第一五話

「お兄様のご提案により実験的に導入したノーフォーク農法ですが、今のところ問題ないとのことです」


 日々上がってくる情報に目を通し、陳情や懸案に決裁を下すのが宗主としての勇斗のルーチンワークである。

 午後からの彼は、ひたすらそれに忙殺されていた。一ヶ月以上、留守にしていただけに仕事は山ほど溜まっている。


「とりあえず滑り出しは上々、か」


《狼》の領土は山や丘陵地帯がほとんどで、あまり農作物の生産には適していない。

 だが、当たり前ながら食べねば人は生きてはいけない。

 なんとか収穫量をあげようとまず勇斗が思いついたのが、学校の教科書で見かけた「二毛作」とか「二期作」だった。

 一年に二回、同じ農地から違う作物を採取すれば、生産力を向上できるだろう、と。


 ただ所詮は素人考えだ。

 調べてみると、二毛作は土地をかなり消耗させ、一時しのぎにはいいが、やがては農作物の育たない土地になってしまうことがすぐにわかった。

 それでは五年一〇年先に行き詰まるのが見えている。


 そこで二毛作を調べる過程で見つけ現在試しているのが、農地を四つに区分し、大麦→クローバー→小麦→カブの順に四年周期でローテーションを組んで耕作するというノーフォーク農法だった。

 現在、ユグドラシルでは土地が痩せるのを防ぐ意味もあり、隔年栽培が基本である。

 だがこのやり方なら、これまで休耕していた畑にクローバーなどの大地の力を回復させるマメ科の牧草を植えたり、カブなどといった家畜の飼料になる根菜類を植えることにより、農業生産の向上と地力の回復を両立させ、さらには家畜の生産量まで飛躍的に増やせるようになるという画期的な農法だった。


「まあ、本当に結果が出るのは数年先ってところだけどな」


 はあっと勇斗は溜息をこぼす。

 画期的だからと言って、おいそれと導入することはできない。

 勇斗の知識はあくまで書物から得たものすぎない。


 やはり実践からしか得られぬ智慧というものが、世の中にはごまんとある。

 例えば木の板の凹みに木剣を立て両手で挟み、回転させるという原始的な火の付け方を勇斗は知ってこそいたが、未だにコツがつかめないでいる。

 ただ知っているのと実際にできるかどうかは大違いなのだ。

 本にそう書いてあるからと大規模に実践して万が一にも失敗すれば、対象が食物だけに餓死者が出かねない。

 だから今はまだ小さい農地で実験中という段階だった。


 ただでさえ農作物というのは一年に一回にしか収穫できない。

 ローテーションを一回りするだけでも四年かかるのだ。

 なんとも気が遠くなる改革ではあった。


「次です。お兄様が伝授してくださった紙[#「紙」に傍点]の人気はますます高まっており、生産量をあげてくれとの陳情がいくつも来ております」

「伝授っつっても、ノーフォーク農法も紙もチートで、俺が考えたものじゃあないけど、な」

「でも、おかげで今年も飢えに悩まされないのは確かですわ。素晴らしいことです」

「そうだな、腹いっぱい食えるってのはいいことだ」


 この世界に来てからというもの、何度となくひもじい思いをし、空腹が心をささくれさせるということを身をもって知ったものだ。

 この世界には文字こそあったものの、『紙』はまだ存在していなかった。

 粘土板や木片などに文字を刻み、情報伝達のための手段としていたのだ。


 当然、現代日本人の勇斗の脳裏を過ぎったのは、教科書にあったパピルスの四文字である。

 なんとはなしにネットで調べてみれば、そこらの雑草から紙を作る方法なんてものがアップされていた。


 素人でもなんとか出来そうだったので試しに作ってみたところ、現代人感覚ではとても売り物にもならない拙いものではあったが、これが交易商人たちに飛ぶように売れたのだ。

 雑草はそこら辺に山ほど生えている。

 紙の制作にも農作物ほど時間を要さない。

 ぼろ儲けもいいところだった。


 その利益で小麦を商人たちから買い漁り、さらに朝に話していた水車小屋で製粉し、販売することでこれまたとんでもない利益が上がる。

 この一連の商業政策により、《狼》の食糧事情と財政は劇的に改善していた。


 恒常化していた飢えから救い、生活を向上させ、外敵を追い払ってくれる理想的な君主を、民衆が支持しないわけがない。

 昨日の戦勝パレードにおける民衆の熱狂的な歓迎ぶりは至極当然のことだったのである。


「それで、どうします? 生産量を上げますか?」

「いや、やめておこう。当分は今のままで」

「わかりました、ではそのように取り計らいます」

「本当は街のみんなにも紙の作り方、教えてあげたいんだけど、な」


 利益を城の人間だけで独り占めしていることにどうにも罪悪感が拭えない。

 市井に紙の作り方を教えれば、より多くのひとが利益を教授できるようになるのではないか、そういう誘惑にしばしば駆られる。


 とは言え、紙は普通の中学生だった勇斗でもネットを見ながら手探りで作ることが出来る代物だ。

 それほど高度な技術を要さない。

 市井に流せば、それだけ外部にも漏れやすくなるだろう。

 そして他も生産し始めれば、《狼》の独占状態は終わりを告げることになる。


 それはまた食うにも困る窮乏の日々に逆戻りすることを意味した。

 誰が自分たちでも作れるものを大金を払って遠くまで買いに来るというのか。宗主としては絶対に避けねばならない事態だった。


「失礼します! 《角》からの書簡が届きました!」


 唐突に兵士の一人が執務室に駆け込んでくるや、直立不動の姿勢で叫ぶ。

 以前はいくつもの人を介して許可を取った上でないと宗主への取次が叶わないという体勢であったが、勇斗にとっては馬鹿馬鹿しいことこの上なく、勇斗としては武装の有無程度のチェックですぐさま自分のところに通すようにしていた。

