第三十六話 魔術オタクは図書館へ行く
「どこか行きたい」
俺とルリアが
「何処かに行きたい」と歌って喝采を浴びたのは高名な歌手だったが、「何処かに逃げたい」と歌ったのはさて誰だったか。そんな益体もないことを考えていると、じろりとルリアの半眼が俺を見返してきた。おっとこれは、俺に聞かせるために口に出したな。
「何処かと言っても僕達一年生は基本的に、学院の外には出ることが出来ないわけだけど」
俺はそう言いながら、一緒に寮へ向かって歩いている友人たちを見渡す。ロシェとイサクは無言で頷きを返してくるが、エリシェ嬢は口元に指を当てながら考えるような素振りでこう答えた。
「学院内であっても、普段行かないような場所というのは如何かしら?例えば、大図書館とかよろしいんじゃありませんこと?」
その言葉を聞いた途端、ルリアの眼が僅かに見開かれる。おお、そう言えばこの学院にはそんな施設もあったのだった。
学院に入学してから二月ほど、結構色々なことがあってすっかり忘れていたが、そもそも入学したら訪れてみたい施設の一つだったのだ。丁度授業を終えて寮に戻るところなので、これからしばらくは自由時間。あまり長居は出来ないだろうが、ちょっと覗くぐらいなら問題ないはずだ。
それに大図書館の話題が出てから、ルリアが俺の袖を引いて行きたいアピールをしている。彼女も最近
「よし、じゃあ図書館に行ってみようか」
俺がそう言うと、ルリアは無言でこくこくと頷き返してくる。さてここで問題は、とルリアの向こうに視線を遣ると、エリシェ嬢は偶に見せる柔らかい微笑みで「それがよろしいですわ。私達は先に寮へ帰っておりますので、あまり遅くならないよう気をつけて下さいね?」と実にお姉さんっぽい口調で返された。
これはちょっと驚きだ。彼女のことだから、絶対に一緒に付いて行くと言い出すと思っていたんだが。それとも流石の彼女も図書館内で騒ぐ訳にはいかず、俺達に抱きつけないと考え諦めたのかも知れない。自分の欲望に正直なのか、気遣いができる
まあ、女性というのは男にとって何時でも謎に満ちた存在だ。エリシェ嬢を理解したような気になっても、実際は何も分かっちゃいないということだろう。俺は手を振る友人たちに一旦別れを告げると、ルリアを伴って学院の奥にある大図書館へ赴いたのだった。
入学した時のオリエンテーションで場所だけは知っていたが、学院の一番奥まった場所にある大図書館に来たのは初めてだ。他の建物から少し離れた場所に、周囲を木立に囲まれてその巨大な建物は鎮座していた。優に学院の本校舎に匹敵する大きさがあり、正面に二つの天を衝く尖塔を備えたその姿は、何となく前世に写真で見たケルン大聖堂を彷彿とさせる。
無論スケールは比べものにならないくらい向こうが大きいが、あのカテドラルを連想したのにも理由がある。この建物は確かに図書館だが、同時に知識と魔法を讃えるために建立された神殿でもあるのだと、何となく感じるところがあったのだ。正面大扉の左の扉には魔法の女神イシスが、右の扉には隠者の神ジェフティの姿が彫刻されていることもあって、よりその思いを強くする。
俺とルリアは扉の両脇に控えた守衛に声を掛け、門を開けてもらう。昨日の今日ではなく一昨日の今日だが、これまで夜間に巡回するだけだった守衛が主要な施設の出入りを見張るべく配置されるようになった。流石に暗殺未遂事件が起きた以上、何の対策もしないという訳には行かなかったらしい。迎賓館の出入りは、特に厳しく監視されるようになったと聞く。
暗殺騒ぎと言えば、実行犯だったメレク・ハラリとその家族は結局、罪を許されて王都に移住するらしい。父さんの下で諜報部隊員として働くそうだ。本当なら死罪は免れないところを無罪放免の上妻子の命まで救って貰ったということで、アルカライ家と俺に恩を返すのだと凄い意気込みだと聞く。張り切りすぎて、また奥さん子供を悲しませることの無いようにして欲しいところだ。
そんな事を考えながら大扉を通り抜け、エントランスホールに入る。ホールの左手には長い受付カウンターが有り、袖章の付いたローブを着た女性が一人座っていた。右手の奥には上階へ続く階段があり、それ以外の壁際には椅子と低いテーブルが何組か備えてある。何となく、前世の銀行や役所の受付を連想させるエントランスだな。
