第一九話
「姫様っ! よくぞ……よくぞご無事で!」
「若頭、ボクはもう姫じゃないって言ってるだろう。ああもう公式の場で恥ずかしいなぁ」
恥も外聞もなくむせび泣く初老の男に、リネーアが周りの目を気にするようにおろおろしていた。
式も終わり、ようやく《角》は実に半月ぶりに宗主(おや)を取り戻せたのである。
初老の男ほどではないにしろ、他の使節団の面々も宗主との再会を喜んでいるようだ、その目には涙が滲んでいる。
「《狼》の連中に乱暴などなされませんでしたか?」
「やつらはケダモノですからな」
「今日から親戚だってのにひでえ言われようだな」
苦笑しつつ、勇斗は気さくげに声をかけ話に割って入った。
途端、《角》の面々はリネーアを守るかのように勇斗の前に立ちはだかり、ギロッと勇斗を睨みつけてくる。
明らかな敵意と警戒がひしひしと伝わってきた。
今日まで彼らの宗主を軟禁していたのだから当然といえば当然だが。
「おいおい、そんな怖い顔するなよ。もう一度言うが、俺たちはもう敵じゃないんだぜ?」
勇斗はなだめるようにそう言って、肩をすくめる。
内心冷や汗だらだらである。
さすがに幹部にまで上り詰めているだけあって、皆、強面であり、ヤクザ顔負けの雰囲気だった。
後ろに護衛として控えているフェリシアがいなければ、即座に回れ右をしていたかもしれない。
「みんな控えろ。一応、ボクの兄上だ」
「「「……はっ!」」」
リネーアの言葉に、《角》の使者たちはいかにもしぶしぶといった体で勇斗に道を開けた。
だが、警戒の気配はいささかも緩んでいない。
宗主を守るのだという気迫がこれでもかと伝わってくる。
リネーアは子分たちからずいぶんと慕われているようだった。
先日、部屋を訪れた時、ずいぶんと勇斗のことを羨ましがっていたから人望がないのかもしれないと勇斗はこっそり思っていたりしたのだが、まったく逆だった。
「兄上も、子分のしつけがなってなくて失礼しました」
ペコリとリネーアが勇斗に向き直り、小さく頭を下げる。
すでに盃を交わしたからか、呼び方も改まり、言葉遣いが丁寧になっている。
その辺りはさすがに宗主だけあって誓盃の重みをわかっているのだろう。
勇斗は気にしてないとパタパタと手を振る。
「宗主を守ろうとするのは当たり前だろ。いい子分たちじゃねえか」
「ええ、自分にはもったいない子分たちです。本当に、もったいなさすぎるぐらいで」
リネーアの表情に、わずかに暗い影が差した。
なんとなく、勇斗にはピンとくるものがあった。
自分もまったく同じ悩みを抱えていたから。
おそらく、部下の厚い忠誠に自分が見合ってないようにしか思えないのだろう。
大敗し、格下と思っていた《狼》の傘下に降るという失態まで演じているのだ。
勇斗よりさらに悩みは深いに違いなかった。
「兄上、ちょっと一緒に風にでも当たりませんか?」
「ん? 別にいいけど」
リネーアの突然の誘いに、勇斗は即答で頷く。
イアールンヴィズに来てからというもの、彼女はずっと室内にこもりっきりだった。外の空気を吸いたいのだろうと考えてのことだったが、
「ああ、お前たちはここにいてくれ」
リネーアはついてこようとする《角》の使者たちを手で制する。
ようやく取り戻したばかりの宗主であり、ここは他国である。
当然、《角》の面々は血相を変えた。
「姫様!? お、お一人は危のうございます」
「大丈夫だよ。ボクに危害を加えるつもりならとっくにしていたさ」
「し、しかしっ!」
「兄妹水入らずの話をしたいんだ。心配するな。すぐに戻る」
食い下がる《角》の若頭にきっぱりと言い捨て、リネーアは歩き出す。
慌てて勇斗も後を追う。
ちらりと振り返ると、ギリギリと歯ぎしりとともに、殺意のこもった目を向けられていた。
「おい、いいのかよ。ようやく会えた子分たちだろ。積もる話とかあるんじゃないのか?」
