第二十五話 魔術オタクは入学式で声無く叫ぶ

タルグーム魔法学院の寮は、単純に男子寮と女子寮の二つに別れていた。残念。何が、という訳では無いが、とにかく残念。まあ一年生から三年生まで合わせて百人前後の学校らしいので、そんなに寮の数を増やしてどうするという話ではある。


隣り合って建つ男子寮と女子寮は、双子のようにそっくりな三階建ての巨大な館だ。それぞれ一階には三年生が、二階には二年生が、三階には一年生が居室を割り当てられている。階数と学年が逆だが、これはどうも三年生を優遇しているかららしい。確かに、毎回三階まで階段で登り降りするのは大変だろうからな。


実は試験結果の発表直後から入寮可能だったのだが、毎年発表当日は新入生の入居ラッシュでごったがえするとナタンさんより聞いていたので、一日遅らせることにしたのだ。俺達子供四人組はハンナや護衛の皆さんに荷物を持って貰って寮までやって来たが、今日は俺たちの他に入寮しようとする新入生はいないようだ。そこで寮の前で男女に別れようとするが、ルリアがなかなか俺を離してくれない。


「ルリア、寮に着いたよ。女子寮の方に行かないと」


「………」


こんな感じで、無言で俺の腕を取り肩に顔を乗せ、拒絶の構えである。思えば今日は朝から何時にも増してべったりだった。朝食の時も両手で抱きついて離れようとしないので、仕方なく俺が食事を口に運んでやった次第だ。ハンナが「サキ様、あーんですよあーん」とか余計な茶々を入れてくるのでイラッときたが、ルリアが上目遣いで期待して見つめてくるので仕方なく「あーん」で食べさせたよ畜生。


そして今現在も斯様な有様だ。明らかにルリアの様子がおかしいというか、幼児退行している気がする。分かってはいたが、部屋が分かれることにそこまで抵抗があるということなのか。ロシェ君やイサク先輩、それと大人の面々は実に生暖かい視線で俺達を見守っているが、何時までも寮の門前で時間を潰している訳にはいかない。俺が何とかするしか無いのは分かっているのだが、前世でも女の子の扱い方についてだけは経験を積めなかったので、どうしたらいいか皆目分からん状況だ。


思い悩んで頭がグルグルし、すっかりテンパってしまった俺は暴挙に出た。少し強引にルリアの腕の中から手を抜くと、彼女に向き直って両肩に手を置く。そのままちょっと背伸びをして―――実はルリアのほうが少しだけ背が高い―――その額に軽く触れるキスをした。そして精一杯の笑顔で「さ、行っておいで」とルリアに言ったのだ。くそぅ、絶対無理あるよこれ。顔真っ赤じゃねえのか俺。


周りが一斉に「おぉー」などと声を上げる一方、ルリアは普段の無表情と打って変わったうるうるとした目つきで俺を見ていたが、やがて静かに頷いた。そしてハンナに手を引かれるようにして、女子寮へ向かって歩き出す。その短い道のりの途中で何度も振り返るので、俺は笑顔で手を振りながら小声で「皆も手を振れ」と呟いた。慌てて全員が手を振って見送る中、その姿がようやく女子寮の中へ消えていく。


俺はがっくりと肩を落とすと、盛大に溜息を漏らした。そのまま振り返ると皆ニヤニヤした笑顔で俺を見ているので、視線に殺気を乗せて睨みつけることで笑うのを止めさせる。「僕達も寮に入ろう」と言い捨て、俺は先陣切って寮の玄関へ歩いていく。はたからすると、どう見ても照れ隠しです本当にありがとうございました。


ああ畜生、寮の中に入るだけなのに何でこんなに消耗せにゃならんのだ。




男子寮の玄関はその構えに相応しく、両開きの重厚な扉で立派なものだ。扉の上に付いている大きな飾りは、翼を広げて火を吐いている四足を備えた怪物―――多分ドラゴンだ。この世界のドラゴンを見たことがないので断言は出来ないが、伝え聞く限りだと前世の伝承やフィクションのものと大差ないらしい。真鍮か何かで作ってあるのだろう、金属製のドラゴンの飾りは冬場の弱い太陽の光でも誇らしげに煌めいている。しっかり掃除と手入れをされているんだろうな。