向かいの壁には中央に両開きの扉があり、ここにも守衛が一人配置されている。恐らく、その扉の向こうに書架が収められているのだろう。俺とルリアはひとまず受付カウンターへと歩み寄ると、職員らしき女性に声を掛けようとしたんだが、目が合った途端にっこりと微笑まれて向こうから声を掛けられた。
「いらっしゃい、可愛い学生さん達。図書館の利用は初めてかな?」
おお、初めて会うタイプのお姉さんだ。癖のある明るい金髪を後ろで無造作にくくっていて、一見身だしなみに気を使わないタイプに見えるのだが、着ているローブには皺一つなくカウンターに載せられた手も爪先まで綺麗に整えられている。目は大きなアーモンド型で空色を思わせる美しい碧眼なんだが、少し気だるげに半ば閉じられているのが玉に瑕か。
いやいかん、初対面の女性をジロジロ見るのはマナー違反だ。何より隣から感じられる圧が高まって来ている。
「一年生のサキ・アドニ・アルカライと、ルリア・シャロンです。ここの図書館は初めてですので、利用方法などを教えて下さい」
「君達が噂の一年生かあ。まあ、こんなにちっちゃな学生さんはなかなかいないから、すぐに分かったけどね。私達司書の間でも、君達は有名だよ。学院の歴史を塗り替えそうなぐらい優秀な学生が、一年生に居るって。よし、ではお姉さんが、君達にこの大図書館のことを教えて進ぜよう」
そう言って司書のお姉さんは、「にひひ」といった感じの笑顔を浮かべる。ノリが軽いなこのお姉さん!大神殿の司書であるライラさんとも違う、今まで身の回りにいなかったタイプの
「この大図書館は四階から成っていて、一階と二階は一般的な図書が収められているんだよ。二階にある本の方が、一階のものより少し難しめかな?一階と二階の本の閲覧は、学園関係者なら基本的に自由。貸出については一週間を期限として、一度に一人三冊まで。以前は冊数も自由だったんだけど、荷車で借りに来る者が出たんで制限する決まりが出来たんだ。馬鹿な奴が居ると周りが迷惑するよね」
大きな碧い目を細め、眠たげにも見える笑みを浮かべながら柔らかな声で毒を吐くお姉さん。
「三階は魔法に関連する図書を集めた階だね。ここにある本を閲覧するには、教授会の許可が必要になる。持ち出しも厳禁だよ。基本的には教授が自分の研究に利用するか、外部の魔法使いが調べ物をするために訪れるくらいかな。学生が利用することは滅多にないね」
そしてここでお姉さんは少し身を乗り出し、声を潜めて内緒話をするかのように語る。
「四階は学院長以外立入禁止。私達司書でも、そこに何があるか知らされていないんだ。噂だと、外に持ち出すと王国が滅亡する呪いがかかった本があるとか、世界でもまだ誰も知らない強力な呪文について書かれた本があるという話だよ。まあ、確かめた者は誰もいないんで、まるっきりの想像でしかないんだけどね」
なんと、開かずの扉ならぬ開かずのフロアか。魔法学校の大図書館に立ち入り禁止のフロアがあるとか、学院は定番ってものをよく分かってるじゃねえか。一体何が隠されてるんだろうな。やっぱり、読むとSAN値が吹っ飛ぶ系の本か?それとも、混沌と破壊の化身を呼び出す立方体か?
などと妄想を逞しくしてみたが、俺達は今日気分転換に今まで利用したことがなかった学院の施設を見学しに来ただけだ。普通に見て回って、夕食前には寮に戻る予定なので冒険は必要ない。
「今日のところは無難に一階を覗いてみるつもりですので、入室許可をお願いします」
「あらそう、じゃあ正面の扉から中に入るといい。中には私みたいに袖章の付いたローブを着た人が一人か二人はいるから、何か分からないことがあったらその人達に声を掛けること。彼らも私と同じ司書だから、遠慮なく質問してあげて。来館者に本の説明をする機会に飢えているんだ」
「あはは、分かりました。楽しい説明ありがとうございます。ええと……」
「アヤラ・ツヴィカ。アヤラって呼んでくれると嬉しいな」
「分かりました、アヤラさん。それじゃあ」
また、と言いかけたところで左腕に激痛が走った。反射的にそちらを見ると、左の二の腕内側の肉の薄いところをつねっている、ジト目のルリアと目が合う。見惚れるとかじゃなくて、会話が弾むだけでも駄目なのかよ!
