第五話 魔術オタクは魔術の修行を始めんとす

婆ちゃんが屋敷に来て帰った翌日から、俺は自身の育成を開始することにした。その為にはまず、基本となる方針を決めねばならない。


俺の目標は魔術師になることだ。今でも若干、両親達「魔法使い」と俺が目指す「魔術師」に齟齬があるんじゃないかという疑念は尽きないが、取り敢えずは我が家の方針に従い魔法使いの道を歩むことになるだろう。魔法使いになるための勉強は後三年程経たないと始まらないので、今は先に魔術師としての修行を始めることにする。それも出来れば、魔術師にも魔法使いにも有用な修行が望ましい。俺は子供部屋をぐるぐると歩き回りながら、前世で憶えた魔術の修行方法を色々と思い浮かべてみる。


簡単なのはイメージトレーニングだ。魔術はイメージが非常に大切なので、これはやっておいて損はない。場所も取らず、何時でも何処でも出来る点も素晴らしい。やり方は色々あるが、一番簡単で手っ取り早いのは『サイコロ法』だろう。これは前世でも著名だった魔術研究家(口癖は『十四へ行け』だ)が提唱したもので、シンプルな割に効果が大きい。


やり方はこうだ。まずは頭の中でサイコロを思い浮かべ、各々の面の数までしっかりイメージすることから始まる。そしてそのサイコロを転がし、どの様に転がったのか、どの面を上にして止まったのか、他の面はどんな配置になったかまで、鮮明に思い浮かべるようにするというものだ。転がる時の音、跳ね方まで細かくイメージできるようになったら、そのサイコロを二個、三個と増やしていく。


訓練が進めば、眼の前で幻のサイコロが転がる様を見ることが出来るようになる。これは『幻視』という技術で、魔術の様々な場面で応用が効く優れものだ。よし、取り敢えずイメトレは日課にしよう。俺は相変わらず部屋を歩き回る足を止めないまま、他の修行方法にも思いを巡らす。


ふと、視線を感じて足を止めた。足元に視線を落としていた顔を上げると、絨毯に寝そべった姿勢から上体を起こしたルリアと目が合う。じっとりしたその視線に苛立ちの色を感じた俺は、彼女の読書の妨げになっていたことに気づいた。


「ゴメンゴメン。気が散っちゃうね」


俺は部屋を歩き回るのを止め、ベッドに腰を下ろす。ルリアは「よし」と言うかの如く頷くと、再び寝そべって子供向けの簡単な単語が書かれた本を読み始めた。何となく、絨毯に寝転ぶルリアが明るい光に包まれている様を眺めているうちに、俺に閃くものがあった。


――この光がオーラみたいなものだとして、魔法使いの資質に関わってくるものだとするなら、これを強化する手はないか?



魔術において、魔術師が纏うオーラは重要な役割を果たす。詳しい説明は長くなるので省くが、魔術師が魔術を行使しようとする“意思”はこのオーラを通して伝わり、魔術を成就させる原動力となるのだ。とは言え俺は前世ではオーラが視えていた訳ではないので、あくまで魔術書からの受け売りなのだが。


自分の体の中にある光。これを強化する方法を色々考えてみて、俺は一つの候補に辿り着いた。仙術の気功だ。仙術には自分の体内の“気”を光の塊として捉え、それを練り上げる修練方法がある。魔術じゃないじゃん、というツッコミはこの際甘んじて受ける。要は気でもオーラでもいいから、俺に視えているこの光を強化できればそれでいいのだ。


本当は未熟なうちから色々な流派に手を出すのは、魔術に於いても非推奨とされている。だがまあ俺は前世の経験があるし、魔術にも気功に似た「中央の柱ミドル・ピラー」という修行法もあるので的外れという訳でもない。


ともあれ早速気功のトレーニングを試してみるために、俺は靴を脱いでベッドの上に胡座をかいた。結跏趺坐とも言う姿勢だ。靴を履いたままベッドに上がるという事に強烈な忌避感があるのは、前世の日本人としての意識があるからだろう。そのまま視線を落とし、自分の体内から発する僅かな光に意識を向ける。


弱々しいその光が凝縮し、下腹部に集まって光の塊になる様をイメージする。へそから数cm下、少し体内に潜った辺り。仙術では臍下丹田せいかたんでんと称される場所だ。規則正しい呼吸を繰り返しながらイメージを続けていると、実際に体内の光がその姿を変え丹田に集まりだした。心なしか、光が集まっている場所に温かな熱を感じる気さえする。


おお、前世ではイメージと体内感覚頼りだったが、こうして実際に視えると凄いな。文字通り「成果が目に見える」というか、修行してるぞって実感が湧く。同時に、この体の中から発する光を意思の力で操作することが可能なのだと確信できた。


