第二十三話 魔術オタクは学院の試験に臨む

「うぁーーーー……疲れたぁ……」


学院都市でもかなり高級な部類に入る宿「女神の導き」亭で草鞋を脱ぐと、俺は部屋に入るなり寝台に身を投げ出した。そしてそのままゴロゴロと転がりながら、情けない声で呻きを上げる。下手な宿でこれをやるとのみしらみや南京虫が「コンニチワ」してくる危険な行為だが、流石に貴族御用達の高い宿だけあって、ここのシーツにそんな兆候はないようだ。シーツの下に敷いてあるクッションも、柔らかく俺を受け止め痛みを感じさせる事はない。


俺がこうまでダメージを受けている原因は勿論、さっきの学院都市に入る際の一幕だ。何か後ろの方が騒ぎ始めて、それが随分続いているのでハンナが止めるのにも構わず馬車から降りて後悔した。何か、余所の騎士とトラブっとりますやん。ラズさんやナタンさんでも押さえられないようだったので、いつものように俺に付いてこようとしたルリアと窓から様子を窺っていたロシェ君にイサク先輩を馬車に押し留め、一人で事件発生現場に向かったのだ。立場上、俺がこの一行で一番偉いから仕方がない。


それにしても、酷い伝令もあったもんだ。まだ近くに来てもいない主人のために、他の貴族に向かって通過するまで脇にどいていろと要求するとは。確かに侯爵家ともなれば、自領やその周囲では大抵の横車は押し通せたのだろうが、王都近辺まで来てそれをやるというのは愚行という他ない。カツィール侯爵家にはあんな馬鹿な家来しかおらんのか?


などと愚痴ってはみたが俺も子爵家の嫡男、その辺りの事情は想像できる。高位貴族だからといって、人的リソースが無限にあるわけではないのだ。気が利いてしっかりした直参はまず長男の側近に、弟たちには残った人材を供回りに充てがっていくものだ。三男ともなれば、本当に残りカスしか回ってこないのだ。


それにしたってあのバウマンとかいう騎士は、下振れにも程があると言いたい。伝令という立場を利用して主の見ていないところで、侯爵の威光を笠に着てマウントを取ることが習慣になっていたのかも知れんな。アウトとしか言い様が無いが。


それにしても、我が家のことを「木っ端貴族」と罵ったのはやり過ぎだった。揉めてる所へ向かっている最中に、思わず自分の耳を疑ったからな。もうね、実際がどうあれ言っちゃならん言葉ってのがあるわけですよ。それを口にしたら……戦争だろうがっ……!!って言葉。公の場であんな事を言われたら、もう看過することはできない。だって、放置したら舐められるから。


俺も貴族の子弟をやって七年目だし、ついこの間マリア母さんから貴族のあれやこれやについて話を聞いたから分かっている。舐められたら奪われるのだ、貴族という業界では。この世界では前世にあったような法の概念が薄い。法律やルールはあくまで「強者が弱者に守ることを強要する」ものだ。その執行はかなり恣意的なものだし、上位者は決まりに縛られることはない。よって「あれ、コイツ弱いぞ?」と思われたら、容赦なく毟られるのが常識。「万人の万人に対する闘争」から、さほど遠ざかっていない世界なのだ。


だからあの場で、即座にやり返す必要があった。でなければ「アルカライの跡取りは腰抜け」という風評が広まり、それは父の子爵家当主としてのメンツや王室魔法顧問という肩書の威信を傷付けることになる。引いては、アルカライ家の権勢そのものを損なってしまう事にも繋がるわけだ。俺が生まれた時から育てて貰った屋敷の使用人や、里帰りで歓迎してくれたアルカライ村の村人達にまで迷惑が掛かるわけよ。考えただけで、胃の辺りがずんと重くなって気分が悪くなる。


これが貴族の責任。家臣と領民の運命を背負う重さってやつか。


俺は寝台に仰向けになり頭上に手をかざすと、部屋に設えられた薄暗いランプと宙に漂う魔力の光に手の平を透かし見る。小さな、数えで七歳になったばかりの子供のだ。こんな小さな手でも、両親の庇護を離れたら周囲の人間を護っていかねばならない。その事実に震える。俺は人生二周目なのでまだマシだが、他の貴族の子弟はどうやってその重みに耐えているんだろうか。


その時、頭の上で寝台が僅かに軋んだ音がした。そして俺の掌同様に小さく、冷たい手が額に当てられる。


「大丈夫?」


頭上で小さく、か細い声が俺を気遣うのが聞こえる。寝台に腰を下ろしたルリアが、熱を測るように俺の頭に手を置いていた。その手に俺の手を重ねながら、目を閉じて返事を返す。


