第二九話
怒号や悲鳴がひっきりなしに飛び交っていた。
心がひりつくような殺気が双方の兵士たちから立ち上り、大気に充満している。
死の気配が、そこら中にはびこっているのが、肌で感じ取れた。
《狼》・《角》連合軍は、中央先頭に《狼》軍、その左右やや下がったところに《角》軍という、「△」の形に兵を配していた。
いわゆる魚鱗の陣――少数による正面突破に適した陣形である。
「よし、このまま突き進め!」
三角形のちょうど中央、チャリオット上から勇斗は檄を飛ばし続ける。
大声を出し、自らを鼓舞しなければたちまちにも押し潰されそうだったのだ。
ジークルーネが上手くやってくれたのだろう、敵は明らかに浮き足立っており、こちらの攻撃にまるで対処できていなかった。
怒涛の勢いで敵陣を切り裂いていく。
戦は基本的に数でするものだ。
まともにやりあって敗北するのは目に見えている。
そこで勇斗が取った作戦が、騎馬部隊による撹乱であった。
孫子の虚実篇、すなわち寡勢で大勢を倒す軍略にはこうある。
『故に敵 佚すれば能くこれを労し、
飽けば能くこれを餓えしめ、
安んずれば能くこれを動かす』
敵が休んでいるならこれを疲れさせ、満腹しているなら飢えさせ、落ち着いているなら仕掛けて動かざるをえないようにしろ、という意味である。
フロージでリネーアに教えた『近きを以って遠きを待ち、佚を以って労を待ち、飽を以って餓を待つ。これ力を治むるものなり』に一部被っているところがある。
それだけ孫武は重要視していたのだろう。
さすがに飢えさせることまではできなかったが、三つのうち二つを成している。
いかに敵が大勢であろうと物の数ではなかった。
《狼》の軍勢は、いともたやすく《蹄》の兵士たちをなぎ払い討ち倒していく。
もはや一方的な虐殺とすら言ってよく、早くも勝利は目前かに思われたが、
「お兄様! 《蹄》の動きに統制が見えて参りました」
「ちぃっ! もうかよ。さすがに一代で大国を築いただけはあるな」
フェリシアの報告に、勇斗は舌打ちする。
この勢いを維持したまま一気に敵の陣を切り開き、大将の首を取ってしまおうと目論んでいたのだが、そう都合良くはいかないらしかった。
思った以上に立て直しが早い。
ガクンっと目に見えて、《狼》の勢いが鈍る。
《蹄》側の押し返す力が格段に上がったのが、指揮をとる勇斗には如実に感じ取れた。
「どうやら一筋縄ではいかないらしいな」
厳しい戦いの予感に、勇斗はグッと唇を噛み締めた。
一方、もどかしさに歯噛みしていたのはユングヴィも同様だった。
開戦時の混乱を何とか最小限の被害にとどめ、体勢を立て直し反撃に移ったのだが、どうにも思うように敵を押しつぶすことが出来ない。
むしろ未だ寡兵のはずの敵にじりじりと押され続けている。
連日の寝不足に疲弊し、士気が下がっているせいもあるにはあるだろう。
だがそれよりも――
「なんだ、あの槍は!?」
こちらに倍するリーチを有する槍による密集攻撃に、《角》と同じく《蹄》も攻めあぐねていた。
あれではこちらの攻撃が届かず、敵方だけが一方的に攻撃できる。
単体であったなら前方に突き出すという単調な動きしかできないあんな長大な槍など楽々とかわして懐にもぐりこめるのだが、数が集まるとその隙間がそもそもなく、回避のしようがない。
しかもだ。こちらの青銅製の盾をあっさりと砕き貫いてくる。
ろくに防ぐことすらできない。
実に鬱陶しいことこの上なかった。
「あれはまさか……鉄か!?」
青銅器時代――その名が示す通り、この時代の人々はまだ、鉄の精錬の仕方を知らなかった。
だが、鉄の存在を知らなかったわけではない。
星――すなわち隕石には、ごくごく稀に、鉄を大量に含んだものが見つかることがある。
ユグドラシルでは、青銅より遥かに硬いこの天から降ってきた金属を神からの恵みとしていかなる宝石や金銀よりも重宝していた。
「しかし、あれほどの量をいったいどこから……やつら、まさか鉄の製造法を編み出したのかっ!」
信じがたいことであるが、そうとしか考えようがない。
隕石からしか採取できない鉄は非常に希少な代物だ。
そのようなものを山奥の貧乏氏族が大量に保有しているとはさすがに思えない。
「くっ、くくく、《狼》の小僧は奇天烈なことばかりすると聞いてはいたが本当らしいな。面白い、実に面白いぞ!」
込み上げる笑いを、ユングヴィは抑えることができなかった。
《狼》のような弱小氏族が《爪》に《角》とこうも立て続けに打ち破ったのも、こんなとんでもない武器を持っていたというのならうなずけようというものだ。
「くくっ、まったくもって儂は運がいい。やはり天が味方しているとしか思えんわ」
そんな素晴らしい代物が、《狼》がごとき弱小氏族を倒せば手に入るのだ。
いやがおうにも彼の心は昂揚した。
鉄の武具を装備すれば彼の《蹄》はさらに強力な軍へと進化を遂げ、ユグドラシルの覇者として君臨することも俄然現実味を帯びてくるだろう。
「あれは世界を変える力だ」
ユングヴィの分析は、百戦錬磨だけあって極めて先見の明に満ちていたと言わざるをえない。
古代オリエントの歴史を見ても、青銅器時代に覇権を握った国は他国に先駆けて鉄の精錬を成功させたヒッタイトだったのだから。
「さて、どうしようかのう」
舌なめずりして、ユングヴィは改めて戦局に目を向ける。
確かに鉄の長槍で武装した《狼》の軍勢は脅威だ。
たかだか二〇〇〇にも満たぬ寡兵だというのに、アールヴヘイムを平定した《蹄》の精鋭がまるで歯がたたない。
正面からぶつかってはこの一万の大軍さえ打ち破られる可能性がある。
とは言え、あくまで正面からぶつかればの話だ。
「ふん、見切ったわ!」
確かに、あの長槍は前方の敵に対しては恐ろしいほどに強力だ。
国に戻った暁には似たような部隊を設立しようとすら思う。
しかし、あの密集隊形に、あの異様な長さだ。
到底小回りが効くとは思えない。
直角に向きを変えるだけでもお互いが邪魔で思うようにいかないはずだ。
つまり、側面から攻撃を仕掛けられれば、反撃らしい反撃もできなくなる。
そして、《蹄》には虎の子の五〇〇台からなるチャリオットがあった。
その保有数がそのまま国家の戦力を表すとさえ言われ、数多の敵を屠り《蹄》を勝利に導いてきたまさに最強兵器が、だ。
「ふふっ、このような平けた土地で我らの相手をしたのが貴様らの敗因よ」
チャリオットは御者と戦士が乗る荷台を二頭の馬が引く戦闘馬車だ。
その大きさと車輪による移動という性質上、どうしても使う場所が限られた。
そのチャリオット唯一の弱点とも言える地形の制約を、ここなら受けない。
もっとも歴戦の将であるユングヴィは、間者から《角》の地形を入念に下調べし、主戦力であるチャリオットが最大の力を発揮できそうなルートを選んで進軍させてきたのだから当然といえば当然だった。
「この戦、儂自らの手で決めてくれる!」
ヒラリと愛用のチャリオットに乗り込みつつ、ユングヴィが不敵に笑う。
宗主自らの出陣に、《角》の兵たちは高らかに鬨の声を上げた。
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