次は呼吸のリズムを崩さないようにしながら、丹田に集めた光を下に向けて移動させる。股間を通して尾底骨まで光の珠が移動する様をイメージすると……動く!動くよ!!光の塊が熱感とともに、実際に体内を移動していく様子が目に見える。うわー。この視力が前世にもあったら、もっと仙術に力を入れて修行してたかも知れん。そうしたら魔術師ではなく、仙人を目指すことになっていたのだろうか。


尾底骨まで光が移動したら、今度はそのまま脊柱を伝って背筋の上を上方へと動かしていく。体の裏側にあるのに、胴体を通して光が見えるというのは何とも奇妙な感覚だ。背中からうなじ、後頭部を経由して頭頂へ。再び体の表側に戻って、眉間・口・喉と下ろしていく。最後に再び丹田へと戻したら、そこで光の珠がより強く熱く光る様子をイメージするまでが一セットの流れ。これが仙術の訓練法の一つ、小周天しょうしゅうてんの法だ。


丹田に集めた光の珠は、始める前とそれほど変わったようには見えない。集中を解いてリラックスすると、たちまち拡散してぼんやりとした弱い光に戻ってしまった。……まあ、最初だしいきなり目に見えて変化があるとは俺も期待していない。何事もトライ&エラー。小周天の訓練を繰り返して成果が見えなかったら、また別の修行法を模索すればいいのだ。



小周天の行を終えて一息ついていると、「何してるの」と声がかかった。見ればルリアが本を閉じ、絨毯に横座りの姿勢で俺を見つめている。これは珍しい。普段彼女は目に物を言わせ、自分から話しかけてくることは殆どない。俺もルリアの目を見れば大体言いたいことが分かるので、阿吽の呼吸で応じることが出来るという理由もある。


「んー。魔法使いになるための修行、みたいな?」


「私もやる」


「え、ルリアも?退屈で、楽しくないかも知れないよ?」


「それでもいい。やり方、おしえて」


いやいや、あんた今の時点でメチャクチャ光っとるやん。持たざる者が努力して追いつこうとしているのに、持てる者が努力してしまえば追いつけないんですがそれは。


直ぐには返答できず、俺はルリアの目を見る。強い光を宿した瞳が見つめ返してきて、俺はルリアが引く気が全く無いのを悟った。普段は自分の意思というものを表に出さないルリアだが、こうなった時は絶対に自分の意見を変えないことを俺は経験上知っている。


「……分かったよ、教えてあげる。ここに座って」


俺は自分の隣を指し示すと、床に降りて靴を履き直した。ルリアにはベッドの端に腰掛けさせる。流石にあぐらをかかせようという気はない。女の子だし、今日はワンピースだし。座ったルリアの傍に立って、俺は小周天のトレーニングをなるべく分かりやすく説明してみる。


「よし、まず最初は体の力を抜くことからだ。息の仕方を整えよう。四回吸って四つ止めて、四回吐いて四つ止める。やってみて……そう……吸って……、一……二……三……四……吐いて……、一……二……三……四……。よし、上手上手。それを繰り返すよ。吸う時は鼻から、吐く時は口から。吸って、一……二……三……四……」


俺が指示を出すと、ルリアは素直に従ってくれる。これも魔術の基本トレーニングの一つ、四拍呼吸だ。一定のリズムに沿った呼吸を繰り返す内に、ルリアの体から力みが取れてリラックスしてきたのが分かった。よし、次の段階へ進もう。


「息の仕方はそのままで、お腹の下の方に光の塊があると想像してみて。最初は目をつぶって思い浮かべたほうがやりやすいかもしれない。キラキラ光って、あったかい光がお腹の中に出来る様子を思い浮かべるんだ」


ルリアは言われた通り目をつぶっていたが、やがて目を開けると「お腹のどのへん?」と聞いてきた。


「えっとね、お臍の下。このあたりの奥の方に……」


俺はそう言って、ルリアの臍下三寸のあたりに手で触れる。するとルリアから「ひゃう!」と、今まで聞いたことがないような声が漏れた。


「あ!ゴメンゴメン、びっくりさせちゃった?今の場所のあたりだよ」


咄嗟に言い繕ってみたが、俺の心臓はバクバクいっていた。そうだよ。いくら兄妹同然に育ってても、お互い幼児同士でも、女の子の体の微妙な場所付近に手を添えるとか普通に考えたら有り得んだろう。本当に何も考えずに触れてみたが、ルリアの声を聞いてどれだけヤバいことをしたのか実感してしまった。


