第六話 魔術オタクは魔法を学んで途方に暮れる

六歳の夏、俺とルリアは父さんの書斎に呼び出されていた。何を言われるかは予想がついている。正直言ってこの日が待ちきれず、最近はいつも以上に修行に熱が入ってしまっていた。


書斎にはいつものメンバー。父さん母さんマリア母さんに、俺達二人を加えた五人だ。毎度のことながら、一人だけハブられるダニおじさんに涙を禁じえない。


「サキ、ルリア。二人は明日から私の塾に通って、魔法について学びなさい」


「かしこまりました、父上」


「……はい」


俺は元気よく、ルリアは普段の調子で返答する。母さん達が嬉しそうに今後の事について話し始めた。


「塾にはいろんな年齢の塾生がいるけど、みんな良い人達だから安心して」


「もう二人に合わせたローブを仕立ててあるのよ。初日はそれを着て行きなさいね」


今から試着しましょうだの、ついでにパーティー用の衣装も仕立ててしまおうだの盛り上がっている母さんズを横目に、俺は父さんに向かって質問した。


「父上。塾で学ぶことが出来る内容について詳しく知りたいのですが」


「ああ、私の塾では魔法だけを教えている訳ではない。基本的な読み書きから歴史、地誌などについても学んでもらう」


父さんによると現在三十人ほどの塾生がいるそうだが、魔法学校入学を目指して魔法を学んでいるのはその内十人程だそうだ。それ以外の塾生は父さんが言ったような一般教養を修め、商人や兵士、官吏といった道を選ぶのだという。午前中は他の塾生と共に普通の科目を学び、午後から魔法使いを目指す塾生だけで魔法の講義を受けるというのが、いわばカリキュラムということらしい。


「塾生の年齢はバラバラということですが、全員が同じ内容の講義を受けるのですか?」


「一応サキ達のような年代の塾生と、年嵩のあるいは何年も通っている塾生では内容が分かれている。もっと塾生一人ひとりの習熟に合わせた教え方をしたいが、教える者が不足しているのが問題だな」


現在は一般教養を教える講師が一人いるだけで、魔法については両親が交代で教えているという。当然手が回らないため一般教養は家令のギルさんが、魔法は婆ちゃんの弟子筋の人が手伝いに来ることもあるそうだ。屋敷の中だけでなく塾でもギルさんの厳しい目に晒される可能性があると聞いて、俺は内心うんざりするが顔には出さずにおく。


「ルリアちゃんもいつの間にか背丈がだいぶ伸びたわね。もうサキを追い越したんじゃない?」


「すぐに服のサイズが合わなくなるのよね。その分、色々着せられるから楽しいけど」


母親達の声が聞こえたのでそちらへ目を向けると、ルリアが母さんズの間に座ってちゃっかり茶菓子に手を付けていた。二人が色々と話しかけているが、無心で菓子を頬張っているようだ。その身は眩いばかりの光輝に包まれているように見える。




ルリアに小周天の行を教えてから三年。俺達は毎日訓練に取り組み、体の内から溢れる光を鍛え上げていた。ルリアの進境は著しく、昔に比べても明らかに輝きが増している。その明るさは、両隣に座った母さん達の光がかき消されてしまうほどだ。二人も普通の人に比べれば、段違いの明るさだというのに。


正直ルリアはもう、小周天を卒業して大周天だいしゅうてん陽神ようしんの行を修めるレベルに達しているのではないかと思う。まあ魔術の修行として始めたのだし、あまり仙術の方面に行き過ぎてもいけないので教えていないが。


ん?俺ですか?ええ、ハンナやダニおじさんくらいの光の明るさにはなったかな?ハハハ。ハハ……。


いや三年やってようやく普通の人並でも、修行の効果があることは証明済みだ。それに最近は修行の副産物とでも言おうか、このオーラのような光の違いが見分けられるようになってきたのだ。一番違いが分かりやすいのは人間が放つ光で、人によって赤みがかっていたり青みがかっていたりする。植物は軒並みごく薄い黄色で、空中の光の粒は殆ど無色だ。魔術的には色彩にも意味があるので、これだけでもすごく興味深い。ただ、現状では特別何かの役に立つわけでもないのが残念だが。



一通り話も済んだようなので、俺は両親達の前を辞することにした。茶菓子を前から動こうとしないルリアを無理やり立たせると、一緒に頭を下げさせて父の書斎を後にする。子供部屋へと戻る途中で、俺はルリアに話しかけた。


