第四話 魔術オタクは幼年時代を終えんとす

婆ちゃんが来たその日の夕食は豪勢なものだったが、当の本人の姿は無かった。見送りにでも行こうと思っていたのだが、何でも使用人達にすら知らせずに帰ってしまったらしい。というわけで主賓不在となった晩餐だが、今夜は両親が屋敷に居るため普段より賑やかなものとなった。二人は他の貴族が主催する夜会に出席したり、逆に招いたりで、家族と夕食を共にすることはあまりないからだ。


テーブルに着いているのは六人。俺とルリア、そしてそれぞれの両親だ。普段はルリア一家と気楽に夕食を食べている俺も、今日はパンを齧るのに大きく口を開けて食べたりはしない。パンに肉のパテみたいなものを塗る際にも、食器を鳴らしたりしないよう気をつけている。本来なら婆ちゃんを迎えての晩餐ということで、いつもの侍従さんに代わって家令のギルさんが給仕をしているのが主な理由だ。


「全く先代様にも困ったものです。屋敷の者総出で、おもてなしをする用意をしていましたのに……」


そのギルさんは先程から新しい料理を並べる度、ぶちぶちと父さんに文句をこぼしている。そりゃあね。婆ちゃんが急に来ると聞いて大慌てで歓迎の準備したのに、ロクに腰も落ち着けずに帰りの挨拶も無いとくれば、愚痴のひとつも言いたくなるわな。


婆ちゃんは俺達が生まれた時も顔だけ見てさっさと帰ったらしいし、何かこの屋敷に居たくない理由でもあるんだろうか?やっぱり嫁姑問題が……などと益体も無い事を考えつつ、オードブル――蒸し鶏(多分)と野菜のサラダだ。香草をたっぷり刻んだ、柑橘系のドレッシングがかかっている――を食べていると、急に屋敷の玄関の方が騒がしくなった。騒ぎはどんどんとこちらへ近づいてきて、やがて「御免!!」という大音声と共に、食堂の扉が開け放たれる。


「おう!レヴィは此処におったか!師匠は何処に居られる?」


殆ど叫ぶような大声を上げ食堂に入ってきたのは、五十がらみと見える大柄な男性だった。見るからに上等な物と分かる黒いローブに身を包み、胸にはバッジのようなものを複数付けている。前世で略綬りゃくじゅとか徽章きしょうとか呼ばれていたヤツに似てるな。彼は髪と同じく金髪に白髪が混じった眉を盛大に顰めながら、大股に食堂の長いテーブルへ近づいて来る。入り口の扉のところでは、困り果てた様子の侍従さんが申し訳無さそうに頭を下げていた。


「これはアザド団長、相変わらずご健勝の様子で何よりです。ご覧の通り夕食の最中ですが、宜しければ団長も如何ですか?」


レヴィ父さんは慌てず闖入者に声を掛け、ギルさんが俺の隣の椅子を引いて男性に着席を促す。今日の席順は家長の父さんが上座で、父さんから向かって左側に母さんと俺、右側にルリア一家という配置だ。そうなると確かに俺の左隣に座らせるのが並び的にもいいのだろうが、こんなオッサンが隣に座るの?ちょっと怖いんですけど。


「無用!それより、師匠がこの屋敷に来られたと聞いたぞ!何処におわす?!」


「母上なら確かにお見えになりましたが、既にお帰りになりました」


「またか!レヴィ、何故師匠を引き止めなかった?」


「……言って聞く人だとお思いになりますか?」


「むう……それは……」


ちょっとトーンダウンしたオッサンは、結局俺の隣の椅子に腰を落ち着けた。それを見計らって、ギルさんがオッサンの分の料理を運んでくる。


「いい機会です、アザド団長にも紹介しておきましょう。私の息子のサキです。今年三歳になりました。サキ、こちらは王国軍魔法師団の師団長をなさっておられるアザド様だ。ご挨拶なさい」


やっぱり軍人か、このオッサン。しかも師団長ってことは、結構な大物じゃないか。それにしても魔法師団とか、魔法使いを集めた兵団があるってこと?やべえ、カッコいい。入隊したくはないけど。


ともかく父さんに紹介された以上、きちんと挨拶しないと失礼に当たるな。俺は椅子から降りて、師団長さんに向かって胸に手を当てながら挨拶する。


「初めまして、アザド師団長様。アルカライ子爵レヴィが一子、サキと申します。どうぞよしなに」


「これは丁寧な挨拶、痛み入る。儂はアハブ・アザド、ハノーク王国の魔法師団長だ。この家の連中は皆、気軽に団長と呼んでおる。サキ、お前のお祖母様の弟子で、レヴィやサーラの先輩といったところだな。お前もアルカライの家に生まれたのだから、必ずや将来立派な魔法使いになるだろう。期待しておるぞ」