妙なタイミングで黙ってしまった俺を見て、アヤラさんはちょっと呆気に取られたような表情をしていた。だが直ぐに俺とルリアを見つめる目が細められたかと思うと、その顔ににまあ、とでも表現したくなるような笑みが浮かぶ。面白そうなオモチャを見つけた、とでも言いたげな笑顔だ。
いかん。この人にこれ以上関わっていてはいけない。俺は黙ってそのまま横を向くと、不機嫌なままのルリアを引きずるように向こう正面の扉へ向かう。視界の隅で先程の笑みのまま、アヤラさんが手を振っているのが目に入ったが、俺は無視して扉を開いた。
「わう」
扉をくぐったところで、横のルリアから気の抜けたような何とも表現しづらい呟きが漏れる。そこは巨大なホールになっており、見渡す限り本棚が立ち並んでいた。一般成人の身長を大きく超える高さの本棚は、背中合わせになって俺達の見ている方向へ幾つもの列をなして伸びている。途中途中に天井を支えるための柱を挟んで、その先はまた本棚だ。本校舎の講堂より遥かに大きなスペースが本で埋め尽くされているその光景は、控えめに言っても驚嘆以外の何物でもない。
本棚の列は視界のかなり先で一旦途切れ、そこにテーブルと椅子が並んでいるのが遠目に見える。図書を閲覧したい者が落ち着いて読んだり、メモを取ったりするためのスペースだろう。その向こうにもまだ本棚の列は続いていて、この一階フロアだけでもどれだけの本を収めているのか想像もつかない。
その時、俺の左腕がぐいと引っ張られた。見るとルリアが先程までの機嫌の悪さは何処へ行ったのやら、半眼をキラキラ輝かせるという器用な真似をしながら俺の腕をぐいぐい引いている。俺は思わず苦笑を浮かべながら、ルリアに先導されるように眼の前の棚の通路に足を踏み入れた。
本棚の本たちは列ごとに分類されているらしく、俺達が今いる列には「〇二 民話・説話・物語」という見出しが掲示してあった。収蔵してある本は形態もまちまちで、背表紙があるものないもの、紐綴じのもの、巻物状のものなど様々だ。ご丁寧にも、表紙のない本や巻物にはその場所に本のタイトルらしき文字版が貼り付けてある。なるほど、こんな仕分け方ならやたらとスペースが必要なのも納得だ。
ひとまずこの棚の列を眺めながら最後まで通り抜けると、入口から見えていた読書スペースに辿り着いた。このスペースだけでも俺達が学ぶ教室二つ分くらいの広さがあり、五、六人が座れそうなテーブルが十近く間隔を置いて配置してある。現在、ここに座って本を読んだり調べ物をしている人は二人ほどしかいない。もうすぐ夕飯という時間もあってか、来客は少ないようだ。
ふと隣に目をやると、そこには数冊の本を抱えて「むふー」と鼻息も荒いルリアがいた。ここに来るまでの間に、本棚から良さそうな本を物色してきたのだろう。
「そんなに持ってきても、今日はあまり時間がないから読み切れない……あ、読めなかった本は借りて帰るんだね」
ルリアはもう待てぬと言わんばかりに手近なテーブルの上に持っていた本を積み上げ、そのうちの一冊を早速広げて読み始めた。こうなるとこの幼馴染の集中力は凄まじく、本の内容以外のことは頭から消え去ってしまう。こりゃあ退館時間を忘れないように教えてやらなきゃな、と思いながら「僕はもう少し見て回るよ」と小声で告げ、俺は更に奥へ続いている本棚の列へ足を向けた。
こちらの棚には「十一 文化・風俗」という見出しが掲示してあった。先程と同様に視界の両側を埋める本の表紙やタイトルに目を配りながら、俺は頭の中で違う事を考える。それはつい先日この学院の迎賓館で行われた、アルカライ家家族会議(プラス一)についてだ。
そもそも俺がこの世界に生まれ変わったのは魔術の実践が目的で、それ以外は正直どうでも良かった。残念ながらこの世界の魔術はかなり昔に伝統が途絶えていて、現在は代わりに魔法が幅を利かせていた訳だが。この点については、
