第一八話
「それではこれより誓盃の儀(フォーストブレーズララグ)を執り行わせていただきます。わたくし、この儀の盃を執らせていただきます神儀使アレクシスと申します。本日はお日柄もよく……」
祭儀場の中央で、ヒゲを生やした恰幅のよい中年の男が口上を述べ始めた。
男はなめらかな光沢を持った真っ白な、実に高級そうな服に身を包んでいた。
シーケと呼ばれるはるか東方でのみ生産される非常に希少な布地で織られたものである。
勇斗の見たところ、どうも絹のようだった。さすがは代理とは言え神帝の使いである。上等なものを着ていた。
「……という次第でございます。さて、そんな善き日に、このたびご兄妹となられますお二方は、兄は
長々とした、しかし実際には意味のない口上も終わり、ようやく今日の本題に入ったようだった。
勇斗は朝の全校朝会の校長の長話を思い出さずにはいられなかった。
格式とか伝統とか箔付けとかいろいろあるのだろうが、退屈すぎてあくびを我慢するのも一苦労である。
ちなみにこの世界には、姓という概念はない。
あえて言うなら、《狼》という氏がそれに当たる。
同じ氏を持つ集団、ゆえに氏族なのだ。
「御一統様に申し上げます。その必要はないかと存じますが、念のため、お神酒を改めさせていただきます」
そっと神儀使アレクシスが銀の水差しを掲げその口を手刀で切るふりをした後、ゆっくりと手元の二つの盃に次々と酒を注いでいく。
祭儀場には、神儀使の男を境に左右それぞれ二〇名近い人間が集っていた。
ほとんどが《狼》の人間だが、《角》からも五人ほど列席している。
神聖な儀式ゆえ誰も物音一つ立てない。
静かな水音が妙に響いていた。
盃を満たした後、アレクシスはその一つを手に取り、そっと口に含む。
いわゆる毒見である。
国と国との盃には利害が絡む。
滅多なことなどそうそう起きるものではないが、神儀使も命がけの仕事だった。
「はい、けっこうな御酒でございます。では、兄となられますユウト殿」
アレクシスは口をつけた盃を台に戻すや、ずずいっと身体ごと勇斗のほうに向き直り、呼びかけてくる。
ピーンと空気が張り詰め、場の緊張感が増したような気がした。
厳粛な雰囲気が苦手な勇斗は少し息苦しさを覚え、ゴクリと唾を飲み込む。
皆の視線が自分に集まっていることを強く感じた。
「はい」
勇斗は胸を張り低く押さえた野太い声で答える。
《狼》の宗主として皆に恥をかかせぬよう、出来る限り威厳を保とうとしてだった。
「あなたはこの者と盃を交わし、神の名の下、ご兄妹となろうとしています。健やかな時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、互いに助け合い生きていく決意が決まりましたなら、その盃を六分ほどお飲みください。どうぞ!」
神儀使の物言いに、勇斗はわずかに眉をひそめる。
兄弟固めの誓盃では定型ともいうべき無難な口上ではあるのだが、勇斗には結婚の誓いにしか聞こえない。
まだ一六歳ということもあるし、心に決めた女の子もいる。
もちろん、兄妹の誓盃だと頭ではわかっているのだが、どうにも心理的抵抗を覚えてしまう勇斗であった。
「まあ、いまさらか」
勇斗から言い出した事ではあるし、吐いたツバは飲み込めないものだ。覚悟を決め、目の前にある《妖精の銅(アールヴキプファー)》で作られた盃に手を延ばす。
共に氏族を束ねる宗主同士の盃だ。
あまりみすぼらしいものを用意しては《狼》の恥となる。
また、《角》も自分たちを低く見ていると不満を持たれては元も子もない。
妖精の銅は、同じ重さの黄金よりも価値があるとされる。
《狼》としても、この金属で盃を作ったのは《角》への最大限の誠意であった。
「よし」
一気に盃をあおる。
焼けるような強烈な刺激が口の中に広がり、飲み込むや喉と腹がカーッと熱くなる。
正直に言えば不快極まりなかった。
さらに頭の中に靄がかかった感じがしてくる。
大人はどうしてこんなものを飲みたがるのか、勇斗は不思議でならなかった。
目分量で六割ほどなんとか飲み干して盃を台に置き、ずいっとリネーアのほうへと押し出す。
「続きまして、リネーア殿にお伺いいたします」
「……はい」
「貴女はその盃を飲み干されると同時に、ユウト殿の妹分となられます。これからは兄のため、氏族のため、忠義を尽くさねばなりません。すでに十二分な覚悟をお持ちのことと存じますが、覚悟が定まりましたら盃を三口半で飲み干し、懐中深くにお納めください」
神儀使に促され、リネーアはじっと盃を睨みつける。
ただただ、睨み続ける。
まさかいまさら妹分にはなりたくないとか言い出すのではないかと勇斗が心配しかけたところで、リネーアは盃をガッと乱暴に手にとり、一息に飲み干した。
しきたりも何もあったものではなかった。せめてもの意趣返しなのだろう。
「ふうっ」
リネーアは空になった盃をぐいっと手持ちの布で拭き取り懐中に仕舞うと、両拳を使って腰を浮かし後ろに下がった。そして深々と頭を下げる。
「末永くよろしく面倒みてやってください……兄上」
人に物を頼んでいるとは到底思えない、苦渋に満ちた絞りだすような声だった。
ここには《角》の連中もいる。意に沿わぬ盃であることをアピールせねばならないところもあるのだろう。
なにはともあれ。
誓杯の儀はつつがなく終了した。
長年続いた《狼》と《角》との抗争にようやくピリオドが打たれたのである。
同じく犬猿の関係にあった《爪》とも、すでに親戚づきあいを始めている。
この盃により、もう当分は戦もなく平和な日々を謳歌できるだろう。
宗主としての役割は果たした。
これで心置きなく帰る方法を探すのに注力できる。
勇斗は安堵とともに、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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