第二話

「道を開けよ! 父上、父上ーっ!」


 戦場にはそぐわぬ鈴の音を思わせるよく通る凛とした声とともに、銀色の尻尾を揺らして騎兵が戦陣をかき分けるようにこちらへと駆けてくる姿が見えた。


「おおっ、ジークルーネの姉御だ!」

「相変わらずお美しい!」


 戦場には似つかわしくない陶酔したような声が所々から漏れてくる。

 見惚れる気持ちは勇斗もわからないでもなかった。


 遠目にも、見目麗しい少女だった。

 手足は細くすらりとしていて、長い銀色の髪をたなびかせ馬を駆る様は、さながら神話の登場人物のようで幻想的ですらある。


「姉御、此度も大手柄だったそうですね!」

「さすがはマーナガルム! 《角》など敵ではございませんでしたな!」

「邪魔だ、どけ」


 ジークルーネは端的に吐き捨て、追従して褒め称えてくる兵士たちを全く感情のこもっていない冷ややかな眼差しで見下ろした。

 その眼光の鋭さに「ひっ!」と兵士たちはその身体を縮こまらさせる。


 その氷のような美貌はこの二年の間にさらに凄みを増し、今や触れればたちどころに切り裂かれそうな、そんな刃のような雰囲気までまとっている。

 剣を持つのにも苦労しそうなほど華奢に見えても、彼女は最も強き銀狼(マーナガルム)の称号を受け継ぐ、精鋭揃いの《狼》の氏族においても並ぶ者がいない剛の者である。よく見れば、兵士たちの瞳には尊敬と同時にどこか畏怖を内包していた。


「あっ!」


 勇斗の姿を捉えるや、途端、少女の相好が崩れた。

 馬足を緩め勇斗の戦車のそばまで歩み寄り、ひらりと馬から軽やかに降り立つ。


「父上、ご無事でしたか! お怪我などなされておりませんか?」

「前線に出てもいないのに怪我なんかするわけないだろ。むしろルーネこそどこか負傷とかしていないか?」

「ご安心を。アングルボダの加護により、わたしは至って無事、かすり傷一つ負ってはおりません」

「それはなによりだ。《角》の宗主捕縛も、よくやってくれた。ご苦労だったな」

「はっ、勿体無いお言葉。恐悦至極に存じます」


 言葉こと丁寧なものであったが、ぱああああっと少女――ジークルーネの顔に喜色が広がっていく。

 すぐにハッと気づいたように表情を引き締めるジークルーネであったが、勇斗に褒められたのがよほど嬉しかったのだろう、どうにも口元のニマニマがおさまらないようだった。


「ぷっ、ルーネってばほんと忠犬なんだから」

「ぷふっ!」


 フェリシアの言葉に、勇斗はたまらず吹き出してしまう。酷いことを言うと思いつつも、どうにも今のジークルーネを見ていると「おすわり」という単語を連想せずにはいられなかったのだ。