ルリアは閉じていた目を開け、じっとりした視線で俺を見る。俺は内心の動揺を押し殺して、無邪気(に見えると信じている)な笑顔を浮かべて見せた。ルリアはしばらくそうして睨んでいたが、やがて再度目を閉じて呼吸とイメージに集中し始めた。すると見る間に、ルリアの丹田付近に光が凝縮し巨大な光球となって輝き出す。うお!凄い……後光ならぬ「内光」で、ルリアの全身が輝くほどの明るさだ。


「うん。凄いよルリア、最初からとても上手に出来てる。次は、その暖かい光が動くところを思い浮かべるんだ。ええと……」


俺はちょっと言い淀む。「尾底骨」って、こちらの言葉ではどう言うのだろう。


「……股の間を通って、おしりの方に動く様子を思ってみよう。暖かい塊が、お腹の中を動いていく感じで」


ルリアはしばらく瞑目したままイメージを続けているようだったが、やがて目を開けると「分からない」と俺に言った。同時に丹田に集まっていた光球がほどけ、全身を光が包むもとの姿に戻る。うーむ、言葉で説明するだけでは伝わり難いか。しかしなあ……俺はしばらく逡巡したが、やがて決断するとルリアに言った。


「よし、じゃあもう一度やってみよう。息を吸って吐くところから始めて、お臍の下に光の塊が出来るのを思い浮かべてみて」


ルリアは頷くと、再び四拍呼吸を開始する。目を閉じて呼吸を繰り返す内に、ルリアの丹田に再度巨大な光球が生まれるのが見えた。


「よし、上手だよルリア。そのまま、その光が股の下を潜って、ここまで動くのを思い浮かべて」


そう言って俺は、ルリアの尾底骨の先端に指先で触れる。ルリアの体がびくんと震え、「ひう」というような声が漏れる。しかし今回はルリアは目を開けず、やがて光の塊が丹田から尾底骨まで移動するのが見えた。


「よしよし、今度は上手く行ったね。じゃあ、おしりの方に来た光が……こうやって、背中を登っていく様子を思ってみよう」


俺はルリアの尾底骨に添えた指先を、そのまま背筋に沿って項までなぞってみる。指の動きに連れて、ルリアは「ふうううぅ」といった感じの声を上げる。俺の指の後を追うように、光球がルリアの背中を登っていく様子が視えた。そのまま後頭部から頭頂へと指を動かすと、光もそれを追って移動してくる。


俺は指を離してルリアの正面に回り込むと、彼女に声を掛ける。


「よしルリア、目を開けて。頭のてっぺんまで持ってきた光の塊を、こうやってお腹の方まで持っていくんだ」


そう言ってルリアが見ている前で自分の頭から丹田まで、正中線に沿って指を撫で下ろす。ルリアが目を開けても光球は解けずに、体の表側を伝って丹田まで移動した。元の場所に戻った光は、心なしか最初の頃より強く輝いているようにも見える。ルリアが神々しく見えるほどだ。


「よし。これで修行については一通り教えてみたことになるけど、やってみてどうだった?」


「不思議な感じ。体の中を、あったかいものが動いていく」


「最初からこんなに上手にできるなんて、ルリアは本当に凄いよ。天才かもしれない」


「……」


俺の賛辞にもルリアは黙ったまま表情を変えないが、口元が僅かにほころんでいるのが分かる。多分これは「ふふん」といった感じの、得意げな様子を表しているのだろう。


しかしルリアは本当にヤバいぞ。俺は我流ではあるが前世で色々と試していたから、こんな年齢でも魔術修行の真似事が出来る。だがルリアは前提知識無しで、いきなりまともな小周天の行を実践してみせた。もしかしてオカルティストや魔術師としても、ルリアの才能は俺を遥かに凌いでいるのでは?


残酷な現実にちょっと挫けそうになる。しかし俺にしか分からないぐらい、ほんの少し上機嫌な様子でもう一度小周天の行をおさらいしているルリアを見ている内に、そんな事はどうでも良くなった。俺の目標は魔術師になることだが、別に誰かと比べて優れていたり劣っていたりは重要じゃない。そりゃあちょっとは悔しくないのかと言えば悔しいのだが、だったらその分努力するだけだ。


ともあれ、三年後の入塾までにやることが色々見えてきた。イメージトレーニングや小周天の行を日課にして、塾で魔法について学ぶ前に自分なりの素地を作っておくのだ。成長して体が出来てきたら、前世のように筋トレを始めるのもいいかもしれない。ルリアが一緒に付き合ってくれるのなら、弛まず日々の修行に取り組むことも出来るだろう。早く大きくならないかね、と、俺は転生してから何度目かのセリフを口の中で呟くのだった。

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