第二一話

「というわけでどうですかな、うちの孫娘は。儂が言うのもなんですが、これがなかなかの器量でして、きっとユウト殿もお気に召してもらえるはずです」


 目の前でにこやかに話す長老頭ブルーノに、勇斗は「またか」と既視感と徒労感を覚えずにはいられなかった。


 ボドヴィッドの後も、勇斗に酌をしにくる連中は後を絶たなかった。

 そして、その中にはボドヴィッド同様、縁談話をもちかけてくる者も少なくなかったのである。

 これで六件目だ。

 まったく権勢に群がる連中というのはつくづく考えることが一緒らしい。

 いい加減、ゲームの無限ループにハマったような気がしてきた勇斗である。


「当分、誰かを娶るつもりはないと言ってるでしょう」

「いやしかしですな、ユウト殿も年頃。あ、あ~、も、もちろん、正妻などと分不相応なことは望みません。妾にでもして可愛がってくだされば……」


 なおも必死に食い下がってくるブルーノに、勇斗は舌打ちを抑えるのに相当の精神力を費やさねばならなかった。

 この世界では当たり前のことだとわかってはいる。

 それでも、孫はお前の政争の道具じゃない、と義憤が勇斗の心に燃え盛る。


 ブルーノは勇斗が宗主に就任する際、その下につくことを拒んだ者たちの一人だ。

 それが勇斗の《狼》内での地盤が固まってくるや、ころっと豹変して今やこのへりくだりようである。

 さらには孫娘まで差し出すという。

 これではリネーアたち《角》の連中に、《犬》と蔑まれても仕方ないと思う勇斗だった。


「さてと」

「あっ、ユ、ユウト殿どうされました?」


 唐突に立ち上がった勇斗に、ブルーノが慌てたように訊いてくる。何か不興を買ったのではとその顔が不安に強張っている。


「トイレ」


 正解だよと思いつつ、勇斗はしれっとした顔で嘘をつき、ブルーノを残してスタスタと歩き出した。

 馬鹿馬鹿しすぎて付き合っていられなかった。

 これ以上、あの場にいれば一分以内に暴言を吐いていただろう。


「あ、儂も……」

「(ギロッ)」


 勇斗を追いかけようと腰を浮かしたブルーノだったが、気を利かせたジークルーネの一睨みにより、スゴスゴと自分の席へと戻っていく。

 物腰の柔らかなフェリシアあたりだともう少し粘っていたのだろうが、さすがの長老頭も味方からすら畏怖される『最も強き銀狼(マーナガルム)』の圧力にはさすがに抗しえなかったらしい。

 まったく頼りになる――


「うちにも欲しいですわ、この番犬。見合いを断るのが楽そうです」


 ほうっとフェリシアがため息をついている。

 冗談めかしてはいたが、その声はずいぶんと切実そうである。

 よほどブルーノの見合い攻勢に辟易しているのがうかがえ、思わず勇斗も苦笑がこぼれる。


「失礼、宗主ユウト殿。本日はどうもおめでとうございます」

「おお、アレクシス様、本日はご足労頂きまして、まことにありがとうございました」


 先程、誓盃の儀を執り行った神儀使に声をかけられ、勇斗は慌ててペコリと頭を垂れる。


 フェリシアやジークルーネに至っては、片膝をついてかしこまった姿勢を取る。

 神帝の代役であり帝国の幹部でもある神儀使は、建前上は神帝に仕える地方領主にすぎない勇斗よりはるかに格上の立場にある。

 そしてその、建前の権威こそが、宗主が領地を治める大義名分でもあった。


 神帝の権威の否定は、すなわち自らの正当性の否定につながる。

 ゆえに、《狼》など比べ物にならないほどの大氏族の宗主と言えども、神儀使は敬意を払わねばならない相手であった。


「いやいや、長年争っていた両氏族がご親族となり、これでこのビフレスト一帯も平和になりましょう。良縁を結ばせて頂き、私も嬉しく思います」

「いえいえ、こちらこそ素晴らしい儀式を執り行って頂き、心より感謝しております」


 このあたりの社交辞令の応酬は、すでに勇斗はヨルゲンやフェリシアに叩きこまれている。

 実に空疎なやりとりだと思わないでもないが、これもまた宗主の仕事である。


「そういえば不躾なのですが、ユウト殿、もしくはユウト殿の実父殿、実母殿はどちらの出で?」


 アレクシスが勇斗の顔を、というより頭のほうに視線を向けながら訊いてくる。

 ユグドラシルでは金髪や茶髪、赤毛などが多い。黒っぽい者もいるが、どこかやはり茶色味があって、勇斗ほど真っ黒というのはかなり珍しかった。アレクシスが気になるのも無理はない。


