第二〇話

 角ばった石を積み上げて作ったピラミッド上の祭壇には、神を象ったと思しき像が所狭しと並べられていた。

 頂上部には勇斗をこの世界へと誘った鏡と、その裏でごうごうと松明が燃えている。


 先ほどまでこの神前で行われていた盃事は神聖不可侵なものであり、実に静粛な空気の中で行われたものだが、今や祭壇の傍では、男たちはあぐらをかいて石で作った笛を吹き鳴らし、女たちはその音楽に合わせて狂ったように踊っている。

 その中には勇斗の副官であるフェリシアの姿もあった。

 多芸を誇る彼女は、舞においても《狼》有数の技量を誇る踊り手なのである。


《狼》と《角》が晴れて親族となったことを祝う宴だった。

 踊り子たちに喝采を上げる者もいれば、思い思いに近くにいるものと酒を酌み交わし笑いあう者たちもいる。


「みんな楽しそうだな」


 儀式も終わり肩の荷も下りた勇斗は、料理を楽しみつつ宴の雰囲気を楽しんでいた。

 自分から積極的に盛り上げていこうというのは柄ではないが、こういう賑やかな催しは嫌いではないのだ。


 ぴくっ。

 フェリシアの代わりに勇斗の後ろに控えていたジークルーネがわずかに腰を浮かし、剣呑な気配を放ち始める。

 その手はすでに腰の刀に伸びていた。


「どうも、ユウトの兄貴、二ヶ月ぶりですな」


 すいっと勇斗の前には置かれていた水差しを手に取る者がいた。

 年の頃は三十代後半といったところか、ぷっくりと膨らんだお腹と、人の良さそうなにこやかな笑顔が印象的な男である。


「よう、兄弟。元気だったか?」

「お気遣いありがとうございます。そりゃあもう元気ですよ。しかし、まさかこうもあっさりと《角》を屈服させてしまうとは。いやいや、兄貴はとても私などが敵う相手ではなかった。当時の自分の愚かさをただただ恥じ入るばかりです」

「兄弟からそんな世辞を言われるとどうにも怖いな。今度はいったい何を企んでんだよ?」

「企むなどとんでもない。本心からですよ。手厳しいですなぁ。あ、どうぞ」


 男は恐縮したように身体を丸めつつ、そっと勇斗のほうへと水差しを差し出してくる。

 勇斗も杯を手に取って酌を受ける。そして、その杯をいったんジークルーネの鼻先へとやって彼女が頷くのを確認してから、杯を傾ける。


 この男の名はボトヴィッド、勇斗の弟分だ。

 おどおどとしていて卑屈そうな、いかにもうだつのあがらない感じの男だが、これでも《狼》が二ヶ月前まで激しく争っていた《爪》の宗主である。

 現代知識という優位を持つ勇斗と違い、正真正銘、実力だけで宗主の座まで上り詰め、一時は《狼》を滅亡寸前まで追い込んだほどの男だった。

 パッと見の印象だけで油断していい相手では決してない。


「企むというほどではございませんが、一つお訊きしたいことがございましてね」

「へえ?」


 相槌を打ちつつ、もう一口すする。

 この男と相対すると、一瞬の油断もできないという緊張感からどうにも喉が乾いて仕方がない。

 そう、ちゃんと心に予防線を張っていたにもかかわらず、


「兄貴はご自身のご結婚をどのように考えていらっしゃるのかな、と」

「ぶふぉっ!?」


 あまりに予想外な質問に、勇斗は思わず口に含んでいた水を盛大に吹き出した。

 当然、それは目の前にいるボドヴィッドの顔を直撃する。


「げほげほっ、わ、わりぃ」

「いえいえ。お気になさらずに。喉でもつまりましたかな?」


《爪》の宗主はニコニコと微笑んだまま自らの顔を拭いつつ、しれっととぼけたことを言う。

 この一幕だけなら、実に寛大で大らかな人物のようにも思えるが、勇斗にはその笑顔はどこかうそ臭く、能面めいて見えた。

 ボドヴィッドは勇斗の前に現れてから一瞬たりとて、それこそ吹きかけられた瞬間にすら笑みを崩していないのだから。


「そのご様子では特にお決めになっておられないようですなぁ」

「け、結婚なんて俺にはまだ早えよ」

「早いということは決してないでしょう。兄貴はすでに妻を娶っていてもなんらおかしくないお年じゃありませぬか」

「あ~……」


 返答に窮してしまう勇斗。

 つい現代日本の感覚で答えてしまったが、晩婚化してきたのはそれこそ最近、二〇世紀を過ぎてからだ。

 勇斗の知る暦ではまだ17にすぎないフェリシアですら、行き遅れるのではないかと心配されるのが、この世界の常識なのだ。


「ふ~む、それでしたら、うちの娘なんかどうです?」

「それが本題かよ。じゅうぶん企んでんじゃねえか」


 はっと軽く鼻を鳴らして、勇斗は頬杖を突く。

 まったく年をとると話がまどろっこしくて困る。


 いわゆる政略結婚というやつだ。現代日本の倫理観を持つ勇斗には少々受け入れがたいものではあるが、一方でごくごく近代まで、世の東西を問わず、それが当たり前に行われていたとも、戦国時代好きの勇斗はよく知っていた。


「いやいや、《狼》とはこれからも末永く仲良くお付き合いしていきたいという心からですよ。どうです? 今ならもう一人付けますよ?」

「おいおい……」


 どこのテレビショッピングだよ、と勇斗は内心呆れてしまう。


 しかし、それだけ勇斗を買っているということでもある。

 娘を二人差し出してでも良好な関係を結んでおきたい相手だ、と。


 勇斗の自己評価は低いが、就任からわずか一年足らずで衰亡の危機にあった《狼》を立て直し、《爪》・《角》の二氏族を打ち破っているのは紛れも無い事実である。

 客観的に見れば、ボドヴィッドの評価はしごく妥当と言えた。


 また、《狼》が《角》との関係を深めることに、国力で最も劣る《爪》としては危機感もあるのだろう。

 ボドヴィッドはさらにずずいっと前のめりになり、脂ぎった顔を勇斗に寄せてくる。


「ワシが言うのもなんですが、けっこう美人ですぞ。ああ、母親似ですから。ワシにはぜんぜん似ておりませんのでご安心を」

「いくらなんでもせっかちすぎだろ。政治もからむ。こんな酒の席でおいそれと決められる話じゃない」


 勇斗はボドヴィッドがこれ以上近づいてこないよう手で制しつつ言う。

 酒気が漂う中年男のアップは正直、勘弁して欲しかった。


 言葉こそ濁したものの、勇斗としては断る以外の選択肢はなかった。

 彼にはこの世界に骨を埋めるつもりはない。

 そんな自分がこの世界で結婚するなど、どうにもピンとこなかったのだ。


「おっと失礼。う~ん、良い縁組になると思うんですがね~」


 浮かしていた腰を落として座り直すも、ボドヴィッドはまだ明らかに諦めきれていない様子だった。

 不意に、何かを思いついたようにボドヴィッドの瞳に鋭い光が疾る。彼は一つ頷き、


「……ふむ、まあ、兄貴の言うことも一理ありますな。あんまり宴の主役を独占するのも皆の恨みを買いそうですし、今日のところはこれぐらいで。ではでは」


 パンッと膝を叩くやボドヴィッドは立ち上がり、それまでの乗り気が嘘のようにあっさりと引き上げていく。

 去っていく背中に、どうにも嫌な予感を覚える勇斗であった。


 その予感が的中するのはもう少し先のことである。

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