扉を開けて中に入ると、そこは三階まで続く吹き抜けの大ホールだった。広さはバスケットボールのコートくらいか、各階の壁面に配置された魔法の明かりのおかげで明るく広々とした空間になっている。左右の奥には階段があり、そこから二階へ、さらに折り返して三階まで続いているようだ。


床は板張りだが顔が映るくらいピカピカに磨かれており、正面奥の壁には火の入っていない大きな暖炉が据えられている。暖炉の上の壁には、ここにも大きなドラゴンの飾りが黄金色に輝いていた。


寮の中に入った俺達が想像以上の豪華さに驚いていると、左手にある扉が開いて誰かがホールに入ってきた。十代半ばくらいの少年だが、この国では十五歳で成人なのでもういい大人と言ってもいいのかも知れない。暗めの長い金髪をいわゆる姫カットにしており、全体的に細い外見と相まってちょっとユニセックスっぽい雰囲気だ。目鼻立ちもおっとりした感じなのが、その印象を強くしている。ローブを着ているし、おそらく上級生なのだろう。彼はこちらへまっすぐ近づいてくると、にこりと笑って話しかけてきた。


「やあ、見ない顔だね。新入生かな?」


おや、見かけに反してちゃんと男の子っぽい声だ。俺達は三人揃って前に立つと、まず俺から挨拶する。


「はじめまして、先輩。新入生のサキ・アドニ・アルカライと申します。これからよろしくお願いいたします」


「同じく、ロシェ・ラメドです。お世話になります」


「イ、イサク・ベギンです。よろしくお願いします」


「三人とも、ようこそ金竜館へ。僕は寮長のラグ・ショーレム、三年生だよ」


おお、寮長。寄宿制学校の影の権力者にして、お気に入りの少年たちを侍らしてお茶会をしたり、陰謀を巡らせたり、けしからんことをしたりする人だな。このへんの知識は前世で唯一の女性同僚からの受け売りなので、偏っていることは認める。しかし寮長を任されているということは、このラグ先輩は優秀な生徒なのだろう。発せられている魔力の輝きも、俺の両親と大差ないくらいに強い。


それはそれとして、気になることがあったので聞いてみることにした。


「すみません、金竜館というのは何ですか?この建物の名前でしょうか?」


「ああ、金竜館はこの学院の男子寮の別名だよ。君たちも扉から入ってくる時に見ただろう?それと、奥の暖炉の上。この竜の装飾から、代々金竜館と呼び習わされているんだ。ちなみに女子寮の方は赤い竜が飾られているんで、紅竜館と呼ばれているね」


ラグ寮長はそう説明しながら、彼は俺のことをしげしげと見つめる。


「それにしても……今年の首席は女子寮に取られちゃったけど、次席が入ってくると聞いたので楽しみだって皆で話してたんだけどね。まさかこんな小さな子が次席合格だなんて。ああいや、もう君は立派な学院生なんだから軽んじてる訳じゃないよ?さすが、アルカライの血筋だけの事はあるってことなのかな」


「ありがとうございます、ラグ寮長。それと、首席のルリアも僕と同じ七歳ですよ」


「本当かい!?アルカライ家って、やっぱり普通と違うんだなあ……」


感嘆したように言うラグ寮長だが、この口振りからすると多分、俺やルリアの事は前もって知ってたんじゃないだろうか。ラグ寮長はしげしげと俺達を見ていたが、やがて思い出したように話を続ける。


