第十四話 魔術オタクは旅立つ準備をする
「二度目の魔術の行使を確認。訴求対象が私自身であったため、
何処とも知れぬ漆黒の空間の中、若い女性の抑揚を排した声が響く。
女性の声に応える様に、壮年の思慮深さを感じさせる低い男性の声がする。
「何かの偶然ではなかったか、それは重畳。して、執行者はどの様な者だった?」
男の声が何処から響いてくるのか、天地さえ定かならぬこの空間では判然としない。遠いのか近いのか、そも声を発する者が実際に居るのか。全てが闇に閉ざされたこの場所では、それを問うても意味がなかった。
「場所は前回と同じく、ハノーク王国王都にある邸宅の一室。執行者は、二人の幼子でした」
「……待て。今、幼子と言ったか?」
「肯定です。一人は五つ六つと見える黒髪の女の子。少し私に似ていましたね。もう一人は同じ年頃の、金髪の男の子。生意気そうな外見に反して、非常に利発な受け答えをしていました。大人しく内向的な雰囲気ながら、人畜無害の仮面の下に腹黒い笑みを隠し持つ文学青年に育てるか、ちょいワルな空気を醸しつつ、遊び人風なのに内面は純真な貴公子に育成するか。悩むところですね」
暫くの間、その場に何とも表現し難い静寂の時間が生じる。ややあって、再び男性の声が何事も無かった様に響いた。
「……受け答えと言ったな。もしや降臨し、言葉を交わしたのか?」
「肯定です。少女の魔力が非常に強大であったため
「勝手が過ぎる。その様な幼子に降臨するなど、依代の命に関わる」
「降臨は依代の健康に問題のない時間内に留めました」
今度こそ、聞き逃しようのない溜息が聞こえてくる。その場に居合わせれば非常に気まずくなるであろう十分な間を置いて、次の言葉が発せられた。
「しかし解せぬ。よもや、子供同士の遊戯が
「簡易ながら祭壇も術具も揃っていましたし、詠唱も確かなものでした。降臨した際に分かりましたが、少女は少年の指導に従っていて、魔術の知識はほぼありません。翻って少年の方は、確かに魔術の知識を得ています。私に<
「……何百年ぶりかな、その敬称を聞いたのは。一体何者なのだ、その少年は」
「サキ・アドニ・アルカライ。ハノーク王国はアルカライ子爵家の、一人息子とのことです」
そこで両者の言葉は途絶え、どこまでも広がる暗がりに長い静寂が満ちた。何も見えず、何も聞こえず、人間であれば外部からの刺激が全く無いことで気が触れかねない程の時間が経過する。やがてぽつりと、年を経て嗄(しわが)れた老人の呟きが零れ落ちた。
「
それに対する
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「結構
「我が領地の村とは言え、跡取り息子を王都の外に出すんだ。当然だろう」
俺の呟きに、隣に立つ父さんが応えた。秋も深まったアルカライ邸の中庭には、二頭立ての馬車に加えて四頭の馬が並んでいる。それらの間を使用人の皆さんが動き回って、馬具や鞍袋を確認したり馬車に荷物を積み込んだりしているのだ。
「今回はマリアの里帰りも兼ねているから、どうしてもある程度は随行員が必要なのよ」
そう言う母さんの視線の先では、そのマリア母さんとルリアがダニおじさんに泣きながらしがみつかれている。跪いて二人を掻き抱き、行かないでくれと懇願する有様は俺もちょっと引いちゃうくらいに情けない。おじさんを見つめるルリアの視線が氷点下の冷たさだ。微笑んでいるマリア母さんのこめかみに青筋が浮かんでいくのが見え、我々親子三人はそっとその場を離れた。
俺が家伝の巻物を見たいと言ってから、一週間近くが経過した。故郷の村で隠居している婆ちゃんは快諾したらしく、次の日から旅のための手配をしたり村へ使いをやったりと、両親は結構忙しかったらしい。王都の中、それも端の方とはいえ仮にも貴族街にあるダレット商会へ行くのにも、あれだけ心配した人達だ。今回は徒歩で三日はかかるという、アルカライ家の旧屋敷がある故郷の村。ちょっとした小旅行と言っても過言じゃない。こうなることは、事前に予想してしかるべきだった。
