第二十六話 魔術オタクは呆気にとられてしまう

「入学式ってどんな事をするのかと思っていたら、凄く変わった式典でしたね。まさか一人ずつ会場に呼び出されて、あんな事を誓わされるとは思いませんでした」


「ちょ、ちょっと騎士の叙爵に似ていたね。でも、肩じゃなくて首の上に剣を置かれるのは、び、びっくりしたよ」


入学式という名の入社式が終わった夜。ロシェ君とイサク先輩の二人は寮の俺の部屋に集まり、入学式の印象を色々と話し合っていた。日が落ちてから始められた入学式は、三十余名の新入生に対して一人ずつ儀式が繰り返されたため、すべてが終わって金竜館に戻ってきた時は夜もかなりいい時間になっていた。しかし俺が二人に「話したいことがある」と俺の部屋に誘い、こうして子供が起きているにはちょっと厳しい刻限に男三人、顔を突き合わせているというわけだ。


しかし本当に予想外だった。アザド教授に入学式の説明を聞いて吹き出しそうになったが、どこからどう見ても十九世紀末ロンドン発祥の魔術結社に端を発する系統の、魔術結社の入社式だったからな。本来はもっと長くて複雑な内容の儀式なんだが、それを新入生全員に対して行うわけにもいかないせいか、随分と簡略化されていたが。夜が明けてしまうわ。


そして、儀式を終えて退出する時に聞こえてきた声。あれは間違いなく魔法の女神イシスこと、シスター・マギサの声だった。ということは今日の入学式は、彼女が属する魔術結社<聖魔術師団ホーリー・オーダー・オブ・メイガス>の参入儀式で間違いないということになる。あれ?じゃあこの学院って結社の支部ロッジってこと?でもそれなら、何でこの学院を卒業した魔法使いは魔術を知らんの?


「あのですねサキ。人を呼び集めた当人が黙ったままというのはどうかと思いますよ?」


「そ、そうですよサキ様。何か話があったんじゃないんですか?」


思い返すほどに不可解な点が次々出てきてすっかり考え込んでしまった俺だったが、ロシェ君の鋭いツッコミで我に返った。うむ、全くもってその通り。俺は「ごめんごめん」と謝ると、一旦思索を打ち切って二人に対して告げる。


「今日の入学式で僕達は正式に学院の生徒となった。学院には学年の違いによる先輩後輩はあるけど、身分差や年齢差による上下はない。だからこれから僕は二人を『ロシェ』『イサク』と呼ぶから、二人も僕のことを『サキ』と呼んで、敬語は使わないようにすること。いいね?」


俺の言葉に二人は顔を見合わせていたが、やがてやや呆れたようにロシェが言う。


「今更それを言いますか。残念ですが、僕はこの喋り方を変えるつもりはありませんので。ああ、でもサキはちゃんと僕を『ロシェ』と呼んでくださいね?それと、仲間内以外や学院の外では『サキ様』に戻しますから」


「そ、そういうところ、ロシェはぶれないね。で、でも、うん、分かったよ、サキ」


イサクもつっかえながら、俺の言葉に同意してくれる。よしよし、一人怪しいのが居るが呼称問題は解決だな。心理的距離を縮めるのは、まず呼び方から。二人にはこの先も長く俺に付き合ってもらう予定なので、さっさと意識の壁を取っ払って気安くものが言い合える関係になっておきたいところだ。


「じゃあ、友達になった証に、イサクにはこれをあげよう」


そう言って俺が取り出したのは、二枚の羊皮紙。片方には三重の円と中心の点が、もう片方には大きな円一つだけが書いてあるそれは、以前俺がロシェに贈ったものと同じものだ。そう、イメージ力を高める訓練「三重円法」に使う道具である。