「ちょっと、しんどかったかなあ。少し休めば平気だよ」


「無礼者を相手に、頑張ったって聞いた。サキ、偉い」


「ありがとうルリア。俺、本当に頑張ったんだよ」


俺は仰向けの姿勢から半身を起こし、そのままルリアの腰に抱きついた。太腿ふとももに顔を埋める俺の頭を、ルリアが優しい手付きで撫でてくれる。その心地よさに身を任せながら、俺は再度先程の一幕について思いを巡らす。


今回は俺の想像する貴族っぽい振る舞いと、ナタンさんの魔法で事なきを得ることが出来た。相手を脅すには一に威圧をかけること、二に暴力をちらつかせること。これに限る。土下座で命乞いをする騎士バウマンの姿は学院都市の衛兵達にも見えただろうから、この件でアルカライ家うちがイモ引いたと思う人間はいまい。


だが、もしあの場でバウマンが逆上し、俺に襲いかかってきていたら?俺は突きつけた指でシジルを描き、<魔法の矢マジック・ミサイル>の呪文を発動せねばならなかったろう。そしてそれは、バウマンの命を簡単に奪っていたはずだ。そこで俺が呪文を唱えるのを逡巡したとしても、側にはナタンさんがいたから何とかしてくれた可能性が高い。まあその場合でも、バウマンの命は無かっただろうが。


そしてバウマンを殺してしまえば、もう後戻りは出来ない。俺達は奴の亡骸と共に侯爵家子息の一行が来るのを待ち、伝令の騎士を無礼討ちにしたと伝える他なかったろう。バウマンの遺体を引き渡して別れ、それぞれがそれぞれの親に事の次第を報告し、両家の間で政治的決着がつけばまだマシな方。下手すれば戦力不明なユリ・アドニ・カツィール率いる一団を相手に、その場で殺し合いが始まっていた。そして流血は更なる報復を喚び、俺が脅しで口にしたようなアルカライ家とカツィール家の全面戦争に繋がった可能性すらある。


殺し殺される覚悟どころか、大勢の人間を死に追いやる決断まで迫られるとか、正気じゃ務まんねえな。


そうは思うが、この責任を投げ出したいとは思わない。何故なら俺が今まで安全で豊かな生活を送ってきたのも、充分な教養と魔法の知識を得ることが出来たのも、何より家伝の巻物からいにしえの儀式魔術を発見できたのも、すべて俺がアルカライの家に生まれついたからこそだからだ。


俺は既に両親と婆ちゃんに、そして我が家のご先祖様達に返しきれない程の恩を受けている。これに報いずして逃げ出すとか、俺的には一考の価値もない。


ながら、門の前での一連の遣り取りが俺の精神力を酷く削ったのも確かだ。俺は癒やしを求めて幼馴染の太腿に顔を擦り付け、ルリアはそんな俺の髪を梳くようにして頭を撫でてくれる。その時部屋の扉を叩く音がコン、コン、コンと三回聞こえ、次いで扉を開けてハンナが入ってきた。手には湯気を立てている料理が盛られた皿や器が載ったトレイを持っている。宿の厨房から夕食を取ってきてくれたのだろう。


「お邪魔でしたか?」


部屋に備え付けのテーブルにトレイを置きながら、ハンナが俺達に笑いかける。彼女には珍しい、ちょっと悪戯いたずらっぽい笑みだ。俺はルリアに抱きついた姿勢を崩すこと無く、顔だけ上げて答える。


「別に?こんなのハンナがいても、普通にやってるでしょ?」


「サキ様がルリア様に甘えておられるのは、珍しいと思いまして」


「そうかな?……そうかもね」


「ハンナはもう少し、ゆっくり来るべきだった。残念」


「それはそれは、大変失礼致しました。でも、お料理が冷めてしまいますからね。お二人とも夕食にいたしましょう」


ルリアがポツリと漏らした言葉に、ハンナの意地の悪い笑みが止まらない。おのれ、これは昼間の馬車の中の件、その意趣返しも少し入ってるな?でもまあ確かに、料理が冷めては勿体ない。俺は心の中で一つ気合を入れて腕を解くと、起き上がって夕食を取ることにした。食べ終わったら、そのまま就寝だなこりゃ。今夜は多分、夢も見ずに眠れるだろう……。




