第三二話
「む、チャリオット隊が動き出したか」
やや離れた森から、ジークルーネはパンをかじりつつ、戦場全体を見据えていた。
ジークルーネ率いるムスッペル隊は、フロージから程近い森に潜みつつ、連日の戦闘の疲れを癒していた。
《蹄》がいつかもしれぬ奇襲に疲弊していたのと同様、ムスッペル隊にしても圧倒的多数に挑んでいかねばならないというのは、精神を削る作業だったのである。
また、潜伏場所を発見され包囲されれば一巻の終わりである。
非戦闘時も、常に気を張っていなければならなかったのだ。
しかも今回の作戦は迅速さが命であり、取るものも取りあえずの強行軍だった。
携帯していた食料はすぐに尽き、現地調達でなんとか凌いでいた。
《狼》は勇斗から略奪は固く禁じられているので、銀塊との交換である。
《角》はタナイス川流域に肥沃な大地を抱えているということは知っていたので、川岸に行けばなんとか食料の調達はできると踏んでのことだが、それでも土地勘もなく村を探し当てるのはずいぶん苦労させられたものだった。
ゆえにこれまでほとんど休みらしい休みも取れず、ムスッペル隊は《蹄》以上に疲労困憊の状況にあったのである。
「ほう、どうやら見抜いたようだな」
ジークルーネが感嘆の吐息をつく。
賞賛に値するなら敵であろうと一定の敬意を払う。
それが生粋の戦士であるジークルーネの流儀だ。
チャリオット部隊は、主戦場を迂回するように移動している。
その動きの意図は明らかだ。
歩兵をはるかに上回るチャリオットの機動力によって長槍隊の側面へと回り込み攻撃をしかけようというのだろう。
《蹄》軍はジークルーネの奇襲に対しても、兵の混乱を瞬く間に鎮めていた。
そのせいで敵方の兵糧を燃やしてしまおうという当初の計画が達成できなかったものだ。
おそらくは経験の賜物なのだろうが、《蹄》を率いている将軍は、想定外の事態への対処能力がすこぶる高いらしい。
また兵の信頼もきっと厚いのだろう。
混乱状態の兵士たちに言うことをきかせるには指示だけでは足りない。
相応の威厳なくしては不可能だ。
まったくもって舌を巻くしかない。
「これほどの名将を容易く手玉にとるとは、な」
ふふっとジークルーネの口から小さな冷笑がこぼれる。
もちろん、今回の戦において勇斗と綿密な打ち合わせをしている時間などどこにもなかった。
ただ、以前から聞いてはいたのだ。
いずれ長槍部隊の弱点をつき、機動力のある別働隊を使って側面攻撃を仕掛けてくる敵がいるかもしれない、と。
そして、その対処法も。
「おっ、ようやく出番か!」
チャリオット隊が《角》の軍勢と激突するのとほぼ同時に、《狼》の本陣から煙が立ち上った。ムスッペル隊への出撃の合図だ。
「さあ、皆の者! 最後の一踏ん張りだ!」
ジークルーネは後ろを振り返り、三日三晩ともに戦い抜いてきた部下たちに檄を飛ばす。
皆、その顔には疲労の色が濃かったが、それでも戦意が溢れるほどにみなぎっているのが一目で感じ取れた。
徒労感は疲れを倍増させるが、確かな手応えは疲れを吹き飛ばす活力となる。
これまで挙げた戦果に、ムスッペル隊の士気はこれ以上ないほどに高まっていた。
その頼もしさに、ジークルーネは胸が熱くなる。
「我らの活躍にこの戦の勝敗がかかっていると知れ! 《蹄》の兵どもに、我らの恐ろしさ、ヴァルハラの土産に見せつけてくれようぞ!」
「「「「「おおおおおおおおおおお!!」」」」」
ジークルーネが手に持っていた槍で天を突き上げるや、隊士たちが大気を震わせるような雄叫びをあげる。
鬨の声にジークルーネの中の《月を食らう狼(ハティ)》が呼応し、自然、その口元に飢えた狼のような獰猛な笑みが浮かぶ。
そう、自分は戦うことでしか主に報いることができない武辺者だ。
平時にはろくに主の助けにもなれない。
なればこそ、今がまさに絶好の奉公の時だった。
「ムスッペル隊、突撃ぃっ!」
号令とともにジークルーネは愛馬の腹を蹴って駆け出す。
部下たちもそれに続く。疾風怒濤の狼の群れは、森から飛び出すや猛然とチャリオット隊に背後から喰らいついた。
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