団長の言葉に、両親やマリア母さんがなにやら微妙な表情を浮かべたのが見えた。アザド団長はそれに気づいているのかいないのか、話を続ける。


「それではそちらの娘っ子が、マリアの娘か。マリアの小さい頃にそっくりだのう」


再び椅子によじ登って向かいを見ると、あーやっぱり。ルリアがマリア母さんに抱きついて、団長の方を見ようともしていない。いきなりこんな強面のオッサンが夕餉に乱入してきてでかい声で騒ぎ立てれば、そりゃルリアでなくとも小さい子は怯えるって。


「申し訳ありません、団長。娘のルリアは、少し人見知りなところがありまして」


マリア母さんの釈明にオッサンは鷹揚に頷いてみせると、運ばれてきたハムとチーズの盛り合わせをつつきながら話し始めた。豚肉と牛乳から作られていると思うのだが、俺はまだこの世界の豚や牛、鶏を見たことがないので断言できない。それはともかく、俺は音を立てないよう慎重にスープを飲みながらオッサンの話に聞き耳を立てることにした。


「儂も師団長だの、アルカライ一門の高弟だのと呼ばれておるが、魔法の腕前は師匠の足元にも及ばん。軽んじられている訳では無いが、やはり師匠と儂等では発言力が違う。門閥派の連中に不穏な動きがある今、是非とも師匠に王都にお戻りいただいて、内外に睨みを効かせていただかねば……」


「彼らの拡張政策そのものは、決して間違っているわけではないのですが……それ程までに、彼らは急いでいるのですか?」


「中央平原のオーク部族の間で、大規模な抗争が起きているようだ。連中はこれを好機と見て、軍勢を以て介入し中央平原の南側を切り取るつもりでいるらしい。挙げ句に魔法師団からも部隊を抽出して、共に事に当たれなどとほざく始末よ」


「人間国家同士の戦争ではないのですから、軍隊だけで領土が勝ち取れるわけではないのに……。オーク達を掃討したとしても、入植者を送り込み、道を通し、外敵から村や農地を守り通して、ようやく我が国の領土となるのです。その間、派遣した軍は占領地にずっと貼り付けておかねばなりません。それだけの戦費が回収できるのは、どれくらい先の話になるでしょうか」


「その前に国が傾きかねんわい。連中が欲しがっておるのは軍功のみ、後始末は官僚達に押し付ける腹だろう。そんな戦に協力できるものか!」


団長のオッサンと父さんが、難しい話をしている。よく分からない言葉も頻出するので一生懸命聞いていたが、聞き捨てならない単語を耳が拾ったので、俺は思わず話の切れ目を狙って食いついてしまった。


「お話の途中に申し訳ありません。そのオークというのは、どのような生き物なのですか?」


そうだよ。ラノベの定番種族こと、あのオークがこの世界にもいるのか?やっぱり女騎士の敵なのか、どうなんだ?


「おう、オークというのはな、儂等人間とは違う野蛮な種族だ。全員人間よりも大きな体をしていて、猪のような牙を生やした恐ろしい顔をしとる。平原や森を放浪していて、よく異種族や他のオーク部族と争っておる好戦的な連中だ。魔法を使うという話は聞かんから、王国が恐れる程ではないな」


オッサンが機嫌よく答えてくれた。見るといつの間にか酒盃を手にしていて、後ろにはワインを持ったギルさんが控えている。さすがは我が家の家令殿、面倒な来客の捌き方を心得ていらっしゃる。最初は結構な剣幕だったが、人間飲んだり食ったりすれば気分も落ち着いてくるものだ。「取り敢えず飯でも食いながら話そう」は、異世界でも有効ってことだな。


「そんな種族がいるんですか。そのオーク達と争いになりそうなのですか?」


「あんな連中を相手になぞせんわい。バカどもはちょっかいを掛けたがっておるようだが」


「オークは略奪の為に他の部族や異種族を襲うけど、一つ一つの部族はそれほど大きくない。王国は北の国境に砦を築いて備えているから、オーク達もこちらへ襲いかかっては来ないよ」


オッサンが手を振りながら心底呆れた口調で言い、父さんが補足してくれる。どうやらこの世界のオークは、俺の前世の知識に基づくイメージと大きな違いはないようだ。しかし魔術だけでなく異種族まで存在するとは、この世界は本当にファンタジーで溢れてるんだな。この調子だと、モンスターというか魔獣とかもいるかも知れない。見たいような、会いたくないような。