「明日の準備を手伝ってもらうよう、ハンナに言っておかないとね。ルリアは大丈夫?」


「……頑張る」


「僕が一緒だから安心して。困った時は頼ってくれていいから」


「……ん」


ルリアは俺の手を取って歩きながら、真剣な表情で頷いた。明日は大勢の初対面の人間と顔を合わせることになる。俺がなるべくルリアのフォローをするつもりだが、もしもの時は中座も考えねばなるまい。


俺達はその後ハンナの持ってきた新品のローブを試着したり、明日持っていく物の確認をしたりして過ごした。勿論二人とも、日課のサイコロイメージ法と小周天の行は欠かさない。いつも通りの修行をしながらも、俺の心は明日から学ぶ魔法のことで一杯だ。まるで前世の小学生の頃、明日に遠足を控えた夜の様な気分で俺は眠りについたのだった。




次の日の朝、俺達は屋敷の門から出て近所にあるアルカライ家の塾へと向かっていた。メンバーは四人。俺とルリア、お付きのハンナ。そして父さんの侍従を務めるラズさんだ。普段は父さんの秘書のような仕事をしている彼が何故一緒にいるかというと、護衛である。我がアルカライ家の屋敷がある辺りは王城にも近く、所謂貴族街なので治安は良い。それでも子供と若い女性だけで外は歩かせられないということで、彼に送り迎えをしてもらうことになったのである。


現在二十歳を少し越したくらいのラズさんは背が高く、貴族に仕える侍従の服を隙無く着こなすキリッとした男前だ。相変わらず屋敷の女性陣からの人気は高く、よく廊下でメイドさんに捕まって色々話しかけられている場面を目にする。ラズさんは大股にならないよう歩く速度に気をつけながら、時々後ろを振り返って話しかけてくれる。いい人だ。


「この辺りには主に貴族の方々の邸宅がありますが、王城から離れた市壁の近くには神殿や商店もございます。勿論、貴族と取引のある一握りの大商家に限られていますが」


神殿とな。そう言えばこの国の信仰については全くと言っていい程知らないんだよな。食事時のお祈りもないし、新年や季節の節目にも宗教的な祭事をした覚えもない。どんな宗教なのだろう。


「神殿は外部の人間が気軽に訪ねていいのですか?機会があれば行ってみたいんですけど」


「ご当主様の許可さえあれば大丈夫でしょう。魔法使いの皆様はよく神殿に行かれるようですし、サキ様であれば問題ないかと」


俺の問いに、ラズさんは律儀に答えてくれる。その時、ルリアが俺の手を引いた。見るとルリアがいつもの無表情な目で俺を見つめ返し、次いでその視線が後ろから付いてくるハンナに流れる。俺は瞬間悩むが今までの会話の流れを思い出し、ハンナの方を振り返って声を上げた。


「あ!そう言えば、ハンナのお父さんのお店もその辺りにあるんだよね?」


「はい。とは言いましても父は新参者ですので、店も端の方に目立たないものがあるだけですが」


「そんな事ないでしょ。ハンナのお父さんのお店にも行ってみたいな」


「ええ、父もサキ様やルリア様がいらっしゃれば喜ぶかと思います」


ふむふむ。ではもうひと押ししておこう。


「よし。じゃあそのうちハンナの家も訪ねてみよう。ラズさん、その時はお願いできますか?」


「かしこまりました。ではハンナさん、ご実家にそのように伝えていただけますでしょうか」


「そうですね。ではサキ様が何時いらっしゃっても良いように、父に伝えておきましょう」


そう答えるハンナは、何だか少し嬉しそうだ。ラズさんも笑顔で話しかけている。


ひとしきり話した後でルリアに目をやると、彼女は俺と目を合わせて小さく頷いた。その瞳が、「良くやった」と俺に言っているような気がする。どうやらお褒めに預かったようだ。よく分からんが、そういう事にしておこう。そうして他愛もない話をしながら、俺達は朝の閑静な街並みを塾へと向かうのだった。



アルカライ家の塾は屋敷から通りを三つほど挟んだ先にあった。敷地は我が屋敷よりも広く、高い塀を張り巡らせた中に講堂のような建物が、そしてそれに付随して大きな倉庫のような平屋がある。俺達はラズさんの案内で中に入ると、エントランスホールで両親と合流。そのまま大きな教室へと向かった。