「ああ、こんなところで話し込んでしまって悪かったね。君達の部屋に案内しよう。三階だから、僕の後について来てくれたまえ。お付きの人達もどうぞ」


そう言って彼は踵(きびす)を返すと、奥に見える階段の片方へと歩いていく。彼について二階へ上がるとそこは長い踊り場というか回廊で、ホールをぐるりと囲んだ手すり付きの廊下になっていた。そこに並んでいる部屋番号付きの扉が、各塾生に割り当てられた居室なのだろう。と、そこで丁度扉から出てきた学生と鉢合わせした。二階の部屋から出てきたのだから多分二年生と思われるが、彼はラグ寮長に気付いて挨拶してくる。


「お早うございます、寮長。後ろは新入生ですか?」


「ああ、おはよう。まあ見ての通りだよ。彼らが今年最後の新入生だ、仲良くやってくれ」


「よろしくおねがいします、先輩」


「あー、よろしく」


会釈する俺達に軽く手を上げながら、二年生の先輩はすれ違いざまにこちらを少々無遠慮な目つきで眺めながら去っていく。今の生徒は何が珍しかったんだろうと気になったが、ラグ寮長が三階への階段を登り始めたので慌てて後を追った。彼は三階へ上がると扉が立ち並ぶ廊下を奥まで進み、やがて行き止まりまで来て足を止める。


「ここの三部屋が君たちの部屋だよ。どの部屋を使うかは、君たちで選んでいい。ま、中は全部同じ造りだけどね」


そう言って寮長が示したのは、十四号室・十五号室・十六号室の三部屋だった。彼の言う通りどの部屋を選んでも同じなんだろうが、十四号を二人のどちらかに譲るのはちょっと可哀想な気がしたので俺が入ることにする。ロシェ君は十五号室、イサク先輩が十六号室だ。


「部屋は決まったね?それじゃあ、これで君達も晴れて金竜館の寮生だ。まずは部屋の中を確認して、荷物なんかを運び込んでしまうといい。ああ、それから君達の中に従者も一緒に住む人はいるかい?」


「いえ。私達は全員、自分の面倒は自分で見れますので」


「そ、そうなんだ。じゃあ、今年の新入生で従者付きは一人だけか。では、落ち着いたら一階の寮長室まで僕を訪ねて来てくれたまえ。寮の中を案内してあげよう。あまりのんびりしていると、午後からの入学式に間に合わないから気をつけてね」


「お手を煩わせて申し訳ありませんでした、ラグ寮長。それでは、後ほど伺わせていただきます」


揃って頭を下げる俺達に軽く手を振ってから、寮長は背を向けて立ち去っていった。その背中が消えるまで見送ってから、俺達は早速それぞれの部屋に入ってみることにした。中は思った以上に広く、机と椅子にテーブルまで備えた居間兼勉強部屋に寝室、恐らく従者用と思われる小さめの寝室にトイレまで備えている。


さすがに寮なだけあって壁紙も無地で飾りもない殺風景な見た目だが、学生が一人暮らしをするには充分すぎる部屋だろう。これで家賃は不要というのだから、学院の太っ腹具合は大したもんだ。


部屋の確認が終わったら、ナタンさんやラズさん達に持って来てもらった荷物を運び入れ、彼等の手も借りながら荷解きをして室内に適当に配置すると、半時も経たずに入居が完了した。そうしたら全員揃って一階のホールまで降り、俺が代表して大人達に労いの言葉を述べる。


「道中の警護に加えて寮に入る手助けまでしていただいて、本当に助かりましたナタンさん。落ち着きましたら、改めてお礼の手紙を書かせていただきます」


「過分なお心遣い、誠に恐れ入ります。サキ様をはじめ、皆様方とご一緒できたのは望外の喜びでした。また何かありましたら、ご遠慮なく小官にお声掛け下さい」


「ラズさん達もありがとう。これからしばらく会えなくなりますけど、王都まで気をつけて帰って下さい」


「何をおっしゃいますやら。我々こそお三方のご入学をお手伝いさせていただいて、これ程光栄なことはありません。サキ様、ロシェ様、イサク様。皆様はきっと立派な魔法使いになられるでしょう。学院でのご活躍をアルカライ家中一同、王都からお祈りいたしております」