まあそれでも、前世から持ち込んだ魔術の知識で不完全ながら儀式を再現することは出来た。おかげ様で、その儀式で自称魔法の女神という「霊的存在に至った大魔術師」を呼び出してしまうことになってしまったが。その際に「この世界の魔術を復興させること」を約束させられたが、魔術の探求はそもそも俺の目的でもあるので何の問題も無い。
まあそれで俺はごく幼い頃から、前世絡みの知識は魔術に関するものしか使ってこなかった。お馴染みのボードゲームやカードゲームを開発して金儲けしたり、前世の調理法を持ち込んで日本食を再現したりといった、所謂転生者ムーブは行っていない。俺は立派な魔術師になるためにこの世界へ生まれ変わったのであり、魔術以外に前世の知識を活かすことなど考えもしなかったからだ。興味も無かったしな。
しかし先日の話し合いでは、俺は実家の運営方針と言うか、アルカライ子爵家はどうあるべきかという点について一席
魔術だけに打ち込む魔術バカになりたかったのは確かだし、今でもそうありたいとは思う。しかしそれはそれとして、俺は俺の家族が不利益を被ったり、我が家の領民が肩身の狭い思いをしたりすることは許せない。そのためなら、前世の知識でも何でも使って然るべきだ。
そのためには、俺はもっとこの世界のことを知る必要がある。世界の中での自分の立ち位置というものを理解しないと、いくら異世界の知識があってもそれを活かせないだろう。石油が埋蔵されていない世界で、内燃機関の開発に取り組んでも意味があるまい?そういう考えもあって、俺はエリシェ嬢の「図書館に行ったら」という勧めに乗っかったわけだが。
ひとまずこの国のことだけでも、地理・歴史・産業あたりは抜かりなく押さえておきたい。魔法関係の書物なんかは後回しでいいので、今挙げた分野の概説なんかを頭に入れておきたいところだな。
そんな思いで並んでいる本のタイトルをチェックしているわけだが、いやどれも面白そうで目移りしてしまう。うん?「名前と家名の由来についての研究」?ちょ、何だこれはけしからん。こんな面白、いや役に立ちそうな本まであるのかよ。
ああいや、こういうルーツを探る系の研究は大事なんだ。家名、特に貴族のそれにはその家が紡いできた歴史や背景が詰まっているし、名前にもその時代の文化と風俗が大きく影響している。さっき例に上げた歴史や地理の本がストレートに知識を増やしてくれる一方で、こういう本は縦糸と横糸の隙間を埋めるというか、知識に深みを与えてくれる副読本といったところだ。畜生、猛烈に読みてえ。
だがこの本、ちょっと高い棚に置いてある。こういう時に子供の体はちょっと困るぜ。背伸びして届かんもんかな……ぬう、あとちょっとで届きそうなんだが。俺が本棚の前でぴょんこぴょんこしていたその時、横から枯れ木のように細い手が伸びてきて目的の本を取り上げた。
驚いてそちらを見ると、そこには背の高い老人が立っていた。ほとんど白くなってしまった長髪を後ろでまとめ、同じくほぼ真っ白な豊かな顎髭が胸元を越えて伸びている。要所要所に銀糸で刺繍の入った漆黒のローブを纏うその姿は、紛れもなくこのタルムーグ魔法学院の学院長だ。
唐突に、しかも思いもかけない場所で
「手の届かない場所にある本を読みたい時は、司書に声を掛けるべきですな。無理をして怪我をしたり、本棚をひっくり返してしまっては大変ですよ」
呆然としたまま本を受け取った俺は、そのままの姿勢でしばらく固まってしまう。たっぷり二拍か三拍置いて、漸く頭を下げ詫びの言葉を述べた。
「こ、これは失礼しました学院長!お隣に居られたと気づかず、無礼をお許し下さい」
何だか卒業式で証書を受け取るみたいな格好で答える俺。学院長は変な姿勢の俺を咎めることなく、相変わらず優しげな声で語る。
「サキ君は面白い本を読むのですね。魔法使いは魔法のみならず、広く知識を修めて人々の役に立つことも大事です。これからも勉学に励んで下さい」
名前を呼ばれ、思わず顔を上げて尋ねる俺。
「私の名をご存知なのですか?」