「まあ、オーク共なぞ互いに争わせておけばよい。儂等まで一緒になって踊る必要など、どこにもありはせん。しかし門閥派の連中以外にも、問題はあってな……」


そこまで言いかけたオッサンは、テーブルの面子を見渡した後でダニおじさんに目を留めた。おじさんは団長のオッサンに頷き返すと、席を立ってマリア母さんからルリアを受け取り、俺に向かって言った。


「さあ、我が姫君にサキ、お腹は一杯になったかな?そろそろお休みの時間だから、一緒に部屋に戻ろうか」


ピンときた。退出するメンバーに残るメンバー、これはいつもの「魔法使い以外には聞かせられない話」をするということだろう。またしても蚊帳の外かよと思いつつも、魔法使いと呼ばれる人達はこの点に関して本当に譲らない事は、今まででも充分に分かっている。俺はメインディッシュである塩漬け肉の残り(料理長が何日もかけて煮込んだソース付き)を未練たっぷりに見つめた後、諦めてナイフとフォークをテーブルに置く。そうして椅子から降り、オッサンに向かって一礼した。


「それではアザド団長、お話を伺えて楽しかったです。皆様も、お休みなさいませ」


オッサンは嬉しそうに相好を崩すと、俺の頭に手を置いて言った。


「屋敷の外に出掛けられるようになったら、いつでも尋ねてこい。また、お前の知らない話を幾つでも聞かせてやるわい」


きっとですよ、と俺は念押しして、ルリアを抱えたダニおじさんと一緒に食堂から退出した。


二階の子供部屋へと戻る途中、既に眠そうに目を閉じているルリアを抱えながらダニおじさんは言った。


「団長さんも寂しいんだよ。色々理由を付けてはいたけど、本心は先代様に近くに居て欲しいんだろうね」


おじさんを見上げると、彼もまたどこか遠くを見つめるような眼差しに寂しげな色を湛えていた。今のセリフも俺に聞かせているようで、半分は別の誰かに向けて言っているようにも思える。


「何十年も一緒に過ごして、姉のように母のように慕っていた人が会ってくれなくなったんだ。弟子はいつか師匠の元を離れて独り立ちするものだけど、それとこれとは別問題だということだろうね」


「そんなものかな」


俺は前世の、白沢秋の両親の事を考える。別に不仲だった訳では無いが、社会人として独立してからは会うこともなく今では顔すら朧気だ。自分が死んだと理解した時も、親が元気なうちに先立つことになって申し訳ないとは思ったが、それだけだ。二度と会えないからと言って悲しんだわけでもない。もしかしたら、俺は肉親の情ってやつが薄いのかもしれない。


「そんなものだよ」


ダニおじさんは俺に優しく笑いかけながら、囁くような声で言う。俺は「分からないや」と言いながら、おじさんの手を取って二階へ上がる階段を登った。




子供部屋に戻ってベッドに入ると、いつも通りにちらちらと光る謎の粒子が照らす天井を見る。結局、俺に見えている光の正体は何なのか、同じ様に光が見えている(らしい)婆ちゃんにも教えてもらえなかった。だが何となく、婆ちゃん達魔法使いに関わることなのだろうという推測が立つ。


翻って、ほとんど光らない自分の体のことを考える。これってやっぱり、そういうことだよな?この光が何なのか教えてもらえない理由。それが魔法使いである人達はみんな明るいのに対し、俺は一般人であるダニおじさんやハンナ以下ということに関係しているとすれば。


その考えを追い出すように頭を振って隣に目をやれば、ルリアが俺の腕を抱いて寝ている。既に寝息を立てているその姿は、周りで浮いている光とは比較にならない明るさを放っている。


昼間に考えた星の明るさの例で言えば、両親がベガとアルタイル、婆ちゃんがシリウスなのに対し、ルリアは満月。星とかじゃない。等級で言えば、マイナス十三等星相当だったか?マリア母さんが二等星、ダニおじさんやハンナは…五等星くらい。俺はそれより暗い。六等星がいいところだろう。


ふと気が滅入りそうになって、もう一度ルリアの寝顔を見つめる。今考えていることはあくまで想像で、何かが決まってしまったわけじゃない。この世界には魔法使いが実在していて、しかも家族がそうなのだから、前世と比べて確実に恵まれているはずだ。魔法使いの家系に生まれながらもしかしたら魔法使いに向いていないとしても、それは才能があるかも知れない幼馴染に対して引け目を感じる理由にはならないだろう。


教えてもらえるのを待つだけではなく、今からでもやれることをやってみよう。前世で読んだ本にはこう書いてあった。『魔術とは、己の意思を世界に押し付ける行為である』と。言い換えれば世界を、現状を変えようという行為は全て魔術なのだ。俺はこの世界に、「自分は魔術師になる」という意思を押し付ける。前世ではなれなかったものに、今生ではなるために。

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