第三話

「ええい、押すな。自分で歩ける!」

「は?」


 天幕の中に引っ立てられてきた少女に、勇斗の口から思わず間抜けな声が漏れた。

 ポリポリとこめかみのあたりを人差し指で掻きつつ、勇斗は隣に控えるフェリシアへと困惑の目を向ける。


「……この子が、宗主?」


 確かに、身に着けている衣類は一般の兵士のものと比べると遥かに上質のものであり、額には黄金のサークレットが輝いている。

 彼女が身分ある者であることは疑いようがない。だが、それがわかっていてもなお、問わずにはいられなかった。

 勇斗の脇に控えていたフェリシアが、重々しく頷く。


「はい、彼女が《角》の宗主リネーア殿です」

「まだ子どもじゃないか」

「貴様だってボクと同じぐらいだろうがっ!」


 ぽろっと出た勇斗の言葉を聞き咎め、《角》の宗主が怒鳴り声を上げる。勇斗が視線を戻すと、キッと憤怒に満ちた形相で睨まれていた。


 髪を首筋あたりで短く切り揃えボーイッシュな感じの、実に可愛らしい女の子だった。年は勇斗より一つ二つ下ぐらいだろうか。その小さな身体を荒縄で何重にも縛り上げられた姿は、少々、痛ましくすらあった。

《角》の当代の宗主が、女だということは勇斗も聞いてはいた。女ながら並み居る荒くれ猛者どもを押さえつけ宗主となり、《緋の雌虎》と畏れられる女丈夫である、と。


 しかし今、彼の目の前でう~っ! と唸り声をあげて威嚇する少女は、雌虎と言うよりはどちらかというと山猫といった印象だった。


「まあ、ここでならそうおかしなことでもない、か」


 実際、《狼》でも年端もいかない少年の勇斗が宗主を務めているし、ジークルーネやフェリシアもまだ一〇代でしかも女ながら、氏族の重鎮として扱われている。

 ユグドラシルでは、力が全てだ。力さえあれば若かろうが女だろうが関係ないのである。


「とりあえず自己紹介をしておこうか。俺は勇斗。《狼》の宗主だ」

「……ふんっ」


 勇斗の名乗りにリネーアはそっぽを向くことで応え、どかっとその場に座り込んだ。

 しかし、その身体が小刻みに震えていることを勇斗は見抜く。気丈に振る舞うことで怖さを紛らわせようとしている部分もあるのかもしれない。


「言葉を弄するのは好かん。単刀直入に訊こう。俺の子分にならないか?」

「断る! なぜ《角》が《犬》ごとき風下に立たねばならぬ。寝言も大概にしろ」


 わずかの逡巡もなく、リネーアは申し出を拒否してくる。《犬》という呼称からもこちらを蔑んでいることが伝わってきた。


「確かに今回の戦こそ敗北を喫したが、調子に乗るなよ! 依然、ボクたち《角》の国力は貴様ら《犬》を上回っているんだ。そう何度も奇跡など起こらない。さあ、殺すなら殺せ! だが次は貴様の番だ。せいぜい首を洗って待っているんだな。はははははっ!」

「ふふっ、貴女こそ寝言は大概にしたほうがよろしいですよ?」


 哄笑するリネーアに冷水を浴びせかけるように、フェリシアは頬に手を当て、ほうっと溜息混じりに言い放つ。

 先ほどまでの高笑いもどこへやら、リネーアはカーッとみるみるうちにその顔を怒りに赤く染めていく。


「何が寝言だ!?」

「いえ、いつの話をしているのやら、と。確かに以前までの我らは、《犬》だったかもしれません。しかし、我らはお兄様の手で生まれ変わりました。強く逞しい本物の《狼》へと。お兄様が率いる限り、鈍重な《牛》ごとき敵ではございませんわ」


 顔には微笑を讃え口調こそ丁寧だったが、その言葉は侮蔑の色を隠そうともしていなかった。慇懃無礼とはこのことをいうのだろう。


「なにを! そんな貧弱そうなヤツがどれほどの者だ!?」


 ドンッ! バキィィィッ!


 突如、天幕の中にものものしい音が響いた。

 これまで黙したまま勇斗の傍に控えていたジークルーネが、目の前にあった木製の机を殴りつけ、そして真っ二つにへし折ったのである。


 明らかに女性の腕力ではない。大の男でも出来る者は少ないだろう。

 ジークルーネの左肩あたりにそれまでなかった紋様が浮かび上がり、淡く光を放っていた。

 月を食らうハティ、保持者に狼の気質と類稀な身体能力を与えるルーンである。


「口を慎め。父上への侮辱は許さん」


 ゆっくりと身体を起こし、傲然とリネーアを見下ろす。その表情にも声にも、勇斗と接する時のような甘さは蚊ほどもない。氷のように冷ややかでかつ刃のように鋭かった。


「ぐっ!」


 リネーアが言葉に詰まり怯んだ表情を見せた。

 リネーアはジークルーネが捕らえてきた。おそらくは何人もの屈強な近衛兵に守られていたであろうリネーアを。

 その戦いぶりを間近で見ているだけに、ジークルーネに対する恐怖はまさしく骨の髄まで刻み込まれているに違いない。そこに、目の前で再びその凄まじい力を見せつけられたのだ。恐怖を覚えないはずがなかった。

 その様子に、ジークルーネがふっと鼻を鳴らす。


「父上と同じく若くして宗主になったというからどれほどかと思えば、これでは父上の足元にも及ばん」

「まあ、ルーネ。比べること自体、お兄様に対して失礼ですわ」

「ふむ、フェリシアと意見が一致するというのは正直気持ち悪いが、その点に関しては同意せざるを得ないな」

「ぐ、ぐうううっ!」

「あら、そんなふうに唸っていると、どちらが犬かわかりませんわよ?」

「そうだな、どうせならも~っとでも鳴くのがお似合いだろう」

「おのれっ! なめるかっ!」


 とどまるところをしらない二人の揶揄に、リネーアが怒りの咆哮を上げた。

 怯えた表情から一転、縛られたままだというのにジークルーネに飛びかかろうとする。

 が、彼女を連れてきた兵士たちにすぐさまその肩を押さえつけられた。それでもなお、リネーアは唸り声とともに殺意に満ちた視線を勇斗たちへと突き刺している。

 これではまさに狂犬だ。


「やれやれ。プライドが高いってのは本当らしい」


 リネーアに聞こえないよう、勇斗はひとりごちる。自分への自信の無さの裏返しもあるのかもな、とも心の付け加えた。先程から彼女が激昂するのは自分を見下すような発言をされた時ばかりだった。

 まあ、しかし、そろそろ頃合いだろう。


「控えろ、二人とも。彼女は曲がりなりにも《角》の宗主だ。無礼な口は慎め」

「「はっ!」」


 頬杖から身体を起こしつつ勇斗が面倒くささを装って言うや、二人は即座に従順にかしこまる。

 彼女たちが手はず通りに[#「手はず通りに」に傍点]自分を持ち上げているのはわかっていたが、これ以上は聞いていられなかった。

 勇斗は自分がそれほどの傑物だとは思っていない。先程から背中がムズムズするのをこらえるのに苦心していたのだ。


「女どもが失礼したな、《角》の宗主殿。まったく子分のしつけがなってなくて申し訳ない」

「……いや、ボクも《犬》とか言って済まなかった」


 勇斗が詫びの言葉を告げると、リネーアも謝罪の言葉を述べた。先程までの態度から比べればかなり軟化している。


 宗主になってから、勇斗は「交渉術」に関しての本も読んでいた。トップには必要不可欠なものだと思ったからだ。

 その中の一つに、「Good and Bad COP」というものがある。


 刑事ドラマなどでよくある手口だ。強面の警官が侮辱・脅迫など粗暴で高圧的な態度で相手の反感をあえて買う。そこにもう一人の温和そうな警官が救いの手を差し伸べ強面の警官をたしなめさえすることで、悪い警官より断然話が通じると、良い警官に共感や好印象を抱かせるテクニックだ。

 今回の場合、フェリシアやジークルーネが悪い警官役を演じ、勇斗が良い警官役を演じたというわけだ。


「話を戻そう。どこまで話したか。そう、子分の話だ」

「……なる気はないと言ったぞ」


 再び拒絶の言葉を口にするリネーアだったが、先程までのような勢いなかった。半ば自分に言い聞かせるような感じだった。

 思い通りに事が進んでいることに、勇斗は内心ほくそ笑む。

 年端もいかない女の子を詐術を駆使して騙し脅すというのは良心が咎めたが、この交渉をまとめられなければ戦いは続き、双方により多くの血が流れる。それを避けるためには勇斗も手など選んでいられなかった。

 準備は整った。満を持して、勇斗は本当の要求を告げる。


「ふむ、では妹分ならどうだ?」

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