「勿論。あなたのご両親もお祖母様も、亡くなられたお祖父様もマリア殿も。この学院に入学し、卒業していった方々はすべて覚えております。サキ君のことは特に、エステル殿からよろしくとお願いされていますからね」
「きょ、恐縮です」
そういや、以前婆ちゃんがそんなことを言っていたな。ただその時は、「孫が迷惑かけると思うが大目に見てくれ」みたいな内容だったように記憶しているが。ひどい話だ。
俺が学院に迷惑をかけたことなんてあったか?……あるな。呪文動作省略の発見に、面会者が押し寄せてきた件、加えて先日の暗殺騒ぎ。まだ学院に入学してふた月も経っていないが、ちょっと自分でも自分を擁護できないくらいのペースで事件を起こしている。思わずがっくりと項垂れてしまったほどだ。
「気にすることはありません。この学院で学ぶ若人は、全て私の子も同然です。どうか隔意無く接していただきたいですな」
そう言いながら学院長は、片眉を上げて難しげな表情を作る。実際はその長く豊かな眉と口髭のせいで、目鼻立ちのほとんどが毛の中に埋もれているため「多分そうだろう」という程度にしか表情は伺えないんだが。何と言うか、まさに「ザ・魔法使い」といった感じの爺さんだ。或いは「黒いサンタクロース」とでも言おうか。
「などと偉そうに申し上げましたが、我々の不注意によって先日貴方を危険な目に遭わせてしまったことは誠に慚愧の至りです。本当に申し訳ありませんでした」
「いや、結局私は怪我一つ負わずに無事だったわけですし。どうかお気になさらずに」
まさか学院長から直々に詫びの言葉が聞けると思っていなかった俺は、少々慌てて何も気にしていないと言い募った。確かに俺自身も学院側も、学院内での危険に警戒心が足りないところがあったと思うが、あの陰謀を予見しろというのは少々酷だろう。それに早速反省して警備を厚くしたみたいだし、俺としては学院に何も含むところはない。むしろ俺の家の事情に学院を巻き込んでしまって申し訳ないと感じているくらいだ。
「サキ君にそう言っていただけると、私も胸のつかえが僅かなりとも晴れますな。ふむ。それでは私からのお詫びという訳ではありませんが、何かこの学院のことでも何でも、私にお尋ねになりたいことはありませぬか?この老骨は何分無駄に歳を重ねておりますので、大抵のことはお答えできると思いますぞ?」
おお!何故か学院長から、ボーナス質問タイムのプレゼントだ!いやー、本当に俺はもう狙われたことなんて気にしてないんだが、教えてくれるというのを無下にするのも悪い気がするよなあ。それじゃあ遠慮なく、何を聞かせてもらうとするかのう。
「……何でもよろしいのでしょうか?」
「ええ。私に答えられることであれば、何でも」
「それでは、この図書館の四階には何があるのでしょう。噂に聞くように、何か危険な知識や書物が収められているのでしょうか?」
ついさっき、受付のアヤラさんから聞いたばかりの話の真偽を俺は学院長に尋ねてみた。もうこんな機会は二度とないかも知れないし、今一番気になっていることなんで、聞けるもんなら聞いてみたいと思ったわけだ。
俺の問いはそれほど意外でもなかったのか、学院長はその長い顎髭を手で扱きながら即答する。
「確かに、特別な書が一冊だけ保管されております。ですが、その書が危険だとか呪いがかかっているとか、そういったことはありませんよ。大変貴重なもので、読む資格がある者が限られているものではありますが。私以外でその書を目にしたことがあるのは、現在のところ唯一人。貴方のお祖母様だけですな」
また婆ちゃんかよ!どんだけ特別扱いされてんだか。だがまあ、身内に読んだことがある人間がいるってんなら、そっちから聞いた方が話が早いかも知れん。
「それで、その本は結局どの様な本で、読むにはどんな資格が必要なのでしょうか?」