「こ、これは……」


「以前、僕が貰ったものと同じですね。イサクにもあの訓練方法を教えるわけですか」


その通りである。ロシェとイサクには今後、魔術の研究仲間にもなってもらうつもりだ。魔法使いとしての技量も高めつつ、魔術の基礎とも言える「幻視」の能力を伸ばすことが出来る「三重円法」は是非ともマスターしてほしい。無論、学院に来る前に両親には教えて良いとの許可をもらってある。教えるのはイサクだけで、学院内部には広めるなと厳重に注意されたが。そして俺はイサクに三重円法のやり方を教えつつ、ロシェにも用意していたものを渡す。


「これは……サイコロですか?」


そう、サイコロ。正六面体に一から六までの点が各面に記してある、前世でもお馴染みのアレである。一の目が大きな赤で表されているのも全く同じで、これがこの世界でも普通に存在している事には色々考えさせられるのだが……それはともかく、ロシェにはもう一つ先へ進んでほしい。


「コレを目の前で転がしながら、同じ様に頭の中でもサイコロが転がる様を思い描くんだ」


「……!成る程、これが次の段階の訓練ということですか」


「その通り。どんな風に転がったか、どんな音を立てたのか、どの面を上にして止まったのか。それらを頭の中だけでありありと思い描けるようになったら、目の前で幻のサイコロが転がる様子が見えるようになるはずだ。そこまで行けば、呪文を唱える時の<シジル>もはっきり見えるようになる」


「サキとルリアも、この訓練を?」


「当然。三歳の頃から続けている」


「分かりました。必ず出来るようになります」


サイコロを握りしめて、幼い顔立ちながらも何やら決然とした眼差しで俺の視線を受け止めるロシェ。うん、可愛い。ではなくて、いい返事だ。本当は小周天の回し方も教えて彼の魔力の底上げを図りたいのだが、アレはまだ家族の中だけとキツく言い含められている。この先も絶対に教えるなという訳ではなく、時期尚早ということらしいので、残念だが機会が来るまで待つとしよう。


俺達はその後も色々と話をしたが、流石にもう日付が変わりそうだったのでそれぞれの部屋に戻り、次の日に備えて寝ることにした。幼少の身には、この時間帯に起きているのは相当辛い。考えるのは明日の自分に丸投げして、俺は寝台の誘惑に身を任せることにしたのだった。




明けた朝。学院の尖塔に設えられた鐘楼から鳴り響く鐘の音に目覚めた俺は、ロシェとイサクを伴って一階に降りて食堂へ赴いた。慌ただしい雰囲気の中で上級生に混じって朝食を摂り、自室へ引き返して身だしなみを整える。三人揃ってホールに降りて金竜館から出ると、そこにはやはりハンナを連れたルリアが待っていた。ハンナに見送られて学院へと向かう途中、俺はルリアに話しかける。


「おはようルリア。昨日の入学式はどうだった?」


「ん。最後に変な声、聞こえた」


「ああ、ルリアもか。『私も歓迎します』って言われた?」


「うん」


「え、何ですかそれ。昨晩はそんな話してませんでしたよね?」


「そうだったかな?入学式でね、式典が一通り済んでホールから出る時に、女の人の声が聞こえたんだよ。歓迎するって」


「……何だか怖い話みたいですね。そんな声聞こえませんでしたよ?」


「う、うん。僕も聞いていない」


「そうか。じゃあ、僕とルリアだけかもね」


ほうほう。ロシェとイサクには、シスター・マギサの声は聞こえていないと。これはあれか、以前にルリアの聖杯を聖別する儀式で召喚してしまったからだろうか。ということは俺達だけ、<聖魔術師団>の正式な参入者ってことになるのか。いやまあ、あの女神ひとのことだから単純にお祝いメッセージ飛ばしてきただけとも考えられるのが何ともなあ。


そんな感じでのんびり話しながら登校したせいか、学院に着いた時には周囲に人影がほとんど見受けられない状態だった。少々焦りながらも決して急がず(貴種は慌てる姿を見せないものだそうな)一年生の教室に入ると、幸いまだ教師は来てはおらず何とか間に合ったらしい。が、どうやら俺達が最後の登校組だったらしく、直前までざわめいていた教室内が一瞬で静かになり、クラス全員が俺達の方を一斉に振り向いた。ちょ、待てよ。そんなに注目せんといて?