「それは帰りの道中にいくらでも出来ますから」
「なるほど、今、お兄様と話しておかねばならぬことがある、ということですね」
「って、フェリシア! なんでお前までついてきてる!?」
「わたくしはお兄様の護衛ですから」
「いや、そこは空気読もうぜ!?」
護衛の職務に忠実なのは非常にありがたくもあるが、忠実すぎるのも困りものだった。
リネーアが子分たちを置いてきているのに、自分だけ連れて行くというのも、臆病者っぽくてなんとも格好悪い。
「兄上の妹分なら仕方ありませんね。兄妹水入らず[#「兄妹水入らず」に傍点]の話ですから」
「いいのかよ、それで」
「ええ、構いません」
あっさり頷いて、リネーアは出入り口の扉をくぐる。
祭儀場のある聖塔の天頂部からは、遠く地平線までが一望できた。
眼下に広がる雄大な景色に、リネーアは感嘆の吐息を漏らす。
高い周壁に囲まれた街の中には木造の家々が連なる。城門から宮殿へと続く大通りには所狭しと市(バザール)が立ち並び、遠目にも活気に満ち満ちているのが伝わってきた。
リネーアはしばらくその光景に魅入っていたが、やがて勇斗のほうを振り返る。その顔には悲壮な覚悟が浮かんでいた。
「すいません、お待たせしてしまって」
「いいさ。で、なんだよ。話って」
リネーアの表情から、只事ではないことが伝わってきた。
口にするのに相当の覚悟を必要とするほどに。
勇斗の喉がゴクリと鳴るのとほぼ同時に、ガバっとリネーアが頭を下げる。
それはもう、膝におでこがぶつかるぐらいの勢いで。
「《角》の民を《狼》の民同様に扱いくださいますよう、平に、平にお願い致します」
リネーアの言っているのは、先の戦で《狼》が《角》から奪い取った領土に住んでいる民のことだ。
戦争の勝者が捕虜や征服した民を奴隷と使役することは、世界中で普遍的に見られた傾向だった。
負けた国の民は生まれ育った土地を、人としての尊厳を、権利を奪われ、過酷な労働に酷使される。リネーアはそれを憂いているのだ。
「無理を言っているのはわかります。《狼》にとって益のないことだということも。ボクの身体で良ければお好きになさってくださってかまいません! ですからなにとぞ、なにとぞご厚情を……っ!」
まだ年若い少女だ。
好きでもない男に蹂躙されることに恐怖を覚えないはずがない。
事実、その身体は小刻みに震えている。
それでもかつての自分の民を守るために、我が身を差し出そうとしていた。
「あ~、え~っと」
二一世紀の常識を持つ勇斗には、奴隷などそもそもからして到底受け入れがたい価値観である。
最初から同等に扱うつもりだっただけに、ここまで大仰に頼み込まれると、正直面食らってしまっていた。
とは言え、勇斗はリネーアに妹分になることを迫る際、住民虐殺の脅しをかけている。彼女が不安になるのも道理ではあった。
ははっと苦笑をこぼしつつ、勇斗はクシャッとリネーアの頭を撫で回す。
「兄……上?」
勇斗の行為の意味がわからないらしく、その声にはどこかきょとんとした響きがあった。
今なら、勇斗も《角》の使者たちがリネーアを慕う理由が手に取るようにわかる。
これほどまでに民を思い、民に尽くそうとする君主はそうはいまい。
《狼》に攻め入ってきたことにしても、最近、とみに勢いの増している《狼》に軍事的脅威を感じ、《角》を護るためには今しかないという思いもあったのだろう。
「妹分の可愛いワガママぐらい、ただで訊いてやるよ」
「あ、ありがとうございまんぐっ!?」
喜び顔を上げようとしたリネーアの頭を、勇斗はぐっと力を込めて押さえつける。
今、顔を見られるのはなんとも気恥ずかしかった。
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