第十話 魔術オタクは儀式魔術を行使する

「ラズから報告を受けました。やはり、自分達の雇い主については何も知らされていない様子です」


夜半。魔法の明かりに照らされたアルカライ邸の書斎では、向かい合ってソファにかける二人の人物の姿があった。一人は現当主のレヴィ、もう一人は先代当主たるエステルである。


「蜥蜴の尻尾の、そのまた先端さ。自分達が何にぶら下がっていたかなんて知りゃしないよ。それよりは連中をとっ捕まえた事で、より本体に近い部分が慌てて動くのを期待してたんだけどね。網を張ってあった界隈じゃ、そんな動きはなかったとさ。流石にそこまでの馬鹿じゃあないか」


そう言ってエステルは長い煙管を取り出し、火皿に火をつける。無論、指先に灯した火で……ではなく、普通に火打ち石である。呪文は効果が一定であるため、火球ファイヤーボールのような呪文の威力を弱めて火起こしに使うといった用法は不可能なのだ。


一つ、二つと煙を吐いて目を細めるエステルの前、ソファに挟まれた丈の低いテーブルの上に酒盃が置かれている。ガラス製ではなく、木製だ。ハノーク王国のみならず現在の人類圏ではガラス工芸は実用化されておらず、器は木製か陶製が主流である。表面を木目が美しく彩るように胡桃材をくり抜いた器に、レヴィが静かにワインを注ぎ入れる。次いで自身の酒盃にもワインを満たしながら、レヴィは問うた。


「どのみち今回も監視するだけだったのなら、今まで通り捨て置けば良かったのでは?」


「先程も言ったように、もっと上の連中が釣れないかと期待したのが一つ。もう一つはまあ、嫌がらせだね」


「嫌がらせ、ですか」


呆れたように鸚鵡返しをするレヴィに対し、エステルはくつくつと笑いながら酒盃に手を伸ばした。ワインを一口含んでから言葉を継ぐ。


「また人を雇うにせよ、一旦監視は止めるにせよ、相手にしてみたら大した痛手じゃないだろうさ。だけど気分は悪いだろうね。そして、それが大事なんだよ」


実に人の悪い笑みを浮かべながら、煙管片手にエステルはそうのたまう。その様を眺めながら、実の母なれど本当に困ったものだとレヴィは内心嘆息した。要するに、煽っているわけだ。敵を苛つかせ、それを重ねることで相手の暴発あるいは悪手を待っているのだろう。レヴィはやれやれと首を振りながら、エステルに再度問うた。


「そう言えば、二人にはお会いになったのですか?」


「私が動いていることを悟られる訳にはいかないからね、面と向かって会っちゃいないよ。けどまあわざわざ出張って来たんだ、遠目から顔は拝ませては貰ったけどね」


そこでエステルは煙管から口を離すと、目を閉じて話し始めた。


「ルリアの魔力が凄まじいことになっている。今思い出しても、震えが来るくらいさ。昔会った時でさえ前人未到の領域だったのに、あの頃の倍には達してるんじゃないかねえ。本当に末恐ろしいよ」


その言葉にレヴィは酒盃を口元に運ぼうとしていた手を止め、しばし呆然とする。三歳の頃でさえ王国史上最強と言われるエステルを凌ぐ魔力だったのに、六歳の今はその倍?もはや、信じ難いとかそういうレベルではない。


「それ以上に驚いたのが、サキの魔力も大きくなっていたことさ。元が小さいから、今でも精々一般人並みだけどね。それでも、あれほど僅かな魔力では呪文の行使も難しかったはず。それをどうやってか、詠唱を可能にしているようなんだよ。一体あの二人に、何があったのか……」


そこまで言って、エステルは胸中に溜まったものを吐き出すように大きく息をついた。


「外のことも気がかりだけど、それ以上に内のことが気になるね。一体何が、あの二人を特別にしているのか。事と次第によっては、とんでもない騒動になる気がするよ。そう、魔法の常識を変えてしまうような」


エステルの言葉に、レヴィは真剣な面持ちで頷いた。


「二人が講義を受ける様子や屋敷での過ごし方などについて、聞き取りを始めています。同時に、これまで以上に塾の関係者には箝口令を敷いていますが……既に一部では噂になっているようです。『アルカライの私塾に、恐るべき才を持った童女がいる』と」


