第十九話 魔術オタクは将来の展望を得る

ゆっくりと、魔力を巡らす。丹田から会陰へ。仙骨せんこつから脊柱をじわじわと上り、頭頂の泥丸でいがんへと至る。人中じんちゅうを通って喉を下り、胸椎から水月すいげつへ、そして再び丹田へと。


温かな光の塊が背筋を這うように登っていき、頭頂で冷えて冴えた光の玉となる。鼻先を通ったそれを飲み下すように、喉から胸、みぞおちへ。


そして丹田へ落とした魔力が凝縮されて再び熱を持ち、また脊柱を登っていく。己が躰を炉に見立て、魔力を循環させ磨き上げる。


一通り小周天しょうしゅうてんの行を終え、俺は寝台の上で結跏趺坐けっかふざに組んでいた足を解くと一息ついた。向かいの寝台では、端に腰掛けたルリアがまだ小周天を回している。凄まじい輝度と密度を持った魔力の塊が、ゆっくりとルリアの体内を動いているのが見て取れ、俺は思わず胸中で唸った。


三歳から(なるべく)欠かさず訓練を続けてきて約三年。当初は哀れなほどにショボかった俺の魔力も、どうやら一般人並みにまで強化された。最初に<明かりライト>の呪文を唱えた際、魔力の殆どを消費して気絶してしまった俺だが、今では気持ち悪さや目眩に悩まされることなく<明かり>を行使出来ている。


更に習得した裏技、「自分の周囲にある魔力を取り込む」技術を用いれば、<明かり>よりも魔力を必要とする<魔法の矢マジック・ミサイル>すら問題なく使えるようにまでなったのだ。


だが、ルリアはその<魔法の矢>を八発連続で打ち込んでなお、けろりとしている程の魔力量がある。元々強大な魔力を持って生まれついていたルリアだが、俺と同じ鍛錬を一緒に続けてきたせいで、今やその魔力は他と隔絶したものになってしまった。あの婆様でさえ遥かに凌いでいるのだ。幼くして「”魔女ザ・ウィッチ”の再来」という二つ名で呼ばれているのも、むべなるかなである。


持てる者と持たざる者が同じだけの努力をすれば、その差は開く一方となる。残酷な事実であるが、それに文句を言っても始まらないからな。現実を受け入れた上で、ではどうするかを模索する。そうでなくてはなるまいて。そして、その方策には既に目処がついている。



俺は昨晩、我が家に古くから伝わる巻物に記されていた儀式を執行し、火の精霊を喚起エヴォケーションすることに成功した。残念ながら呼び出した際に想定外の事態が起きたため、集中が切れてしまい儀式は空中分解。せっかく呼び出した火の精霊もすぐに消えてしまうという、何とも締まらない結末ではあったが。


まさか、裏庭で呼び出したら地面の草に精霊から引火してしまうとは……。慌てて消したが、火をはたくのに使ったローブにはしっかり焦げ目がついてしまった。雰囲気を出すために、部屋着の上からローブを着て儀式に臨んで良かったぜ。


それはまあともかく、家伝の巻物のお陰で俺は初めてこの世界の魔術を行使できたわけだ。そして分かったことだが、魔法と違って魔術は魔力を消費しない。少なくとも、魔法使いの基準からすると遥かに劣る量の魔力しか持っていない俺が儀式を行っても、ほとんど気にならないレベルだ。


これはある程度予見できていたことだった。そもそも前世には魔力なんてものは存在しなかった(認識できていなかっただけかも知れないが)ので、前世と同じ魔術を行使しても魔力は使わないのではないかということだ。それに魔法は超常の現象を引き起こす為に魔力を使用しているのだろうが、魔術は神霊や精霊の力を儀式を通して借り受けるもの。自分以外にパワーソースがあるのなら魔力は必要ないはず、という考えだな。


これまで行使した魔術は<聖別>の儀式だけで、正直実際に成功しているかどうか分かりにくかった。そりゃ勿論、俺の短剣もルリアの聖杯もちゃんとした魔術武器になっている、と思う。思うが、本当にそうなのかは確かめようがないのだ。「火の短剣+1」とか表記されてりゃ、すぐ分かるんだが。


しかし今回は違う。何もないところから「火の精霊」を喚起し、その精霊が下生えの草を燃焼させるという物理現象を引き起こしている。この<物質世界アッシャー>に直接影響を及ぼすことの出来る魔術。それを行使しても魔力は消費しないということが、ほぼ確定したと言っていいだろう。


つまり俺は魔力が無いので魔法使いには向いていないが、魔術師を目指すのには何の支障もないという訳だ。家業である魔法使いに向いていないのは残念だが、そもそも俺がなりたいのは魔術師なので問題ない。シスター・マギサにも魔術の振興を頼まれているし、これからは魔法よりも魔術を伸ばしていくべきだろう。うむ。


そこまで考えを纏めたところで、どうやらルリアも小周天の行を終えたようだ。なので俺はこの部屋にいる三人目の人物、椅子に座っているその人に声を掛ける。


「ご覧になっていただけましたか?お祖母様」


「ああ、しっかりと見させて貰ったよ」


婆ちゃんはどこか疲れたような表情で、俺の問いにそう答えたのだった。



昨晩遅く「火の精霊」の喚起儀式を行った俺は、それでも何とか普段通りの時間に起きた。朝食の席にはマリア母さんがおらず、村長さんに聞くと朝早くに婆ちゃんに呼び出されたとのこと。しばらくして、ぐったりした様子のマリア母さんを伴って婆ちゃんが村長宅にやって来た。何でも、俺とルリアに話があるらしい。


何やら消耗しているマリア母さんを残したまま、婆ちゃんは俺とルリアを連れて客室に移動する。俺たちが宿泊に使っている部屋だ。村長の息子さんに言って椅子を用意させると、婆ちゃんはそれに腰掛けて軽く溜息をついた。俺は自分も寝台に腰掛けようとするルリアを急いで捕まえると、俺の横に並んで立たせる。すると婆ちゃんは、手をひらひらと振って言った。


「畏まる必要はないよ。あたし達は、家族なんだからね」


その言葉が終わると同時に、ルリアが自分の寝台に座ってしまった。俺は一応婆ちゃんに断ってから、ルリアの隣に腰を下ろす。


「さて、サキにルリア。急に押しかけてきて済まなかったね」


「いえ、お祖母様にわざわざご足労いただいて恐縮です。それでご要件は、昨日のお話の続きということでしょうか?」


俺の言葉に婆ちゃんは硬い表情で頷くと、厳粛な声で告げた。


「サキ。あんたが知っていることは、この国どころかこの世界に大きな影響を与えかねない。それは分かっているかい?」


婆ちゃんの言葉に俺は正直面食らったが、ここは黙って首肯しておく。確かに魔術の知識はこの世界では失われており、それを復活させることは色々影響がありそうだが……そこまで大きな話だろうか?シスター・マギサに頼まれた「古代魔法王国の復興」というのは確かにスケールのデカい話だが、はっきり言って俺が生涯を費やしてもそんな事が出来るとは思えんし。と、そんな思いが伝わったのか、婆ちゃんは首を振りながら話を続けた。


「今一つ飲み込めていないみたいだね。まあいいさ。とにかく、あたし達は決めたよ。サキ、あんたが知っていることをあたしらは無理に聞き出したりしない。その代わり、これだけは絶対に約束しておくれ」


そう言って婆ちゃんは身を乗り出すと、俺の目を覗き込みながら腹に響く声で告げる。


「あんたの知識を使って新しいことをやろうとする時は、必ずあたしかレヴィに相談しなさい。あんたが知っていることは素晴らしいものであると同時に、知った人間を不幸せにする可能性も十分にあるんだ。それを肝に銘じておくんだよ」


そのあまりに真剣な瞳と声に、俺は思わずこくこくと頷いた。


「本当に……ああもういいさね。そうそう、危ないことをしようとする時も事前に相談するんだよ。何かあってからでは、私達じゃ助けられないこともあるんだ。分かったかい?」