「以前より伝えていたと思うが、本日から私の息子であるサキがこの塾で学ぶこととなった。同時に、親戚にあたるルリアも学ぶこととなる。皆、よろしく頼む」


教壇に立った父さんがそう言って、塾生に俺達を紹介した。教室は教壇に向かって長い机と椅子が幾列にも並んでいるタイプで、そこには二十人程の塾生が着席している。聞いていた通り俺より少し年上の子供から、二十歳半ばを超えているような人まで多士済々だ。


父さんに促され俺は前に出て……と、ルリアが母さんのローブを掴んで動こうとしない。俺は引き返しすと、母さんの後ろに隠れたルリアの手を取った。再び教壇の前に戻るが、ルリアは完全に俺の背後に隠れている。仕方がない、このまま挨拶してしまおう。


「初めまして、先輩方。私はサキ・アドニ・アルカライ、そしてこちらがルリア・シャロンです。両親の、そして祖母の名に恥じぬよう精一杯学ばせていただきますので、どうか宜しくお願いします」


俺はそう言って頭を下げる。後ろでルリアも、つられたように頭を下げているのが分かった。ここは我が家の塾であり俺は貴族家の嫡男であるのだから、ちょっとへりくだり過ぎたかも知れない。しかし学び舎において身分は関係ないはずだ。俺は頭を上げて塾生達の反応を伺うが、皆口々に「よろしく」だの「よろしくお願いします」などと返事を返してくれる。さすがは貴族のしきたりにうるさくないアルカライ家、その塾生だと心を強くする。


「サキとルリアの二人は空いている席に座ってくれ。初級課程の塾生はこのままで。上級課程の塾生は隣の部屋に移って、それぞれ講師の指示に従うこと。それではまた後で」


そう言って両親は教室を出ていった。去り際にこちらへ小さく手を振ってくる母さんに手を振り返すと、俺はルリアを伴って適当な席に座る。ハンナは退出せず、教室の後ろに行って俺達の授業を見学するようだ。ラズさんは屋敷が手薄になってしまうので、一旦戻ってもらっている。


父さん達と入れ替わりに、家令のギルさんが教室に入ってきた。むう、一般教養の初級課程はギルさんが講師なのか。さっきの挨拶とか聞かれてないよな?俺とルリアは反射的に姿勢を正す。


「それでは皆さん、講義を始めます。本日は初めての方もいらっしゃいますので、我が国の歴史について説明いたします。既に習った方もおられると思いますが、以前お話しした際には説明しなかった部分もありますので、気を抜かず学んで下さい。それではまず、我がハノーク王国の成り立ちは……」


ギルさんが教壇に立ち、講義が始まる。俺は持参した羊皮紙とペンを取り出し、ギルさんが語る国の歴史を書き留めていくのだった。



午前の一般教養の講義が終わり、俺達は一旦昼食を取るために屋敷へ戻ることにした。ウチの塾には食堂まであるそうなのだが、流石に知らない人に囲まれて食事をするのはルリアにとって荷が重いと判断したためだ。護衛の任についている侍従のラズさんには何度も屋敷と往復させることになってしまい心苦しいのだが、本人は別段気にしてなさそうだ。ただし行きと違って今回は講義を終えたギルさんも一緒のため、気楽におしゃべりしながらという訳にはいかないが。


「サキ様、ルリア様。私の講義で何かご不明な点などありませんでしたか?」


屋敷へ戻る途中。通りを歩きながら発せられたギルさんの問いに、俺は言葉を選んで慎重に返答する。


「いえ。大変わかりやすい講義でした。今日教わったことはある程度マリアさんからも習っていましたが、やはり教わる先生が変わると同じ事柄でも違った側面が見えてくるものです」


「それはようございました。この老骨がお役に立てましたら幸いでございます」


ギルさんは嬉しそうにそう言った。ちなみにルリアは黙って頷いているだけだが、これは下手に喋って言葉遣いを注意される藪蛇を避けるためでもある。


実際俺とルリアは物心ついてから、マリア母さんを家庭教師として読み書きや算術といった基礎学習をある程度のところまで修めている。俺もルリアも学習意欲が高いため、マリア母さんが「そんなにやったら塾で教わることが無くなってしまうわよ」と困惑するレベルで学んでいるのだ。ぶっちゃけ一般教養は早めに履修してしまって、魔法の学習に全振りしたいという目論見である。