「父上? なにかおかしなことでも」


 ジークルーネが首をかしげる。そんな仕草もどこか犬っぽい。一度意識してしまうと、どうにもそうとしか見えなくなって困る勇斗だった。


「い、いや、なんでもない。気にするな」


 口元を抑えて顔を背けながら言ってもあまり説得力はない。だが、さすがに本当のことを口にするわけにもいかない。

 これ以上、この話題をするとボロがでそうだったので、勇斗はさっさと話を本題に戻すことにした。


「それより、褒美だ。何がいい? 大殊勲だからな、なんでも好きなものを与えよう」

「なんでも、ですか?」

「俺が与えられるものなら、な」

「で、では! そ、その、あ、頭を撫でていただけますか!?」


 ジークルーネは勇斗を見上げ、キラキラと期待に満ちた眼差しで、実に些細なことを願い出てきた。

 すでに先程までの冷厳で近づきがたい雰囲気はどこにもない。どうにも犬がご馳走を持って現れたご主人を見上げているような、そんな錯覚を覚える勇斗である。


「い、いや、さすがにそれだけってのは……」


 ポリポリと頬をかきつつ、困った顔になる勇斗。

 信賞必罰が宗主の最も重要な仕事の一つである。さすがに敵の大将を捕縛してきた者への恩賞がそれだけでは何かと体面的にも問題ありありだった。

 大手柄を上げても頭撫でるだけで済ましてしまうなどという噂が立てば、誰も勇斗の下では働こうとしなくなるに違いない。


「わたしにとってはそれが何よりの褒美でございます!」


 力強く断言するジークルーネ。無欲を装っているわけでも、《狼》の財政事情を慮っているわけでもなく、本当にそれが心からの望みのようだった。

 やれやれと苦笑をこぼしつつ、勇斗はジークルーネの頭にぽふっと優しく手を置く。


「本当によくやってくれたな」

「わ、わたしは父上のお役に立てましたか?」

「ああ、これ以上ないってぐらいな。ん~、だから本当にこれだけってわけにはさすがにいかねえよなぁ。おいフェリシア、後で適当に何か見繕って……」

「ぷーっくくくっ! 見える。わたくしには確かにパタパタと揺れる尻尾が見えますわ!」


 隣を振り向けば、金髪の美女は人目もはばからず、腹を抱えてしゃがみこみ肩を震わせ、ガリガリっとチャリオットの荷台の壁に爪を立てていた。


 どう見ても笑い過ぎだった。

 こういうところさえなければ綺麗で有能で完璧な人なんだけどな、と勇護は嘆息する。笑いが収まるまでしばらく彼女は使い物にならなそうだった。


「あの、フェリシアはいったい?」

「放っておけ。世の中、知らなくていいこともある」

「っ! なるほど! 父上がおっしゃると、含蓄がありますね!」

「いや、そんな大したこと言ってないから」


 げんなりと勇斗は肩を落とす。フェリシアはフェリシアで問題だが、ジークルーネもジークルーネで、勇斗への盲信ぶりが気になるところである。


 ジークルーネという娘は一言で言えば、武辺者である。才能ももちろんあったのだろうが、この若さで『最も強き銀狼(マーナガルム)』の称号が与えられたのは、世俗の様々なことを雑事と切り捨て、ただただ武にのみ人生を費やしてきたがゆえだった。


