第二三話

「皆、こんな夜中によく集まってくれた」


 集まった面々の顔を見渡して、勇斗はまず労をねぎらった。

 謁見の間には、若頭であるヨルゲンを筆頭に、《狼》の並み居る諸将が集結していた。


 皆、一兵卒から幹部にまで昇り詰めただけあり、精悍な顔つきをしている……というわけでもなく、あくびをしている者やニヤニヤ軽薄そうな笑みを浮かべた者など、一癖二癖ありそうな者たちも混ざっていた。

 もちろん、ジークルーネやフェリシア、イングリットといったまだ年若いエインヘリアルの少女たちの姿もある。

 そしてまた、当事者であるリネーアを含む《角》からの使節団の面々も揃っていた。


「危急の要件ゆえ早速本題に入る。今より四日前、西の大氏族が、親族国に侵攻を開始し、その国境沿いの砦を落としたそうだ。《蹄》の兵数はおよそ一万、うちチャリオットは五〇〇台ほどとのことだ」

「い、いいい、一万!?」

「チ、チャリオットが五〇〇台ですとっ!?」


 勇斗の言葉に、謁見の間に集った諸将の間から悲鳴にも似た驚きの声が上がった。


 一万と言うと、二一世紀の人間には少なく感じてしまうかもしれないが、農業技術がまだ未熟なユグドラシルが養える人口は決して多くはない。

 実際、古代史最大規模と言われるカデシュの戦いですら、エジプト軍の総数は一六〇〇〇程度である。

 一万と言う兵数が、辺境の弱小氏族である《狼》の人間に与えた衝撃は、計り知れない。


 そもそも《狼》が動員できる兵力はたかだか二〇〇〇にも満たないのだ。

 戦は基本的に数でするものである。

 寡兵で大軍を打ち破るというのは一見、華々しいが、それが限りなく不可能だからこそ燦然と歴史の中で輝くのだ。


 そして、二頭の馬が引く二輪の荷台に御者と兵士が乗り込んで戦うこの戦闘馬車――チャリオット。

 馬は人間の数倍の体躯を誇り、駆ける速さも荷台を引いてさえ歩兵とは段違いだ。

 そんな凶悪な代物が大挙して襲い掛かってくるのだ。

 前線の兵士たちにとっては恐怖以外の何物でもない。

 その保有数がそのまま戦力とされるほどの最強兵器であり、《狼》の保有数はわずかに二〇台、その差は歴然としていた。


「つくづくこの世界の宗主たちは抜け目ないな。機を逃さない」

「と、申しますと?」


 長老頭ブルーノが首をかしげる。

 ご意見役、顧問ならそれぐらいわかれよ、と内心で舌打つ勇斗だが、表情には出さずに続ける。


「《角》は《狼》との戦いに大敗したばかりで消耗している。宗主であるリネーアは我ら《狼》の捕虜として国内には不在。そして、今は誓盃式のため若頭まで留守にしている。侵略するのにこれ以上の好機はない」

「ふ~む、確かに狙いすましたとしか言いようのないタイミングですな」


 若頭のヨルゲンが重々しく頷く。

《角》の使節団の面々も、眉にシワを寄せ厳しい顔つきをしている。

 リネーアに至っては、


「ボクのせいだ……ボクが負けたから……」


 茫然自失の体でぶつぶつと自分を責め続けていた。

 その顔は蒼白で、勇斗には痛ましすぎて見ていられないほどだ。


 だが、これは戦争だ。

 正確に状況を分析せねば国の命運にかかわる。

 可愛い妹分とは言えその心境を慮ってばかりはいられなかった。

 そう、個人的感情を抜きにした、あくまで《狼》の宗主としての言葉を続ける。


「事態は緊急を要する。俺たち《狼》はこれより直ちに兄妹国である《角》へと救援に向かわねばならない」


 ざわっと謁見の間に集った諸将たちの間に最大級のどよめきが疾った。


 理屈はわかる。

 兄妹分の盃を交わしたからにはお互い助けあわねばならない。

 それがここユグドラシルにおける絶対の掟なのだから。


 だが、五倍の敵に立ち向かうなど狂気の沙汰だ。

 勝ち目などあるはずがなく、まさに死ににいくようなものである。

 皆がうろたえるのも無理はなかった。


「し、しかしユウト殿、攻められたのはあくまで《角》であって、我ら《狼》ではありませぬ。余計なちょっかいさえかけなければ、我らにまで害は及ばぬのではありませぬか?」