多数の視線に晒されて内心ドキドキしながら、表面上は平静を装って空いている席を目指して移動する。同級生たちは皆向学心に燃えているのか、席は前の方から順番に埋まっていて空いている席は後ろにしかない。必ず後ろから席が埋まっていた前世の講演会やセミナーを知る身としては、今生の級友達を誇るべきなのか、それとも前世の学友や同僚を情けなく思うべきなのか。


不毛な思考を脳内で弄びながら、一番端の最後尾の席へ四人揃って移動する。窓際の席に俺が座り、隣にルリア、その後ろの席にロシェとイサクという配置だ。


俺達が席について間もなく、扉が開いて教師が入ってきた。と思ったら、最近良く見る顔のオッサンだ。元王国魔法師団団長、アハブ・アドニ・アザド主任教授である。出番多いですね、団長?教授は教壇に立つとクラス中を見渡した後で、一つ咳払いをしてから話し始める。


「一同、座ったままで良いから話を聞け。もう二度目だから挨拶は省くが、儂が今年の一年生の担任をすることとなった。儂が全ての授業を教えるわけではないが、この学年で何か問題が起きた場合や、教授の判断を仰ぐ必要がある事態が発生した場合は、儂に報告すること。またそれぞれ専門の授業を担当する教授たちについては、実際の授業の際に挨拶があろう。ここまでは良いか?」


アザド教授の声は声量を落としていても、こっちの心胆にずしんと響く重さがある。戦場で部下を指揮していた経験があるからか、腹の底から出ている声はごく普通の内容を話しているだけなのに、聞いているだけで威圧されそうな凄みがあった。俺達を含めた教室の全員が、我知らず声を揃えて「はい」と返答したのもむべなるかな。


「良し。それでは最初の授業を行うが、その前に一人ずつ他の学生に向かって自己紹介をせよ。内容は氏名、年齢、出生地、現在覚えている呪文の数くらいでよい。自己紹介が行われている間、他の者は黙って聞いておること。それと、なるべく手短にな。では一番前の列の左端、そう、お主から始めい」


アザド教授がそう言って教壇に座ると、指名された生徒から順に立って自己紹介が始まった。教授はそれを聞きながら、目線は手元の薄板に落としている。あれは所謂出席簿や生徒台帳のようなもので、学院の把握している情報と自己紹介の内容に矛盾がないか確かめているのだろう。


次々と行われる自己紹介をよく聞いてみると、新入生はほぼ全員呪文習得数が一つ、稀に二つという感じだ。貴族称号を持っている生徒は思ったより少なく、全体の三分の一ぐらいだろう。しかしそうでない生徒も、よく見ると上等な仕立てのローブや結構な値打ち物の装身具を身につけており、商家かあるいは相応の資産を持つ家の生まれは明白だった。金竜館の寮長であるラグ先輩の様な特例もあるが、やはり学院に入学できるような教育を受けられるのは裕福な家庭の子が殆どなのだ。


国民の過半数が最高学府へ進学できた前世の日本は、やはり恵まれていたんだなあ。そんな事をしみじみ思っていると、視界の端でやたらに目立つ青ローブが立ち上がるのが見えた。昨日から何度も見かけている、大貴族のお坊ちゃん(らしき少年)だった。今日も例の豪奢なローブに、何故か先端部分に青い宝玉なぞが付いている見事な杖なぞを携えている。これも例によってオールバックに固めたアッシュブロンドの髪に手をやってから、彼は気取った調子で自己紹介を始めた。


