第一話
「「「「「おおおおおおおお!!」」」」」
辺りには鬨の声が轟いていた。
数千という人間が踏み鳴らす振動が、車輪を通して身体の芯にまで響いてくる。まるで大地が揺れているかのようだった。
三頭立ての馬車――チャリオットの荷台から、勇斗は戦場を注視し続けていた。
砂塵舞う荒野には、おびただしい数の死体が無惨に転がっていた。そのほとんどは敵勢のものであったが、味方のものも少なからずあった。
主を失った武具たちが、陽の光を浴びて黄金色に輝いている。
その光景と乾いた風が運んでくる血臭に、勇斗は胃のあたりがムカムカするのを抑えられなかった。戦場の空気というものには、未だに慣れない。
初陣の頃に比べれば、吐いていないだけまだまだマシだったが。
「大勢は決しましたね。さすがはお兄様、実にお見事な采配です。数で勝る敵をこうもたやすく……お兄様は軍神の化身としか思えませんわ」
勇斗のそばに控えていた女性――フェリシアが、弾んだ声で賛辞を送ってくる。
大人っぽい艶のある微笑みがなんとも印象的な美女だ。腰ほどまである長い金色の髪がふわっと風でたなびく。その白くヒラヒラした衣装は肌の露出も多めで、この戦場にあってはなんとも場違いな印象があった。
「別に大したことじゃない」
驕るでも、謙遜するでもなく、勇斗は淡々と返す。そう、彼にとってこれは、何ら誇ることではなかった。
彼はただ、知っていただけだ。
「凄いのはアレクサンドロス大王や織田信長だ。俺が考えたわけじゃない」
「は? アレク……?」
訝しげに首をかしげるフェリシアに、勇斗は苦笑することで応えた。
今回の戦で勇斗の取った、重装歩兵の
個人対個人の戦いならば、そんなバカ長い槍は小回りが利かず、まさしく無用の長物というしかない。
ゆえに誰も検討すらしない。
だがこれが集団戦になると、非常に凶悪な兵器へと変貌する。
相手の間合いの外から密集陣形によって隙間なく槍を突き出すことで、日本流に言うならばいわゆる槍ぶすまを作ることで、相手は近づくことすらできず屍の山を築くしかなくなるという寸法だ。
アレクサンドロス大王のサリッサ、織田信長の三間半槍。未来の世界において、時代の覇王となった偉大なる英雄の必勝戦術だった。
「俺のは単なるチ……ととっ!」
言いかけた言葉を飲み込み、勇斗はフェリシアから視線をそらす。
「あら、ふふっ」
フェリシアがイタズラっぽい笑みをこぼす。彼が何に動揺したのか気がついたのだろう。
カーッと勇斗は、顔が赤くなっていくことを自覚した。なんとも気恥ずかしい。
勇斗も年頃の男だ。大きくたわわな胸が目の前で上下に揺れ動いたりなどしたら、それは気にならないわけがなかった。
しかし、ここは戦場だ。浮ついてる暇など、一瞬たりとてない。慌てて勇斗は首をぶんぶんと振って煩悩を振り払い、改めて戦場へと目を向ける。
「よし、明らかに敵は浮き足立っているな。ここで決めるぞ。軍旗を掲げろ、全軍……突撃っ!!」
勇斗がマントを翻し、ばっと手を大きく振りつつ号令をかけるや――
ぶおおおおお、ぶおおおおお!!
彼の周囲を守る兵士たちが、一斉に法螺貝を吹き鳴らす。同時に耳をつんざくようなひときわ大きい鬨の声が巻き起こった。
その大音声に勇斗は顔をしかめかけて、ふと、地面に転がる死体と目が合う。見知った顔だった。親しいというほどではないが、何度か言葉を交わした記憶があった。
彼の死は、他でもない勇斗の采配の結果だった。勇斗の心に苦いものが広がり、ずしんと背中が重くなったような気がした。
「なんでこんなことやってんだろうな、俺は」
誰に言うでもなく、ひとりごちる。
ここ『ユグドラシル』に来てからすでにはや二年が経過していた。
わずかな土地を巡って人々は剣や槍を手に命を奪い合い、馬に引かれた
言葉さえ通じぬこんな野蛮な大地に独り放り出されながらも、勇斗は様々な紆余曲折の果て、いくつも奇縁を経て、なんの因果か、この《狼》の一門を率いる
そう、指示一つで誰かの生死を左右する立場に。
「お兄様、なんでも抱え込みすぎるのはお兄様の悪い癖ですよ?」
不意にぎゅっと背中から抱き締められた。
フェリシアだ。その温かさに、勇斗は得も言われぬ安堵を覚える。どこか人を食ったところはあるが、一方でフェリシアは人の心の機微にとても敏感な女性だった。彼の心のわだかまりを聡く感じ取ったのだろう。
「~~♪」
囁くような、綺麗な旋律が勇斗の耳朶をくすぐる。不思議と、その歌を聞いているだけで勇斗の心の中をどんよりと覆っていた不安が薄れていくような気がした。
歌に
「わたくしにはこの程度のことしかしてあげられませんが」
「十分だ。ありがとな」
心から礼を言いつつ、勇斗はそっとフェリシアの腕をほどく。彼女の心臓の鼓動や温かさ、柔らかさは、呪歌の効果とも相まって気持ちを落ち着かせてくれたが、一方でひどく落ち着かなくもさせてくれる。
主に下半身的に。
「あん、お兄様ったらい・け・ず」
「まだ戦いは続いている。気を抜く……」
ガシッ!