 だからというわけではないが、彼女は力ある者と彼女が認めた人間にしか心を開かない。

 実際、勇斗などこの世界に来て半年ほどは、先程の兵士以下、まさに炉端の石ころ同然の扱いを受けたものである。

 あれほど衝撃的な出会いをしたにもかかわらず、名前すら忘れられてたほどだ。

 そんな彼女が今や地面に片膝をつき、勇斗を絶対の主と認め、かしずいている。


「皮肉なもんだな」


 勇斗は自嘲するように呟く。

 二年、そうたった二年だというのに、いろいろなものが次々と変わっていた。外の環境も、勇斗自身も。


 色白だった肌は日に焼け、細身なのは変わらないが、当時よりその身体は格段に筋肉で引き締まっている。背もかなり伸びた。

 この世界で生きていく術も、いろいろ身につけた。

 修羅場も幾度となく、超えた。

 もう勇斗は、この世界に迷い込んだばかりの何もできずただ怯えているだけだった子どもではない。


 今の彼は枝も含めれば数万を数える《狼》の命と将来を預かる、宗主(パトリアーク)だ。


「おっと、感傷に浸ってる場合じゃねえな。ルーネ、お前が捕らえたという《角》の宗主はどうした?」


 勇斗に撫でられ、仔犬のような一面を見せていたジークルーネだったが、一瞬にしてきりっとした凛々しさを取り戻す。

 最近は勇斗は見る機会が少なくなっているが、この表情こそがほとんどの《狼》の人間にとってジークルーネという名から思い出す少女の容貌だった。


「はっ。一刻も早く父上のご無事を確認したかったので、宗主の身柄は近くの兵士に預けてきました。今はおそらくチャリオットにてこちらへと向かっていることかと」

「そうか……さて、どうするかな」


 なんとはなしに、勇斗は虚空を見上げた。沈みかけた陽が西の空を紅く染め上げている。血に誘われたのか、カラスの鳴き声がなんとも耳障りだった。

 考えているのはもちろん、敵宗主の処遇だ。

 勇斗はちらりと視線をフェリシア――さすがに笑いは収まったらしい――に向け、


「素直に俺の盃を受けてくれるかな?」

「難しいでしょうね。《角》の宗主リネーア殿は、とても誇り高い方と聞き及んでおります。屈辱の生より名誉ある死を望まれるのではないでしょうか」

「とは言え、本当に死なれても困るんだよなぁ」


 やれやれと勇斗はため息をつく。

 この世界ユグドラシルでは、宗主が氏族の人間全ての「親」であり、氏族はその宗主の「子弟」であるという、擬似家族制度とでも言うべきものによって組織運営を行なっていた。

『誓盃I(フォーストブレーズララグ)』という神聖な儀式によって、宗主と子弟は固い絆で結ばれる。宗主は子分や弟分を慈しみ、子分や弟分は宗主を親分や兄貴分として敬う。実の親子関係より、この「盃の親子関係」が重視されるのがこの世界の習わしだった。

 つまり宗主を殺せば、《角》の氏族にとって《狼》の氏族は決して許すことのできない憎むべき親の仇になってしまうということだ。

「……敵の若頭(レズナンティア)はこの戦いに参加していないんだったよな?」

「はい、都市の留守居役を命じられていたようです」

「《角》の若頭とは先代の供をしていた際に会ったことがあります。少なくともこの戦いには参加してはいなかったかと」


 これはジークルーネ。

 戦場において、虚報が錯綜するのが常だ。だが、最前線でずっと陣頭指揮を取っていた彼女の言葉は何より信用できた。


「ってことは指揮系統も残っている、か。ますます面倒そうだ」


 がしがしっと勇斗は頭をかきむしる。

 若頭は子分の筆頭という扱いで、実質的には氏族の№2に当たる。宗主にもしものことがあれば、当然、若頭が次代の宗主となる。

 そして、若頭(後継者)は血縁による世襲ではなく、能力によって選ばれる。無能なはずもない。


『殺せば兵法三六計が一四『借屍還魂(しゃくしかんこん)』の成立か。なら、わざわざ敵に大義名分を与えてやる義理はない、な」


 勇斗はポケットから愛用のスマートフォンを取り出し、電源ボタンを長押しし起動する。

 かつての大地震を教訓に、万が一の用心にと持っていた小型のソーラーバッテリーのおかげで、勇護は二年経った今も、このスマートフォンを利用できていた。

 しかし、所詮は小型だ。昼間中ずっと陽に当て続けても、その電気で使えるのはせいぜい三〇分程度。微々たる時間だ。

 だから使用には慎重に慎重を期さねばならなかった。


 しばらくして表示されたホーム画面から、Hindleのアイコンをタップ。

 次に表示されたのは、かの武田信玄の旗「風林火山」の引用元として知られ、二一世紀でも十分に通用すると称賛される中国戦国時代の兵法書『孫子』の解説書――その電子書籍版だった。

 勇斗が宗主になってからダウンロードしたもので、もう何度読み返したかわからない。


「ほんと……チートだよな。スマートフォン様々だぜ」


 勇斗は戦えば見習いの兵士にすら敵わないし、この世界での様々なことに不慣れで、未だ読み書きすらまともにできない。はっきり言って、役立たずもいいところである。

 ただ一つだけ、勇斗にしかできない、勇斗だけの武器があった。


 それが二一世紀の知識だ。

 もちろん、所詮は学生だった身だ。持っている知識も技術も高が知れている。例えばここでコンピューターを一から作れと言われても土台無理な話だ。

 それでも、まだ文明が栄えていないこの世界ならば、大した技術も知識もなくても作れる代物が無数にあった。

 