 チラリと一瞬だけ《角》の使節団に視線を向け、どこか後ろめたそうにブルーノが進言してくる。

 普段、勇斗に誓盃のなんたるかを説いていた彼であり、自分が道義に著しく反することを言っている自覚はあるのだろう。


 だが、いくらなんでも敵が強大すぎた。

 誓盃とは元々、組織を円滑に統治するために生み出されたものだ。

 盃の誓いを守って、《狼》が滅びるようなことになれば本末転倒もいいところである。

 この状況で建前など気にしてはいられない。


「ブルーノ、貴様ぁっ!」


 とは言え、激昂したのが《角》の面々である。

 中でも《角》の若頭ラスムスは掴みかからんばかりの勢いだった。

 目の前で自分の国を見捨てると言われれば、当然の反応であった。


「何を怒る? 別に《蹄》と一緒になっておぬしら《角》に攻め入ると言ったわけではあるまい。少なくとも、後方の心配をせずに戦えるのだ。おぬしらが我らに長年してきたことを思えば、感謝こそされても、憤られる謂れはない」


 ふんっとブルーノは鼻を鳴らし、そっぽを向く。

 どうやら二人は知己のようだった。

 同じぐらいの年だ。

 戦場や交渉の場で何度となく顔を合わせたことがあるのだろう。

 その言葉に堰を切ったように、《狼》の諸将の間から出兵に反対する声が上がった。


「おおっ、そうじゃそうじゃ」

「《角》には悪いが、誓盃もまだ交わしたばかり。友好を育んだわけでもない」

「うむうむ、さすがに《蹄》と刃を交えるほどの義理はない」


 お互い視線を交わし合い、うんうんと頷き合う。

 ブルーノの言は、この場にいる諸将の何人かの心を代弁したものだったのだろう。


 無謀と勇気は明らかに違うものだ。

 彼らにも守るべき家族があり、生活がある。

 昨日まで争っていた相手のためにそれらを危険に晒すなどあまりに割に合わなすぎた。


「今の《角》には《蹄》に対抗する力など残ってなど……《狼》の助力が得られなければ我が民は……」


 場を包む厭戦の空気に、リネーアは血の気の引いた青ざめた顔で呟く。

 国境を接する隣国である。

 彼女は宗主として《蹄》の内情をそれなりに周知していた。


《蹄》は他国から連れてきた民を奴隷とし、過酷な労働を強いることでその勢力を急速に伸ばしてきた氏族だ。

 人格さえ認めず所有者の意のままに労働を強制できる奴隷は、この時代では非常に重要な労働力である。

 攻め滅ぼした国の人間など、同じ人間ですらなく利用するべき道具でしかないというのが、この時代の共通認識だった。


「我らが護るべきは《狼》の民であり《角》の民ではないからな」

「うむ、《角》の民は貴様ら《角》が守るのが道理であろう」

「我ら《狼》もこれまで貴公らに攻められそんな余力はない」


 衆を頼んで気が大きくでもなったのか、弱者に対する強者の傲慢か、ブルーノを筆頭に厭戦派は思い思いに自分勝手なことを言い始める。

 前述のとおり、他国の人間など同じ人間ですらない、という価値観が根底にあるせいもあった。


「そ、そんな……!?」


 リネーアの瞳が虚ろな絶望に呑まれかけたその時だった。

 ガンッ! 何かを殴ったような音とともに、


「ふぬけたこと抜かしてんじゃねえ、てめえらぁっ!!」


 勇斗の雷のような大喝が、部屋中に響き渡った。


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