「承知いたしました、お祖母様」


神妙に返事をしながらも、俺は心の中で結構焦っていた。これ、もしかして昨晩「火の精霊」の喚起儀式をやったことがバレてるんじゃねえか?だとすると、婆ちゃんは俺が儀式魔術のことを隠していることも勘づいている、と。んー。別に婆ちゃんになら教えてしまってもいい気もするが、喚起儀式は最後までやり終えてないし、検証も済んでいない。そもそも魔法と全く違うんで、理解して貰えるかどうか怪しいし。


あ、そうか。思いついた。


「それではお祖母様、早速ご相談したいことがあるのですが……」


その言葉を聞いた時の婆ちゃんの顔を、俺は決して忘れまい。常に自信に溢れている婆ちゃんらしくない、「勘弁してくれ」という心の声が聞こえてきそうな、それはそれはげっそりした表情だった。




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「これが、魔力を増大させるための修練方法ってことかい?」


「その通りです。私とルリアはほぼ毎日、欠かさずこの修行を行っています。私達を幼い頃から見ているお祖母様なら、結果はご存知でしょう」


サキの言葉に、エステルは黙って頷く。サキの魔力は、生まれた頃では稀に見るほど弱いものでしかなかったが、今では普通の人程度の魔力量に育っている。ルリアに至っては空前絶後。生まれた頃から、エステルがそれまで目にした中で最大の魔力を備えていたのだ。そして今現在、ルリアの魔力の量と輝きは、人間という生物の範疇を逸脱しているのではないかと思うほどだ。


「自身の魔力を凝縮させ、体内を循環させる。それで魔力を鍛えることが出来るとはね……」


エステルはかぶりを振りながら、そう呟く。そもそも魔力というものは、「そういうものがあるだろう」という仮説の上で語られてきたものだ。魔法を使用したときの疲弊や呪文の成否などから、経験的に導かれた概念でしかなかった。それが実際に存在するものと分かったのは、エステルが『魔力視』という非常に稀な才能を持って生まれてきたからだ。


そのエステルにしても、自身の中にある魔力を自分で操作するという発想はなかった。サキは自身の魔力の乏しさという現実に向き合う中で、それを打破するためにこのような手法を編み出したのだろう。あるいは、これもサキの言う所の「女神の教え」なのか。


「お祖母様は魔力を視ることがおできになるので、容易に習得なされるのではないかと思います。是非、お試しになって下さい」


そう言って邪気のない笑顔を向けてくる孫に対し、エステルはじっとりとした視線を返しながら言う。


「こんな年寄りにそんな修練をさせて、一体どうするつもりだい?」


「この修行法が万人に有効なものかどうかを確かめるためにも、ひとまず身近な方から試していただくのが良いかと愚考しますが……」


きょとんとした顔で答えるサキに、エステルは思わず顔を手で覆って天を仰いだ。なんという事だろうか、この孫は「魔力を強化する訓練方法を広めようとしている」


これまでは一人の人間が持って生まれた魔力の量は、生涯を通じてほとんど変わることがないと信じられていた。これは研究によって実証されたような真理ではなく、あくまで経験則から来る常識のようなものだ。そこにもし「努力次第で魔力を増大させることが出来る」などという知識をぶち込んだら、どうなるか。衝撃、混乱、狂奔、争奪。いくつもの嫌な単語が、エステルの脳裏をよぎる。


この知識は本来なら門外不出、いや一家相伝レベルで厳重に秘匿すべきものだ。これを知る者と知らない者では天地の差が生まれる、そういう技術。それを万人に広めて、一体何の得があるというのか。


いや、とエステルは思い直す。その脳裏に浮かんでいるのは、サキが「火の精霊」を呼び出した光景。


おそらくサキにとっては、この程度は大した秘密でもないということなのだろう。この知識が広まったとしても、他にもまだ誰も知らない知識が無数にある、そういった余裕。そしてサキは、この修行法が普及した先のことも考えているに違いない。