学院都市に着いた次の日。俺は宿の部屋から一歩も出ずに、寝台でゴロゴロと寝返りを打っていた。ルリアは俺の隣で寝台に腰掛け、持ってきた本に目を落としている。


余裕を持って試験の二日前に学院都市入りしたため、今日一日はオフの予定だった。ここに来るまでは密かに、試験前日は学院都市の見物でもしようかとも考えていたのだが、昨日の一件でそんな気はすっかり失せてしまったと言うのが実情だ。思った以上に、あのいざこざの精神的ダメージが尾を引いていたようだ。それに街中でばったり、昨日揉めた侯爵の三男坊一行と出くわしたりしたら気まずいだろ。


隣の部屋に二人で泊まっているロシェ君とイサク先輩には一応、朝食後に街を見て回ってきたらと勧めたのだが、二人とも明日の試験のために最後の勉強をするので宿から出ないと言っていた。これは前世での経験談だが、この期に及んで勉強とかしても試験にはほとんど役に立たないぞ。まあ不安を紛らわせる効果はあるので、特に何も言わなかったが。


それに警護対象が全員出歩かないというのは、護衛をする側にとっては有り難いはずだ。ナタンさんやラズさん達は二人ずつに別れて、俺達の部屋と先輩たちの部屋を両側から挟むような形で二部屋取っている。この「女神の導き」亭は高級宿なので部屋数もそれほど多くないのだが、そこを並びで四部屋、数日間押さえるとか結構な出費になったんじゃないだろうか?本当に両親には感謝しか無いな。


そういう訳で俺達アルカライ家御一行は誰一人宿から出ること無く、そのまま学院の入学試験当日を迎えたのだった。



さて試験本番の朝。俺達子供四人組はナタンさんとラズさんに付き添われ、街の中心にあるタルグーム魔法学院へ向かっていた。まっすぐ伸びる大通りが行き着く先に、学院の巨大な建物が鎮座しているのがここからでも見える。学院都市に到着して女神の導き亭に入る時にも遠目に見えていたが、朝の明るい光の中で見るとその威容がまた違ったものに感じられるな。


学院は街の周囲に張り巡らされている市壁にも劣らない高い壁に囲まれており、更に高く聳える尖塔を幾つも備えたバカでかい建物だ。その外見は学校というよりも、城館とか聖堂とかに近い印象を与えてくる。実際、王都で遠くから眺める王城に比べても、大きさや豪華さでそんなに劣っているとは思えない。


その姿を都市へ訪れる者に見せつけることを意識してか、大通りの幅は凄く広い。十mはあるんじゃないか?大通りの両側に立ち並ぶ建物も、張出し窓やバルコニー、横に飛び出した看板の類が非常に少なく、まるで前世の古都にあった景観条例がこの都市でも定められているかのようだ。


商業も盛んな学院都市だからか、この朝の早い時間にも相当な数の通行人で大通りは賑わっている。所々で立ち止まって呆然と学院を眺めているのは、お上りさんだろうか?まあ俺達もつい一昨日、最初に学院を見た時は「おお~」とか言って立ち止まりましたけどね。王城とはまた違った趣があるからね、仕方ないね。


そして学院都市ならではと言うべきか、道行く人々の中に結構な割合でローブ姿の人物を見かける。それらローブの人達は皆周囲より明るく光っている事から、魔法使いであると推測できる。学院の関係者なのか外部からこの都市を訪れた魔法使いなのかは不明だが、ここが王国で一番魔法使いの人口密度が高い場所なのは間違いあるまい。


俺には体内の魔力の光が見えるので丸分かりだが、一般通行人の人達もローブを着ているというだけで近づかず避けて歩いている。お陰で人混みの中でも、所々にスペースが出来ているのが面白い。勿論、俺達も避けられまくっているぞ。


そんなローブ姿の人物は大人に限った訳ではなく、少年少女といった年代の子供も幾人か見受けられる。この日この時間に学院に向かって歩いているとなれば、彼ら彼女らも俺達同様にタルグーム魔法学院の入学試験を受けようとする受験生達だろう。つまり、何日か後には俺達の学友になるかも知れない子供達だ。身に宿す魔力の輝きは様々だが、総じて俺よりは明るく、大体はイサク先輩ぐらいの明るさといったところだろうか。言うまでも無く、俺にぴったりくっついて歩くルリアには遠く及ばないが。