「ああ、残念ですがそれだけはお答えできないのですよ。『答えられない』ではなく、『教えることを禁じられている』と申し上げた方が良いかも知れませんが。いずれ、資格を得ることが出来れば自ずと理解できます。そして私が見るところ、サキ君は必ずやその資格を得られることでしょう」
学院長はまさに好々爺といった感じの笑みを浮かべながら、俺の問いをはぐらかすようにそう答える。ん?今何でも答えるって言ったよね?と思わんでもなかったが、それが言葉の綾ってことぐらいは俺でも分かるわ。ま、学院長から聞けずとも婆ちゃんに聞けば良いのだし、ここはこれでいいか。
「分かりました。その資格とやらを今すぐ知れないのは残念ですが、それを得ることが出来るよう今後も精進いたします」
「ふふ、そんなに残念そうな顔をするものではありませんよ。そうですな、それでは私からも一つ噂話をお聞かせしましょう」
学院長は変わらぬ笑みのまま、俺に向かって告げる。
「この大図書館には四階以外にも、誰も入ったことがない部屋が隠されているそうですよ。気になるようでしたら、探してみては如何ですかな?」
そう言って学院長は俺に背を向けると、そのまま静かに本棚の向こうへ歩き去って行ってしまった。俺はその背中を、立ちすくんだまま呆然と見送る。
おい待てや。何でも教えるって言ったくせに、結局大事なことは何一つ教えないまま、謎だけ増やして去っていきやがった。何その重要人物ムーブ?!お前ストーリーの途中で出てくる、ヒントだけ出して主人公と読者の興味を引く仕込みキャラかよお!?
……ふう、いかんいかん。思わず心の中で憤ってしまった。ちょっと予期せぬ場所で予期せぬ人物と予期せぬ出会いをして予期せぬ会話をしてしまったせいで、俺の精神が少々不安定になっていたようだ。何だか非常に胡乱なことを考えてしまっていた気もするが、心の中だけなのでセーフ。
しかし、隠し部屋か。そんなもんが、この大図書館に?どうすっかね……。
それからしばらく後。俺は先程の「名前と家名の由来についての研究」という本を手に持ったまま、なんとなく大図書館一階の書棚の列をうろうろしていた。やはりさっきの学院長に聞いた隠し部屋の話が未だ脳裏を占めており、どうしても本を探すというよりそちらの方が気になってしまっている。
この大ホールは大量の本を収めている関係上、窓が存在しない。照明は天井に設置された魔法の明かりで賄っている。故に、俺達が扉を抜けて入ってきた方向以外の三方の壁が外壁とは限らず、壁と外壁の間に隠し部屋を作るスペースがあってもおかしくない。そう思って、何とはなしに壁際の書棚を見て回っているのだが……。
「サキ」
背後から細く小さく、俺を呼ぶ声がする。ルリアだ。振り返ると、そこには三冊の本を頭の上に乗せ、手で支えているルリアの姿があった。
「もうすぐ夕食」
「そんな時間か。じゃあ、寮に戻るとしよう。その本は借りて行くの?」
俺の問いにルリアはこくりと頷きかけ、頭上の本のバランスを崩しそうになって慌てて姿勢を戻した。基本、本というものは重く嵩張る。ルリアにとっては手で持つのも一苦労なので、あのようにしているのだろう。前世の海外映像とかでよく目にした、頭に水瓶とか商品の籠とかを乗せて運ぶアレだ。
そのまま背を向けて歩き出す幼馴染に先導され、俺もホールの出口に向かって歩き出す。こころなしか、前を行くルリアの足取りが軽い。おそらく寮に戻って借りた本に目を通すのを心待ちにしているのだろう。その姿には、今日
「んん?」
「……どうしたの?」
途中、ふと足を止め思わず疑問の声を上げた俺に、ルリアも立ち止まり振り返って尋ねる。彼女には、俺が何の変哲もない書棚の一角を見つめているように見えたはずだ。だが俺の目には、少々違ったものが映っている。
俺が視線を向けるその棚は、光に溢れていた。宙を漂う魔力の光の粒子が、とんでもない密度で書棚の裏から湧き出していたのだ。
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