「私の名はユリ・アドニ・カツィール。王国西方にてその名を知られしカツィール侯爵アベルの第三子として生を受け、よわい十一にして高名なる”雷光の魔法使い”モルデカイ翁の印可を受けし者なり。現在身に付けし呪文は<魔法の矢マジック・ミサイル><シールド>の二つのみなれど、いずれ在学中に全ての第一階梯呪文を習得し、卒業を前に第二階梯へ至る予定なれば、級友となりし諸賢におかれては……」


「おう、そこまでにせい。次に変われ」


いつ終わるんだというお坊ちゃんの独白は、ドスの利いた教授の一喝によって遮られた。彼は少しの間硬直していたが、やがて教授の方に振り向くことなく、そろそろとベンチに腰を下ろす。代わってユリ侯子の取り巻きらしき生徒が自己紹介を始めるが、俺はもうそんなの聞いちゃいなかった。


お前か!お前だったんかい!!あのバウマンとかいう能無し騎士を伝令として走らせやがったのは!お前があんな盆暗を部下として使ってたから、俺はウチの実家とお前の実家で、すわ全面戦争かという事態にまで追い込まれかけたんだぞ、このク◯野郎!あーもうさ、雇用者責任とか任命責任とかどう考えてんの?って問い詰めたいよ。いや、全部なかったことにしたからやんないけどさ。


しっかし、よりによってカツィール家か。王国最高位の貴族であり、我がアルカライ家を含む国王派と対立している門閥派、それを率いる四侯爵家の一角。非常に厄介なお家のご出身であることに加え、当の御本人も何だかちょっと問題ありそうなご様子である。え、こんなのとあと三年間、一緒に魔法の勉強すんの?ええ……。


とまあ、俺がユリ候子との距離の取り方をどうすべきか悩んでいる間にも自己紹介は進んでいき、もう一人の注目すべき生徒の出番となった。緋色のローブに長い金髪を縦ロールにしたお嬢様が立ち上がり、姿勢を正してから話し始める。


「初めまして皆様。わたくしの名はエリシェ・アドニ・シャミール、年齢は今年十三歳になります。王国北西のシャミール領より参りました。呪文は<アーマー><シールド>の二つのみ修めております。よろしくお願いいたしますわ」


そう言って右手を胸に当て、左手でローブの裾を摘んで軽く会釈する。主に女性魔法使いが公の場で行う礼のやり方だが、その所作が実に綺麗で、優雅とか婉麗といった表現がぴったりだ。見守る他の生徒からも、少なからず「ほう」という感嘆の溜息がこぼれている。


俺もその「これぞお嬢様」と言わんばかりの元型アーキタイプっぷりに感心する一方で、脳の打算的な部分では「これは厄介だぞ」と考えていた。シャミール家はあの青いローブを着ているトンチキの家と同格、つまり四侯爵家の一つであるからだ。つまり俺達の学年には、門閥派トップの貴族家子女が二名も在籍していることになる。こうもクラス内でのパワーバランスが崩れていると、これから先俺達国王派は相当肩身の狭い思いをするんじゃないだろうか。この二人については、細心の注意を払う必要がありそうだ。


挨拶を終えて席につくエリシェ嬢を見ていると、俺の手が掴まれてルリアの口元に運ばれていく感触があった。もう片方の手でそれをそっと押さえつつ、俺はベンチから腰を上げる。次は俺の番だからな。教室中が注目する中での第一声が「あ痛っ!」では、あまりに間抜けな学院デビューと成り果ててしまう。


さてどんな挨拶にするか、あまり長々喋れないしな、などと考えていると、ルリアも同時に席を立っていた。ええっとルリアさん、自己紹介は一人ずつですよ。どうしちゃったんですか?俺は思わず彼女の顔色を伺うが、ルリアはいつもの半眼でクラス中の生徒の視線を受け止めて微動だにしてない。どうやら彼女的に譲れない何かがあるようなので、俺は諦めて自己紹介を始めることにした。


