第二二話
宴が終わるや、勇斗は早々に寝室へと引き上げた。
自分より一回りも二回りも年上の相手ばかりを相手にし続けたのだ。しかも宗主として威厳を失わないようにも取り繕わねばならない。
精神的な疲労が半端なかった。
ベッドにばたんと倒れこむなり、勇斗は癒しを求めて幼馴染の少女に電話をかけた。
『このハーレム親父!』
その第一声がこれだった。
勇斗としてはただただ天を仰ぐしかない。
「あ~美月さんや、のっけからいきなりなんですかい?」
『えー、だって今日、その《角》の宗主っていう女の子と盃交わしたんでしょ?』
「ん、ああ。そうだけど……」
こっちの世界の生臭い話は美月にはしないようにしている勇斗だったが、今日の誓盃式のことは伝えていた。
これで当分、争い事はなくなる、と彼女を安心させてやりたかったからだ。
その結果が――
『うん、やっぱりこのハーレム親父!』
――これである。
勇斗としては世の無常を感じずにはいられなかった。
『大事なことなので二度言ってみましたー』
ケラケラと笑い声がスピーカーから漏れ聞こえてくる。
美月が冗談で言っているのはわかっていたのだが、それでも、最初の第一声にはサーッと血の気が引くほど心底ドキッとさせられたのだ。
今日は幾度となく縁談を持ちかけられただけに、やましいことは誓ってしていなくとも、心臓に悪いことこの上なかった。
『あれ? でもそういえば子分じゃなくて妹分にするんだったっけ? それじゃあ親父はおかしいか。え~っとじゃあ……このハーレム兄貴?』
「まだキスすらしたことないのにひでえ言われようだ」
『へ~、ないんだぁ。ふ~ん。まだないんだ~。そっかそっか。ないんだ~』
ずいぶんと楽しそうに弾んだ声で何度も同じ言葉を繰り返す美月。
長い付き合いだ。
本人に悪気がないのは勇斗もわかっている。
わかってはいるが、ピシッとこめかみに青筋が疾った。
「そういうてめえはあんのかよ」
言葉がつっけんどんになっていた。
勇斗ぐらいの年齢では、やはり女性経験があるというのは一種のステータスだ。
何度も何度も「ない」ことを連呼され、さすがにカチンときたのである。
だが、美月の次の言葉は勇斗を混乱の極みへと叩き落とすものだった。
『ん~、あるよ』
「な、なにぃっ!?」
『うふふ~、気になる~?』
「べ、べべべ、べっつに~」
勇斗はへらず口を叩くのが精一杯だった。
それも成功したとは言い難い。
彼に心酔する《狼》の子分たちが見れば一目で夢も覚めるようなうろたえぶりだった。
(誰だ? 誰だ!? 誰だ!?)
勇斗と美月は幼馴染ではあるが、付き合っていたわけではない。
この二年の間に、誰か好きな人ができてもおかしいことではなかった。
彼女ももう中学三年生であり、そういう事にも興味を覚える年頃には違いないのだ。
先程までの怒りなど一瞬で消し飛び、今や勇斗の頭の中はただただ美月のキスの相手でいっぱいだった。
自分の知っている人間か?
あるいは、この二年の間に知り合った男だろうか。それとも……?
「…………………だ、誰だよ?」
前言を翻すのは癪だったが堪えきれず、結局、訊いてしまう勇斗。
『ふ~ん、気になるんだぁ』
「ぐっ」
美月の癖に生意気なっ! と喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込む。
年下の美月に完全に手玉にとられている。
なんとも屈辱だった。
だがそれを押してでも、美月のキスの相手が気になった。
『ふふっ、勇くんだよ』
「……は?」
『ほら、幼稚園の時、ほっぺたにキスしたでしょ? 覚えてない?』
「え、え~っと……」
脳をフル回転させて記憶の底をほじくり返す。
確かにおぼろげにそういうことがあったような……
がっくりと床に両膝をつき、勇斗は大きく溜息をつく。
「なんだよ~、驚かすなよ~」
『ふふっ、ちっとはあたしの心労を思い知ったか。全く次から次へと女の子囲っちゃって。……しょうがないのはわかってるけど、さ』
最後のほうがぼそぼそ声で聞き取れなかった。
「あん、なんだって?」
『なんでもなーい』
明らかに何かありそうな物言いなのだが、勇斗はあえて突っ込まないことにした。
もうそんな気力はどこにも残ってはいなかった。
「あ~もう、心底疲れて帰ってきたってのに、この仕打ちだよ。やってらんねぇ!」
『あはは、ごめんねー』
「おまえ、全然反省してないだろ」
『うん』
「てめえいつか絶対シメる!」
『言ったね? 絶対シメに来てよ? なるべく早く……ね』
「えっ!? ……あっ!」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。わかるに連れて、心臓の鼓動が高鳴っていく。
まったくの不意打ちだっただけに、グッときた。
美月のくせに生意気な! と思わず口元に笑みが浮かぶ。
「…………ああ。必ず、な」
とりあえずアレクシス――というより帝国には何らかの手がかりがあることはわかった。
貢物などであちらの信頼を得れば、教えてくれる可能性もあるはずだ。
いや、なんとしてでも教えてもらわねばならない。
『きっとだよ? あたしいつまでも待っ……』
「お休み中のところ失礼いたします、お兄様!」
切羽詰まったフェリシアの声とともにバンッと無粋にドアを開く音が響き渡る。
なんだよいいところだったのに、と勇斗は肩を落とす。
だが、フェリシアの様子からしてただ事でないことは明らかだった。
「美月、すまない。なんか急用ができたようだ」
『え!? な、何があったの!?』
「さあ、な。ま、戦いは終わったばかりだ。そう危ないことでもないだろ。安心して寝てな。じゃおやすみ」
『ちょっ、おやすみって勇くんっ!? 勇……』
ぷつっと問答無用で通話を切り、スマートフォン自体の電源も落とす。
どうにも嫌な予感がした。
生臭い話を美月には聞かせたくなかった。
なにより、彼女がいては思考が切り替えられない。
「何事だ、フェリシア!」
勇斗の顔は、すでに先程までの歳相応な少年のあどけなさはどこにもなく、きりっと引き締まっていた。
フェリシアは申し訳なさそうな目で勇斗のスマートフォンを見つめていたが、勇斗の声にはっとして要件を告げる。
「た、たった今、国境ホルン砦より伝書鳩が届きました。その……《角》に《蹄》が攻め入ってきた、と」
「《蹄》だとぉ!?」
思わず勇斗は目を剥く。
この世界のことにあまり詳しくはない勇斗ですら、その名は聞き知っていた。
ユグドラシルには大小一〇〇以上の氏族があると聞いているが、《蹄》はその中でも十指に数えられる大氏族だった。
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