俺はどうも、魔術に関係する事柄だと頭の中が短絡的になる傾向があるな。本来の仕事以外にも面倒をかけているのが忍びなく、父さんに「我儘言ってごめんなさい」と謝ってみたが、「お前のお祖母様が連れて来いと言うんだ。気にするな」とのことだった。とは言え、両親は貴族の務めと宮廷の仕事で忙しく、今回の旅には同行できないらしい。
代わりにマリア母さんが、「だったら私も一緒に行って、久しぶりに実家へ顔を出そうかしら」と言い出してしまった。更に「ルリアもお母さんと一緒の方がいいでしょう?」とのお言葉に我が幼馴染も黙って頷いたため、二人と数日離れ離れになる事に気づいたダニおじさんの絶叫が、屋敷に響き渡ったのは余談である。
そうして様々な準備と手続きが行われ、本日晴れて出発と相成った訳だ。
「屋敷からは他に誰が行くのですか?」
遠くで落ちた雷の音を聞き流しながら、俺は我関せずという態度を取るためにも父さんに問い掛ける。
「お前たちの身の回りの世話には、いつも通りハンナを付ける。護衛としてラズに、ニシムとタル。御者のヨラムで全員だな」
ニシムさんとタルさんは、屋敷の男性使用人だ。今はラズさんが俺とルリアに付いていることが多いので、代わりに両親の護衛や付き人をしている。ヨラムさんは屋敷の厩舎で馬の世話をしている厩務員で、馬車で出かけるときは御者も務めている。ううむ、屋敷の男手の過半を連れて行くことになるとは。
我が家は子爵家と言えど大貴族という程ではないので、屋敷で働く人もそれほど多くないのだ。馬も普段は馬車を引く二頭がいるだけで、今回は追加で四頭も借りてきているしな。
んん?待てよ、俺とルリア、マリア母さんにハンナが馬車に乗って、ヨラムさんが御者台。三人が騎乗でついてくるとして、四頭?もしかしてダニおじさんも一緒に来るのかとも思ったが、それならあんな風に身も世もなく泣き叫びはしないだろう。一頭を荷駄にするつもりだろうか?
「いや、流石にダニは同行させられない。屋敷が手薄になり過ぎるからね。実は今回外部からも、随行してくれる人間を頼んである……と、どうやら来たようだ」
父さんは俺の疑問にそう答えると、門の方へ顔を向ける。その視線を辿っていくと、開け放たれた門扉をくぐってローブ姿の男性が屋敷に入ってくるところだった。二十代半ばくらいの年頃だろうか、栗色の髪を短く刈り込み、前世で言えば警官かスポーツ選手かといった雰囲気を醸し出している。しかしその身に纏うローブは装飾こそほとんど無いが、一目で高級品と分かる代物だった。魔法使いばかりの環境で育っているので、俺もすっかりローブの良し悪しが分かるようになったな。
彼はまっすぐ俺達のところまで来ると、父さんの前で立ち止まり綺麗な姿勢で頭を下げた。その時彼のローブの襟元に、昔アザド団長が付けていたのと似たような徽章を見つける。ということは、この人軍人か。実家への帰省にガチ軍人さんの護衛とか、親父殿の本気がすごい件。
「ご無沙汰をしております、アルカライ卿。ご家族の護衛任務を拝命し、罷り越しました」
「よく来てくれた、ナタン。君が引き受けてくれたと聞いて安心したよ。息子たちをよろしく頼む」
「忙しいのに無理を言ってごめんなさいね。休暇だと思って、のんびりしてきて頂戴」
「滅相もありません。不肖このナタン・グリオン、大切なご家族に危険が及ばぬよう、全身全霊で事に当たらせて頂きます」
父さん母さんが親しげに声を掛けるが、この若い軍人さんは見た目通りお固い性格らしい。と、そこでマリア母さんとルリアがこちらへやって来た。見ると先程の場所で、ダニおじさんがこちらへ手を伸ばした姿勢のまま、身動き一つせず立ちすくんでいる。え、何あれ。もしかして魔法か?呪文使ったのかよマリア母さん?