 とは言え、本人の言うとおり、まだそれほど話してもいないうちから聞くのは礼を失するのは確かだ。


「東のほうです」


 少々不審さを覚えつつも、無難に返す。

 はるか未来から来ました、とはさすがに言えない。

 いきなりそんなことを言い出しても信じてもらえる可能性は低いし、《狼》の宗主は頭がおかしいと思われても外交的に問題である。


 もっとも現在地がわからないのだから、案外、この地からは西のほうに日本がある可能性もあるのだが。


「はて、私の知る限り東にそのような民族おりましたかな?」


 アレクシスが渋面になり小首をかしげる。

 なるほど、彼は神聖アースガルズ帝国――かつてユグドラシル全土を統一した国家の重鎮だ。

 各地の情報にも精通しているのだろう。


 彼が知るかぎり東に黒髪の人種がいないという情報は極めて重要である。

 勇斗はしっかり心のメモに書き記しつつ、これはチャンスだ、と心を踊らせた。


「そ、そのようなことより、違う世界へと行く力を持った、いえ、送る力でもいいんですが、そういうエインヘリアルに心当たりはありませんか?」


 かつて誇った領土の広さだけでなく、歴史の古さにおいても、神聖アースガルズ帝国はユグドラシル随一である。

 彼ならば自分を元の世界に戻す手がかりに心当たりがあるのではないかと期待しての問いだったが、アレクシスはますますその顔を渋くし、困惑の色を濃くする。


「んん? 違う世界、とは? 神々のおわす世界のことでございますか?」

「え、ええ、まあ、そんなところで」

「神に直接お目通りを願おうとは、さすがは飛ぶ鳥を落とす勢いのユウト殿らしい豪胆さではございますが、少々不遜にして無謀と言うしかございませぬな。自然の脅威に我ら人間が為す術を持たぬのと同様、神々にとって我ら人間は無力でか弱い存在にすぎません。お怒りを買えば貴方だけでなく、《狼》の民にまで不幸が降りかかりましょう」


 厳しくたしなめられ、勇斗はたじろぐ。


 この辺りの信心深さも、迷信とはどんどん無縁になっている二一世紀の日本人である勇斗にはギャップを感じる部分だ。

 ユグドラシルに飛ばされたことや、エインヘリアルの存在もあって、そういう超越的存在がいてもおかしくはないと最近は思ってもいるのだが、一方でどうしてもそこまで畏怖しすがる気持ちにはなれないのだ。


 とは言え、このままでは肝心の聞きたい情報が得られない。なんとか取り繕うしかない。


「いえ、神の世界というのは言葉のあやでして。その、我らの住む世界の他にも、人々が住む世界があるのではないか、神々は我らの地以外にも作っておられるのではないか、と」

「なるほど。そういうことですか」


 得心がいったように相槌を打つアレクシス。さらなる領土を求める野心的発言と理解したようだ。


「しかし、すみません。お力にはなれそうにありませぬな。逆ならば、心当たりがあるのですが……」

「……逆? つまり、行くのではなく、こちらに来るということですか!?」


 世界移動に関係しそうな情報なら、どんな些細なものでも欲しいところだ。

 自分がここに来た理由が解明できれば、帰る方法も見い出せるかもしれない。

 藁にもすがる想いで問い質す勇斗であったが、アレクシスは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 しまった、と表情が語っていた。


「……少々口がすべりました。お忘れくださいませ。これは我が帝国の極秘事項ゆえ、教えられぬのです。申し訳ありません」

「そんな!? なんとか教えていただけませんか!? 決して他言はしませんから!」

「ご勘弁くださいませ。私の一存ではとても……」

「そこをなんとか!」


 ここまで来てお預けなど到底我慢できることではない。その後も必死に何度も勇斗は食い下がるが、アレクシスは首を左右に振リ続けた。

 手がかりがすぐ目の前にあるのに、それを手に入れることができない。

 そのもどかしさに勇斗はただただ唇を噛み締めるしかなかった。

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