「初めまして。王都から参りましたサキ・アドニ・アルカライです。今年七歳になりました。覚えている呪文は<明かりライト><鎧><盾><魔法の矢>の四つです。これからよろしくお願いします」


「同じく、ルリア・シャロン。七歳。呪文は四つ。以上」


俺に続いてルリアも、小さいながらも鈴が澄んだ音を立てているような声で、明瞭かつ簡潔に自己紹介をする。途端に、教室中から唸るような感嘆の声が聞こえてきた。まあそうだろう。大抵の生徒が呪文一つで、気の利いた何人かが呪文二つという流れの中、明らかに年少の二人組が四つ習得してるんだ。そりゃ、そういう反応にもなろうよ。


俺達がベンチに腰を下ろしても、級友達があちこちで小さく囁き合っているのが聞こえてくる。すると教壇から「黙らんか。次の者」という教授の声が響き、教室内が一斉にしんと静まり返った。微妙な空気の中で実にやりづらそうだったが、ロシェ、そしてイサクと二人が続けて自己紹介を述べ、それで学年全員の分が終了となる。


ちなみに二人の呪文は、共に<明かり>と<魔法の矢>。入学試験の結果でも分かっていたことだが、我々アルカライ塾出身組は揃って学年上位だ。実に誇らしい。


全員の自己紹介が済むと、アザド教授から学院の授業についての諸注意が伝えられた。どうやら最初の授業は、ロングホームルーム的な内容になるようだ。各授業の詳細や履修についての注意点、学院の設備や利用方法などについて、アザド教授が事細かに説明してくれる。一通りの説明が終わると、教授は全員を見渡しながら言った。


「では、この授業はここまでとする。それからだ、本日は学院長より重大な発表がある。午後の授業が終わったら、全員講堂に集まること。以上だ」


アザド教授はそう言って、教室を後にした。その姿が扉の向こうに消えると、やっと教室内に弛緩した空気が漂う。俺は後ろを振り返って、ロシェとイサクに話しかけた。


「重大発表だって。一体なんだろうね?」


「いや、まったく分かりません。学院長から発表があるということは、このタルムーグ魔法学院や魔法使いに関わることだとは思いますが」


「そ、そう言えば学院長という人もいたんだね」


「そう言えばそうだね。今まで全然見かけなかったし、生徒とは基本関わらない立場の人なのかも。そんな人から大事な発表があるというのは、気になるなあ」


「確かに、気になりますねえ」


そんな他愛もない話をしていると――ルリアは眠そうに俺にもたれているだけだったが――「少々よろしいだろうか?」という声が聞こえてくる。聞き覚えがある、というより色々な意味で印象が強く残る声に目を向けると、そこには例の青ローブが取り巻きの二人を伴って立っていた。


「アルカライ卿の子息、サキ殿だな。少しばかり話があるのだが、お付き合い願えるかね?」


鼻にかかった、人の神経を逆撫でする調子で俺に声を掛けてきたのは、当然ながらカツィール家のユリ侯子。その口調にナチュラルにこちらを見下している響きを聞き取った俺は、イラッと来て反射的に言い返してしまった。


「貴方はユリさんでしたね、初めまして。仰る通り私はサキですが、どの様なご要件でしょうか?」


効果は覿面てきめん。ユリ侯子の細面に浮かんでいた薄い笑みはたちまち凍り付き、そしてお供二人は火薬庫に火種を放り込んだ如く、即座に撃発した。


「お前、ユリ様に向かって何という口の利き様だ!それでも貴族の端くれか!?」


「やはり一昔前までは田舎の村民であった家では、三代経っても礼儀作法というものが身に付かないのでしょう。ユリ様、この様な不調法者を相手にする必要はないのでは?」


おうおう、随分と当て擦ってくれるじゃないの。だがな、如何に侯爵家の子息といえども初対面で上からマウント取る言動をされちゃあ、こっちも黙ってるわけにはいかんのよ。やられたらやり返すってのは、貴族もヤクザも変わらぬ不文律なんだわ。なお、ロシェとイサクはこの様な状況に慣れていないのかオロオロするばかり。ルリアだけは平然としているけど、ゴミを見る視線で三人を見つめている。