「人の口に戸は立てられない、か。仕方ない、どうせいずれは知れることさ。これまで通り、隙は見せないようにやっていくしかないね。頼んだよ」


「はい、母上」


そこまで語らった後、二人は言葉を交わさず黙々と杯を重ねた。やがてワインの瓶が底をつく頃、魔法の明かりが不意に途絶え、同時にエステルの姿も消える。残されたレヴィは暗闇の中、テーブルに残された二つの酒盃をじっと見つめるのだった。




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ハンナの実家で短剣を注文してから、十日が過ぎた。塾での講義から屋敷に戻ると、ダレット商会より届け物があったと知らされる。遂に来たか、と俺はウッキウキで包みを受け取り部屋に戻った。


夕食後、慎重に包みを開いて短剣を取り出す。革製のホルスターと、特注の赤い塗料もだ。念の為に部屋の窓を開け放って、鞘から抜いた短剣の刀身に刷毛(サービスで付いてきた)で塗料を塗っていく。薄く塗っては軽く乾かし、ムラにならないように重ね塗りし、……ややあって、綺麗に塗れたと思ったところで刷毛を置いた。これから一晩乾燥させて、本番は明日だ。


「それ、何に使うの?」


作業が一段落したところで、ベッドに座って日課の訓練を行っていたルリアが尋ねてきた。何と答えたものか……。少々悩んで、俺はルリアに告げる。


「魔法を使う時の道具だよ。これがあると上手くいくんだ」


嘘じゃないよな?いや、正しくはないか。まあ、まだ魔術に関しては詳しく話せないからな。


「……私も欲しい」


「ルリアも?うーん、そうだね。よし、じゃあルリアには別のものを作ってあげよう」


ん、と頷くルリアを見ながら、俺は考える。もし魔術の実践が上手く行ったら、ルリアに魔術を教えるのもいいんじゃないかと。今後魔術を研究するにも一人より二人が捗るだろうし、儀式魔術には複数人数で執り行うものもあるからな。いずれ、俺が魔術を修めようとしていることは隠せなくなる。魔法の世界に魔術を持ち込むことでどんな影響が出るか分からないが、ルリアなら俺の味方になってくれるんじゃないかという気がする。


塗装作業の後片付けをしながら、さてルリアにはどんな魔術武器がいいのかと俺は考えるのだった。



翌日の夜。俺は少々緊張しながら子供部屋で儀式の準備をしていた。これから、昨日作った「火の短剣」を<聖別>するのだ。それはつまり、俺が初めてこの世界で魔術を実践することを意味する。


部屋の中には、俺が色々準備して集めた物品が揃っている。今から行う魔術儀式に使用するものだが、わりと一般に手に入る物ばかりだ。これがゲームやファンタジー小説みたいに、冒険の末に手に入る凄いアイテムや伝説の品じゃなくて助かったぜ。ま、俺の魔術知識は前世のものだし、あの世界にそんな突拍子もない物はまず無いからな。


それでは俺の集めた品々をご紹介しよう。まずは祭壇。適当な木箱を重ねて、上に黒い布を被せたものである。しょっぱいとか言いなさんな。勿論将来には日常的に魔術を実践する儀式場を用意して、そこに立派な祭壇を据えるつもりだが。今はこれでいいのだ。


本当は床に魔法陣(「マジックサークル」の和訳なので「魔法円」が正しいと思うのだが、日本ではすっかり「魔法陣」が定着してるので)も描きたかったのだが、後で絶対にマリア母さんやハンナに見つかって怒られると思い、泣く泣く断念した。


香炉とお香。これが大変だった。シュガーポットみたいな形をした陶製の香炉とそれに使う香料は、貴族階級では一般的だが結構値が張ったのだ。今まで使う当てもなく貯めてきた小遣いが、これと先日買った短剣でほぼ吹っ飛んでしまった。お香はムスクがいいらしいがこの世界にあるかどうか分からないし、動物性の香料はメチャクチャ高価な予感がしたので一般的な香木を入手した。前世で言えば糸杉だろうか?スッキリした森の香りで落ち着いた気分にしてくれる。