「意外と、僕達と同じくらいの歳の子もいますね。今年の受験生は全体的に、歳が若いのかも知れません」


「そ、そうかな。向こうにいる人とか、だいぶ年上っぽいよ」


「どれどれ……本当ですね。もしかしたら、今年が初めてじゃない人かも。例年では、僕達ぐらいの年齢だとかなり若い部類に入るんだそうですよ」


「そ、そうなんだ」


「あ、サキとルリアは除外で。特別にも程がありますからね」


学院へ続く道を歩きながら、ロシェ君とイサク先輩が暢気に会話している。どうやら試験前でも緊張はしていないようだ。しかしロシェ君はひどくないか?確かに、七歳くらいでローブ着ている子は俺とルリア以外にはいないようだが……。


やがて、学院が眼の前に見えてきた。正面には俺の背丈の何倍もの高さがある巨大な正門があり、現在はそれが開け放たれて受験生を受け入れている。門の前には何人かローブ姿の人がおり、学院の中へ入る受験生に声を掛けたり、付き添いで来たであろう大人を門の外に留めたりしているようだ。


その中のひとり、一際大声を出している初老の男性に、何だか見覚えがある。俺達が正門に近づいていくと、その人物の方から声を掛けてきた。


「おう!サキにルリアか、久しぶりだのう!」


「アザド団長!お久しぶりです。こんなところで、どうなさったんですか?」


そう。このガラガラ声のおっさんは、昔一度アルカライ家うちの屋敷に来たことがある王国魔法師団のアハブ・アザド師団長。通称「団長」だ。丸三年ぐらい会っていなかったのだが、相変わらず厳つい容貌にデカい声で他の受験生たちをビビらせまくっている。着ているローブも昔同様、上等だが飾りの少ないシンプルなもの。しかし、以前見た時にはあった襟元の徽章が今はない。


、だ。そろそろ儂もいい歳なのでな、前々から打診されていた学院の教授職の話を受けて、後進に道を譲ったのよ。お前達が学院に入学したら、ビシビシしごいてやるから楽しみにしておれよ!」


「本当ですか!それは……頼もしいですね」


うわあ、マジかよ。顔見知りが教授ってのは有り難いと思う反面、魔法の学院なのに体育会系の授業が待ってそうな予感がするのは気のせいだろうか。下品な替え歌を歌わされながら、グラウンドをランニングさせられるのか?そうなのか?


団長とはもっとゆっくり話したかったが、試験に遅れるわけにはいかないし他の受験生の邪魔にもなる。手短にロシェ君とイサク先輩の紹介だけして、ナタンさんとラズさんに見送られて正門を潜った。今日の試験はまず筆記。学院の中の巨大な講堂に全員集められ、一般教養に関する問題を解かされる。ようし、それでは参りましょうか!




サキ達四人が学院の中へ歩み入るのを、アザドとナタンは門の外から見送った。ラズは早々にこの場を辞して、女神の導き亭に戻っている。サキ達が消えた学院講堂の扉を見たまま、アザドはふと呟いた。


「サキとルリアが学院に来るとは、月日の経つのは早いものだのう。いや、それにしても早すぎやせんか?」


ことあのお二人に限っては、早すぎるという言葉は当てはまらないと思いますよ、団長」


独り言のつもりで呟いた言葉に突っ込まれ、アザドは笑ってナタンに向かい振り返る。


「お前も『団長』は止さんか。しかしのう、色々と噂では耳にしておるが……。ナタン、お前の目から見てどうだ?」


「話半分に聞け、とはよく聞く言葉ではありますが、噂を倍にしてみてもあのお二人を表すには不足でしょうな」


「それ程か?」


「それ程ですよ」


口にしてみてナタンは、今とそっくり同じ様な遣り取りを師であるエステルの屋敷でもやった事に思い当たり、我知れず笑みがこぼれてしまう。その様子を見て、アザドも「がはは」と豪快な笑い声を上げる。


「成る程な!魔法の腕は兎も角として、お前のその態度。どうやら我らが未来の盟主として、相応しいものを持っていると見える」


「この学院都市に来るまでの間にも、既にその片鱗を見せて頂きましたよ。お話ししたいのですが長くなりますので、また次の機会にでも」


「おう。お主も息災でな」


一礼をしてその場を立ち去るナタンを見送ると、アザドは振り返って天を衝くような学院の尖塔を見上げる。長く籍を置いた軍を辞め、本当に久しぶりにこの学院に戻って来た。余生を穏やかに送るための職場と考えていたが、なかなかどうして、思ったよりも退屈せずに済みそうだ。


そのアザドにしても、今この時より学院が数百年来無かったような変化に巻き込まれることになろうとは、思いもしていなかったのである。

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