金竜館の玄関で俺達三人に見送られ、彼等は学院から去って行った。ラズさん達はこの後すぐに女神の導き亭へとんぼ返りし、預けてある馬車を王都まで持って帰る仕事がある。何時までも屋敷を手薄にしておくわけにはいかないとは言え、ちょっとした観光さえもさせてやれないのは心苦しいばかりだ。せめてナタンさんだけでもと勧めてみたが、彼にも軍務があるからと辞退されてしまった。このあたり前世の感覚を残している俺が緩いのか、彼等が真面目に過ぎるのかは分からんが。


それから俺達は約束通りラグ先輩に会いに寮長室を訪れ、本格的に金竜館の中を案内して貰った。一階には三年生の居室の他にも食堂に厨房、浴室が備えられている。食堂はさすがに五十人近い寮生全員が一度に食事を摂れるほどの広さはないが、食事だけ受け取って自室で食べてもいいので全席が埋まることはそんなに無いそうだ。また浴室は学年ごとの交代制で、三年生が先に使い一年生が最後と決められているらしい。


二階には図書室と自習室があり、三階には何と娯楽室と談話室が備えてある。とは言っても遊べるのは簡単なカード(木札だが)やボードを使ったゲームくらいで、もっぱら何人かで集まって歓談するのがメインの使われ方のようだ。聞かれたくない話をする時は、誰かの部屋に集まるのが常らしい。滅多にないが、全寮生が集まる集会には一階のホールを使用するとか。


一通り案内してもらったが、思った以上に贅沢な設備に驚くことしきりだった。いや、昨日まで宿泊していた女神の導き亭と比べてもそう劣らない。貴族御用達の高級宿に比肩する学生寮とか、どうなってんのと言いたくなる。それでいて寮生から金は取らないというのだから、学院マジパねえな。都市一つ丸ごと領有しているだけの事はあるわ。


それと案内してもらっている間に何人かの先輩や同級生とすれ違ったのだが、ここでも例外なくジロジロ見られる羽目になった。最初のうちは俺達の誰かがおかしな格好でもしているのかと疑ったが、そのうち見られているのは「俺達」ではなく「俺」だと気づく。


そうだった、自覚はあまり無いけど俺は七歳の子供だった。ロシェ君やイサク先輩でも若い方に入るこの学院では、俺はちょっとどころではなく幼い。奇異の目に晒されても致し方なしということか。


どうせ同じ場所で寝起きするんだし、そのうち見慣れて注目されなくなるだろ。そう結論付けた俺はラグ寮長に誘われるまま、食堂で昼食をご一緒することにした。寮の食堂は前世で見た社員食堂の雰囲気そのままで、テーブルと椅子が並んだ広間の奥が厨房になっている。


食堂と厨房の間の壁は大きく穴が穿たれてカウンターの様になっており、そこで学生は食事が載ったトレイを受け取りテーブルで食べるシステムのようだ。トレイを持ったまま食堂を出ていく寮生は、自室で食べる派なのだろう。


しかしまあ、寮の中を案内されている時も思ったが、魔法使いの卵ばかり数十人もいるお陰で視界のあちこちが明るい明るい。食堂に入ったら人口密度が上がって、それこそ凄いことになっている。それでもやはり、一人ひとりを見ればウチの両親ほどの魔力の光を放っている寮生はそうそう居ないな。やはりラグ寮長が魔力量でも抜きん出ているらしい。


そうして寮生たちを品定めしながら俺達もトレイを受け取る列に加わるが、ここで問題が発生。俺の上背が足りず、受け渡しのカウンターから顔が覗くかどうかという有り様だったのだ。背伸びして手を伸ばせば、何とか受け取ることは出来そうだが……と、カウンターに両手を掛け爪先立ちで悩んでいる間に、イサク先輩がトレイを取って俺に渡してくれた。スマヌ……スマヌ……。


気を取り直して、席を取っていてくれたラグ寮長を囲んでテーブルに着く。昼食のメニューは白パンに塩漬け肉と豆の煮物、ベーコンと野菜のスープという内容だ。パンは希望に応じて増やしてもらえるようで、二個も三個もトレイに乗せている上級生もいる。シンプルながら美味そうな献立だ。スプーンだけで全部食べられる料理なのは、洗い物を少なくするためだろうか?