 これだけでも随分と長老たちから権威がどうとか威厳がどうとか文句を言われたものである。何かを変えるというのは大変だ、とつくづく思う。


「あら、早いですわね」


 フェリシアがちょっと驚いたように目をみはりつつ、平べったい粘土塊を受け取る。

 こちらから書簡を出したのが、確か戦の終わった五日前だ。

 手紙の往復だけでこれだけかかるのだから、たかだか数時間、儀礼のために遅れたところで大差ないというのが長老たちの、いやユグドラシルの人間の感覚なのだろう。


 だが、勇斗にしてみれば情報は鮮度が命だ。

 愛読書の孫子にも「兵は拙速を尊ぶ」とある。

 そのたかが数時間の差が、その後の戦局を大きく左右することもあるはずだった。

 その時になって後悔したくはなかった。


「えいっと」


 フェリシアが勇斗の机の上に置かれた木槌を手に取り、粘土板に振り下ろす。

《角》のものと思しき印章が押されただけの無地の粘土板が粉砕され、中からもう一枚、びっしりと文字が刻まれた粘土板が現れた。

 重要な書簡はこうして新たな粘土で覆って焼き上げ、他の者に見られないよう封をするのである。


「どれどれ。『《狼》が宗主ユウト殿に伝えよ。我、《角》が若頭ラスムスが言う』」


 粘土板を手に取り、フェリシアが序文を読み上げる。

 この『○○に伝えよ、△△が言う』から文章を始めるのが、ユグドラシルにおけるオーソドックスな手紙の書き方である。

 ユグドラシルにおける識字率は一%以下、手紙は書記官と呼ばれる文字の専門職の人間が代筆し、代読するのが一般的であった。

 つまり、『○○に伝えよ』とは読み上げている書記官に命令しているのだ。


「『私を含め、数人の幹部が誓盃の儀に出席する。到着は七日後になる予定だ。我らが主を丁重に扱うよう、くれぐれもお願いする』日付は三日前ですね」


 随分と簡潔な内容ではあるが、たったこれだけの文章でも勇斗の掌大ぐらいの粘土板が必要になる。

 封まですればさらに嵩張る。やはり紙に比べればなんとも面倒な代物ではあった。


「丁重に扱え、か。そういえば、彼女、元気か? 体調とか崩してないよな?」

「ええ、至ってお元気でおられます。今朝もしっかり朝食をとってらっしゃったとのことです」

「そうか。食べられてるなら大丈夫だよな」


 勇斗はほっと安堵の息を吐く。

 妹分となることを了承してもらったとはいえ、それはまだ口約束にすぎない。

 当然、解放するわけにはいかず、現在、城の一角で幽閉させてもらっていた。


 しかし、いずれ妹分として迎える身であり、また隣国の宗主でもある。

 あんまり粗野に扱うわけにもいかない。

 城に戻ってからは手足の縄は解き、個室を与えくつろいでもらっていた。


 ただ、ふっと気が変わって「氏族に迷惑はかけたくない」と自殺なんて可能性もなくはない。

 そうなったら泥沼になると、勇斗は戦々恐々としていたのだ。

 また、勇斗個人としてもあんな年端もいかない女の子に死なれるのはなんとしても避けたい事態だった。


「手紙の言うとおり、丁重に扱ってくれ。けど、逃がさないように、細心の注意も怠るな」

「ふふっ」

「なんだよ、フェリシア。俺、なんかおかしなこと言ったか?」

「いえ、二年前に比べ、本当に頼もしくなられたな、と」

「……おだててもなんもでないぞ」

「すでに十分すぎるほど、頂いておりますわ。お兄様が来てからというもの、我ら《狼》の充実ぶりはとどまるところを知りません。貴方が我らの主となってくださったこと、心よりありがたく思っています」


 フェリシアが、じぃっと熱のこもった瞳で勇斗を見つめてくる。

 その目を見るだけで、その言葉に何の偽りがないことが伝わってきた。


 勇斗の顔が一気に赤く染まっていく。

 褒め言葉には多少慣れたつもりだし、からかいにも慣れたつもりだが、こんな真摯な目線で見つめるのは反則だろう。

 顔を上げていられない。


「くすくす、本当に、そういう可愛いところもお兄様の魅力ですよ?」


 多少はこの二年で成長したと自負する勇斗だが、フェリシアには一〇年経っても敵う気がしなかった。


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