そして今日の午後には、待ちに待った魔法の講義が受けられるのだ。いやー、どんなだろうねこの世界の魔法は。もう楽しみで楽しみでしょうがない。俺は屋敷で昼食を取る間も、もうすぐ学べる魔法のことで頭が一杯になっていたのだった。


そう。本当に楽しみにしていたのだよ。この時までは。




午後になって宿に戻った俺達は、講堂の隣りにある大きな倉庫のような建物に居た。ここは魔法の練習場みたいな場所とのことで、広い屋内に床はなく地面が剥き出しになっている。壁際には前世の射撃場みたいな的や居合の訓練に使う巻藁のようなものが並んでおり、魔法というより武術の訓練所みたいな雰囲気だ。


魔法の講師は父さん自らが務めるらしい。そして父さんの前に並んだ塾生たちは、俺とルリアを除いて十人ほど。皆比較的若く、俺達と同じ様にローブを着ている。午前の講義では普通のチュニックにズボンといった塾生もいたことから、やはり魔法を習う者はローブを着る決まりがあるようだ。


そして流石に魔法を学んでいる塾生だけあって、皆かなりの明るさの光を内側から放っている。このオーラのような光が、魔法に関係があることの傍証がまた一つ増えた形だ。しかし十人ほどの塾生の中でも、俺の両親ぐらい明るい者はいないようだ。三等星から四等星といったところか。それでも全員、俺より明るいのは正直悔しい。イマニミテイロ、と心の中で思っておく。



「午前の講義に出ていない者もいると思うので、改めて紹介する。私の息子のサキと、親族のルリアだ。今日から皆と一緒に魔法を学ぶこととなる。よろしく頼む」


塾生の前に立った父さんが、再度俺達を紹介する。俺とルリアは繰り返し挨拶を述べ(今回も俺だけが喋ったのだが)、他の塾生は無言で頭を下げる。おお、午前のときとは違って静粛な雰囲気があるな。


「それではまず、魔法の基礎についておさらいしてみよう。標的の準備を」


父さんの言葉に従い、年嵩の塾生が二人出て壁際に走っていく。そしてそこに並んだ巻藁のような杭に、何かを取り付け始めた。あれは……鎧か?前世の図鑑や美術館で見たような、騎士が着用する立派な金属鎧。その胴部分が杭に取り付けられる。兜はないが、まるで騎士の格好をした案山子かかし(胴体のみ)のようなものが出来上がった。準備をしていた塾生が戻るのを待って、父さんが説明を始める。


「魔法とは呪文を行使する能力である。呪文の構成要素は三つ。印、詠唱、そして魔力だ」


……ん?


「呪文にはそれぞれに応じた印がある。術者は指先で空中に印を描き、呪文名を詠唱する」


……んん?


「正しく印を描き詠唱すれば、呪文は発動する。そして呪文は発動の際に、その呪文に必要なだけ自身の魔力を消費する」


んんん~~~~~?!


「呪文を行使した際に失われた魔力は、十分な休息を取らない限り元に戻らない。呪文に必要な魔力が残っていない状態で発動した場合、急激な脱力感や気分不良に襲われることがあるので注意すること。それでは、実際に呪文を発動して見せよう」


父さんはそう言うと、壁際の鎧案山子に向かって相対する。片手を前に出し、指で空中に卵型の楕円を描いた。その指先の軌跡を辿って、例の光が線となって現れ空中に楕円が生まれる。


「<魔法の矢マジック・ミサイル>」


父さんが一言呟くと、空中の楕円の印から一本の光条が飛び出して鎧案山子を撃った。まるでレーザー、一瞬の出来事だ。ドカン!と音がした時には、もう鎧が弾けてバラバラになり地に落ちている。


「これが第一階梯の呪文の一つ、<魔法の矢>だ。魔法使いの基本とも言える呪文だが、それでも今見たように威力は高い。重装の騎士でも一撃で、離れた場所から命を奪うことが出来る」


父さんの言葉は淡々としていたが、内容はかなりえげつないものだった。塾生全員を見渡しながら、父さんが言い含めるように言葉を重ねる。


「魔法使いが恐れられるのは、駆け出しの行使する呪文でも非常に危険な威力を持つからだ。だからこそ常々言っているが、我々魔法使いは呪文の行使に当たっては慎重であらねばならない。分かったかな?」


塾生達は揃って、「はい」と返答する。しかし俺は返事も忘れ、続いて説明を行う父さんの声も耳に入らなかった。この時俺の心を占めていた思いは、たった一つ。



思うてたんと違う。

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