焼いたばかりの白パンを手に取りながら、ラグ寮長に色々と尋ねてみる。上流階級では食事をしながらの会話はマナー違反とされるケースも多々あるのだが、この食堂ではそんなことは無いようだ。流石に「ガハハ」と大声で笑うような慮外者はいないようだが、どこのテーブルでも普通に気のおけない会話が交わされている。学院に入れば貴族も平民もない、というのはある程度本当なんだな。


「ラグ寮長はどちらのお生まれなんですか?」


「僕は王都の下町育ちだよ。父は鎧職人なんだけど、たまたま学問所に推薦してくれる人がいてね。運良く奨学金を貰うことが出来たので、学院に進んだのさ」


学問所は国が王都に設立した学校のようなもので、私塾の王家版と言っていい。出自に拘らず有用な人材を育成することを目的としているので、成績優秀者には学費免除などの優遇措置がある。国中から立身出世の野望に燃えた秀才たちが集まるので、そのレベルは間違いなく王国最高と言っていいだろう。そんな地元では「神童」と呼ばれていたような子供達が集まって競う中、奨学金を勝ち取るというのは並大抵の事ではない。ラグ寮長は謙遜して言っているが、冗談抜きで彼は王国でも一、二を争う天才と言っていい。


「それは凄い!そのまま進めば上級官吏への道もひらけていたでしょうに、どうして学院に?」


「そこはやっぱり、憧れかなあ。小さい頃から、魔法使いのローブって格好いいと思っていたんだよね。それに学院は無料で寮生活ができるだろう?奨学金は貰えたけど、学問にはお金がかかるからね。父は腕の良い職人だけど、子供を私塾に通わせられるほど稼いでいる訳じゃない。正直言って、この食堂で毎食白パンが出てくることに入学当初は驚いたものさ。これだけでも学院に来た甲斐があると思ったよ」


「分かります。黒パンや堅焼きパンをスープに漬けながら食べるのもいいですけど、白パンの柔らかさってやっぱり嬉しくなりますよね」


「……黒パンを食べた事あるの?貴族の人達はみんな白パンしか食べたことがないと思っていたけど」


「旅先で食べる機会がありまして」


「怒らないで聞いて欲しいんだけど、サキ君はあまり貴族らしくないよね?学問所やこの学院で色々と貴族の子弟は見てきたけど、やっぱりみんな平民に対してどこか線を引いていると言うか、垣根があるんだよ。その点サキ君は偉ぶってないし、本音を隠さず話してくれているように見える」


「騙されないで下さいラグ寮長。確かにサキは僕達に砕けた言葉遣いをされると喜びますし、市井の子どものように振る舞うことも出来ますが、それが彼の手管なのです。気付いたら知らぬ間に距離を詰めてきて、友達付き合いを要求されますよ」


「そ、そうなんだ。怖いね」


「酷いなあロシェ君は。そんな風に僕を見ていたんだ?」


「じゃあ何で、イサクさんは『先輩』と呼ぶのに僕は『君』付けで呼ばれてるんですかねぇ……?」


「それはやっぱり……可愛いから?」


「三つも年上の男子をつかまえて、可愛いとか言うのは止めていただきたい!」


「た、確かにロシェは可愛いよね。サキ様と並ぶと、年の近い兄弟みたいで」


「イサクさんまで!」


俺も含めてそれなりの身分であるロシェ君とイサク先輩だが、こうやって他愛もない会話をしている様は普通の少年同士のからかい合いと大差ない。これこれ、こういうのでいいんだよ。何が悲しゅうて、学友相手に持って回った言質を取られない言い回しとかする必要があるというのか。でもなあ、今後は必要になってくる可能性大なんだわ。