「そう仰られましても、他所ならともかくこの学院においては身分の貴賤、よわいの多寡は関係ありません。皆対等な、魔法を学ぶ学徒にして兄弟ではありませんか。入学式の誓いをお忘れになりましたか?」


そういう訳で、煽り返す。自分で誓いを持ち出しといて何だが、コイツラとは友愛の絆を結べる気がせん。


「お前、さっきから座ったまま返答するなぞ無礼だぞ!」


お供のうち、大柄で丸っこい体つきの方がいささか乱暴な口調で絡んでくる。すまん、お前の名前はユリ侯子ショックのせいで聞き逃してしまったのだ。


「級友同士なのですから、着座したまま話すのは普通でしょう?立ち話がお辛いなら、そこの空いた席にでもお掛けになられたらどうですか?」


「……建前も結構ですが、身分差ということを少しは考えてみては?そのような振る舞いでは、学院を出てから苦労しますよ?」


お供の片割れ、背が低く陰険な喋り方をする方がなおも嫌味を言い募る。なんだろうこのコンビ。前世の記憶にかするような、そこはかとない既視感デジャヴュが……。まあそれはいい、とにかくここまで来たら最後まで突っぱねよう。


「この学院の学び舎を、社交界の舞踏会場か何かとお間違えでは?それに身分のことを仰るのなら、そちらこそ立場を弁えられては如何と思いますが」


「何だとう!」


親分ユリの威を借りる二人が、思ってもいなかっただろう言葉をぶつけられて更にヒートアップする。ユリ侯子自身も流石に意外だったか、目を見開いて俺のことを凝視していた。やれやれ、こんな事は言いたくなかったが仕方がない。俺は煽りを込めて、噛んで含めるようにゆっくりと語りかける。


「改めて名乗りましょう。私は王室魔法顧問たるアルカライ子爵レヴィの嫡子にして、ハヌカの男爵サキ・アドニ・ハヌカです。さて、そちらはどちら様でいらしましたか?」


俺の言葉に、三人はうっと詰まった様に言葉をなくす。こいつらもあのバウマンとかいう騎士と大差ないな。カツィールという金看板のせいで、誰もが畏まって接してくることに慣れきっている。こんな風に、自分たちの論理ロジックで逆ねじを食わせてくる相手に会ったことがないのだろう。


貴族の家というものは大抵、複数の爵位を持っている。例えばアルカライ家うちなら父祖伝来の地であるアルカライ村に由来するアルカライ子爵位以外にも、飛び地であるハヌカ領に紐づくハヌカ男爵位を持っているのだ。貴族家の当主は所持する爵位のうちで最上のものを名乗るが、この時継承権を持つ嫡子はそれ以外の爵位を名乗ることが許されている。


これ、本来は伯爵以上の上級貴族にしか許されていない特権なのだが、我が家は王室魔法顧問の役職が伯爵位相当なので例外的にOKなのだ。よって俺は七歳の子供ながら、紛れもない王国貴族の一員ハヌカ男爵でもある訳。


カツィール侯爵は当然山程爵位を持っていようが、三男であるユリ侯子には与えられない。なので貴族の序列的に見れば、彼は俺より身分が低いということになる。お供の二人も同様だろう。どこぞの家の嫡子だったら、学院で魔法を学ぼうとはしないはずだ。貴族の当主が魔法使いってケースが滅茶苦茶少ないんだよな、この国。婆ちゃんや父さんこそ異端、王国貴族の例外と言っていい。


