第五話

「ふううううううううううううううううううううう」


 宗主会談を終えリネーアの姿が見えなくなるや、緊張の糸が切れたせいか、どっと一気に疲労が勇斗の身体を襲ってきた。

 長い長い溜息とともに、ずるずると椅子から力なく滑り落ちていく。


「だ、大丈夫ですか、父上!? どこかお身体の調子が……」


 心底慌てふためいて、ジークルーネが勇斗に駆け寄る。

 お互い、先程までリネーアに見せていた冷たく硬質だった姿は見る影もない。そのことに勇斗は苦笑を禁じ得ない。

 犬扱いに不機嫌そうにしていた《狼》の面々だが、今のジークルーネにはくぅんくぅんと主人を心配そうにしている犬を連想せずにはいられない。もちろんそんな失礼なこと言えるわけもなく、口では別のことを言う。


「疲れただけだ。心配しすぎだっての。そりゃ俺はこの世界では虚弱もいいとこなんだろうけど、さ」

「そ、そんなことは……」


 声も微妙に小さめに、言葉をにごすジークルーネ。

 やっぱり弱っちいとは思ってるわけね、と勇斗は苦笑する。


 とは言え、それを責める気にはなれない。この世界に来たばかりの頃は水や食べ物が合わなくて、それこそ頻繁に腹を下したりしていたものだ。そのイメージがどうしても残ってしまっているのだろう。


「ふふっ。そのお姿では、近隣にその雷名を轟かす『悪評高き狼(フローズヴィトニル)』と誰も信じないでしょうね」


 フェリシアが楽しそうに目を細める。

 椅子に座らず地面に座り、椅子の脚を背もたれにしている今の勇斗の姿は、確かに威厳もへったくれもなかった。


「そりゃ雷名じゃなくて、悪名だろ」


 身体を起こしつつ、ちょっと投げやりに勇斗は言う。

 ニーズホッグの一件以来、勇斗はその二つ名とともに歯向かう者には容赦しない残虐非道な暴君で近隣には通っていた。

 あえて、広めてもいる。


 孫子と同じく、宗主になってからリーダーの心得として読み始めたマキャベリの『君主論』には、リーダーたるもの、普段は善行を行いつつも、時には冷徹に悪徳を成さねばならない時もある、と説かれていた。

 そして、悪逆非道な行いは、やるなら小出しにせずそれこそ一気にやってしまえ、とも。


 恐怖させることで歯向かう気を失せさせ、仕方なしにも従う気にさせるからだ。

 かの伊達政宗も、「小手森城の八〇〇人斬り」という有名な虐殺を行なっている。この話を耳にした大内定綱は心底恐怖し戦わずして退却、その居城である小浜城を政宗は味方の血を流すことなく手に入れたという。

 しかも件の大内定綱は、後に配下となったらしい。


『ニーズホッグの惨劇』とは、言ってしまえばこの故事の焼き直しだった。

「やはりわたしは納得できませぬ。父上はニーズホッグで虐殺など、なさっておられないのに。本当はとても慈悲深い方、なのに……」

「俺は慈悲深いんじゃなくて、ただ甘いだけ、さ」


 ジークルーネが憤懣やるかたなしと言う顔で悔しそうに呟くも、勇斗はそう言ってゆっくりと首を左右に振った。


 現実は、単純ではない。

 冷徹な振る舞いが無血を生むこともあれば、友愛の精神が余計に争いを激化させ血を流させる結果につながることもある。


 勇斗が町を焼き払ったのは事実だが、実のところ、住民は全員、《狼》の街に移住させていた。

 そして、虐殺したという噂だけを流した。

 人の口に戸は建てられぬと言う。

 真実がバレて近隣氏族からなめられるようなことになれば、与し易しと見て戦が起こり、ニーズホッグの住民など比べ物にならない数の《狼》の氏族の血が流れるかもしれない。


 そのリスクを知りながらも、勇斗は殺せなかったのだ。

 そこまではどうしても出来なかった。非情に、なりきれなかった。

 甘さは血を血で洗うこの時代ではどうしようもない弱さだと、何度も思い知っているにもかかわらず……


「……へ?」


 ぐいっといきなり抱き寄せられ、次の瞬間、柔らかくて暖かい感触が彼の顔面を優しく包み込む。

 またか! すぐにその正体に気づき、勇斗は慌てて離れようとするも、


「わたくしはお兄様の甘さを、とても尊く思っておりますわ。あまり自分を責めないでくださいませ」


 降ってきたフェリシアの甘く優しい声に、抗する力が抜けていく。

 トクントクンと彼女の心臓の鼓動が伝わってきた。自己嫌悪に陥りかけてた心が急速に癒されていくのを感じた。


「……フェリシア、いつもありがと、な」

「ふふっ、お礼を言われることは何もしておりませんわ」

「それでも、ありがとな」

「わ、わたしも、父上のことを尊敬しております!」

「うん、ルーネもありがとな」

「はいっ!」


 ジークルーネがぱあっと華が咲いたように微笑む。勇斗のこんなたわいない一言を、心から喜んでいる。

 ここユグドラシルは、勇斗が生まれ育った時代ではない。生活はいろいろ不便だし、郷愁に心を寒風が吹きすさぶことなどしょっちゅうだ。それでも彼女たちのように、勇斗を慕い助けてくれる人たちがいることもまた確かだった。

 勇斗の口から自然、笑みが零れていた。


「よし、帰ろう。俺たちの街、イアールンヴィズへ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る