跪き、三人の襲撃者に命乞いをする場面が見えた。そして、そのまま胸を突き刺されて倒れ伏す姿も。


マントの男は、心底怯えていた。もし身体の自由が効くなら、彼の口は歯の根が合わぬほどガチガチと鳴らされ、目と鼻からは滝のように水が流れていただろう。そして頭上からゆっくりと降りてきたローブの男を目にした途端、マントの男は恐怖のあまり意識を手放した。




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林の中、最後の男に土が掛けられ、均されていく。アルカライ家の侍従であるラズ・ハイムは全てのならず者たちの痕跡を消した後、ニシムとタルを伴って居住まいを整え、膝をついて口上を述べる。


「ナタン様。この度のご助力、誠にありがとうございました。守りの呪文を掛けていただいたお陰で、我々も傷一つ無く務めを果たすことが出来、心より感謝申し上げます」


魔法師団の士官、ナタン・グリオンはラズ達の礼を受け、頭を振りながら答える。


「私は命に従ったまで。それより、皆さんを危険に晒したことをお詫びさせてください。この者を生かして捕らえるために、万全を期す必要があったのです」


ナタンの足元にはマントの男が、簀巻きにされた上に猿轡を噛まされた姿で転がされていた。未だ気絶から醒めていない様子だ。それを見下ろすナタンの視線は、冷酷な侮蔑に満ちている。


「その男は、どうなさるおつもりですか?」


ラズの問いに、ナタンは笑いながら答える。


「別の仲間が、此奴を運び出す手筈となっています。私はこの男を引き渡した後、皆さんを追いかけますので、先に出発されてください。我々の戻りが遅いと、サキ様達に要らぬご心配をかけるかも知れませんので」


その言葉にラズ達は顔を見合わせるが、やがて一礼するとその場を去り、離れた場所に繋がれていた馬に跨って街道へと戻っていった。ナタンは彼らの背をしばらく見つめていたが、やがて視線を宙にそらし、ぽつりと呟く。


「同門の恥は、我ら自身の手ですすがねばな」


その言葉は誰に向けられたものだったか。ナタンは再び頭を振ると、待ち人が来たるのを木立の中で待ち続けるのだった。

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