実際には、子爵の長男より侯爵の三男の方が上と見る向きも多い。上流階級に縁のない、市井の人々にとっては特にそうだろう。しかし貴族社会はこういう細かい決まりに非常にうるさく、ちょっとでも間違った対応をすれば「礼儀知らず」の烙印を押されてしまう。そうやって相手より少しでも上になろうと、常にサル山の猿状態で争っているのである。ああ、嫌だ嫌だ。特に、そんなどうでもいいことで相手をやり込めている自分こそが、一番嫌だがな。


俺がそんな風に脳内で自嘲していると、完全に黙ってしまったお供二人を抑えるようにユリ侯子が前に出た。そして俺に対して僅かに目礼すると、丁寧な口調で語りだす。


「連れの者が失礼をした、ハヌカ卿。お許し願えないだろうか?こちらとしては貴公と険悪にならずに、話をしたいのだ」


「サキで結構ですよ、ユリさん。繰り返しますが、どの様な要件でしょうか?」


ユリ侯子はさっき俺が勧めたように、近くの席へ腰を下ろした。お供二人がそれを挟むように立つが、如何にも悔しげな表情を隠せていないのは子供らしいと言えば子供らしい。親分が詫びを入れる事態になったのが不満なのだろう。こちらもロシェとイサクが席を立って、俺とルリアの隣に並ぶ。格付けが済んでから尻馬に乗るその根性、嫌いじゃないよ。


「ではサキ。聞く所によると貴公は生まれつき、たいそう魔力が弱いとか。なのに何故、その年齢としで呪文を四つも扱えるのだ?」


「どこでお聞きになったかは尋ねませんが、確かに私の魔力は弱いです。この教室のどの学友と比べても、一番下でしょう。しかし、呪文の習得に魔力の多寡が関係するのですか?」


おっとユリ侯子、俺の魔力が乏しいことを知っているのか。まあ声高に触れ回ってはいないが別段隠している訳でもないので、調べようと思えば調べられるが。やっぱり彼の親父さんあたりが、ウチの家を調査しているんだろうな。しかしコヤツ、「険悪にならずに」と言った舌の根も乾かない内に、相当失礼な事を尋ねている自覚は無いのかね。こういうところがお坊ちゃんなんだよ。


「魔力が大きい者が魔法使いとして大成できる、有名な話ではないか?人によって登れる階梯に差が出るのも、魔力の大きさの違いによるものと聞いているが」


「そう仰られましても、私としては何とも答えようがありませんよ。他人様ひとさまより熱心に魔法に打ち込んだから、としか」


「私としては、アルカライ家が魔力の少ない者でも多くの呪文を扱えるようになる技を編み出したと見ているのだが」


「もしその様な技法が存在しているのなら、今頃我が父の私塾では学院に合格できる塾生が大量に生まれているはずでは?現状そうでない以上、ユリさんのお考えには根拠が乏しいと思いますよ」


とぼけた返答で誤魔化してはいるが、ユリ侯子の質問は結構いいところを突いている。呪文の習得スピードに個人差があるのは俺にも理由がよく分からないが、魔力が関係しているのは確かだと俺も思うからだ。魔力がたくさん、イコール呪文が多く唱えられる、イコール魔法の練習がたくさん出来る、だからな。


なのに俺の呪文習得が早いのは、ひとえに魔力を目で見ることが出来ること、そしてイメージ力が他人に比べて段違いに強いからだろう。他人が唱える呪文を見ただけで覚えられるのも、<シジル>の光が見えること、呪文が発動したところを脳内で容易に再現できることが理由にあると思うからだ。


でまあ、それらを可能にするのが三重円法だったりサイコロ法だったりする訳だが、これは秘密にしておけと家族から厳しく戒められているため明かせない。勿論、こんな失礼なお坊ちゃんには千金積まれても教えるつもりは毛頭ないが。