俺達の掛け合いを少々呆気に取られた表情で見ていたラグ寮長だったが、やがて楽しそうに笑いながら俺達に言う。


「君達は本当に仲が良いね。羨ましいよ。僕は学問所でも学院でも、最初はなかなか友達が出来ずに苦労したんだ。色んなことを話せる友達は財産だから、大事にした方が良い」


「ありがとうございます、ラグ寮長」


「さて、実に楽しい昼食だったけどそろそろ寮を出た方がいいよ。これから新入生を集めて、入学式の説明があるからね。結構な時間がかかるから、覚悟しておきたまえ」


ラグ寮長の言う通り、気がつくと食堂内の寮生はほとんどが食事を終えたのか、すっかり閑散とした有り様になっていた。僅かに残った寮生も、入学式とは関係ない上級生のようだ。


「ご教示ありがとうございます。それにしても珍しいですね、午後から入学式があるというのは」


「……?他に入学式があるかどうかは知らないけど、学院では昔からこうだよ。何でも、日が落ちてから行う必要があるからだそうだけど」


あ、そうか。俺はすっかり前世の感覚で入学式のことを話していたけど、学校やそれに類する機関がほとんどないこの国だと入学式そのものが珍しいのか。確かに塾ではそんなのやらなかったしな。そもそも入学式のスタンダードなるものが存在しない世界ということだ。失敗失敗。


いやしかし、日が暮れてから始める入学式ってどんなだよ。あれか、月が出ていないといけないとか、そんな感じかね。ファンタジーっぽいフレーバーではあるけど。


ともあれそんなにのんびりとはしていられないようなので、俺達はラグ寮長に重ねて礼を述べてから金竜館を出た。外に出た途端ルリアをどうしようと思ったが、隣の紅竜館の方を見ると玄関の前にルリアとハンナが居ることに気付く。どうやら俺達が出てくるのを外で待っていたらしい。ルリアと合流した俺達はハンナに見送られ、目前に聳える学院へと急いだのだった。





今年のタルムーグ魔法学院新入生は、全員講堂に集められていた。演壇の両脇にある扉の前には教職にある魔法使いが立ち、少々物々しい雰囲気だ。講堂には窓があるのだが現在は鎧戸が閉められており、魔法の明かりがあるにしても閉塞感が増している。入学式の説明と聞いていたが、何かちょっと雰囲気が違うぞ。


俺達以外の新入生も、何だか妙な空気を感じてかひそひそ話がそこかしこで交わされている。その中に、入学試験の時に見た派手な青ローブのお坊ちゃまを見つけた。彼は両隣に座った取り巻きっぽい少年たちに囁かれながら、腕を組んで瞑目している。彼等も合格していたんか。


ならばとさらに講堂の中を見渡せば、やはり縦ロールのお嬢様を発見できた。彼女の周囲には級友がおらず、一人座ったまま真っ直ぐ前を見据えている。ぼ……いや、孤高という言葉が脳裏をよぎるが、あまり注視していては隣に座るルリアが怖いので速やかに視線を逸らすことにする。


その時、講堂の扉が開いてアザド教授が入ってきた。教授は演壇の上に上がると新入生を見渡して、相変わらずのよく通る声で話し出す。


「新入生諸君、合格おめでとう。儂はタルムーグ魔法学院の主任教授を務めるアハブ・アドニ・アザドだ。既に聞き及んでおるかも知れんが、これより入学式についての説明を行う。これは極めて重要な式典であるため、諸君はしっかりと説明を聞き本番で間違えないよう気をつけてほしい」


おおっと、アザド教授の名乗りに貴族称号がついている。そう言えば王国魔法師団の団長職を退いた時に、名誉男爵に叙せられたんだっけか。それに転職後即主任として迎えられているあたり、流石は王国で有数の魔法の使い手とされているだけはある。