唐突に、眼前へと矢が迫っていた。眉間まであと一〇センチというところでぎりぎり静止している。
「ほんと、気を抜いてはいけませんわね」
パッとフェリシアが手を開くと、矢は重力に引かれて荷台へと転がる。
防いだのでも、交わしたのでもなく、高速で飛来する矢を横から素手で掴んだのだ。恐ろしいほどの動体視力と反射神経だった。
ヒュンヒュンヒュン!
息つく暇もなく、前方から無数の矢が勇斗めがけて降り注いでくる。
「あらあら!」
フェリシアは腰にぶらさげていた縄を素早く手に取り、手首のスナップを効かせる。
縄がまるで新体操のリボンのように螺旋軌道を描き、襲い来る矢を次々と払い落としていく。
縄は捕まえた敵を縛るための粗いもので、新体操で使うようなリボンに比べれば相当重く扱いづらいはずなのだが、フェリシアはまったく苦もなさげに振り回している。勇斗より細腕だというのに、凄まじい膂力であった。
「サンキュ、フェリシア。相変わらず見事な縄さばきだな。女王様の素質あるぜ」
「くすっ、王はお兄様でしょう? それとももしかしてプロポーズですか?」
おどけたように肩をすくめるフェリシア。
その姿には緊張感の欠片も感じられなかったが、今の一幕からもわかるように、彼女はいざという時には、現代日本人の勇斗など比べ物にならないほどの戦士である。
しかも、縄術だけでなく、剣や槍も自由自在に使いこなす、《狼》でも指折りの腕前を誇る一流の戦士だった。
加えて、決して本心からふざけているわけではなく、勇斗が緊張しすぎないように、という配慮も多分にあることを、勇斗は気づいていた。
そもそもこの死と隣合わせの状況にあっていつもどおりの自然体[#「自然体」に傍点]でいられる、そして他人にも目を配る余裕を持てる、その胆力には舌を巻かざるをえない。まだまだ勇斗には至れぬ境地だった。
「ふむ、どうやらあそこからですね」
フェリシアが矢の出処をキッと睨みつけると、その先、小高い丘の上に、弓矢を抱えた男性と思しき影が立っていた。
視線があった瞬間、影はこちらに発見されたことを悟り、さっと丘を駆け下り、敵軍の中へと消える。
勇斗は狙撃者の消えた丘を呆然と見つめつつつぶやく。
「どうみても一〇〇メートル近くあるじゃねえか。那須与一も真っ青だな」
「こんな芸当を為すことができるのは、《角》広しと言えど、
「それを全部防いだフェリシアも大概だけどな。ったく、相変わらずエインヘリアルってのは人間離れしてるぜ」
言って、勇斗は乾いた笑みをこぼす。
勇斗のいた世界とこの世界とで明確に違うものの一つが、エインヘリアルと呼ばれる神に選ばれた人間の存在だった。
彼ら彼女らはルーンと呼ばれる不可思議な紋様をその身体のいずこかに宿し、そのルーンに応じた加護を得る。
その万人に一人と言われる希少にして優れた能力から、どの氏族においてもエインヘリアルは重用されている存在だった。
勇斗の副官を務めるフェリシアもまた無貌の
「ルーネは無事……だよな?」
もう一人、《狼》が誇るエインヘリアルの姿を脳裏に思い描き、勇斗は苦渋の滲んだ顔で最前線に視線を移す。
突撃の指示を受けて、戦いはその激しさを増していた。まさに今、件の彼女はあそこで戦っているはずだった。
優勢なのは勇斗が指揮する《狼》の氏族だ。どんどん敵勢を蹴散らし前線を押し上げていっている。だが、何が起こるのか分からないのが戦場だ。たとえ勝ち戦であっても、誰も死なないわけではない。
そう、先程の名も知らぬ兵士のように。
「ふふっ、ご心配には及ばぬかと、あの娘はマーナガルムですよ? もうそろそろ……」
フェリシアが何かを言いかけたところで、
「「「《角》の宗主、《狼》のジークルーネが召し捕ったりー!!」」」
前線で上がった勝鬨が彼女の声をかき消した。
周囲の兵士たちの顔にも一斉に喜色が浮かんでいき、天に拳を突き上げるとともに前線の声に合わせるように勝鬨をあげ始める。
遠目に《角》の兵士たちが堰を切ったように逃げていく様が映った。武器を捨て恭順の意を示す者もいるようだった。
フェリシアがクスリと笑みをこぼすつつ、ウィンクを送ってくる。
「思った通り、ルーネがやってくれたようですわね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます