百錬の覇王と聖約の戦乙女
小鳥遊真(鷹山誠一)
prologue
月宮神社にはある伝説がある。
曰く。ご神体の鏡には不可思議な力が宿っている。
曰く。ご神体の鏡の正体が、実はかのやんごとなき鏡である。
曰く。満月の夜に合わせ鏡でご神体の鏡を覗きこむと別の世界に誘われる。
実にどこにでもある陳腐な都市伝説の類である。
合わせ鏡を作って呪文を唱えると悪魔が現れるとか、未来や過去が視えるとか、はたまた別の世界に飛ばされるとか、世界的にも似たような話はごまんと転がっている。
万華鏡を覗いた時のあの、無限に世界が広がっているかのような不可思議な映像が、多くの人に似たような空想を抱かせるのだろう。
実際、先に述べたような伝説は、月宮神社に代々受け継がれていた口伝――とかではまったくなく、八尾中学でいつの頃からか生徒の間で広まっていた噂にすぎない。
そうまさしく、今のような状況を作り出すために、だ。
「ゆ、勇くん勇くん勇くぅん! やめようよぉ!」
目に涙を溜めた女の子がぐいぐいっと隣を歩く勇斗の服の袖を引っ張りつつ、怯えまくった声を上げていた。
トクンと勇斗の心臓がひときわ高く脈打つ。女の子に涙目で見上げられるのは、やはり男としては保護欲を刺激されずにはいられない。
彼女の名前は星野美月。彼――周防勇斗の幼馴染で、一つ年下の中学一年生だ。大きくつぶらな瞳が印象的な、いかにも田舎の娘といった素朴な感じの可愛い女の子である。
「おいおい、ここまで来て何言ってんだよ」
勇斗はため息まじりに肩をすくめてみせた。
風がざああっと木々をざわめかせ、虫の鳴き声もあちこちから響いてくる。辺りの茂みに目を向ければ、飲み込まれそうな闇が広がっていた。
そんな山の中、満ちた月と星明りが、古びてボロボロになった小さな社をうっすらと照らしている。
「大丈夫だって。俺たちの前に出たヤツら、ちゃんと帰ってきてたじゃねえか」
「でもでもでもぉ」
ぎゅっと勇斗の袖を握る力を強める美月。
いつもは向日葵みたいな笑顔を絶やさない元気いっぱいの女の子なのだが、どうにも昔から怪談だけは大の苦手だということを、幼馴染の勇斗はもちろん知っている。
この肝試しとて、本来なら美月のクラスの親睦会を兼ねたレクリエーションとして 企画されたものだったというのに、一学年上の勇斗が半ば強引に連れ出されたのはその怖がりゆえであった。
おかげで後輩たちからはよってたかって冷やかされて、勇斗としてはとにかく赤面モノだったのである。悪い気はしなかったが。
幼い頃から美月は、何かあるたびにいつも勇斗を頼ってきた。小学校低学年ぐらいまでは妹ができたみたいで可愛く思っていた。
小学校高学年ぐらいの頃は、同性の友人たちからひやかされるのがいやで、ツレない態度を何度となくとるようになった。頼られるのが鬱陶しくて仕方なかった。
中学生になると、また勇斗の中で美月に対する感情が一転した。頼られるのが悪くないというかむしろ心地よく感じるようになった。中学二年になった今は、もっともっと頼られたいって、都合のいいことを考えている。
そしてその理由にも、なんとなく気づいていた。
「そんなに怖いならちょっと離れてな。ちょちょいと終わらせてきてやるからよ」
腕を振って、ちょっと強引に美月の手から袖を抜いて勇斗は言う。
少しだけ罪悪感に苛まれないでもなかったが、ここで押し問答して、後輩たちにヘタレ扱いされるのだけは絶対に勘弁だった。
なにより、彼女に格好いいところを見せたかった。
「さて……」
屈み込み、キィっと社の観音開きの扉をゆっくりと開く。
中には、社以上にボロボロの錆びた円形の鏡があった。いや、正直、これを鏡と呼んでいいのかどうかすら疑問だった。汚れて曇り切っていて、正面にいる勇斗の顔も録に映せていない。
拍子抜けしたように、勇斗は嘆息する。
「な~んかちゃっちいなぁ」
「ゆ、勇くん!? そんなこと言ったら罰が当たっちゃうよ!」
「美月は心配症なんだよ。あ~、でもただ撮ったんじゃ面白くないな」
スマートフォンを取り出しつつ、勇斗は思案する。
怯えずにちゃんとルートを回った証拠として、この社の鏡の写真を撮って帰るのが今回の肝試しのルールなのだが、やはり一学年上な勇斗としては、後輩たちより一段上なことをやりたいところである。
「ちょっ! な、何をやってるの!?」
美月が表情を思いっきり引きつらせて、悲鳴じみた声をあげた。
「ん~? インカメで俺とご神体を一緒に撮ろうかなって。ああ、そういえば、これも一種の合わせ鏡[#「合わせ鏡」に傍点]と言えなくもないのか?」
「わ、わわわ! や、やめてよ! 勇くんが違う世界に行ったったらあたし、あたし……」
「大丈夫だって。そんなの迷信……」
(For oss segern)
「えっ!?」
脳内に、何か呪文のようなものが響いた。
日本語ではなかった。英語でもない。まったく未知の言語。ただ、なんとなくだが、呼ばれたような気がした。
(Gud, segern till oss!)