それにしてもだ。如何に日没の早い年の初めの頃とはいえ、日暮れまでは結構時間がある。入学式の説明に、そんなに時間を要するものなのか?だってあれだろ、名前を呼ばれて起立して、学院長の長くて眠くなる話を聞いてってヤツ。正直、数分もあれば全部説明し終わる内容だと思うんだが。衆人環視の中でなければ、教授に「そのへんどうなの?」と聞いてみたいくらいだ。


だがアザド教授の口から語られたタルムーグ魔法学院入学式の式次第は、俺の想定を色んな意味で裏切る内容だったのだ。




数刻ののち、俺は学院の奥へと続く廊下をひとり歩いていた。既に太陽は地平線の下に沈み、周囲は夜闇に包まれている。しかしこの廊下には学院の各所にあった魔法の明かりは無く、手で触れられるような濃い闇が満ちていた。と、小説なら描写されるべき箇所だろうが、残念なことに俺には見えている。周囲に漂う濃密な魔力の粒子が、この暗闇の廊下を柔らかな光で満たしているからだ。


やがて廊下は両開きの扉へ突き当り、その扉の前には抜き身の長剣を携えた人物が立っていた。暗褐色のローブを纏いフードを深く下ろしている彼は、この学院の教授の一人だ。身から放たれる魔力の光でそうと分かる。そして、この扉の向こうにもいくつもの強い光が存在していることも。


彼は俺を見て軽く頷くと、俺の体に手を回しロープがしっかりと締まっているかを確認した。そうなのだ、現在の俺は胸と腹と腰の三箇所にロープが巻かれ、縛り上げられている。確認を終えた彼は振り返り、扉を一度叩いてノックする。すると内側からもノックの音が一度聞こえ、続いて低い男の声がする。


「志願者は入場を求むるなり」


「そを許さん。今は名を失い、闇を彷徨う魂の入場を、我は許さん」


男の声に応え、深く落ち着いた老人の声が聞こえる。扉の向こう側だというのに、不思議とよく聞こえる声だ。やがて両開きの扉が内側へ向かって開かれ、中の様子が明らかとなった。


そこは広いホールだった。今まで通って来た廊下と異なり、ホールには光が満ちている。が、この学院で一般的な魔法の照明ではなく、壁には松明が掛けられ所々には燭台が蝋燭の火でもって周囲を照らしている。ホールの奥には一段高くなった台座があり、そこに五つの玉座のような椅子がしつらえられ、五人の人物が座っている。四人が暗褐色のローブだが、中央に座った一人だけが真紅のローブを着用していた。


全員フードを下ろして顔つきは定かではないが、中央の人物はフードから溢れて胸元まで伸びる見事な白い髭で老人と分かる。多分、入場を許可した声はこの人物のものなのだろう。


五人が座る玉座の前には、ギリシャ建築でよく見られる装飾が施された柱――イオニア式だったか、コリント式だったか?――が二本立っている。向かって右側が白い柱、左側が黒い柱だ。その柱と柱の間には白いローブを着た人物が立ち、教会で偉い坊さんが持っているようなロッドを携えていた。


白ローブと入口の扉の間には祭壇がある。俺が作った木の箱に布を被せたような簡易的なものではなく、石造りの台座を持つ本格的なものだ。祭壇の上には薔薇の花、皿に入れたパン、ランプ、盃などが載せられている。その祭壇を挟むように暗褐色のローブが二人と、祭壇の前にもう一人。そして俺の眼の前には、黒いローブを着て抜き身の長剣を松明の明かりに煌めかせる人物が立っていた。多分彼が扉を開け放ったのだろう。


ふと気付くと、扉の前で門番をしていた人物が剣を胸の前で立てて構え、俺の背後に立ち塞がっていた。俺はホールの中に歩み入ろうとするが、白ローブの男が持つ剣によって止められる。祭壇の前に居た人物が近づいてきて、手に持ったランプとワンドを掲げて宣言する。