エステルは天を仰いだまま、大きく溜息をついた。そこである事に思い至り、サキに向き直って尋ねる。


「ルリアはどうなるんだい?その子も魔力は視えないだろう?ルリアが身につけられたのなら、他の者だって習得できるんじゃないかい?」


話題が自分のことに及んだからだろう。ルリアはサキに抱きついたまま、埋めていた顔を上げた。そしてエステルをちらと見るが、すぐに興味を無くしたようで、再びサキの胸元に顔を擦り付けている。猫か何かかね、とエステルは一瞬場違いな思いに囚われた。


あー、とサキは間の抜けた声を発する。そして視線を泳がせながら、微妙な表情で答えた。


「こと魔法に関する限り、ルリアを基準に考えてはいけない気がしまして……」


そうだった、とエステルは脱力しながら納得した。サキの異常性が際立っているが、この姪孫てっそんも大概なのだ。ルリアが出来たからと言って、他の者が同様に習得できるとは限らない。そういった個人差を測るためにも、ある程度の者に試してもらう必要があるということか。


「はあ。分かったよ、あたしもこの修練に取り組んでみようじゃないか。それと、いきなり色んな人に教えるんじゃないよ。王都むこうへ帰っても、まずは家族にだけ教えること。いいね?」


「承知いたしました。それでは早速、始めましょうか」


「ええっ?!ちょ、ちょっとお待ちよ。今からかい?!」


「鉄は熱いうちに打て、と申しますし。私もいずれ王都に戻らねばいけませんので」


狼狽するエステルに構わず、サキは矢継ぎ早に指示を出し始める。そうしてエステルに対する小周天の講義は、昼食の呼び声が掛かるまで続けられたのだった。




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流石は婆ちゃんである。俺が数時間付きっきりでアドバイスしたおかげで、すぐに魔力を動かす感覚を掴んだようだ。実際に目の前で、小周天を回す様子を見せることが出来たのも大きいな。


俺と婆ちゃん以外の人間は魔力が視えないので、ここまで容易に教えることは出来ない可能性がある。まずは婆ちゃんの言う通り、レヴィ父さんとサーラ母さんに教えて手応えを見るべきだろう。マリア母さんは……何か真面目にやらなさそうな気がするな。まあ、これは本人次第ということで。


こうやって一先ずは、魔法に関係する技術を周囲に広めていく。魔法と全く異なる魔術は、説明しても中々受け入れられないと思うからだ。それに三重円法のような幻視の訓練は、魔法だけでなく魔術にも役に立つ。そうやって魔法使いに俺のメソッドを広め、俺のシンパを増やすことで、魔術についての情報開示が可能な状況を作り上げる訳だ。


何故魔術の知識を共有するのか。シスター・マギサから魔術の復興を頼まれていることもあるが、俺が楽をしたいから。これに尽きる。


魔術はかつてこの世界で隆盛を極めていたそうだが、今ではすっかり廃れてしまっている。その痕跡を発掘し、研究して成果に結びつけるには、とても俺一人の手では足りない。多くの人間が各々の研究成果を持ち寄り、共有して初めて、爆発的に研究が進む素地が生まれるのだ。俺は魔術を研究したいのであって、独占したいわけではないからな。


そして魔術について関心を示してくれるのは、やはり同じく神秘のわざに触れている魔法使い達だろう。だから、まずは魔法使いの味方を増やす。俺の仲間になれば、他の魔法使いが知らない知識を知ることが出来るぞとエサを撒くわけだな。そうやって釣った仲間と、ゆくゆくは魔術について一緒に研究していくことが出来れば御の字だ。


んー、なんだ。将来についてのビジョンというか、そういうものがぼんやりとだけど見えてきたな。色々気をつけるように言われたけど、婆ちゃんもこっち側に引きずり込めた手応えがあったし。王都に帰ったら、両親とも話をしなきゃだなあ。



その二日後の夜。村を空けていた護衛のナタンさんや、ラズさん達使用人が婆ちゃんの使いから戻ってきた。彼らを労(ねぎら)うため更に二日ほど村に逗留した後、俺達は王都の屋敷への帰路についたのだった。

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