陶器の鉢。水が満たしてある。それとランプ。これらは屋敷にあるものを使っている。後は用意していた「火の短剣」で全てである。


祭壇に香炉と鉢、ランプを並べる俺をルリアがじっと見つめている。彼女には見ていてもいいが、声は掛けるなと言い含めてある。儀式は一度でも集中が乱れると、日を改めてやり直しになるからな。


さて、祭壇に向き直り儀式を……と思ったところで気づく。やべえ、神名とか天使の名前とか、どうしよう?俺この世界の神様の名前とか知らないし……。んー、これは要調査項目として後日調べるとして、今は取り敢えず前世のままの内容でやるしかないか。固有名詞以外は、こっちの言葉で大丈夫だろ。


仕切り直し、もう一度祭壇に向かって立つ。俺は用意した「火の短剣」を右手に持ち、呼吸を整えリラックスする。短剣を頭上に掲げ、頭の上から額、胸へと下ろしていく。「火の短剣」の動きに従い、天上から巨大な光の柱が降りてきて俺の全身を貫くさまを幻視すると同時に、ゆっくりと祈りの文句を唱えた。


「汝、王国」


「火の短剣」を右肩に当て、左肩へと動かす。先程と同様に光の柱が右手側の地平線の彼方から伸びてきて、左側へと貫通する様子をイメージして唱える。


「峻厳と 荘厳と」


二本の光の柱が俺を中心に巨大な十字架を形作り、全身が光で満たされる。「火の短剣」を立てて両手を胸の前で組み、最後の文句を唱えた。


「永遠に 斯くあれかし」


これが西洋魔術の基本中の基本、「十字の祓い」。<浄化>に分類される儀式で、俺の中から悪い想念を取り除き魔術の執行に適した状態にするのだが……特に何も変わらんな。強いて言えば、俺の体内の魔力が薄く全身に広がっているようにも見える。


ま、今日行う儀式は特に目立った効果が現れる様なものじゃないんで分からないだけかも知れんが。おっと、魔術の行使中に雑念は不味い。意識を切り替えて、次の儀式に集中する。


俺は「火の短剣」で眼の前の空中に五芒星を描く。五つの頂点が線で結ばれた星型だ。左下の頂点から始めて一筆書きの要領で描き、短剣の軌道をなぞって光の線が星の形を結ぶのをイメージする。空中に浮かぶ光の五芒星を幻視しながら、俺はなるべく朗々と響くような声で詠唱する。


「我が前方に風、我が後方に水、我が右手に火、我が左手に地」


「我が四囲に五芒星、炎を上げたり。光柱に六芒星、輝きたり」


唱え終わると、俺は祭壇に近づき「火の短剣」を捧げ持つ。そのままうやうやしく祭壇に短剣を供えると、鉢の中の水に指先を入れて四方に撥ね散らかす。


は大いなる原初の海なり 聖なる飛沫しぶきによって浄められたり」


次はランプを手に取り、捧げ持って詠唱を続ける。


は色無き原初の炎なり 虚ろなる幻影を焼き深淵を照らすものなり」


香炉を置き、再び鉢の水に手を伸ばして「火の短剣」に振りかける。そのまま指先で二度、三度と水を短剣に塗り込むようにし、再度唱えた。


「至高の聖名において 我はすべての悪しき力と種子たねを打ち払わん」



そこまで唱えた時、頭の中でピン!と何かが音を立てた気がした。例えるなら、ラジオのチューナーをデタラメに回して一瞬だけ電波を拾った時のような感じだ。同時に、頭の中が広がって宇宙全体と繋がるような、そんな幻想に襲われる。そしてそれはあっという間に消え去り、目の前には先程までと同じ部屋と祭壇が見えているだけだった。……何だ、今の?