 今回の戦いで用いた長槍などもまさにその類だ。

 某歴史戦略シミュレーションゲームで、「三間半槍」というものを知らなければ、勇斗とて思いつかなかったに違いない。

 画期的アイディアというものは得てして、気づいてしまえばなんてことはないもので、気づくまでが大変なのだ。


 いわゆるコロンブスの卵である。

 本来なら、常識的な概念を打ち破る発想力を持った天才だけが可能な所業、勇斗はそれを未来の知識により可能にしていた。

 彼が事あるごとに自分のことをチートしてるだけと言う所以である。


 何ページかフリックし、該当のページに飛ぶ。もうどこに何が書いてあるのかだいたい暗記していた。


『国を全うするを上となし、国を破るは之に次ぐ。

 伍を全うするを上となし、伍を破るは之に次ぐ。

 百戦百勝は、善の善なる者に非[#「非」にルビ あら]ざるなり。

 戦わずして人の兵を屈するが、善の善なる者なり』


 簡単に言ってしまえば、戦って勝つのは次善の策で、敵を降伏させるのが最善策という意味だ。一語一語を噛み締めるように文字を追い、勇斗はひとつ頷く。


「やはり手打ちにするしかないな」


 勇斗の言葉に、ジークルーネとフェリシアは揃って静かに首肯する。


《狼》の氏族にもそれほど余裕があるわけではない。

 すでに《角》の三分の一ほどの領土を奪い取っている。

 十分すぎるほどの戦果だ。


 あまり敵陣深くに切り込むのも危険だし、長く戦争状態が続けば国力も疲弊する。この辺りが潮時だった。

 とはいえ、どういう条件で手打ちにするのか、それが問題だ。


 一ヶ月前、《角》の侵攻から始まったこの戦いで、少なからず《狼》の氏族から死者も出ている。

 宗主を殺すのは面倒とはいえ、返還には相応の対価を得ねば民は納得してくれないだろう。


「順当に考えれば、宗主の身柄と交換に食料や鉱物といった物資を支払わせるか、領土を割譲させるかなんだが、できるならなんとか俺の盃を下ろしたいんだよなぁ」


 腕を組み、う~んと勇斗は唸る。

 領土や物資を奪えば、必ず禍根が残る。これ以上、《狼》と《角》の戦争状態を継続するのは彼の望むところではなかった。


 勇斗に領土的野心はない。

 勇斗の宗主としての方針はただ一つ、《狼》の民が平和で豊かな生活を送れるようにすること、だ。


 その点、この世界の「誓盃」というしきたりは、非常に都合が良かった。

 神聖にして不可侵、一度受けた盃に背くことはこの世界では絶対のタブーとされ、誓いを破ればその信用は地に落ちる。

 生まれる親や一緒に育つ兄弟を選ぶことはできないが、誓盃では、その盃を受けるか否かを自分で選ぶことができる。

 自ら親と仰いだ人間を裏切るなど畜生にももとるというふうに考えられているのだ。


 つまり、敵宗主と盃を交わし、勇斗の子分か弟分にしてしまえば、《角》の氏族は滅多なことでは勇斗、ひいては《狼》の氏族に逆らえなくなるのである。

 逆説的には、だからこそ、自らの氏族を守る責務がある宗主は、安易に自らを風下に置くような他氏族からの盃を受けない。受けられない。


「となると、ちょっとチートだけど、やっぱりここは《爪》の時に用いた手か?」


 当時を思い出し、勇斗は自嘲するように鼻を鳴らす。

 正直、かなり気が進まなかった。だが、彼は宗主である。個人の事情より、氏族の事情を重視しなければならない立場だった。


 先ほどの孫子の言葉を改めて心の中で反芻する。

 二年前、ふらりとこの世界に迷い込んだ何も出来ない役立たずな自分を、決して豊かでもないのに受け入れ食わせてくれた《狼》の民が、勇斗は好きだった。

 フェリシアやジークルーネなど、苦楽を共にした大切な友人たちも少なくない。

 彼らをなんとか守りたかった。身近な誰かが死ぬのを見るのは、そして誰かが悲しんでいる姿を見るのは、いやだった。


 ふ~~~っと勇斗は長い溜息をつく。

 ちょっと自分が嫌な思いを我慢するだけで死ぬ人間は減るのなら安いものである。


「よし、天幕を張れ。会談の準備だ」

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