再び脳内に声が響き渡る。先程よりもクリアに、はっきりと。
若い女性の声だ。
「う……お?」
声のしたほうを振り返った瞬間、強烈な目眩が勇斗を襲った。
朦朧とした意識と視界が、二つの鏡を捉える。鏡は妖しい光を放ちつつ、重なったかと思えば離れ、離れたかと思えばまた重なる。
そうまるで万華鏡のように。
さらに奇妙なことに、一方の鏡の背後にうっすらと一人の少女の姿が見えた。
少女は何かに取り憑かれたかのように一心不乱に舞い踊っていた。神に仕える巫女を思わせる白無垢の衣装がヒラヒラと軽やかに揺れ動く。
「なんだよ、これ!?」
勇斗は慌てて目をこするも、その現象は収まらない。
しかもだ。
最初はそれこそホログラムでも見ているかのような透明感があったのに、どんどんとその色合いが濃くなっていき、少女のしなやかな肢体に質感が生まれてくる。
「ゆう……くん……ゆ……く……」
美月の声が、ずいぶんと遠くに感じられた。最後のほうなどかすれてほとんど聞き取れない。思わず振り向いて、
「えっ!?」
勇斗は絶句する。
そこには美月の姿はなく、白い壁が立ちはだかっていた。壁面には、様々な絵が所狭しと描きこまれている。多くは人を象ったものであったが、中には獣とも人ともつかぬまさに化け物としか言いようのない姿をした者の絵もあった。
「いったいどこからこんなもん……っ!?」
つぶやくと同時に、なにやらざわめきのようなものが周囲を包んでいることに気づく。かなりの大勢だ。
だが、おかしい。なぜこんな真夜中の山奥に、そんなに人がいるのか。先程までいなかったはずだ。肝試しの集合地点から駆けつけてきたにしても、あまりに早すぎる。
困惑とともに、もう一度勇斗は首をひねり、目を見開く。
間違いなく外にいたはずなのに、そこは室内だった。小さな体育館ぐらいはあろう広さの空間には、飾り気のない簡素な布の服に身を包んだ、明らかに日本人ではない堀りの深い顔をした男たちが、数十人、驚愕を露わにして勇斗を注視している。
「映画の撮影にでも紛れ込んだのか? ……って、あの鏡は!」
男たちの後方に鎮座する祭壇に飾られた鏡には見覚えがあった。こちらのほうがはるかに真新しくつややかな光沢を放ってこそいるが、その形状は月宮神社に奉納されていたものと瓜二つのものだったのだ。
《満月の夜に合わせ鏡でご神体の鏡を覗きこむと、別の世界に誘われる》
唐突に、月宮神社の噂が勇斗の脳裏をよぎる。
「嘘だろ!? いくらなんでもまさかそんな……」
「Vem ar du!?」
凛と響いた意味不明の言葉とともに、勇斗の喉元に黄金の剣が突きつけられた。
あまりに突然すぎる事態に、声も出ない。出た所で、言葉が通じるとも思えなかった。相手の声の調子から、どこか詰問するような厳しさがあったが、勇斗にわかったのはそれぐらいである。
どうしていいかわからず視線だけ刀身をたどっていくと、白魚のような細く綺麗な指が見えた。さらに視線を上に向けると、煌めくような銀色の髪が視界で揺れる。
見たこともないほどの綺麗な女の子だった。まるでそう、何かの神話に出てくる戦乙女がそのまま飛び出してきたかのようだった。
年は勇斗と同じか、一つ上ぐらい。まさに氷細工のような、という表現がぴったりの、底冷えするような美貌の持ち主だった。
状況も忘れて、勇斗はただただ見惚れる。
そう、この時の彼は、これから自分を待ち受ける過酷にして数奇な運命になど、まるで気がついていなかったのだ。
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