第四話
《角》の宗主リネーアは混乱の極みにあった。
いったいどうしてこんな状況に陥っているのか、何度考えても納得がいかないのだ。
《狼》は三~四代前こそ隆盛を誇っていたが、今や落ちぶれ《角》より遥かに劣る国力しか持たない弱小氏族である。
つい最近まで隣国である《爪》と争ってもいた。さらに疲弊していることは想像に難くない。
その上、一年前に代替わりした宗主は、どこの馬の骨とも知れない一六歳の少年だと言う。実に与し易い相手……のはずだった。
敵に倍する兵を集め、万全を期して望んだ戦いは、しかし完膚なきまでの敗北という無惨な結果に終わり、今や大将たる自分は敵方の虜囚という立場に甘んじている。
そして、引っ立てられた先で見たものは、《犬》と侮っていた相手が、自分たち《角》を完全に見下しているという現実だった。
半分は交渉を有利に進めるため、自分たちの力を実際以上に誇示したはったりだろうとはさすがに気づいている。勝者のおごりもあるだろう。
だが、あくまで半分だ。
《狼》の人間が勇斗に向ける敬慕の視線は、明らかに尋常ではない。
この見るからに若く繊弱そうな少年に完全に心酔仕切っている。
あの『最も強き銀狼』ジークルーネや、あの『賢狼』フェリシアと言った《角》にまで名の知られている勇者たちが、だ。
そしてなにより自分たちが大敗したという事実が、今更ながらに不安に拍車をかける。
自分はもしかしてとんでもない見込み違いをしていたのではないか、と。
このままではもしや自分の氏族は滅ぼされるのではないか、と。
「……妹分、か」
そんな折に、するりと助け舟のごとく譲歩案を差し出されては、今度はリネーアも即座に否定することはできなかった。
この世界の常識として、子分は宗主に絶対服従が原則である。そんなものはさすがに受け入れられない。
一方、弟分や妹分の場合、基本的には兄貴分を敬い従わねばならないが、子分ほどの絶対性はない。検討の余地は十分にあるように思えた。
「譲歩はこれが最初で最後だ」
「~~っ!」
リネーアは言葉にならない苦悶の声を鳴らす。
熟慮が必要な事項だというのに、あまりに考える時間が足りなすぎる。そもそもこんな状況下で冷静に物を考えろというのも無茶というものだ。
ゆえにこそ、彼女は気づいていない。口でこそ譲歩と言っているものの、実は勇斗は無体な要求を取り下げただけだということに。
いわゆる「ハイ・ボール」という交渉術である。
最初から本命の要求を出すと断られるケースでも、まず大きめの要求をし、相手に断られたら、それより小さな、しかし本命の要求を出すという駆け引きテクニックだ。
加えて、先の「Good and Bad COP」の効果により、勇斗の申し出が温情なのではないか、という焦燥にも似た思いも生まれていた。
リネーアは完全に勇斗の策に陥っていたのだ。
「ううっ、けど……」
それでもまだ、リネーアには勇斗の妹分になる決心はつかなかった。やはり今まで格下だった《犬》に従うことには抵抗があった。
おめおめと《犬》の妹分になって国に戻れば、自らの命押しさに国を売ったとの謗りは避けられないだろう。
そんな目で見られるのは耐え難い屈辱だった。それこそ死んだほうがマシだと感じるほどに。
「や、やはり我ら《角》は《狼》の風下には……」
「そうか、なら仕方がない。お前たちの街をニーズホッグの二の舞にしてやろう」
「っ!? 街を焼き払うというのか!?」
つまらなさそうに言い捨てた勇斗の言葉に、リネーアは一瞬で沸騰する。
だが、その剣幕にさしたる感銘をうけた様子もなく、《狼》の宗主は感情の感じられない酷薄な目で自分を見下ろし続ける。
ニーズホッグ。《爪》の氏族の領土にかつてあった小さな町の名前である。
今はもう、ない。
目の前の男が一切合切を焼き払い、女子供の別なく住人一人残らず虐殺したからだ。
「俺の盃を受けんのなら、な。俺は俺に逆らうヤツに容赦するつもりはない」
「……っ!」
きっぱりと冷たく言い切られ、先程一気に脳天まで上り詰めた血が、今度はサーッと引いていく。
兵を起こしたのは、『ニーズホッグの惨劇』に義憤を感じたということも一因としてあった。
そのような非道、とても許してはおけぬ、と。しかし、今はそれがリネーアの心に重くのしかかっていた。
宗主とは言え、彼女はまだ一五に満たない小娘だった。
自分の判断が数千数万という命を左右するという現実を、今この時、宗主になって初めて本当の意味で思い知っていた。
ガタガタと全身の震えが止まらなくなる。
「別に俺はどちらでもいいんだが、どうする? 早く決めろ。俺はそう、気は長くない」
「~~っ! わかった。妹分になる。だが子分にはならないからな! あくまで妹分だ!」
まさに断腸の思いで、リネーアは勇斗の要求を受け入れたのだった。
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