「不浄にして聖別されざる者よ、汝、我等が聖なる会堂に踏み入ること叶わざるなり」


祭壇の左に居た男が近づいてきて、手に持ったカップへ手を入れ、俺に水を振り撒いて言う。


「我、汝を水に依りて清めたり」


今度は祭壇の右の男が近づいてきて、手の内の香炉を俺にかざしながら唱える。


「我、汝を火に依りて聖別したり」


そこで真紅のローブの老人が立ち上がり、手に持った笏を掲げながら尋ねてくる。


「志願者を祭壇の下に導くべし。死すべき世界の相続者よ。何故に、汝は我等が聖なる会堂に入らんと望むや。また何故に汝は、我等が学び舎に入学の許可を求むるや」


穏やかながらも力強い老人の問いに対し、俺は教えられた通りの答えを返す。


「我が魂は闇を放浪し、隠されし知恵の光を探し続けたり。そしてこの学び舎にありて、かの光の知は得らるるべしと我は信ずる」


「神聖なる我等が学び舎の秘密を他に漏らさず、神聖なるこの場において厳格なる義務を担うと誓いたるや」


なり」


「なれば汝、両膝にてひざまずくべし」


柱の間に居た白ローブの男が進み出て、縛られている俺が祭壇の前に跪くのを助けてくれる。黒ローブの男がさり気なく、膝の下にクッションを置いてくれた。赤ローブの老人は玉座を降りて祭壇の前まで進み出て、俺に向かって祭壇越しに手を伸ばしながら朗々と語る。


「汝が右手をこの聖なる祭壇に置き、左手を我が右手に重ねよ。項垂れ、そによりて地上に知られし汝が姓名を繰り返すべし。我に従いてとなうべし」


俺は精一杯手を伸ばして老人の手を取り、頭を垂れる。触った時、老人の手があまりに冷たいので思わず声が出そうになったが、何とか飲み込むことが出来た。黒ローブの男がその長剣の平らな面を俺のうなじに置き、鋼の感触が俺の心を引き締める。重ねた左手が軽く握られ、それを合図に俺と老人は謳い上げるように誓いの言葉を紡ぐ。


「我サキ・アドニ・アルカライは、沈黙の内に語られし世界の主の御前にて、また、真に称えらるるべき秘密の首領等の許しを得て、このタルムーグ魔法学院の会堂にて、如何なる秘密をも漏らさず厳守することを誓わん。我は約すなり。この学び舎の兄弟姉妹と、友誼と慈愛に満ちた関係を維持せんことを。我は誠意もて約すなり。如何なる権力がこの誓約を崩さんと我を弱き立場におちいらせんとするに、ただ無言で耐えざらんことを」


誓約の言葉が締め括られ、その残響がホールの天井へと溶けて消えていった。赤・白・黒のローブの三人と暗褐色のローブの三人は、俺と祭壇を中心に六芒星の形に並んで、それぞれが手にした持物じぶつを掲げる。松明の明かりがあってもなお薄暗いホールが、一瞬天上からの光に照らされて輝いたように見えた。俺は白ローブの人物に助け起こされ、赤ローブの老人が厳粛に告げる。


「志願者の闇の枷を解き、相応しき徽章を与えるべし」


黒ローブの男がその剣を立て、俺の背中で三本のロープを切った。戒めが解けた俺の胸元に、白ローブの男が星が一つ付いたシンプルな徽章を付けてくれる。赤ローブの老人はそれを見て頷くと、変わらぬ深く落ち着いた声でこう言った。


「我等は汝を歓迎せん。兄弟ブラザーサキよ」


その言葉を合図に、黒ローブの男が俺を伴って退出を促す。一礼してホールから出ようとしたその瞬間、頭の中に直接響く声があった。


『<聖魔術師団>へようこそ、<親愛なる同朋ベリー・オーナード・ブラザー>サキよ。わたくしも貴方を歓迎しますよ』


……何が入学式だよ。やっぱこれ魔術結社の入社式じゃねえか!

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