「少しやり過ぎじゃない?ほどほどで許してあげなさいよ」
苦笑いを浮かべながら、そう言って
「あら、ナタンじゃない。他所からも護衛を頼むって、貴方のことだったんだ。もうウチの子達の紹介は済んだ?」
ひたすらマイペースを貫くマリア母さんに、父さんも苦笑しながら「今からだよ」と答える。そして隣に立つ俺の肩に手を回すと、軍人さんに向かって俺を紹介する。
「ナタンは初めて会うんだったな。私の息子のサキだ。今年で六歳になる。今は私の塾で魔法を教えているが、既に一つ二つ呪文を習得している。自慢の息子と言ったところだ。旅の間よろしく頼む。サキ、こちらはナタン・グリオン。王国軍に所属している魔法使いで、私やサーラ、マリアの弟弟子に当たる。そして……」
そのタイミングで父さんが横を見ると、マリア母さんが進み出てルリアを紹介する。
「私の娘のルリアよ。サキと同い年で、同じように塾に通っているわ……。こらルリア、ちゃんと顔を見せなさい」
相変わらず初対面の人を警戒するルリアは、マリア母さんの腰に抱きついて背後から出て来ない。仕方がないので、俺だけ一歩進み出てナタンさんに挨拶した。
「初めまして、アルカライ子爵レヴィが一子、サキと申します。両親のような立派な魔法使いになるべく、日々学ばせていただいております。どうかご指導よろしくお願いいたします」
丁寧に挨拶して、頭を下げる。俺は正式な魔法使いになったわけじゃないが、両親の弟子みたいなもんだからな。ナタンさんはその両親の弟弟子、前世の言葉で言えば俺の
続いてルリアなんだが……前に出そうとするマリア母さんと、しがみついたままのルリアとでちょっとした格闘になっている。あ、押し出されたルリアがそのままの勢いで駆け出して、俺の背中に張り付き背後霊と化しやがった。俺は諦めて、ナタンさんにルリアを紹介する。
「ルリア・シャロンです。同じく、魔法使いを目指して勉強しております。私共々、よろしくお願いいたします」
両親とマリア母さんが頭を抱えているが、ナタンさんは表情を変えず挨拶を受けてくれた。良かった、いい人のようだ。
「勿体ないお言葉です。自分は王国軍魔法師団飛行部隊『竜の翼』所属、ナタン・グリオン二等飛尉であります。非才の身ではありますが、サキ様、ルリア様に危険が迫らぬよう全力で努めさせていただきます」
ナタンさんのお硬い返答に続いて、父さんが補足してくれる。
「『竜の翼』は魔法師団でも選り抜きの腕利きを集めた、言わば精鋭部隊だ。若くしてそこに入ったナタンは、将来を嘱望される幹部候補と言っていい。安心して守ってもらいなさい」
「それは凄い。飛行部隊ということは、魔法で空を飛ぶわけですか?」
そう言いながらも、俺は思わずホウキに跨ったナタンさんが空を飛ぶ姿を思い浮かべてしまい、危うく吹き出すところだった。厳つい軍人達が隊列を組んで、一斉にホウキで空を飛ぶ……。こいつは酷い。とんだワルプルギスの夜もあったもんだ。いや、呪文で飛ぶんだからホウキは必要ないだろうけど。
「その通り。部隊全員が第三階梯呪文<
「魔法使いの飛行部隊を組織されたのは先代のアルカライ卿、そして私やレヴィ様の師でもあるエステル様です。これによって、我が国の魔法戦力は飛躍的に増大したと言われています。もっとも、魔法使いを兵卒と同様に部隊として編成した魔法師団そのものが、それまでの常識を覆すものだったのですが」
うーむ。婆ちゃんが凄い人だというのは色々な人から散々聞かされてきたが、ただとんでもなく強い魔法使いってだけじゃないってことか。戦争で活躍したと聞いているけど、個人的な武勇だけでなく部隊運用とかの面でも優秀だったと。そうでなければ、平民がいきなり子爵に除されたりしないか。
そして、ナタンさんの所属部隊『竜の翼』。竜ということはあれか、ドラゴンか。この世界にもいるんだな。ドラゴンと言えば強大で長命、莫大な財宝と知識を貯め込んでいるというのが定番だ。正直お会いしたくないが、もしかしたら昔魔術が使われていた頃について知っているかもしれないな。ま、唯の空飛ぶトカゲだったりする可能性もあるか。
「いつでも行けます!」
いつの間にか騎乗したラズさんが、こちらに向かって声を張り上げる。どうやら話しているうちに、出発の準備が整ったようだ。ニシムさんやタルさんも既に馬上の人となっている。「それでは、私も」とナタンさんが一礼し、残る一頭の馬の方へ歩き去った。さて、そろそろ俺たちも行くべきだろう。
「気をつけるんだよ」「楽しんでいらっしゃい」と口々に言う両親と抱擁を交わし、馬車に乗り込む。次いでルリアとマリア母さんが乗り込んできて……あ、ルリアは俺の隣に座るのね。向かいにマリア母さんとハンナが座って、後は出発を待つだけとなった。
やがて御者台からヨラムさんの「ハッ」という短い掛け声が聞こえ、手綱を当てられた馬が馬車を曳き始める。さあさあ、二度目の人生で初めての旅行に出発だ。俺は馬車の窓を開け、両親に向かって手を振ろうと身を乗り出し……?!
「マリア母さん!おじさんがまだ、固まったままだよ!!」
俺はそう叫んで、馬車の中のマリア母さんを振り返る。マリア母さんは頬に手を当てて、「あら?」とでもいうふうに首を傾げた。ルリアは何の反応もせず、馬車に持ち込んだ本を膝の上に広げて読んでいる。ハンナだけが、気まずい様子で「あはは」と苦笑いをしていた。
「しょうがないわね」
マリア母さんはそう呟きながら、耳の横で一つ指を鳴らす。俺は再び窓から身を乗り出し、後ろを振り返った。馬車は丁度屋敷の正門を抜け、通りに出て曲がろうとしている。門の向こう、屋敷の中庭で俺達に手を振る両親が見えた。その隣で、ダニおじさんががっくりと膝から崩れ落ちるのが一瞬見え、そのまま馬車の進行と共に視界から消え去った。
俺はそっと、馬車の窓を閉めたのだった。
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