「そうか。どの道話してもらえるとは思っていなかったが、貴公が私の想像していたような人物では無いことが分かった。それだけでも話をした甲斐があったな」


「参考までにお尋ねしますが、ユリさんは私をどの様な者と思ってらっしゃたので?」


「魔力が弱いにも関わらず、アルカライ家の威光で学院の試験に合格したのではないかと疑っていたのだよ。全くもって、貴公にもアルカライ家にも失礼なことをした。許してほしい」


そう言って頭を下げるユリ侯子を、俺は表情を崩さず見つめるのが精一杯だった。こいつ本当に、素で失礼な奴だな!今の言葉は俺にも、俺の実家にも、そしてこの学院の面子にも泥を塗り込めまくった台詞だと気付いてんのか?如何に魔法使いの間で絶大な影響力を持つアルカライ家の一子だからといって、学院が入学試験の結果を忖度するなんてある訳ないだろうに。そしてそれをナチュラルに口にしてしまう、この考えの無さ。あーダメダメ。こいつ敵。取り巻きもまとめて、全部俺の敵ね。はい決定。


超絶失礼なユリ侯子に対して俺の思考回路はショート寸前だったが、かろうじて僅かな理性が暴れるのを防いでくれた。仮にも、そう仮にも侯爵家の子息が頭を下げているのだ、形だけでも許しておかなければこちらが狭量と思われかねない。俺は声が震えないよう緩く息を吐きだしてから、さっさとこの会話を終わらせようと口を開く。


「謝っていただいた以上、こちらからは何も申しません。それで、お話は以上でしょうか?」


「寛大な言葉をいただき、感謝する。その上で、最後に一言だけ申し上げたい」


ユリ侯子は席から立ち上がりながら、俺を真っ直ぐ見つめてそう言い放つ。まだあるのかよ、という呆れを胸に留めて、俺は「承りましょう」とだけ口にした。


「今は先を行かれているが、この学院に在学している間に、私はきっと貴公を追い抜いてみせる。そして魔法はアルカライ家だけのものではないと、王国中に知らしめてみせようではないか。以上だ」


そう言ってユリ侯子は芝居がかった仕草でローブを翻すと、取り巻きを連れ自席に戻っていった。俺は、そして会話に加わっていなかったロシェやイサクも、皆唖然としてその背中を見送る。


あの野郎、今ので何か格好つけたつもりなのか?ライバルっぽい言動で、見せ場を作ったつもりにでもなっているのだろうか。何この……、何?名状しがたいもやもやというか、処理し切れない感情は。


最初からアイツを無視していたルリアを除いて、俺達全員がフリーズしている中、横合いから「お話、終わりました?」と声が掛かった。反射的にそちらを向くと、絹と思しき美しい光沢を持つ緋色のローブに、見事なまでに縦ロールの形で整えられた長い金髪が目に飛び込んでくる。もう一人の侯爵家子女、エリシェ・アドニ・シャミール嬢だ。


「先程も申し上げましたけど、わたくしエリシェ・アドニ・シャミールですわ。ご挨拶よろしいかしら?」


そう言って、ふんわりと微笑むエリシェ嬢。俺は一瞬頭の中を切り替えるのに時間を要したが、慌てて立ち上がるとこちらも名乗り返す。


「失礼しました、私はサキ・アドニ・アルカライです。それでこちらは……ねえちょっと、ルリア」


一緒に紹介しようとしたルリアが、俺の前で座ったまま半眼でエリシェ嬢を睨んでいるのに気づく。先程のユリ侯子に対しては頭から無視していたのに対し、エリシェ嬢には明確な敵意を向けているのだ。これは礼儀以前にまずい状況である。俺はせめてルリアを立たせようと手を伸ばした、その時だった。


「あらあら、うふふ」


一瞬の早業だった。エリシェ嬢は素早く俺達の席に身を滑り込ませると、ルリアを抱え上げ自分の膝に座らせたのだった。そしてそのままルリアに頬ずりしながら、黄色いとしか言い様がない声を上げる。


「ああああん!やっぱり可愛いですわ~~~っ!!」


……え?


……えぇ……?

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