前世でこの<聖別>の儀式を行った時は、さっきみたいな現象は起こらなかった。いや、俺の意識の中だけのことで、実際には何も起こっていないのか?まずいまずい、儀式の途中で雑念に囚われてはいけない。俺は努めてさっきの事を意識から追い出し、最後にもう一度「十字の祓い」を行って儀式を終了させた。



「ふう……」


何とか儀式を終わらせ、<聖別>された「火の短剣」を手にする。<聖別>は魔術武器を始めとした魔術に使用する道具を神聖な力で満たすもので、言ってみれば司祭さんが武器に祝福を与えるみたいなもんだ。


魔術と神聖な力って相性が悪そうだが、それは二十一世紀の日本の文化に基づくイメージ。基本魔術は自分より偉大な存在、例えば神・天使・精霊などの力を借りて行使するもので、その辺が魔法とはぜんぜん違うのだ。


この「火の短剣」だって、ゲームでよくあるような「魔法の武器」になったわけじゃない。俺の魔術武器として霊的な繋がりが出来たというだけだ。ま、もしこの短剣に良くない謂れがあったとしても(新品を買ったのでそんなことはまず無いが)、今の儀式で<浄化>に<聖別>を行ったので問題なくなっているはずだ。今後魔術の儀式を行う際は、この「火の短剣」を用いることで効果がより大きくなるだろう。


「終わったよルリア。どうだった?退屈だったんじゃないかな」


俺はたった一人の観客に対して問いかける。ルリアはふるふると首を振ると、ぽつりと感想を漏らした。


「何か、サキの周りに大きな力が集まっているように感じた。終わったら、消えてなくなったけど」


おっと。この無口な幼馴染にしては長いコメントだ。しかしそうか、そんな風にルリアは感じたか。俺の目で見ると「火の短剣」には何の魔力もないので、今の儀式が成功していて実際に何かの力を呼び集めていたとしても、魔法的には何の意味もないということになりそうだな。その辺も、今後検証していくことになりそうだが。


「私の時も、今のをやるの?」


「そうだよ。自分の魔術武器は、自分で<聖別>しなきゃならないからね。大丈夫、ちゃんと教えてあげるよ」


そう言いながら、俺は先程の<聖別>儀式の最後の方を思い出していた。何か、世界全体と繋がるような感覚……あれは、この世界で魔術を行使したことによる影響なのだろうか。形成界イェツィラーでアズラエルさんに聞いた「魔術が実際に使える世界」という言葉が正しければ、この世界でも魔術は行使できるはずだ。それは前世で体験した、霊的というか観念的なものだけではないのかも知れない。


ともあれ魔術を実際に執り行って、しかも効果らしきものを体感することが出来た。今後はもっと儀式の道具も増やして、魔法陣も用意して……そうそう、ルリアの分の魔術武器も手配しないと。彼女にはどんな武器がいいだろう?本人の意見も参考に聞いてみないといかんだろう。


後、この世界の信仰や神話に関する知識が不足している。西洋魔術では、大昔にはりつけになったお方に主にお世話になっていたわけだが。流石にかのお方がどれだけ偉大でも、違う世界まで加護が及ぶとは思えんからな。やっぱりこの世界での崇拝対象をきちんと知って、礼を尽くしてお願いしないと魔術の効果もないだろうし。


魔法の修行も同時並行しなきゃならんし、やることだらけだな。それはそれで、退屈せずに助かるが。そんな事を考えながら、俺は今日のところはもう寝ることにした。




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どこか遠く、光の差さぬ闇の場所。


全くの静寂を破って、若い女性の声が響く。


「大陸東部地域で、魔術が行使されたことを確認しました」


「……長かったな。かれこれ、四百年振りか。大陸東部ということは、やはりコンスタン侯国か?」


落ち着いて、年齢を感じさせる男性の声が尋ねる。


「いえ、最近になって新しく興された国です。確か、ハノーク王国」


若い女性の声は、抑揚を感じさせない調子で返答する。対する男性の声は、幾分怪訝な色をのぞかせていた。


「ハノーク王国?私の記憶では、あの辺りは辺境地域で<遺産>もごく僅かしか残っていないはずだが……?」


その問いに答える声は無く、しばしの間沈黙が闇の中を支配する。


「何処でも構わん。何れにせよ、人類は我らが期待通りに魔術を取り戻した訳じゃ。此度こたびはもういにしえのような失敗を起こすことは出来ん。慎重に、この微かな種火を育てねばなるまいぞ」


年老いてかすれたような第三の声が、二者を取りなすように響く。そしてもうそれ以上、闇の中で静寂を乱すものはなかった。

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